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2010年9月に作成された記事

2010年9月30日 (木曜日)

尖閣で日本人も目が醒めたか?

 戦後、1945年以降の日本社会は、国家の安全を米国に依存してしまったこともあって、安全保障や危機管理意識が諸外国と比較すると大きく欠如した国民だが、尖閣問題を機に、その重要性にようやく気づいたような雰囲気だ。
 正に、中国漁船の尖閣来襲は、太平の眠りを覚ます黒船となる可能性がある。
  
 関西テレビの「水曜アンカー」に出演した青山繁晴氏は、9月29日、今回の尖閣問題について解説した。
 いつも、同氏の解説が一番理解し易いと思っている。

①検察は船長の起訴にむけて合意が出来ていたが一人だけ「釈放やむなし」と判断。
②背景には官邸からの圧力だけでなく、日中貿易に依存する経済界からのプレッシャーも大きく影響した。
③今回は中国が勝ち日本が圧力に屈したと思われているが、国際社会はそうではなく中国への批判が高まった。
 また、「本当の亡国とは日本経済が中国頼みであること」と指摘する。
 現在も、尖閣諸島には中国の監視船が二隻活動中で、これに対して官邸からは海保に何も指示が出ておらず、海保は独自に行動している。
 さらに、中国の報道官が急にこれまでの威圧的な態度を改め、ニコニコ顔になったのは、世界から孤立しはじめたことを恐れていることと、日本人が覚醒したことが誤算だったと解説する。
 
中国漁民釈放は仙谷の指示!中国に屈した民主党屈辱外交Images
  
【青山繁晴】
 中国漁船船長の釈放は、やはり仙谷由人の指示に、大林宏検事総長が動いたためらしい。­


■中国漁民釈放は仙谷の指示!中国に屈した民主党屈辱外交【青山繁晴】


 

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ボケ防止に「赤ワイン」

 赤ワインがいいことは3・40年も前、よく山登りをしていた当時から聞いていPhoto_4た。
 リックがかさばったが、1本は必ず持ち上げた。
 穂高の涸沢カールで飲んだ「赤ワイン」の味と、効用を確信を持って語る山仲間の姿を思い出す。

 最近「赤ワインの効能」が科学的に解明されたと報道があった。
 ワインに含まれる「ポリフェノール」という物質は、ブドウの皮や種子に多く、果汁を発酵させる白ワインには少なく、赤ワインに圧倒的に多い。このポリフェノールが、病気や老化を招く体の酸化を防ぐことが分かった。次いで、ポリフェノールの中でも特にリスベラトロールに、がんを抑える働きがあることが明らかになった。Photo_4
 効用を要約すると、
 1.動脈硬化を防ぐ 
 2.血流をよくする 
 3.がんへの抵抗力を強める 
 4.痴呆を抑える 
 5.やすらぎをもたらす
 
 これまで、赤ワインを飲む習慣はなかったが、心がけて飲んでご利益をいただこうと思う。
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 赤ワインの認知症予防効果」メカニズムを解明(2010年9月29日読売新聞) 
 名古屋市立大大学院医学研究科の岡嶋研二教授(56)と原田直明准教授(43)らのグループが、赤ワインに含まれる植物成分のポリフェノールが学習機能や記憶をつかさどる脳の海馬を活性化するメカニズムを突き止めた。
 認知症の予防や改善につながる研究結果で、近く研究論文が米化学誌に掲載される。 1日にワイングラス2杯程度(250~500ミリ・リットル)を飲むと、認知症に効果があることは従来、別の研究者の実験で知られていたが、メカニズムは解明されていなかった。 岡嶋教授らのグループはマウスの知覚神経を培養、ポリフェノールを加える実験をしたところ、脳の海馬を刺激する物質「CGRP」の放出量が増加することが分かった。

     想定されるワインの主な効用が赤ワイン)
悪玉コレステロールの酸化を防ぎ、動脈硬化を防ぐ
動脈硬化を招くエンドセリンの合成を抑える
血小板の凝集を抑え、血栓症になるリスクを減らす
血液の流れをよくし、速度や流量を増やす
平滑筋細胞の増殖を抑え、動脈硬化の進行も防ぐ可能性
脂肪の吸収を抑える
ピロリ菌への殺菌作用があり、胃ガンなどを減らす
ポリフェノールの一種であるリスベラトールが、がんの細胞死を招き、がんお進行を抑える
リスペラトールは、脳の細胞同士を結びつけ、記憶などの脳機能を改善する可能性
神経伝達物質や記憶に関係する物質を分解する酵素の働きを妨げる物質を持つ
香りに人をリラックスさせる作用がある
カリウムを多く含み、利尿作用がある
カルシュウムとマグネシュウムをバランスよく含み、骨粗鬆症を防ぐ可能性
大腸菌やサロネラ菌などへの抗菌力が強い

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2010年9月29日 (水曜日)

尖閣は暴力団の縄張り争い?

 尖閣諸島を守ってもらうため、米国から「みかじめ料」引き揚げが要求されている。
  「みかじめ料」とはヤクザ用語で、「ショバ代」・「用心棒代」のこと。Img2010
  アメリカは、今回の尖閣事件のドサクサの中で、思いやり予算「みかじめ料」を「対中戦略経費」と位置づけ、日本に応分の負担を迫るという。

  石原都知事は、中国の強硬姿勢を「暴力団の縄張りと同じやり方」とコメントしていたが、アメリカも似たような国と思う。
 今の日本は、アメリカの縄張りの中で営業している飲み屋と同じで、チンピラ国家から営業妨害されないためには、それなりのみかじめ料は支払う必要があるのか。
  いずれにしても、アメリカも中国も自国の縄張りを守る、或いは広げるという戦略で動いているのであり、日本は何の戦略も持たずに、米中の狭間でオロオロしているだけという印象だ。

  9月29日産経新聞「正論」に評論家・西尾幹二氏の「悲しき哉、国守る思想の未成育」が掲載された。ここ数日、稚拙ブログでも同様に心配し続けているが、それを全て網羅する内容だったので紹介したい。
  この中で、西尾幹二氏は
 「日本は米中の挟み撃ちに遭っているというのが、今回の一件である。」、「後ろ手に縛られたまま、腹を足蹴りにされているようなものだ。そして、今、痛いと言ってうずくまっている姿それがわが祖国なのだ。嗚呼!」と嘆く

  • 国民新・亀井代表、「検事総長は自ら説明せよ」 
  • なぜか中国に敬語連発 仙谷長官
  • 【尖閣衝突事件】「中国は変わっていなかった」仙谷氏が甘さを反省
    正論】評論家・西尾幹二 悲しき哉、国守る思想の未成育
    【イチから分かる】「尖閣諸島」 東シナ海の権益確保狙う中国
    【from Editor】あり得ない選択肢
    【主張】中国船集結 尖閣の守り不備正すとき
    【尖閣衝突事件】地方議会で抗議決議相次ぐ 毅然とした対応を要求
    ---------------------------------
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    2010年9月28日 (火曜日)

    「花笠音頭」の若松様とは?

    Hanagasa

     「目出度、目出度の若松さまよ♪」と歌われる「花笠音頭」は山形県を代表する民謡だ。この歌詞にある「若松様」は、鈴立山(れいりゅうざん)「若松寺」( じゃくしょうじ)のことだが、お寺の名前であることは、地元を除くと意外に知られていない。

     前回、天台宗の最澄(さいちょう)の時代に始まる比叡山の「不滅の法灯」の予備の火は、山形県の山寺「宝珠山・立石寺に分灯されていることを紹介したが、ライバルと言われる近くの「若松寺」のことも紹介したい。Map6_8
     
     「若松寺(じゃくしょうじ)」は、「西の出雲、の若松」と、島根県出雲市の出雲大社と比べられるほど、縁結びの観音様として地元では有名だ。
     所在地は、山形県天童市大字山元2205-1 にある。
     若松寺山門はJR天童駅から車で約15分。

     「山寺」は同じ天台宗の寺院だが、永遠のライバルと言われている。
     開山は「若松寺」が100年以上も古く、今から約1300年前、奈良時代の和銅元年(西暦708年)に行基菩薩が開山しているが、ライバルの山寺には、松尾芭蕉も参拝し県外にも相当に名が知られている。
     
     因みに、若松寺縁結びの寺山寺縁切り寺であり、
     「山寺で縁を断ち、気分一心で良縁を求めて若松寺に参拝を
     が謳い文句。
     このお寺では、仏式の結婚式が盛んに行われている。
     「目出度、目出度の若松さまよ♪」は、ここで結婚式が盛んなことから歌詞に加えられたのであろう。 

    花笠音頭■
    目出度 目出度の 若松さまよ
    枝もチョイチョイ栄えて
    葉もしげる
    ハァ ヤッショ マカショ
    シャン シャン シャンYakamatusama

    花の山形 紅葉の天童
    雪を眺むる 尾花沢
    雪の舟形情に厚い

    呼べば とけそなやさすがた
    娘盛りを なじょして暮らすImg493dee58zik4zj
    雪に うもれて針仕事

    可愛い おばこが嫁にくる
    おばこなぼになる 十三七つ
    百合の 花ムコに似てめごい

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    尖閣は民主とマスコミの責任

     尖閣諸島は日本の領土だ。Img20100907234100931
     アメリカから沖縄が返還のとき、一緒に返還された島々だ。
     「領有権をアメリカに確認してみろ!」、「アメリカも間違いないと宣言して欲しい」とでも、国の指導者やマスコミは声を大にして怒りを示して欲しいものだ。
     山形県は、友好県省の関係にある中国黒竜江省ハルビン市の百貨店で10月14~20日に開催予定の「山形県食品フェア」を中止するという。
     尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件は、閣僚級政府高官の交流停止、レアアースの輸出禁止、フジタの4人逮捕など各方面に余波が大きい。
     本当は、真の踏ん張りどころを発揮すべきなのに、簡単にギブアップしてしまった。

