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2010年9月11日 (土曜日)

福岡124連隊遺族会「ホニアラ会」

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 「歩兵第124連隊」は、福岡県福岡城跡において、昭和12年9月編成された。
 明治17年に創設された「歩兵24連隊」の連隊本部が、明治19年に福岡城に設置されているが、歩兵24連隊が満州に出陣し留守中に、福岡県出身者を中心に編成動員されている。そして昭和12年9月12日、小堺連隊長は連隊旗手・上村清少尉を伴い宮中において、連隊旗を親授された。後にガダルカナル島なおいて、決死の軍旗奉還作戦が発生するが、このときは知るよしも無かった。
 約4000人の威風堂々の岡連隊(菊兵団)は、ガ島撤退時は300人いなかった。

  まず、福岡歩兵第124連隊の遺族会「福岡ホニアラ会」のことと、元事務局長・上村清一郎氏のことをご紹介する。http://www.geocities.jp/honiara_kai/index.htmUemula_1
 ガダルカナル島で玉砕した川口支隊の主力は第124連隊だ。同連隊の慰霊祭は、今月9月13日(月)正午より、福岡市中央区六本松の旧陸軍墓地にて執り行われる。ガダルカナル島は日米陸軍が最初に闘った島で、日本兵士が餓えながら戦ったことから、「餓島」とも呼ばれる。ガ島戦は日本陸軍最初の負け戦で、終戦まで秘密にされていた。

 まず、「福岡ホニアラ会」事務局長の上村清一郎氏が、今年4月26日逝去された。糖尿を患っていると聞いていたが本当に残念なことだ。
 上村さんは、ガダルカナル島に生涯を捧げたような人だった。
 同氏のことをG_124_uemura描いた「餓島巡礼」という本もある。
 今年11月には、同氏の父上が眠るガダルカナル島に分骨されるという。父上は、福岡で編成された第124連隊旗手・上村清少尉。同少尉は昭和17年11月5日、ガダルカナル島マタニカウ河左岸で頭部に砲弾破片を受け戦死している。上村清少尉は、招集直前まで福岡県朝倉中学校の体育の教師だったが、直ぐに少尉として連隊騎手に選ばれるのだP_uemuraから人物そして容姿端正だったのだろう。
 戦死した翌年の昭和18年に父上の戦死の知らせがあり、小学校6年の上村清一郎氏が喪主を務めたという。
 上村さんと、お目にかかったのは一回だけだが、電話、手紙、メールなどでは数え切れないほどの交流がある。
 知り合う切っ掛けは、「ガダルカナル島戦の遺品探し」だった。

 それは、当方に平成17年はじめ米国ユタ州の方から、「中村部隊本部用」と書かれた紅白の「たすき」などの持ち主を調査して欲しいとの依頼が入ったことに始まる。
 与えられた調査のヒントは、ガダルカナル島で米軍兵士が昭和18年1月10日頃の一斉攻撃の際に、日本人将校を戦死させて手に入れたものだという。
 しかし、その米軍兵士(中尉)も昭和26年に朝鮮戦争で戦死している。
 手がかりが薄い。薄すぎる。
 やや前置きをすると、戦争遺品の身元調査はG_00071父親がニューギニア戦の生き残りで遺族会に関係していたこともあり、随分前から当方も手伝っている。勿論、調査費用は全て持ち出しだが、何か義憤のようなものが自分を動かしている。
 この調査も、過去に日章旗や遺爪髪の身元調査に取り組んで来た経験から、何とかなるだろうと軽く踏んで受けていた。
 しかし直ぐ壁に突き当たった。
 いろいろ調べても「ガダルカナル島戦」に、日本から「中村部隊」なる部隊が参戦した記録が出てこない。
 著名な作家や軍事専門家にも聞いた。Yamazaki
 防衛研究所資料閲覧室(目黒区中目黒2-2-1)にも何ども足を運んだ。
 そして「ガダルカナル島戦」に関する著書は、20~30冊と読破したが、「中村部隊」という呼称は発見出来なかった。
 調査から1年近く経過し諦めかけていたころ「福岡連隊史」を読むことになった。
 日本各地の師団や連隊が「師団史」や「連隊史」なるものが綴られるようになったのは、戦後も落ち着いた昭和40年から50年代に集中している。この「福岡連隊史」も昭和49年発刊とある。きっと当時は遺族会も活発な活動があったのだろう。

