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2010年10月 7日 (木曜日)

酒田甚句で伝わる遊郭の繁盛

♪日和山 沖に飛島 朝日に白帆
  月も浮かるる 最上川
  船はどんどん えらい景気
 今町舟場町〈いままち、ふなばちょ〉 興屋〈こや〉の浜 毎晩お客は
  どんどん シャンシャン
 シャン酒田は よい港 繁盛じゃおまへんか

♪海原や 仰ぐ鳥海 あの峰高し
  間〈あい〉を流るる 最上川
  船はどんどん えらい繁盛
 さすが酒田は大港 千石万石 横づけだんよ
 ほんまに酒田はよい港 繁盛じゃおまへんか

♪庄内の 酒田名物 何よと問えば
  お米にお酒に おばこ節
  あらまぁ ほんに すてき
 港音頭で 大陽気 毎晩お客は
  どんどん シャンシャン
 シャン酒田は よい港 繁盛じゃおまへんか

 と「酒田甚句」に歌われるが、江戸時代から明治にかけての北前船交易による酒田湊の繁栄ぶりが伺える。
 歌詞の、「毎晩お客はどんどんしゃんしゃん」と、御大尽達の宴会三昧の様子がつたわるとともに、「ホンマに酒田はよい港」「繁昌じゃおまへんか」との京言葉からは、当時の酒田が京都との深い交流を示している。
 因みに、今町、舟場町 興屋〈こや〉の浜、三カ所の色街は
   ◎船場町は日和山公園の東側、菊水旅館付近
   ◎今町は現在の日吉町辺り
   ◎興屋の浜(高野浜)は現在の北新町辺り、当時は酒田の郊外
 にあったようだ。
 文化10年(1813年)、まず船場町と今町が公許され、次に高野浜も公許されたが、明治27年の庄内大地震後、高野浜一ヶ所に統合されたとある。
 そして、どこの遊郭の近くには、申し合わせたように稲荷神社があった。江戸時代は「梅毒」などの性病が猛威をふるったそうだ。
 何の治療法もなく、「稲荷信仰」が唯一の頼りだった。
  ▼村社稲荷神社(北新町2-12-10)。
   ▼三居稲荷神社(三居倉庫敷地内)
  ※江戸の吉原遊郭には郭を囲むように5箇所も稲荷神社があった。
 それから、北重人著『汐のなごり』は、湊町の水潟(酒田)を舞台にした遊女の話だった。

大泉逸郎/酒田港
http://www.youtube.com/watch?v=lB6Gs-HHqB8
 作詞 : 木下龍太郎   作曲 : 大泉逸郎
 白帆が頼り 北前船は
 止まるも行くも 風まかせ
 お前が見送るヨ- 酒田港
 紅花積んで 浪花を目指す
 行く手は遠い 西廻り

村社稲荷神社(北新町2-12-10)辺り。


■例年8月上旬の酒田大花火大会の前日には、「酒田港まつり・酒田湊甚句流し」が行われている。

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