     さて、我々一般国民は、国内外の情勢は新聞、テレビなどのマスコミ情報以外に知る方法はない。
     なのにマスコミが偏っていたのでは、国民に誤った情報を提供することになる。
     今回の尖閣事件で目に止まったのは、中国の温家宝首相が、ニューヨークの国連本部で行った演説の中で、「国家主権と領土の保全については一切譲歩しない」と述べ、中国側の立場を強調していたが、この様子を繰り返し繰り返しテレビ放送していた。

     これに比して、菅首相や民主党幹部は口を揃えたように、「粛々と法に照らして」などとおとなしい言動では、国民に、世界に、そして何より中国に対する発信力がないことは歴然だ。 
     マスコミも、このような国難のときこそ電波や紙面を惜しみなく使って、「尖閣は歴史的にも日本固有の領土だ。中国の主張は間違っている」と集中報道が出来ないのだろうか。
     二流三流タレントの醜聞には、ヘリを飛ばしたり驚くほど多数の取材陣を投入し、放送時間や紙面を割くケースと比較すると力の入れ方に差があり過ぎる。
      
     勿論、共産国家・中国と違い、民主主義国では国論を一致させることは難しいのだろうが、怒るときはハッキリ怒りを見せることも指導者として大切だし、それをシッカリと引き出して報道するのが日本のメディアの役割と思う。
      挙げ句の果ては、地検に責任を押しつけた弱腰外交では、日本国民を落胆失Map_nansei望させ、中国には決定的な自信を付けさせてしまった。
     譲歩すれば相手も譲歩すると思っている、日本側の甘すぎる決断だ。
     この狼狽振りは、民主党、そして民主を応援し続けてきたマスコミ評論家達、更には支持し投票してきた国民の責任だ。
     今後、日本人は誇り自信を持って世界で振る舞うことは出来ないだろう。
     そして、国民の士気の低下国益の損失は大きすぎる。

    【尖閣衝突事件】 政府、ビデオ公開前向き 中国の違法行為を世界に訴え
    【尖閣衝突事件】中国に抗議、政府には「毅然とした対応を」 横浜市議会が意見書可決

  • 【尖閣衝突事件】経産省、中国の輸出規制調査を開始
    【尖閣衝突事件】漁業関係者の不安に「風評で盛り上げるべきでない」と仙谷氏
  • 【中国人船長釈放】仙谷長官が「何ら根拠ない」と中国の賠償要求を重ねて拒否
  • 【尖閣衝突事件】安倍元首相らの「創生『日本』」が菅政権打倒宣言
  • 【尖閣衝突事件】玄葉氏「離島防衛が必要」警戒監視、自衛隊配置…
  • 【尖閣衝突事件】柳田法相「テープ公開は国会審議ををふまえて判断」
  • 【中国人船長釈放】沖縄県議会が抗議決議 日中両政府に
  • 【中国人船長釈放】「間違いと一貫している」自民の石原幹事長が谷垣氏発言釈明
  • 【尖閣衝突事件】前原外相「衝突は悪質」とビデオ公開も 参院外交防衛委
  • 【尖閣衝突事件】馬淵担当相が沖縄初訪問へ 尖閣の警備強化要請も
  • 【尖閣衝突事件】前原外相が「領土問題存在しない」と改めて強調
  • 【中国人船長釈放】沖縄知事「尖閣を視察したい」 警備強化も要請へ
  • 【正論】初代内閣安全保障室長・佐々淳行 五星紅旗が翻る尖閣を見たいか
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    2010年9月27日 (月曜日)

    尖閣を守る覚悟が日本にあるか

     今こそ、尖閣を守る覚悟が日本にあるか問われている。Senkaku1
     尖閣諸島海域での中国人船長拿捕事件は、日本と中国間の明らかな国際紛争だが、この国際紛争は100%日本が負ける。

     それは、憲法9条に「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と銘記していることにある。
     自衛隊がどんな立派な近代兵器を保有していても、国際紛争の解決手段として使用することは100%出来ない。
     使うなら、憲法違反になる。
      そして、今こそ日本人の覚悟が試されている。
     「日本に対しては何をしても大丈夫。殺される心配はない」との印象は、日本に隣接した国々は皆思っているという。
     それは、多くの国民をはじめ、平和団体や左翼政党が金科玉条のごとく奉る「憲法9条」で、命の安全が保たれているからだ。日本人の安全ではない。
     近隣諸国民安全が守られているのだ。

    憲法9条
     日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
    2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

     あくまで尖閣諸島の領有を貫くには、今こそ日本自身が覚悟を決める必要がある。
     主権を主張するなら、侵略から尖閣を守る決意を内外に示すことが大切だ。

     今は、武器を持った強盗犯人から、「お前は、家訓で武器の使用は出来ないはずだ」と言われて、「ハイ、話し合いでお願いします」と言っている被害者と同じ立場だ。
     「まあまあ落ち着いて、粛々と話をしましょう」などと、何ら具体性のないことを政治家も評論家も発言し、それを是としてマスコミも取り上げている。

     話し合いに応じない、同じ価値観、倫理観を持たない尋常でない相手に、それが大人の対応だというから情けない。
     国家間の交渉に、譲り合いや温情など微塵もないことを知ることだ。
     今回の事件で唯一の救いがあった。
     アメリカのオバマ政権は、「尖閣諸島は沖縄返還以来、日本政府の施政下にある。日米安保条約は日本の施政下にある領域に適用される」とする見解を日本政府に伝えたという。
     それに、平和ボケの日本国民に安全保障という最重要課題を、否応なしに考える機会を提供したことだ。

     前項で、比叡山の「不滅の法灯(ほうとう)」を守る僧侶達の工夫と熱意、緊張感を紹介したが、法灯(平和)を守り続けるには、粛々と落ち着いて、漫然と手を合わせて祈っているだけでは守り抜くことは出来ない。

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    2010年9月26日 (日曜日)

    「不滅の法灯」と「油断大敵」

    Yamadera

     比叡山の「不滅の法灯(ほうとう)」は、天台宗を開いた最澄(さいちょう)の時代に始まり、以来1200年以上にわたって途絶えることなく灯っている。Enryaku101c
     この「不滅の法灯」は、山形県の通称・山寺「宝珠山・立石寺(↑写真)」に分灯されていることをご存じだろうか。
     そして実際は、比叡山も山寺も戦国時代に一回づつ消えたことがあるが、分灯していたことが幸いし、引き続き法灯を守り続けている。

     「油断大敵」の語源は種々あるが、この「不滅の法灯」を消さないように、毎日、「菜種油」を注ぎ足している僧侶達の緊張感を思うと理解し易い。
     光は、ただ漫然と守られている訳ではない。
     天台宗を開いた最澄(さいちょう)は、この法灯に
     「明(あき)らけく後(のち)の 仏の御世までも 光りつたへよ 法のともしび」
     と詠まれた。
     仏教の難しい話は分からないが、きっと、この光には後の世まで永遠に照らして欲しいとの願いが込められているのだろう。

     しかし、この法灯も一度づつ消えたことがある。
     いずれもだ。
     「比叡山」は1571年(元亀2年)、織田信長の叡山焼き討ちで全山が消失。
     「山寺」は1521年(大永元年)、立石寺が伊達氏に味方したことで、最上氏の軍勢に攻められ焼失している。
     ここでも法灯を守り続けることの難しさと、万が一に備える大切さ、そして「油断大敵」を教えている。なお「法灯」は、現在、岩手の中尊寺等数カ所に分灯されている。
     一箇所集中は危険であり、リスクの分散は大切なことだ。
    http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20100924_9
       
     この「油断」は、国家間にもそのまま当てはめることが出来る。
     中国偽装漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした事件から、「油断」は国家の存亡に発展する虞があることを教えている。

     中国は尖閣事件の対抗措置として、次々に手を打って来た。
    ■閣僚級などの政府高官の交流停止
    ■河北省の軍事管理区域に侵入しビデオ撮影したとして、日本人社員4人が拘束。
    ■外貨準備で円資産を大量に買い、「円高誘導」の意見。
    ■中国からの「レアアース」の輸入ストップか。
    ■中国政府による、日本旅行の自発的中止の指示。
    等々、三国志や春秋の群雄割拠していた時代からの国家戦略通りのことだ。
     中国には、兵法三十六計がある。
     この兵法で、日本を貶める長期の計画で動いていることを知ることが出来る。
     ●笑裏蔵刀(しょうりぞうとう)
      友好的に接し、相手が警戒を緩めたところで攻撃する事。
     ●借屍還魂(しゃくしかんこん)
      利用できる物は何でも利用する事。例えば、中国は先の戦争や靖国神社のことを
      持ち出して揺さぶりを掛けることなどは、その典型だ。
      これに日本はやられるがままに、「平和、平和」「冷静、冷静」と念仏を唱える。

     「不滅の法灯」や「油断大敵」の教えは、今の日本には通用しないのか。
     「一隅を照す。これ則ち国宝なり」も最澄の教えだ。
      ただ、ただ、今の日本にはもったいない教えだ。
     
    天台宗・東京教区
     ・ 臥龍山 安養院(東京都品川区)
     ・ 澤田山 安養院(東京都日野市)
     ・ 安楽寺(東京都品川区)
     ・ 国宝山 医王寺(東京都稲城市)
     ・ 経王山 圓融寺(東京都目黒区)
     ・ 鷲峰山 玉泉寺〔BOSEのバーチャ極楽〕(東京都あきる野市)
     ・ 東叡山寛永寺 清水観音堂(東京都台東区)
     ・ 浮岳山 深大寺(東京都調布市)別格本山
     ・ 江北山 清水寺(東京都台東区)
     ・ 長命山 徳蔵寺(東京都品川区)
     ・ 泰叡山 瀧泉寺〈目黒不動尊〉(東京都目黒区)