 この「福岡連隊史」の中にヒントが隠されていた。
 中村部隊は、歩兵124連隊が中国大陸に出兵していた当時の呼称だった。
 この一文を捜すために、仕事もそぞろだった当時を思い出す。Tasuki_1_fig0011_thumb_211
 この部隊の関係者に連絡方法がないかと模索中に知ったのが、この遺族会だった。
 そして、歩兵124連隊の遺族会は「福岡ホニアラ会」という名称で、上村氏はこの会の事務局長の要職にあることを知った。
 ホニアラ会は、激戦の地、ソロモン諸島ガダルカナル:Guadalcanal島の首都ホニアラから戴いている。上村さんとの交流は、ここから始まった。
  以下は、「週番将校用襷」が、124連隊のものと認定した経過を簡記する。
                                記
■写真は「週番将校用襷」といい「中村部隊本部用」と記入がある。この襷は通常各連隊に、精々1本渡されるが、戦地で使うことはないという。Nakamura11
 この部隊は、福岡編成の第124連隊と判明するが、「中村部隊」の名称は、昭和14年8月124聯隊の第三代連隊長・「中村次喜蔵大佐」からの呼称と知る。124連隊が昭和17年9月にガ島に派遣された当時は、第四代「岡明之助大佐」が連隊長であり、「岡部隊」としてガ島に上陸していることが、調査を困難にさせていた。
それでは何故、「中村部隊本部用」と記入されたまま、ガ島に持参されたかを推測すると、同じ第124連隊で本隊より約1ヶ月遅れて上陸した部隊があった。
 それは、124連隊・高級副官「山崎正人大尉」が率いる部隊だった。
 「福岡連隊史」には、「昭和17年10月4日、ブーゲンビルに残っていた千人を率いた山崎正人大尉がガ島に上陸してきた。」と記されている。この山崎大尉が率いる部隊は、ガ島に派遣される以前は、「中村部隊」として、昭和14当時から中国大陸に派遣されている。つまり、「中村部隊本部用」と記載された週番将校用襷は、部隊名を変更する暇もなく、中国大陸から直接ガダルカナル島に派遣されたのだった。
■124聯隊の山崎大尉に関しては、福岡県「ガ島・ホニアラ会(事務局長・上村清一郎)」の協力を得て詳細に調査したところ、同大尉は、第三代の連隊長「中村次喜蔵大佐」当時からの高級副官であり、週番将校襷を管理する立場にあった。Yomiuli_18_12_7
 つまり、連隊長が代替わりし、本来なら名前を変更すべきところ、週番将校襷を携行したまま、本隊と合流したことになる。
 また、戦死した昭和18年1月10日には「危険を冒して、単身で他の部隊と連絡に行き、山中で敵に囲まれ35歳の生涯を銃弾に散った。」と福岡聯隊史に記録されており、戦利品として持ち帰ったアメリカ側の証言と合致した。
■なお、同大尉が所持していたノートは、「山崎ノート」として米軍が日本軍の分析に活用した事実も判明した。「山崎ノート」は、米国戦争記念館に保管されている。
 これは遺品を入手した米軍少尉が差し出したものと思われ、山崎大尉の軍刀は連隊長に差し出したと言われており、この功績で、同少尉は数日後の昭和18年1月14日には中尉に昇進している。
返還後の状況は
 歩兵124連隊の連隊長が第三代「中村次喜蔵大佐」当時(昭和14年8月1日就任)に使用されていた、「週番将校たすき」が約65年Man11ぶりに福岡の地に還ってきたと大きく報道された。
 この「週番将校たすき」は、平成17年、米国ユタ州のバーン家で発見されたもので、このバーン家のMattさんが、祖父・William Richard Burn氏の遺品を整理中に発見したものだが、祖父・ウィリアム少尉はガ島戦に昭和18年1月4日から参戦しており、家族に「襷や拳銃はギャロッピング・ホース「日本名称・見晴台」の攻撃で、1943年1月10日ころ日本軍将校から戦利品として得たものだ。」と言い伝えてあった。
 この状況は、平成18年12月7日付けの読売新聞・朝刊でも紹介されたが、久留米駐屯地・広報資料館で保管展示されている。
ホニアラ会ホームページの紹介
http://www.geocities.jp/honiara_kai/Photo
 このホームページは、上村さんとの交流を続ける中で、技術面で協力し作成した。
 更新要領や暗証番号は全て上村さんに伝えたのだが、こちらにパスワードの記録が残っていない。近況などを更新してあげることが出来ずにいる。
 ホニアラ会の掲示板は、独立して今もガダルカナル戦に関心ある方々で活発に動いている。http://8921.teacup.com/honiara/bbs
 掲示板はトップの左上、他にお知らせページサイトマップの下段に付けてある。
 直接、ヤフーに連絡し理由を説明してパスワードを教示してもらう予定だが・・・。
  (※その後、何とか教えてもらう) 
遺品の展示場所Tengi_13
  福岡県久留米市国分町100
 陸上自衛隊久留米駐屯地 広報資料館 0942-43-5391
 一度は、自分の目でも確認したいと思っている。
 ガダルカナル島戦やニューギニア戦のことは、今後も時々紹介させて頂く

