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2010年9月 6日 (月曜日)

名庭師・山田挿遊と遊佐町

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 山形県遊佐町には、大きな庭がある屋敷が何軒かある。
 その代表的なところとして、遊佐町野沢上の渋谷八十郎家(元・町長)、遊佐町宮田の石垣茂左衛門家(もんぜぇん)」の庭をあげることができる。
 きっと、この町では両横綱と思う。
 野沢の渋谷八十郎家の庭は、大正時代の造園で我が家の祖母も娘時代に手伝ったと聞いた。一緒に訪問したとき、あの庭石もこの庭石も、モッコで自分が運んだと自慢していたが、嘘か本当か確認しようがないので、驚いてみせた。
 きっと本当だろうし、懐かしかったものと思う。
 ここでは、遊佐町宮田の「石垣茂左衛門家(もんぜえん)」のことに多く触れる。
 宮田は、「おくりびと」が撮影された月光川の「朝日橋」から約2キロ下流にある。
 かつては「宮田楯」もあった村で、「楯(城)」は石垣家のことのようだ。石垣茂左衛門家は月光川沿いにある大きな屋敷だが、この地に住むのは関ヶ原戦以後とされ「板垣河内守」を称したという。それが、いつ頃からか石垣姓を名乗ったとされる。
 父親は、祖父の生家を経由して遠いが親戚だと称して良く出入りしていたが、小生は昔、親を車で送って門前までしか行ったことがない。細かい関係は知らない。
 この屋敷には外から見ても分かるが、立派な庭がある。↑上の写真。
 この庭は、酒田の庭造り名人・山田挿遊(そうゆう)の作品だと父親が語っていた。

  山田挿遊は、明治の中頃、庭師として活躍した人で、文政元年生まれで明治29年に没している。挿遊こと山田市十郎は、通称「興屋の山」と呼ばれた酒田の浜畑に生まれ、「京都で修行し、50人からの弟子がいた」と語り継がれる、伝説の人だ。Itemfile701060801083742

  挿遊作の庭は、石垣茂左ェ門家のほかに、酒田・浜田の大地主伊藤四郎右衛門家の別荘「清亀園」、新井田川畔の加茂屋秋野家、八幡町(現・酒田市)前川の大滝勘太郎家などがあるが、中でも旧小山家別邸の「寄暢亭(きちょうてい)」の庭が一番評価が高いとされる。
 この「寄暢亭」は酒田駅から約500メートル「本間美術館」に隣接している。
 造園は明治23~4年頃で、昭和56年頃、小山家から「本間ゴルフ」所有Photo_2に移り、更に、数年前、東京の不動産会社に買い取られマンション建設計画の話があった。それを知った都内でも三元豚の「とんかつ店」で有名な、「平田牧場(ヒラボク)」(酒田市、新田嘉一会長)が買い取り、酒田市の文化遺産として残すという。
 いい話だ。

  挿遊作の庭で、今は見ることができない庭がある。
 明治14年(1881)、明治天皇が酒田に巡幸している。一泊するだけの、Gozasyo酒田行在所(あんざいしょ)を豪商渡辺作左衛門の自宅(現・酒田市本町3 丁目)に、屋上庭園を造るが、挿遊の一世一代の大仕事だった。
 残念ながら、今は右写真のように公園になっている。
 本当にもったいない話だ。
 一説には渡辺作左衛門は、これに資金を掛けすぎて釜けした(倒産)とされる。
 この行在所のことは、最初に本間家に最初に話しがあったそうだが、賊軍になった庄内藩に協力したからと、自ら断ったという逸話がある。Ee089b69646dc2d7a395164e7e795bc0
 
 石垣茂左衛門家のことから離れてしまったが、石垣家七代目・兵藏のことは藤沢周平の「義民が駆ける」の中でも紹介され、石垣家近くの「玉龍寺」の僧・文隣(ぶんりん)、遊佐郷・升川の佐藤藤佐(とうすけ)とともに、庄内藩転封阻止運動の中心となって活躍した。
 また、この屋敷には「真武館」という剣道場がある。
 この道場は、石垣茂左エ門家八代目・兵三郎が、明治15年、庭に道場を建て剣道師範を置き、近隣の師弟と武道に励んだという。
 同家の近年ことでは、当主・石垣直一(なおかず)氏は、山形県議会議長や遊佐町土地改良区理事長を務めていたことがあった。
 ごく最近の知識はない。↓下の写真。

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