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    新版・外国人の参政権問題Q&A

     尖閣沖・中国漁船拿捕事件から、共産党独裁国家・中国の恐ろしさを知り、多51rlpgidul少は「外国人参政権法案」に躊躇することを期待している。

     しかし忘れっぽい日本人は、来春あたり再び「外国人に参政権を」の声が上がる可能性がある。
     この法案は「選択的夫婦別姓制度」と並んで問題が多い。
     ここに、「外国人参政権問題」のバイブル的書籍、百地章著「外国人の参政権問題Q&A」があるので数回に分割してご紹介したい。

    ■新版「外国人の参政権問題Q&A
          地方参政権付与も憲法違反
                       百地 章 (日本大学法学部教授)/著
    〈内容〉
      はしがき
     民生党政権の誕生によって、外国人参政権問題が再び浮上してきた。
     この問題は、平成12・3年頃をピークに自民党内でも盛んに議論されたことがある。しかし、「外国人参政権は憲法違反であって、たとえ地方選挙権であれ付与できない」との意見が党内で大勢を占めるようになり、以後「すでに終わった問題」であると考えられてきた。
     本書の前身である『永住外国人の参政権問題Q&AI地方参政権付与は憲法違反-』が自費出版の形で上梓されたのは平成12年3月であったが、幸い大変分かりやすいとご好評をいただくことができた。国会議員の方々の勉強会などでもご利用をいただいたと仄聞している。また、有力な憲法学者の方々からも嬉しい感想をいただくことができた。
     お蔭で、ささやかな出版物ではあるが、現在、六刷まで版を重ねている。
     また、この『Q&A』は、インターネットにも掲示され、外国人参政権反対違勣にも何がしかのお役に立てたのではないかと思う。Momochi_s
     今回、新たに旧版に加筆する形で本書を出版することになった。『新版 外国人の参政権問題Q&A』とした所以であるが、新たにクエスチョンを6問付け加え、韓国でのその後の動向や二重国籍問題等についても言及している。
     民主党は来年の通常国会で外国人参政権法案を国会に提出するつもりであると聞くが、何としてでもこれを阻止しなければならない。そのため出版を急いだので、不十分なところも目に付くが、何卒ご寛恕をいただきたいと思う。
                    平成21年10月15日    百地 章
    ---------------------------順次引用--
    はしがき
    Q1 永住外国人は税金を払っているのですから、地方参政権くらい認めるべきではありませんか?
    Q2 参政権は人権、つまり「国家以前の権利」ですから、外国人にも保証されるべきではありませんか?
    Q3 地方参政権、それも選挙権に限定するならば認めてもよいのでは?
    Q4 日常生活に関わるサーヴィス事務に意見を反映させるためでも、選挙権は認められないのですか?
    Q5 少数の永住外国人に選挙権を付与したとしても、政治に対する影響力など取るに足らないと思うのですが?
    Q6 最高裁は永住外国人に対し、地方自治体レベルでの選挙権付与を認めたのではなかったですか?
    Q7 外国人に参政権を認めている国は多いのではありませんか?
    Q8 ドイツやフランスが外国人に地方参政権を付与するために、憲法を改正したのはなぜですか?
    Q9 永住外国人への参政権付与の問題は、在日韓国・朝鮮人問題だといわれていますが?
    Q10 在日韓国・朝鮮人は日本人と同様の生活をしています。地方参政権ぐらい認めてあげてはどうでしょうか?
    Q11 在日韓国・朝鮮人に対する差別解消のためにも、地方参政権を与えてはどうでしょうか?
    Q12 朝鮮半島からの強制連行に対する謝罪の意味も込めて、地方参政権くらい認めてあげるべきではないでしょうか?
    Q13 戦後、在日韓国人の人々は日本国政府によって「日本国籍」を剥奪されたのではありませんか?
    Q14 韓国では永住外国人に地方参政権を認めています。相互主義の立場から日本もこれを認めるべきではありませんか?
    Q15 選挙にもいけない在日韓国人の人達がかわいそうです。
    Q16 民団(在日本大韓民国団)の人々や民主党、公明党などはなぜそれほど参政権問題にこだわるのですか?
    Q17 外国人参政権問題を解決するためには、どうすればよいのでしょうか?
    Q18 在日韓国・朝鮮人(特別永住者)の人々に対しては、「特例帰化制度」を認めてあげてはどうでしょう?
    Q19 問題解決の方法として、二重国籍を採用すべしとの主張は?
    Q20 そもそも「国籍」とはいかなるものでしょうか?

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    2010年9月25日 (土曜日)

    日本は中国の圧力に屈した。

     日本は中国の圧力に簡単に屈してしまった。
     間違いなく日本の歴史に汚点を残すことになる。
     今日24日、突然、那覇地検の鈴木亨次席検事は「中国船長を処分保留のまま釈放を決定した」と発表した。
     大阪地検・主任検事のデータ 改ざん事件で弱みのある検察機関に対して、裏側で何らかの政府圧力(取引)があったと見るのが自然だ。
     それとも、政界だけでなく、法曹界も中国に支配されてしまったのか。
     その通りなら、ただならぬ事態だ。
     「これからは政治主導だ」と、鳴り物入りで誕生した民主党政権だが、一体、日本国家をどのように考えているのだろうか。
     国家の品格は何処に行ってしまったのかと情けなく思う。

      きっと、日本も一歩引けば、中国も一歩引くだろうと期待しての中国人船長を釈放したのであろう。しかし、中国が逮捕した日本のフジタの社員は開放されてもいない。
     当分は、取引の材料として解放しないであろう。
     こちらが一歩引いて弱いとわかれば、二歩でも三歩でも踏み込んでくる。
     それが中国のやり方だ。
     共産国家という価値観を共有しない国との外交に、温情や譲り合いの精神など、全く通用しないことを、日本は知ることだ。


    【主張】中国の謝罪要求 譲歩ではなく対抗措置を

  • 【邦人拘束】安全確保、迅速な問題処理を中国に申し入れ 日本大使館
  • 【敗北 尖閣事件】(下) 責任、検察に転嫁…「起訴すべき!」会議室に響いた声
  • 【中国人船長釈放】「非民主国家あからさまに」岡田氏が中国批判
  • 【中国人船長釈放】外務報道官談話のポイント
  • 【中国人船長釈放】「政府に抗議」 首相官邸近くで刃物所持男逮捕 警視庁 
  • 【中国人船長釈放】「即国外退去すれば良かった」自民・谷垣氏 大島氏は次席検事の国会招致要求
  • レアアースの禁輸、WTO提訴も示唆 大畠経産相
  • 【中国人船長釈放】石平氏寄稿 9・24は「国家屈辱記念日」 対等な交渉望めぬ
  • 【中国人船長釈放】「違法漁船、捕らえられなくなる」森本敏・拓殖大大学院教授
  • 【中国人船長釈放】前原外相「検察判断にとやかくいうことない」
  • 首相、帰国の途に
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    中国の三十六計に屈した日本

     「戦争になるよりはいい。このまま行けば、駐日大使の引き揚げ、国交断絶もありえた」。――首相に近い政府筋は9月24日夜、船長釈放に政治判断が動いたことを、周囲に苦しげに認めた。=読売=  
          ◆みたか、これが民主党の言う、見事な政治主導だ

     尖閣諸島沖中国漁船拿捕事件では、中国は三十六計を次々に繰り出して来た。
     兵法三十六計中国の兵法書で、三十六通りの戦術を六段階に分類してある。
    516fdmwwsnl__ss500__2
     思うに今回は三十六計のうち、
     18計:擒賊擒王(きんぞくきんおう)
      敵を壊滅させるには、敵の中枢部を壊滅させる作戦。
      中国の胡錦涛国家主席と温家宝首相が先頭に立って、すかさず
      経済、軍事、外交の各分野で具体的な対日報復措置で、日本
      の中枢部を攻めて来た。
     25計:偸梁換柱(とうりょうかんちゅう)
      相手を堕落させ骨抜きにしてしまう作戦。
      中国は腑抜けの、日本の商人国家を見抜き、観光、資源、金融面から
     揺さぶりを掛けて来た。(日本は昔、サムライ国家と呼ばれていた)

    もちろん、中国は平時から日本に対してけん制を忘れない。
     10計の:笑裏蔵刀(しょうりぞうとう)
      平時は友好的に接し、相手が油断したところを攻撃する作戦。
      笑顔の裏に、常に隠し武器を持っている。
     14計借屍還魂(しゃくしかんこん)
      利用できるものは何でも利用する作戦。
      例えば、過去の戦争や靖国神社のことを常に持ち出して揺さぶり続ける。

     この三十六計を前に日本はオロオロするだけで、何の策も無く白旗を揚げた。
     挙げ句の果てに中国は
     「日本は違法に船長を違法に逮捕し拘留した」として、謝罪と賠償を求めている。
     こんなことは簡単に予測されることなのに、国家としての対面は何処にあるのか。
     しかし、これも5計の:趁火打劫(ちんかだきょう)
     敵が弱体化している時は、温情などかけずに一気に攻撃して葬ってしまう狙いがある。情け容赦ない国であり国民性なのだ。 
     只々、国家としてあってはならない決断、悪しき前例を作ってしまった。
     今後は何処まで譲歩し、国際社会から笑いものにされるか見物だ。

     三十六計には奥の手、最上の策として36計走為上(そういじょう)がある。
     「三十六計逃げるに如かず」と言われるが、三十五の計略を繰り出しても勝利の見込みが無い場合は一旦退却し再起をはかることで、直ぐ白旗を揚げることではない。
     中国は、今回の謀略で益々自信を付けた。
     日本は、今後も「平和、平和」「冷静、冷静」と念仏を唱えることが関の山だ。
     中国の日本乗っ取り作戦は確実に進行した。

     三十六計では、「三国志演義」の「赤壁の戦い」でとった、敵を欺くために自分の体を傷つけてまで謀略した「苦肉の策」や敵の舟を連結させた「連環計」が有名だ。

    情け容赦ない中国人の国民性を映した動画
    http://www.youmaker.com/video/sv?id=7f35bab2c4da430a88b7f0757fd4e1b7001
     中国には、「水に落ちた犬を討つ」という魯迅の教えがあるそうだ。
     中国人には謝っても許すことはない、情が通じない国民性であることを、この動画が証明している。回りで見学する中国人も同じ感覚になっているのだ。
     気の弱い人は見ないほうがいい
     この論理と三十六計で、これからも日本に襲いかかるのは間違いない。