福岡ホニアラ会の近況紹介
 福岡ホニアラ会は、一旦、解散しましたが、会長の関と藤顧問を中心に、会の意思を尊重される有志の方々と、事業の一部を引き継ぐことに致しました。今後とも、よろしくお願いいたします。恒例の、124連隊の慰霊祭を、来る、9月13日(月)正午より、福岡市中央区六本松の旧陸軍墓地にて執り行います。ご遺族、関係者の皆さまのご出席をお願い致します。引き続き、「ガ島慰霊巡拝の旅」が、下記の通り、確定致しましたので、ご案内申し上げます。
 ○期間 11月16日(火)~24(水) 
  福岡と成田より出発し、シンガポールにて合流予定です。
   ※今回は、慰霊に重点を置いておりますので、行程も余裕があります。
 ○代金 福岡発 487,000円 成田発 493,000円
 ○申し込み締め切り 8月20日(金) (申込金として30,000円が、必要です。)
  ○ご参加を、希望される方には、別途、詳細資料を送付いたします。
   下記にご請求下さい。
 ○申し込み先 
    〒828-0068 福岡県朝倉市甘木1837-4   (株)筑後旅行センター甘木営業所
      TEL 0946-24-1244   FAX 0946-24-0288   担当 綾部穂積さん
 なお、今回は、当会の前事務局長として、永年、お世話されました、上村清一郎さんの分骨を合せて、行う予定です。
 この旅行につきましては、今回が、最後になるかと思います。
 従いまして、出来るだけ、皆さまのご参加をお願い申し上げます。
             平成22年7月28日
                会長       関  義一
                顧問・事務局長  藤  秀暢
   (〒838-1515  福岡県朝倉市杷木若市2686 TEL 0946-62-0252) 
                            代理 築地 武士 

ガダルカナル島戦争遺品調査サイトに対する評価
 (※誰が作成したサイトかは知らない

 http://cyber.deci.jp/rekishi/a1.html
  「充実した情報が掲載されているサイトです。 軍司令部について 福岡ホニアラ会ホームページ 主に歩兵124連隊戦死者の慰霊、遺骨収集、ソロモン諸島との親善を目的に結成されています。」と評価されている。
 防衛関係者やマスコミからも問い合わせがあるので、目立つサイトなのかも知れない。   これも、遺族会事務局長の上村さんが、いろいろアドバイスしてくれたお陰だと思っている。有り難いことだ

ガダルカナル島戦争遺品調査サイト 

充実した情報が掲載されているサイトです。

福岡ホニアラ会ホームページ

主に歩兵124連隊戦死者の慰霊、遺骨収集、ソロモン諸島との親善を目的に結成されています。

大空中戦のはてに

日米のエースパイロットが繰り広げた死闘

動画 ディスカバリーチャンネル

ある兵士の手記

生々しいガダルカナルの

体験談です。どうぞご一読ください。

ガダルカナル日米死闘の空

日米の空戦の記録です

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