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2010年10月29日 (金曜日)

陛下・南州神社ご参拝希望

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 前回は、「西郷隆盛像のモデルは山形県人」と紹介した。
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-62f2.html
 西郷隆盛と山形県は何かとご縁があるが、渡邉五郎三郎著「南洲翁遺訓の人間学」の中に次の下りがあるので、是非紹介したい。
-------------------------------引用--
 戦前戦後を通じて、政・軍・財・教育・経済界の師表と仰がれた東洋学の泰斗、安岡正篤は、教え子たちが山形県酒田に南洲神社を創建することを讃え、社標を自ら書くとともに、次の献辞を贈っています。Nansyu
 「維時(これとき)昭和五十一年九月廿六目 荘内酒田に於て南洲神社創建の盛儀挙行せらる。雲山蒼々。林野爽涼。蓋世英傑。徳化永祥と栴すべし。孟子曰く、吾れ善く吾が浩然の気を養よ。蘓子曰く、是の気や尋常の中に寓して天地の間に塞る。形に依って立つに非ず。立つを恃(たの)んで行くに非ず。生を待って存するに非ず。死に随(したが)って亡ぶるに非ず。幽には鬼神となり、明には復(ま)た人となる。此れ理の常にして怪しむに足るものなしと。南洲先生は実に斯の人なり。先生の大いなる知己の主・島津斉彬公曽て松平春嶽公に語って曰く、西郷は尋常才智の士に非ず。実に偉大なる仁人なりと。その大仁こそ幕末維新の際、荘内藩の士人を感激せしめ、不朽の道誼を結んで今に至らしめし所以なり。(後略)」
 猶おこの酒田の南洲神社については、今上陛下の思召しについて、次のような記事がありました。
 「平成4年に山形県において国体が開催されました。その発表会が10月4目天童市の会場で行なわれましたが、天皇皇后両陛下がこれに行幸なさいました。山形県知事が病気のため、県会議長がご案内申し上げました。
 発会式の会場にお入りになる少し前、陛下は
 『この会場の天童から酒田は相当離れているのか。私は今回山形県国体と言うので、酒田の南州神社に是非参拝したいと思ったが、日程の関係でそれが出来なくて残念に思いました。いつかの機会に是非参拝したいと思います。』
 それを後で県会議長から聞いて私は感激に震えました。
 創建20年にもならない南洲神社が上聞に達していた事を知りまして本当に言い知れない感動でありました。(荘内南洲会理事長 長谷川信夫)」
-----------------------------(以上・引用)

 西郷隆盛は、西南戦争で国賊となるが、明治22年2月、帝国憲法発布時に明治天皇から恩赦を受け「復権」をとげる。何故、こんなにも早く復権することが出来たのか。
 その陰には、山形県旧庄内藩の藩士によって刊行した「南洲翁遺訓」第21条を風呂敷を背負い全国を行脚し、その人となりを弘布した結果と言われている。

 「敬天愛人」  天(てん)を敬(うやま)い人を愛せよ は特に知られる。
 意味は、「人を相手にしないで、天を相手にするようにせよ。天を相手にして自分の誠をつくし、人の非をとがめるような事をせず、自分の真心の足らない事を反省せよ。」
 このような域に達したいものだ。
 山形県酒田市の南洲神社の社殿は、昭和51年6月に竣工しているが、用材は安岡正篤(やすおかまさひろ)の取計らいで、伊勢の皇大神宮から古材の払い下げを賜ったという。また今回は、社標も安岡正篤の書と知った。

荘内南洲会http://www1.ocn.ne.jp/~x48ue66i/data/frame.htm
   山形県酒田市飯森山2丁目304-10 Tel(0234)31-2364

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