    兵法三十六計
    勝戦の計
    1計:瞞天過海(まんてんかかい)
     作戦開始時期をたびたび変更し、相手に「またか!」という気を起こさせて
     油断させ、一気に攻撃する事。
    2計:囲魏救趙(いぎきゅうちょう)
     敵の弱い所を攻撃し、敵が兵力を分散し救援に行かざるをえないようにする事。
    3計:借刀殺人(しゃくとうさつじん)
     自分は直接手を下さずに、他の者を利用して敵を攻撃する。
    4計:以逸待労(いいつたいろう)
     防御を行い、敵を疲労させてから攻撃する事。
    5計:趁火打劫(ちんかだきょう)
     敵が弱体化している時は、温情などかけずに一気に攻撃して葬ってしまう事。
    6計:声東撃西(せいとうげきせい)
    東を攻めると言って、西を攻める陽動作戦の事。
    敵戦の計
    7計:無中生有(むちゅうしょうゆう)
     ありもしない噂を流し、相手の判断を狂わす事。
    8計:暗渡陳倉(あんとちんそう)
     陽動作戦を使用して、実際に攻撃する事。
    9計:隔岸観火(かくがんかんか)
     敵が内紛している時は、そのまま相手が自滅するのを待つ事。
     下手に攻撃すると団結されてしまうので注意。
    10計:笑裏蔵刀(しょうりぞうとう)
     友好的に接し、相手が警戒を緩めたところで攻撃する事。笑いの下に、刃あり。
    11計:李代桃橿(りだいとうきょう)
     大戦果を挙げる為に、局部的な損害をあえて受け入れる事。 肉を切らせて、
     骨を絶つ。
    12計:順手牽羊(じゅんしゅけんよう)
     敵の隙をついて、戦果を拡大する事。
    攻戦の計
    13計:打草驚蛇(だそうきょうだ)
     偵察の事。 あるいは敵の反応を調べる為に実際に作戦を行う事。
    14計:借屍還魂(しゃくしかんこん)
     利用できる物は何でも利用する事。
     例えば、大義名分の為にはるか昔の事を持ち出したり。
    15計:調虎離山(ちょうこりざん)
     敵が要害にいる時は、そこからおびき出して攻撃する事。
    16計:欲擒姑縦(よくきんこしょう)
     完全包囲してた敵は死兵となり必死になって反撃してくるので、自軍の損害が大きく
     なる。この場合は、一部逃げ道を開けておいてやると敵の気が緩むので良い。
    17計:抛磚引玉(ほうせんいんぎょく)
     敵が食いついてきそうなエサをばらまき、敵をおびきだす事。
    18計:擒賊擒王(きんぞくきんおう)
     敵を壊滅させるには、敵の中枢部を壊滅させなくてはいけないという事。
    混戦の計
    19けい:釜底抽薪(ふていちゅうしん)
     敵が強力な時は、その根本の問題を解決しなくてはならないという事。
     兵糧責めしたり、有力な敵将を君主と離間させたり。
    20:混水摸魚(こんすいぼぎょ)
     敵の内部に混乱を生じさせ、それに乗じて攻撃する事。
    21計:金蝉脱穀(きんせんだっこく)
     現在地にいるように見せかけ、敵に気づかれないように移動する事。
    22計:関門捉賊(かんもんそくぞく)
     敵が弱体化している時は、一気に攻撃して滅ぼしてしまう事。
    23計:遠交近攻(えんこうきんこう)
     戦線が膠着した時は、近くの敵を攻めるべきで、遠くの敵は
     攻めてはならない。秦王朝の天下統一時に使用。
    24計:仮道伐虢(かどうばつかく)
     小国の危機に乗じてその国を併呑する事。
    併戦の計
    25計:偸梁換柱(とうりょうかんちゅう)
     相手を堕落させ骨抜きにしてしまう事。
    26計:指桑罵槐(しそうばかい)
     直接相手を批判するのではなく、
     別の者を批判する事によって間接的に相手を批判する事。
    27計:仮痴不癲(かちふてん)
     馬鹿を装い相手を油断させる事。
    28計:上屋抽梯(じょうおくちゅうてい))
     後続部隊との連絡を絶ちきる事。
     味方に対しては、退却は出来ないと必死に戦わさせる。
     敵に対しては、後方と分断してこれを撃滅する。
    29計:樹上開花(じゅじょうかいか)
     各種の手段を使用して、味方を大兵力に見せかける事。
    30計:反客為主(はんかくいしゅ)
     相手に隙があれば、すかさずつけ込んで権力を奪い取る事。
    敗戦の計
    31計:美人計(びじんけい)
     女を使って相手を弱体化させる事。
    32計:空城計(くうじょうけい)
     味方が劣勢で勝算が無い時、ことさら無防備に見せて相手の判断を狂わせる事。
    33:反間計(はんかんけい)
     偽の情報を流して、敵を内部分裂させる事。
    34計:苦肉計(くにくけい)
     反間計を成功させる為に、わざと自分を傷つけて相手を信用させる事。
    35計:連環計(れんかんけい)
     敵が互いに足をひっぱりあうようにさせ、敵を弱体化させる事。
    36計:走為上(そういじょう)
     今までの35個の計略をたてても勝利の見込みが無い場合は、
     一旦退却し再起をはかる事。 これが有名な三十六計逃げるに如かず

     話にきくと、勇敢な拳闘士は、すでに地に倒れた敵には決して手を加えぬそうである。これはまことに吾人の模範とすべきことである。ただし、それにはもうひとつ条件がいる、と私は思う。
     すなわち、敵もまた勇敢な闘士であること、一敗した後は、みずから恥じ悔いて、再び手向かいしないか、あるいは堂々と復讐に立ち向かってくること。これなら、むろんどちらでも悪くない。しかるに犬は、この例を当てはめて、対等の敵と見なすことができない。
     何となれば、犬は、いかに狂い吠えようとも、実際は「道義」などを絶対に解さぬのだから。まして、犬は泳ぎができる。かならず岸へはい上がって、油断していると、まずからだをブルブルッと振って、しずくを人のからだといわず顔といわず一面にはねかけ、しっぽを巻いて逃げ去るにちがいないのである。
     しかも、その後になっても、性情は依然として変わらない。愚直な人は、犬が水へ落ちたのを見て、洗礼を受けたものと認め、きっと懺悔するだろう、もう出てきて人に咬みつくことはあるまいど思うのはとんでもないまちがいである。
    (『フェアプレイ』はまだ早い」 魯迅 『魯迅文集3』竹内好訳 ちくま文庫)

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    2010年9月23日 (木曜日)

    尖閣事件を「割れ窓理論」で考察

     子供の門限破りは、親の顔色や反応を見て更に遅れる。 Map_nansei_2
     万引きなど軽微犯罪は、店や警察の措置をみて、次の段階に進む。いずれも、初期の段階で毅然と対応すれば悪化を防ぐことができるとされる。
     「割れ窓(ブロークン・ウィンドウズ)理論 Broken Windows Theory」は、窓の割れた建物を放置しておくと、「この建物は壊しても平気なんだ」と思われ、辺りに「何をやってもいいんだな」という空気が流れ、その建物全部が破壊されるという理論だ。
    2010_09
     この理論は、国家間にも適用される。
     今回、中国漁船が巡視船に体当たりしたのは、無防備な日本がどう反応するかを試すための実験だったという。
     これに対して海上保安庁が船長を逮捕して毅然と対応したことは快挙だ。もし衝突されて何もしなかったら、それこそ嘗められっ放しだ。
     
     それにしても、中国の尖閣諸島に対する、あからさまな食指は異常だが、これも日本人、特に日本指導者層の領土防衛に鈍感な点を見破られている証68bだ。
    ロシアの「北方領土不法占拠」、北朝鮮の「日本人拉致問題」、韓国による「竹島の不法占拠」、この延長線上に「中国の尖閣諸島に対する食指」があると見れば分かり易い。

     日本は、「何をやってもいい国なんだな」という空気が周辺国に流れ、言いたい放題、やりたい放題のことをしている。
     このように、日本は美味しい国として食指を動かしている国が、隣接しているYomiuri923ことを忘れてはならない。なのに、マスコミは、中国の代弁者のような論調や紙面作り、コメントを繰り返す。
     こんな時こそ「尖閣諸島は日本の領土だ。手を出したら断固たる措置をとる」と、国際的にも国民にも強くアピールするチャンスなのに、それをしない。
     取り上げても記事は小さい。
     9月23日付けの読売新聞2面に「中・台一方的に領有権主張」と日本側の主張が、ようやく掲載された。
     ここ数日、いつ、このような主張が掲載されるか見ていたが、中国側の主張記事の10分の1程度の記事だ。

     日本への食指を断念させるには、直ちに尖閣諸島を護る姿勢を内外に示すことに限る。
     例えば、ヘリポートを造り自衛隊を常駐させることや、米軍海兵隊の訓練基地にしたり、海洋資源開発の拠点島として整備する。
     経済大国、軍事大国・中国に資金援助する余裕があるなら、まず、尖閣諸島海域の地下資源開発を確かなものにしてから検討しても遅くはない。
     日本の領土は、他国に1ミリも譲ってはならない。
    --------------------------------
    ■2004年5月28日、中日新聞にて中国が東シナ海において、日中中間線ぎりぎりの海域で、天然ガスを採掘する施設建設を進めていることが報道されました。
      尖閣諸島周辺を含む東シナ海一帯には、豊富なガス・石油資源が存在しており、その埋蔵量は
     原油1000億バレル以上($39.40/バレル)、
     天然ガス2000億m3($6.68/mmBTU-100万英熱量単位)
     と言われています。

