« 面白地名・山形県遊佐と遊佐姓 | トップページ | 「水争い」の歴史と土地改良区 »

2010年9月 8日 (水曜日)

米俵の蓋「せんべし」作り

Senbesi

 近所のスーパーに米俵が飾ってあった。
 思わず立ち止まり、久しぶりにワラの感触に触れながら、しげしげと見てしまった。
 連れに、俵の蓋を示して「この名前知っているか」と聞くと「知らない」と言う。
 「せんべし知らないのか」と言うと、藁で作った似たような座布団なら知っているという。同郷でも、数年、歳が違うとこんなものかと思う。

 この米俵の蓋の正式名称は知らないが、庄内弁では「せんべし」と言った。お菓子の「せんべい」と言葉も形も似ているので、語源に何か関連しているのかも・・・・・。
 それとも、「散米止サンベイシが訛ったものか、細かいことは不明だ。
 
 この「せんべし」を使った米俵で、米を供給していたのは、昭和40年頃までだったと思う。その後は、「麻袋(またい)」で供給したはずだ。

 我が家の田圃保有は1町8反程度の零細だったが、それでも概ね200俵分の俵が必要だった。つまり、米俵が200枚、「せんべし」は、倍の400枚が必要となる。
 米俵編みは母や祖母が担当し、この「せんべし」は小学校低学年当時から小生がよく手伝った。
 「じょんだの」とおだてられながら、腰を曲げて懸命に作ったものだ。
 大抵、夕食後の2時間程度の片手間仕事だったが、一晩に10数枚づつ作った時期があった。0018l
 どこの農家にも15畳程度の土間があり、そこには藁打ち石が据えてある。土間は、餅つき、味噌作り、納豆作り、そして、俵編みなどの農家のちょっとした工場空間だった。
 「せんべし」を作るには、藁打ち石と藁打ち杵で叩いて、ある程度柔らかくする必要があった。腕力がついたのは、子供当時からのこのような作業があったからと思う。
 そして、大きさ形を均等にするために、円型の板で大きさを決めながら作る。
 きっと、今でも作れるだろうが、東京では藁など見たこともない。
 あと、縄をなったり、ワラ草履やワラムシロも作ったことがある。
 当時は、自給自足に近い生活だったが、けっして心まで貧しくはなかった。
 最近は物が有り余っているが、心まで豊かにはなっていない。

桟俵(さんだわら)
 どうも、さんだわらと呼ぶようだ。
http://sagami-oodako.at.webry.info/200611/article_2.html

|

« 面白地名・山形県遊佐と遊佐姓 | トップページ | 「水争い」の歴史と土地改良区 »

09 遊佐町の関連情報」カテゴリの記事

11 我が家に関連」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1208592/36599225

この記事へのトラックバック一覧です: 米俵の蓋「せんべし」作り:

« 面白地名・山形県遊佐と遊佐姓 | トップページ | 「水争い」の歴史と土地改良区 »