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    面白地名・比丘尼(びくに)交差点

     高速・関越及び東京外環の大泉インター付近の練馬区三原台3-31先に、比丘尼(びくに)交差点や比丘尼橋、比丘尼公園がある。202_2
     ここは、帰省や東京外環を利用する際は良く通行する。
     そのたびに「色っぽい名前の交差点だ」と、うんちくを語ってしまう地点だ。ただ、この辺りは昔は農村だった所で、ここまで比丘尼は色商売に来ていたのか疑問だった。

     「比丘尼(びくに)」は、尼と間違えられるが純粋の尼ではない。
     尼の格好をした売春婦で、夜鷹の一種と言われる。きっと昔は、この辺りにも売春目的の「比丘尼(びくに)」が出没したのだろうと思っていた。
     今回、この項を記述するために調べて見ると、
     この近くに「真福寺」という寺があって、この寺には、美人尼僧が住んでいたそうだ。そして、この尼僧の面倒をみていた善兵衛という名主と恋仲になった。しかし、その恋は成就せず、尼僧は白子川に架かる橋から身投げをし、その近くの橋が「比丘尼橋」と呼ばれるようになった。交差点名はその隣だからだろう。
    Bikuni
      右写真は、「写された幕末」(石黒敬七コレクション)
     「比丘尼(びくに)」
     木綿布子に黒羽二重の頭をかくし、加賀傘という出で立ちの歌比丘尼。勧進・勧進と薄化粧をし頒歌を唱えて売色しながら流れ歩いた。熊野伊勢は尼形売女の大本山、古くから多数(数千)の比丘尼を管轄し歳供を受け、一山富むほどの大繁盛を来たした。
     比丘尼のコスプレのイメージが浮かばなかったが、この貴重な写真でようやくつながった。
     それから、  
     遊郭と神社仏閣は、神世の昔から深い関係にあったとされるが、この辺りからも証明されそうだ。
     右下段の写真も、、「写された幕末」(石黒敬七コレクション)からの一枚で、巫女は、賽銭を多く集める役目と信者を惹き付けるために売色も厭Mikoわなかったという。
     この写真は、奈良の某神社の巫女達だが、色を売る大切な仕事があった。明治6年に表向きは禁止になったとされる。

     売春が合法だった時代のことを、現代の視点で語ることは難しいが、最近の中・高校生まで援助交際という売春をする時代と、どっちが健全な社会なのだろうか。

    日本巫女史/第二篇/第四章/第一節

    第一節 熊野信仰の隆替と巫道への影響



    ■新宿区本塩町14にある「比丘尼坂」「三陽商会」の横。

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    2010年9月22日 (水曜日)

    「とおりゃんせ」と間引き

     一見、意味不明のタイトルだ。Brnkwm
     「間引き」は、密植した苗を少数を残して抜いてしまう農作業のことだが、飢饉などで生活が苦しいときは、口減らし目的で子供が「間引き」の対象になった。
     口減らしは、「次は豊作のときに生まれて来なさい」と祈りつつ、子供を神に生贄に捧げる儀式と、親は自分を納得させたのだろうか?。
     これを「人身御供(ひとみごくう)」と言うそうだ。
     その成長出来なかった子供を「水子」と言うが、概ね7歳までが対象だった。
     昔は「7歳までは神の内」と言われ、7歳から人間扱いされたのだという。
     現在は、堕胎や流産した子供を「水子」と言うようだが、昔は意味が違っていた。

     しかし、親鸞上人が「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えつつ開いた「浄土真宗」では、昔から「人身御供、間引きは殺生だ」と説き続けている。その教えが、顕著に表れた地域が親鸞が流された越後(上越市直江)の国分寺と言われ、その辺りを中心に広まったとされる。また、親鸞は上野(群馬)や常陸(茨城)にも家族と共に移り住んでおり、関東にも浄土真宗の信者が広まった。なお当時、僧の結婚は禁じられていたが、親鸞は堂々と結婚し子供を儲けていることも関連していると推測される。
     美談にも聞こえるが、その反動も当然ある。
     飢饉があると、子供が口べらしのために売りに出された。
     男子は三助や大道芸の角兵衛獅子(越後獅子)、女子は決まって女郎街に売られた。
     このように、子供は飢餓や病気で死亡したり、口減らしで人身御供されたり身売りされたりすることが多く、親元で7歳を迎えることは、とても目出度いことだった。Kouri
     右写真は、
     「写された幕末」(石黒敬七コレクション)、「人間商売
     1歳位の子供と5~6歳の女子が人売りに連れられて、花街を歩いて売られる様子だ。

     子供の成長過程の儀式として、七五三、端午の節句、節分などがある。
     病気はもちろんのこと、「間引き」「身売り」されずに、7歳まで成長した喜びなどの様子が、童謡「とおりゃんせ」の歌詞に残ると言われる。

    とおりゃんせ とおりゃんせ
    ここはどこの細道じゃ
    天神様の細道じゃ
    ちょっととおしてくだしゃんせ 
    用のないものとおしゃせぬ
    この子の七つのお祝いに
    お札を納めに参ります
    行きはよいよい 帰りはこわい
    怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ

    とおりゃんせ とおりゃんせ
    ここは冥府の細道じゃ
    鬼人様の細道じゃ
    ちょっととおしてくだしゃんせ 
    贄のないものとおしゃせぬ
    この子の七つの弔いに 
    供養を頼みに参ります
    逝きはよいよい 
    還りはこわい
    怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ

    ■この童謡の発祥は、埼玉県川越市郭町2-25-11の「三芳野天神」や
      神奈川県小田原市の菅原神社が舞台と言われ、両方に発祥の地とする看板がある。
      歌詞の意味合いを考察したホームページは幾つかあった。http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/4966/tooryannsenituitenokousatu.html

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    2010年9月21日 (火曜日)

    海保の快挙「中国漁船拿捕」

     尖閣諸島が日本の領土であることに疑問の余地がないことは当然だ。Aa9d47c9e1fc1ad76c79f5e5d479fa83
     テレビ・新聞は、ただ、中国の反応や旅行者の減少など、経済被害が大きいことを報道し、国民の不安感を煽る
     まるで、海上保安庁職員が、命がけで逮捕したことに原因があるかのようなコメントや文脈すら感じられる。

     平成22年9月7日午前10時15分ごろ、尖閣諸島の久場島から北北西約12キロの海上で、パトロール中の海上保安庁第11管区海上保安本部(那覇市港町)所属の巡視船「よなくに」に中国漁船が衝突してきたことから、漁船船長を公務執行妨害罪の犯人として逮捕した。Dst1009071216003p1
     この領海侵犯事件に、公務執行妨害罪を適用したのは、中国船が海上保安庁の船に衝突し、正当な公務を妨害したからだが、本来、領海侵犯には「領海侵犯罪」を適用すべきなのに、日本にはこの法律がないのだ。
     これまで、同種の侵犯行為に、漁業法や入管難民法(不法入国)違反で対処している情けない国であることを知る機会でもある。
     スパイ防止法領海侵犯罪など法整備は喫緊の課題だが、国を護る意気込みが、まず国民(含むマスコミ)そして国会議員、特に民主党にあるかだ。
     国のトップやマスコミがビクビクしながら、中国の顔色を伺っているようでは、国益を守ることは出来ない。そんな中、決然と中国訪問を拒否した石原都知事は立派だ。

     米政府は、中国政府部内で尖閣諸島の実効支配が機関決定された可能性があり、「漁船を隠れみのに軍と一体となって、この方針を行動に移している」(日米関係筋)との見方を強めている。それは、漁船を偽装した人民解放軍(中国共産党)の高速艇による挑発行為であることが、ほぼ判明している。 
     今回の逮捕劇は、海上保安庁の領土を守る決意と、その任務の重要性を国民に知らせてくれた。本当に良くやってくれたと思うMap_nansei
     これは、平成13年12月22日の逃走する北朝鮮不審船(九州南西海域工作船事件)を追尾し、不審船が自爆した事件以来の快挙だ

     「海上保安庁(Japan Coast Guard)」は海上の安全及び治安の確保を図ることを任務とし、国土交通省の外局だ。主に、海難救助・交通安全・防災及び環境保全・治安維持が任務だが、現実には海洋権益の保全(領海警備・海洋調査)の任務も合わせ持つ。
      映画「海猿」は、海上保安庁で海難救助にあたる潜水士を目指す若者たちの姿を描いた青春ドラマだ。海上保安庁職員は特別司法警察員として、その任務の範囲で逮捕権を有する。Jcg_ps201_100718_1活動が主に海上であることから、国民に知られることが少ないが、このように危険を顧みず日夜活動する海上保安庁職員の活躍に、もっと光を当てるべきだ。

     ちなみに、山形県酒田市の酒田港も海上保安庁の活動拠点になっている。Tanninsuiikizu
     酒田市船場町2-5-43 電話 0234-22-1830(代表)
      海上保安庁第2管区海上保安本部酒田海上保安部
     巡視船は、「つるぎ」、「べにばな」が配備してある。
     小生も一度だけ乗船させて戴き、沖合に出たことがある。 
    ------------------------
    尖閣諸島の領有権についての外務省の基本見解
     尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。
     同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。---中略----
     なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。--後略-- 
    --------------------------------
    ◆「尖閣は日本の領土」 遭難救助の中国政府感謝状に明記  (琉球新聞)
     

    C0027730_14185625

      中華民国駐長崎領事が中国漁民救助に尽力した石垣村(現・石垣市)の村民に贈った感謝状(「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」と明記されている)石垣市の八重山博物館

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    ねじれの原因は小選挙区制

     平成22年度補正予算案や郵政改革法案を成立させる方針で、10月中旬(早ければ6日)には「臨時国会」の開催が予定されている。
     会期は12月中旬までの約2カ月間であろう。Dnam
     きっと、政権与党の民主党は短期間に成果を上げたいところだが、「ねじれ国会」では見込み通りには行かないはずだ。
     この「ねじれ国会」は「小選挙区制」に起因することと、弊害等を考察する。
     
      「ねじれ国会」は、国会機能の大きな損失であると心ある人は、自民政権当時から指摘していたが、政権交代を期待するマスコミは無視し、自民の困りようを意地悪く報道していた。 
     それが、今、逆の立場になった「ねじれ」に対しては、「自民は経験を生かして、政権与党の民主に協力すべきだ」とする論調が多いから勝手なものだ。1
     これに対して、自民は表向きには「民主のような反対するだけの党ではない」と語るが、あれだけダメージを受けたからには、簡単には行かないだろう。
     ねじれが発生する原因の一つに「小選挙区制」があるが、この制度導入に、殆どのマスコミが応援したことから、小選挙制の欠陥を大きく取り上げることはまずない。

    ■小選挙区制導入の経緯
     現在の小選挙区制は、1選挙区から1名を選出する選挙制度で、選挙区は300区、更に、比例区選出の「200 人」の計 500 人が定数だ。
     現在は「小選挙区比例代表並立制」と呼ばれる。
     この制度は1994年、政治改革の一環として、ケンケンがくがくの大論争の末に導入された。大きな目的は、有権者がどちらかの政党に多数を与え、二大政党が起こり易くする。
     そして、国民の支持を得た政党と首相による、強い指導力の発揮を期待した。
     他にも、金権選挙になりにくいとか、党内派閥がなくなるなどの理由を上げていた。
     しかし、「ねじれ国会」による弊害まで見通した論評は記憶にない。

    ■小選挙区制の弊害
     理由1:「死に票が多すぎる
      小選挙区では、当選した候補者以外に投じられた票はすべて死票となる。
      つまり、当選の確率が低い泡沫候補に投票しても『死に票』になるから、投票場に
      行く足が鈍る。当然ながら投票率が低くくなり、政治に関心が薄れる。
     理由2:「政治家の質が劣化する
      一軒一軒訪問して身近な問題を吸い上げるような「どぶ板候補」と呼ばれる人材が
     当選し易くなる。狭い選挙区からは、その街の身近な問題にばかりに目が行き、将来
     の日本を見据えた政策や強い政治力、国家感を持った政治家は育たない。
     理由3:「選択肢が少ない
      基本的に、二大政党の候補者からしか選択視がないから、政策が限定される。
      “選択肢が少ない”ことは、この制度の致命的な欠陥だ。
      その結果、理由1とダブルが選挙離れ、政治離れが加速する。
     理由4:「一票の格差が大きい」
      選挙区を細分化するため、「一票の格差が大きくなる」などの問題が上げられる。

    日本には中選挙区制が合う
     日本が以前採用していた、一つの選挙区から2~5名位の議員を選ぶ中選挙区制は、日本のように国民が政治への参加意識・意欲の薄い国には相応しいと思う。
      党の好き嫌い、政策の良さ、候補者の人柄などの選択肢が多い方が日本らしい。
      そのうち、国会議員の定数是正も検討されることだろうから、この機会に、衆議院議員は、例えば人口約50万人から一人を基準に選出する。
     すると、山形県は現在の人口は約120万人だから、衆議院議員は二人となる。
     この基準では、東京などの人口の多いところは多過ぎると批判されるから、大都市は100万に一人とし、格差はギリギリ2倍以内が妥協案となろう。
     そして、衆議院議員250人、参議院100人で十分すぎる。
     更に、憲法改正の折りには参議院は廃止すれば、一段とスッキリする。

    都道府県の人口(2006年の資料による)

    都道府県人口
    総数 127788743
    東京都 12658633
    神奈川県 8837640
    大阪府 8824678
    愛知県 7296527
    埼玉県 7078131
    千葉県 6077929
    北海道 5632043
    兵庫県 5592939
    福岡県 5055777
    静岡県 3793153
    茨城県 2971798
    広島県 2875488
    京都府 2644075
    新潟県 2419889
    宮城県 2354992
    都道府県人口
    長野県 2189094
    岐阜県 2104361
    福島県 2080186
    群馬県 2019297
    栃木県 2015105
    岡山県 1954344
    三重県 1867696
    熊本県 1835909
    鹿児島県 1742965
    山口県 1483531
    長崎県 1466512
    愛媛県 1459988
    青森県 1423425
    奈良県 1416323
    滋賀県 1387110
    岩手県 1374699
    都道府県人口
    沖縄県 1368137
    山形県 1207513
    大分県 1206174
    石川県 1171791
    宮崎県 1148414
    秋田県 1134033
    富山県 1109205
    和歌山県 1028424
    香川県 1009328
    山梨県 881071
    佐賀県 862547
    福井県 818975
    徳島県 804849
    高知県 798640
    島根県 736882
    鳥取県 603987

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    2010年9月20日 (月曜日)

    再生治療で不老不死の未来?

     今、近所の歯医者で、奥歯一本を入れ歯にする治療を受けている。20091002_2743267
     最近、歯の治療に朗報がもたらされた。
     大阪大と京都大のチームが、歯茎(はぐき)からiPS細胞作製して、あご骨や歯の再生が可能になると発表した。
     大阪大の江草宏助教は、「歯科医がiPS細胞を作る道筋ができ、歯やあごの骨の再生に大きく貢献できる」と語る。

      今、再生医療の分野が、凄いスピードで研究が進んでいるというが、これが、普通に治療現場で活用されるのは何時からなのか気になる。
     街の歯医者さんで、「再生治療でお願いします。保険の範囲で」と、早くお願いしたいものだ。
      このまま再生医療が進み、臓器は勿論、脳、骨、眼球、血管、細胞、毛髪、血液までも再生が可能になるのだろうか。
     そして、多少古くなった臓器などを、車の部品を交換するように再生を繰り返せば、150歳、200歳まで長生きする可能性もあるのか。
     更に進めば、全身再生も可能になり、不老不死の未来がやって来る?
     それが、幸せかは不明だが・・・・・・・
    ------------------------------産経--
      iPS細胞、歯科再生医療にも 歯茎から作製成功 阪大チーム2010.9.15
      http://sankei.jp.msn.com/science/science/100915/scn1009150904001-n1.htm
     ヒトの歯茎(はぐき)の細胞から、さまざまな細胞に変化する人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作製することに、大阪大大学院歯学研究科の江草宏助教(歯科補綴(ほてつ)学)の研究チームが初めて成功した。世界で初めてiPS細胞を作製した京都大学の山中伸弥教授らとの共同研究で、歯科分野での再生医療や創薬への貢献が期待される。研究成果が15日付の米科学誌「プロスワン」(電子版)に発表された。
     研究チームは、歯周病やインプラント(人工歯根)治療の際に切除され、不要となった歯茎を利用。iPS細胞の作製に必要な4つの遺伝子を導入すると、神経や軟骨などに分化することを確認した。
     これと並行して、マウスの歯茎からもiPS細胞を作製。マウスの場合、皮膚細胞よりも歯茎からのほうがiPS細胞の作製効率が7倍以上高く、骨や精子にも分化しうる質の高い細胞になることも確かめた。
     もともと歯茎の細胞は増殖するのが早く、傷ができても治りやすい特徴があり、iPS細胞作製には比較的適していると考えられていた。
     当面は遺伝性疾患をもつ患者の病態解明や創薬などへの応用が期待され、ヒトの歯茎から作製したiPS細胞を骨に分化させることが研究課題になるという。
     江草助教は「将来的に、歯周病などで消失してしまったあごの骨の再生などにもつなげていければ」と話している。

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    変更?「さくらんぼ小学校」

      山形県東根市の「神町北部土地区画整理事業地」内に来春開校予定の、市Bttfly01s立「さくらんぼ小学校」が、アダルト系美少女アニメサイト「私立さくらんぼ小学校」と同名ということで、市側が校名変更に踏み切るらしい。

     結論は、今月28日の市議会最終日に決定の予定だという。 このことは、9月19日付けの産経新聞に“ From Editor「さくらんぼ」の持つ意味”と掲載されていた。 
     ところで、「さくらんぼ」は、山形県の内陸地方の寒河江市、東根市、天童市、村山市の辺りに集中し、庄内地方では鶴岡市の櫛引辺りの一部だけの栽培と聞く。Photo
     特に、最上川以北の酒田市や遊佐町方面で栽培されているところを見たことがない。
     「さくらんぼ」の栽培は地質や気候が重要とされ、加えて栽培農家の長年のノウハウが生かされて始めて美味しくなるとされる。
     よく、「さくらんぼ」の季節に山形に帰省すると、土産をリクエストされるが、8割方の地域で採れない果実で期待に応えることが出来ない場合が多い。

     それにしても、市立「さくらんぼ小学校」の校名変更は意見が分かれることだろう。
     安易に意見を言うことが出来ないが、どのような結論を出すのか見守りたい。
     日本中から注目を集めた小学校名だ、慎重に決定して欲しい。
     全国に公募するのも悪くないと思う。

     一点応募するなら、サクランボは桜桃、「おうとう」とも呼ばれるから、
     これから、「桜桃小学校」でどうだろうか。
    ------------------------------産経--
      【from Editor】「さくらんぼ」の持つ意味
        http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100919/lcl1009190804000-n1.htm
    今夏はご多分に漏れず、山形も猛暑に泣かされた。「フルーツ王国」を標榜する県だけに、影響は大きかった。果物は色落ちし、米は出穂時期が平年より早まって早刈りを余儀なくされている。Img10533403105
     山形といえば、サクランボだ。サクランボの中でも、「女王」とされる「佐藤錦」は同県東根市で生まれた。桐箱にきれいに並べられた真っ赤な粒は、時に1個数千円で取引され、「赤い宝石」ともいわれる。
     同市のホームページによると、佐藤錦の生みの親は、故佐藤栄助氏。政府は明治の初め、全国20県にサクランボの苗木を配布し、栽培を試みていたが、収穫時期がサクランボの嫌う梅雨と重なるため、山形で細々と栽培されているだけだった。山形は梅雨の降雨は少ないが、それでも、赤く熟す前の「黄色いサクランボ」で納得するしかなかった。
     佐藤氏はそんな苗木を買い取り、10年以上も交配を繰り返し、ようやく「食味が良くて、日持ちもいい」という山形にとっての救世主を世に出した。昭和3年のことである。「砂糖のように甘い」という意味も込められ、最高級ブランドとして全国区になった。
     そんな東根市で“事件”は起きた。来春開校予定の市立「さくらんぼ小学校」が、アダルト系美少女アニメサイト「私立さくらんぼ小学校」と同名ということで、市側が校名変更に踏み切ったのだ。
     土田正剛市長は当初、「正々堂々とつけた名前なので、変更の必要はない」と断固たる姿勢を見せていたが、その翌日、「児童の安全・安心を担保できない」として前言を翻した。「ネット社会の力を改めて認識した」という言葉に、苦渋の決断がにじんだ。
     昨今のその種の犯罪の多発ぶりをみると、市長の胸中もわからないではない。しかし、サイト側は「さくらんぼ」が持つみずみずしくかわいいイメージをねじまげ、マニア受けを狙ったネーミングにすぎない。
     一方、東根市や山形県にとって、サクランボは誇り、こだわる理由は十分すぎるほどある。実際、東根市の新幹線停車駅名は「さくらんぼ東根」、地元・山形銀行のマークはサクランボなど、街中にサクランボがあふれる。
     市は28日の市議会最終日に新名称を提出する予定だ。
     まだ、時間はある。市側は「さくらんぼ小学校」に戻せないか。サクランボに生涯をかけた佐藤翁も、草葉の陰できっとそう思っているに違いない。(山形支局長 菊池昭光)

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    2010年9月19日 (日曜日)

    極左内閣の象徴・岡崎トミ子

      極左「菅直人内閣」の象徴、「岡崎トミ子」という議員を知っておく必要がある。
     ある首相経験者は、この人事に「仰天した」とコメントした。
     また、石原慎太郎東京都知事も、永住外国人地方選挙権付与政策を批判する中で「今度の菅内閣、あれも極左内閣だ」と批判したという。
     
     共産党より、もっと左寄といわれる「菅直人民主政権」だが、その象徴が「岡崎トミ子」国家公安委員長の誕生だ。Plc1009180136009p1_2
     宮城県選挙区と聞くが、何の意図で当選させているのだろうか?
     宮城県民だけでないが、国民は民主党の「民主」という党名で騙されているところが多分にある。
     とにかく、民主党は「共産党」より左翼思想の議員が多い。
     これを知らない国民は、イメージだけで、この改造内閣にとんでもなく高い支持率を与えている。一時的と思うが・・・・・・・。
     
     左翼が、国家を牛耳る手順として、まずマスコミを味方に付けることだという。そのとおり、既に殆どのマスコミは民主党の応援団だ。
     次に警察司法機関などの権力機関を抑える。
     つまり、セオリーとおりに進めていると見れば分かり易い。

     ダマされ易い一つが、小沢が自民党にいたから自民党的だという見方
     これも全く違う。小沢一派は自民の金権体質の殆どを民主に持ち込んでおり、今の民主党は、金権体質の小沢一派と、極左体質の菅一派の連合政党とみている。
      
     「岡崎トミ子」は、かつて、ソウルを視察中、日本大使館前で韓国慰安婦問題支援団体主催の反日デモに参加した人物だ。それも公用車を使用してだ。O0450029610252182398
     http://www.tamanegiya.com/okazaki.html
     売国女の代表に間違いない。
     こんな女が、「国家公安委員長」という警察のトップに座った。昨日まで警察がマークしていた人物が、頭に座るのだから、ビックリ仰天だろう。
     先日まで、千葉法務大臣の動向を注目していたが、今度は岡崎トミ子だ。

    参考意見
     (1) 民主党の、菅一派小沢一派を除いた中間層と、自民党にも残る金権体質と
      左翼体質を除いた議員が連合すれば、きっといい政党が出来る
     (2) 現在の日本の不幸は「小選挙区制」に原因している。
      選挙区で当選者が一人だと、得票率が20%でもトップなら当選する。そして残り
     の80%が死に票になり、80%の意見が議会に反映されないことになる。
      これが、一つの選挙区で3人当選する選挙区制にすれば、一気に70%の意見が
     吸い上げられることになる。早く複数が当選するシステムに戻すことだ。

     
    岡崎トミ子の事務所
     
    「仙台事務所」宮城県仙台市青葉区中央4-4-4-505 TEL.022-221-9065
     「東京事務所」東京都千代田区永田町2-1-1
          参議院議員会館314号TEL.03-3508-8314

    岡崎トミ子の売国的活動
    ttp://senky omae.com/p/72.htm
    ・在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
    ・新政局懇談会
    ・戦時性的強制被害者問題解決促進法案
    ・二重国籍推進
    ・歴史リスクを乗り越える研究会(呼びかけ人)
    ・国旗及び国歌に関する法律に反対した議員
    ・平頂山事件に関し日本政府に公式謝罪を要求した議員
    ・外国人参政権賛成派
    ・旧社会党議員
    ・リベラルの会
    ・児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律案(H11.3.31)
    ・『戦時性的強制被害者問題解決促進法案』の審議を要求する緊急集会参加議員
    ・「慰安婦問題解決オール連帯ネットワーク」旗揚げ集会(メッセージ送付)
    ・人権政策推進議員連盟(副会長)
    ・元慰安婦女性らの「水曜デモ」に参加(朝鮮日報)
    ・(人権擁護法案に関連して)受刑者の人権も考慮するべき(国会議事録:平成17年04月07日)
    ・従軍慰安婦問題、解決に向けて決意を表明(民主党)
    --------------------------------
    仰天人事、岡崎国家公安委員長 反日デモに参加、在日朝鮮人から献金
     http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100918/plc1009180136009-n1.htm

      菅改造内閣のサプライズ人事といえば、警察の「総目付」役である国家公安委員長に、岡崎トミ子参院議員が就任したことだ。首相経験者の一人は「仰天した」というが、岡崎氏の過去の“特異な”言動を振り返るとそれも納得できる。
     岡崎氏は通常国会の会期中の平成15年2月、ソウルの日本大使館前で韓国の慰安婦問題支援団体主催の反日デモに参加し、韓国人と一緒に大使館に向かってこぶしを振り上げた。このデモに日本の国会議員が加わったのは初めてだった。
     岡崎氏は当時、「反日デモではなく、日本政府に謝罪と補償を求めるデモだ」と釈明したが、現場では日の丸に「×印」をつけた看板も並べられていた。このときは、民主党の役職停止処分となっている。
     16年3月には、女性国会議員のメールマガジンで、こんな独特の見解も表明している。
       「外国人犯罪が増えているというが、日本人が犯した場合には立件もされないような軽微な犯罪が多い」
     同年4月には、岡崎氏の政治団体が13年に、外国人からの寄付を禁止した政治資金規正法に違反し、北朝鮮籍で朝鮮学校理事長の男性と、韓国籍のパチンコ店経営者からそれぞれ2万円ずつ寄付を受け取っていたことも発覚した。岡崎氏は当時、この理事長とは、朝鮮学校の運動会に出席するなどで「日ごろから懇意にしていた」と説明した。パチンコ店経営者からの寄付は、産経新聞の指摘を受けるまで「違法と気付かなかった」としたが、こんな国家公安委員長で本当に大丈夫?(阿比留瑠比) 

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    2010年9月18日 (土曜日)

    バックナンバー「過去650頁」

     拙稿のブログを開始して1年経過した。調べたら650項目を記述していた。
     それでも10年も続けている人から見れば、駆け出しだ。
     
     小学校当時から日記を書けと言われ、いつも三日坊主で終わっていたが、それに比較すれば、よく継続していると自己評価している。
     きっと、メールなどで皆さんから反応があるからだろう。
     先日も、ヨーロッパ居住の日本人から、「日本の情報を知るために見ています。更新を楽しみにしています。」とメールが入った。想定していなかった。
     改めて、ネットは世界中につながっていることを知った。
     それから、
     ここ2カ月間位に集中しているが、面白いことが何点かあった。
     ▼テレビ出演依頼が二回あった。
       戦争関連とグルメ関連番組からだった。
       結構、名の知れたディレクターからの依頼だったので迷ったが断った。
     ▼新聞取材が1回あった。
       やはり戦争関連からだった。期待する情報はないとお断りした。
     ▼出版の打診があった。
       しつこいので迷惑メールに入れた。売れるわけない。
     ▼講演依頼が二回あった。
       山形県と都内からだった。仕事ではあちらこちらで話をして来たが、
       私的な場で何か話しても単に知ったかぶりするようで、お断りした。
     ▼卒論に関する情報依頼が何度かあった。
       以前、子供達も卒論で悩んでいたが、最近ではインターネットを利用するとは、
      面白い傾向だと思った。

     テレビ出演や新聞取材、そして講演依頼は丁重にお断りしたのは、まだまだ、修業中の身であり、早すぎると自覚しているからだ。
     仕事ではテレビに何度か出演しているし、新聞に名前を掲載されたことも何度かあるが嬉しいとも、有り難いともなんとも思わない一人だ。
     功名心ゼロの山形県人もいるのだ。
     
    立ち上げ~現在まで
    2010年9月
    2010年8月
    2010年7月
    2010年6月
    2010年5月
    2010年4月
    2010年3月
    2010年2月
    2010年1月
    2009年12月
    2009年11月
    2009年10月
    2009年9月
    2009年8月

    現時点の人気10位まで(9/17)
     押尾学の裁判予測は、ほぼ的中した。
     軽いとするコメントが多いが、いっそのこと無罪になれば、と思っていた。
     何も押尾を応援しているからではない。
     

    1位:押尾学の事件から刑法を学ぶ
    2位:マスコミ支持とネット支持率の違い
    3位:民主公認・谷亮子の裏の顔
    4位:性豪、西武の堤、創価の池田
    5位:九星(生まれ年と月)による相性
    6位:菅直人総理大臣の女の噂
    7位:なぜ芸能界に「在日」が多い?
    8位:酒田刑場・最後の斬首刑
    9位:最高のパワースポットは皇居
    10位:九星別相性/干支別相性

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    2010年9月17日 (金曜日)

    庄内で撮影された「十三人の刺客」

    Mainvisual

      三池崇史監督による映画『十三人の刺客』は、平成22年9月25日(土)から全国ロードショーが開始される。
     この完成披露試写会が、先日、東京国際フォーラムで行われたそうだ。 
     主演の役所広司ほか、山田孝之、伊勢谷友介、高岡蒼甫、伊原剛志、松方弘樹、稲垣吾郎など、なかなかの豪華俳優陣だ。
     この映画の見どころは、
     ◎SMAPの稲垣吾郎(36歳)演じる“史上最凶”の暴君ぶり。
     ◎松方弘樹(68歳)の殺陣だそうだ。近衛十四郎と女優水川八重子の長男。

      この映画は、日本のハリウッドを目指す山形県鶴岡市の「庄内映画村オープンセット」をはじめ、羽黒山参道・庄内藩校致道館、気比神社など、殆どが庄内地方でロケ撮影が行われたそうだ。
     山紫水明の地、山形県庄内地方の持ち味がどのように映画の中で表現されているか楽しみだ。
     早めに観に行く予定だ。

    Eigamura

    庄内映画村オープンセット
     山形県鶴岡市羽黒町川代字東増川山102
     TEL:0235-62-2134 (お問合せ専用ダイヤル)
    入場料は基本料金で一般1800円、中高生1300円、小学生800円、幼児無料。

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    2010年9月16日 (木曜日)

    「刈屋の梨」対「角田市の梨」

     昨日は、山形県酒田市「刈屋の梨」と宮城県角田市「JAみやぎ仙南」の梨、双方の知り合いからの王様「豊水」が同時に送られて来た。
     今朝、娘が職場の人達にと随分運んだが、冷蔵庫に入り切れないほどある。

     この時期の和梨、特に「豊水」のみずみずしさは極上だ。
     郷里の「刈屋の梨」は、ブランド梨として都内でも知られるようになった。
     以前「刈屋の梨はブナが育てている」と、このブログでもお知らせした。
     http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-d992.html
     今回は、宮城県角田市のJAみやぎ仙南の梨も中々美味いので紹介Nashi_j1_12したい。
     この土地から、梨が届くようになって6~7年経つ。

     実は、ガダルカナル島の戦争遺品の調査で「遺髪・爪」が入った封筒を、ご遺族に届けたことが切っ掛けだ。
     ある日突然、アメリカから
     「遺髪や爪が入った封筒が見つかった。封筒には、『昭和17年12月9日仙石○雄』と書かれ、塩竈神社のお守りも一緒にある。遺品を拾った場所はガダルカナル島。遺族を調べて欲しい。」という内容で依頼が来た。P_6_ihatu
     きっと、昭和17年12月9日に突撃を前に、死を覚悟した仙石○雄さんは、「遺髪や爪」を何とか故郷に届けて欲しいとの願いを込めて封筒に入れたのだろうか。それとも戦死の日時なのか。いずれにしても、 「遺髪や爪になっても故郷に戻りたい」という気持ちが痛いほど伝わり、「何とか探し出して上げねば」と、調査に力を入れた。
     
     昭和17年10月初旬、ガダルカナル島には、仙台「勇」第二師団の、仙台歩兵第4連隊新発田歩兵第16連隊会津若松歩兵第 29連隊の1万数千名が送り込まれている。
     そして、ガ島の戦況の流れなどからして、仙台・第4連隊の可能性が一番高いとみた。
     まず、細かい調査の前に、厚生労働省の援護局援護企画課と、宮城県庁の戦争犠牲者を援護する部署に、名前からの調査依頼を試みたが、家族関係からの照会には応じるが、他人には教えることは出来ないと、にべもなく断られる。
     家族が分からないから尋ねているのに、バカにしたものだ。

     このような公的機関が、
     どのような返答をするかは概ね分かっていたが、一応手順を踏む必要がある。
     個人情報保護法が施行されてから、一層、融通が利かないことは分かっているが、最初から調べる意欲が無い感触を知ることも大切だ。
     これは嫌みではない事実だ。
     次に、第二師団(にしだん)遺族会の責任者を調べ、戦死者名簿を見てもらうが仙石○雄さんの名前は無かった。戦死者の遺族が遺族会に全員入っている訳でない。
     後に、仙石さんは角田市の遺族会に入っていたことが判明する。
     ただ、宮城県内に電話しているうちに「仙石姓」は宮城県南部に点在していることが分かった。塩竈神社も参考にしたいが、多すぎて絞り込むことは難しい。

     結局は104から各市町単位に電話番号から直接聞き出す作戦に切り換えた。
     当てずっぽうで、宮城県南部から調査を開始した。
     まず白石市の「仙石姓」に何軒か電話したが全く反応が無く、次に調べた角田市に30軒ほどの「仙石姓」が集中していることが判明する。
     そして、電話しはじめ10数軒目で、ズバリと的中した。
     「仙石○雄」さんの、に当たる方が84歳でお元気だった。
     ことの経緯を説明する。
     いつも、この説明に時間がかかるが、仙石さんは兄さんの名前を久々に聞いて、とても若々しい声が返って来たことを記憶している。
     きっと、60数年ぶりに兄さんに巡り逢った錯覚になったのだろう。

     今日も梨が届いて、直ぐお礼の電話を入れたが90歳でお元気だという。
     兄さんの分も長生きして下さいと告げた。
     当時、当方の父親も元気だったので、このことを教えると、「お前も、中々良いことしてるの」と驚いていた。父親もニューギニアの戦地から戦友の「遺髪・爪」を、遊佐町下藤崎の実家に届けている。母親には、親子で似たようなことをするとはと笑われた。

      宮城県角田市の梨は戦前から作っているそうだ。仙石さんも梨農家の一軒だ。
     きっと、ガダルカナルで戦死された仙石○雄さんも知っている味と思う。
     かみ締めて戴くことにする。
     どっちが美味いかは判断がつかない。
    http://www.miyagi.coop/coop/sanchoku/kudamono/nashi.htm

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    2010年9月15日 (水曜日)

    地元向け日本酒「十四代」

     息子が、都内の居酒屋で職場の上司から「十四代」をご馳走になったという。F0084695_1615879
     先般、山形県に帰省した際、生意気にも「美味かったので十四代をお土産に買って行きたい」と言い出した。
     仕方なく、高速を「山形北」で降りて、酒造元がある村山市や尾花沢方向に向かった。手に入り難いのは知っていたが、地元なら購入できるのではと安易に思っていた。
     しかし、街道沿いの何軒かの酒屋に立ち寄ったが、何処からも「14代はこっちじゃ買えないよ。全部東京に行くみたいだよ」と言われた。
     ある店で丁寧に教えてくれた、
     「山形市内の霞城(がじょう)公園近くの酒屋で、別の酒と抱き合わせで2万円ちょっとで売っているみたいだ」と言う。
     この情報を聞いて息子も購入を諦めたようだった。
     付け加えた。
     「山形県は十四代に負けない酒は幾らでもある。値段が10倍しても味が10倍のHatsusansaibthumb250x5002376酒はない」と無理矢理納得させた。
     今回は、酒田市内で白い酒瓶の「初孫の古酒三歳」を何本か購入していた。この酒は高級感ある酒瓶で飲み心地良く、値段は手頃だ。
     案の定、喜ばれたという。
     この酒は結構古い銘柄で、昭和40年代には売っていた記憶がある。
     小生も土産に相当購入している。
     
     何も日本酒「十四代」だけでないが、ちょっと人気があると売値を流通段階でつるし上げるところがある。
     製造元が値を上げているわけではないという。
     殆どの場合、テレビなどで人気タレントのオーバーアクションによる過大評価だ。
     きっと「十四代」もそれだろう。村山市の酒造元、高木酒造も困惑しているものと思う。
     かつて、一番人気だった日本酒製造元の社長が、「けっして、我が社がボロ儲けしている訳でない」とのコメントを思い出した。
     最近、この日本酒「十四代」の「高木酒造」が地元向け開発した十四代特吟の小瓶を発Img_2010090300024表した。
     県外の皆さんが、この地元向け小瓶の日本酒まで値段を吊し上げるようなことをしないで欲しいものだ。
     希望小売価格は1本750円(税別)らしい。
     これが常識的価格だ。
      「日本酒と豆腐には旅をさせるな」という格言があるそうだ。
     酒も生もので、その地元で飲んでこそ旨さが倍加する。
     つまり、元々が地元で消費することを念頭において作られているのが、各地の日本酒や豆腐だ。高木酒造は、この姿勢を大切にしようとしている。
     まず地元を大切にすれば、ご商売は安定する。

    ■山形県村山市大字富並1826
       「高木酒造」 高木辰五郎社長 杜氏 高木顕統

    山形新聞】「十四代」思わぬ高値、蔵元も困惑 地元向け小瓶を開発、販売
                                      2010年09月03日
       http://yamagata-np.jp/news/201009/03/kj_2010090300033.php
     地元でもなかなか入手できないプレミアム日本酒「十四代」の醸造元・高木酒造(村山市、高木辰五郎社長)は、1人でも多くの地元消費者に「十四代」を味わってもらおうと、300ミリリットル詰めの小瓶を新たに開発、村山地方向けに販売している。
     ただ全国的な超人気銘柄とあって、一部では出荷直後からインターネットオークションに流れたり、出荷先以外の酒店で5倍近い価格で売られるなどしており、蔵元も困惑している。
     今や、全国の日本酒ファンに広く知れ渡った人気ブランドの「十四代」。
     国内はもちろん、海外からの引き合いも多く、なかなか手に入らないことから“幻の銘酒”とも呼ばれている。
     ネットなどで驚くような高値で取引される一方、まとめて買い占めていくブローカーもいるとされ、地元でも入手が困難だ。
     需給バランスを少しでも改善し、地元の人にもっと楽しんでもらいたい-と開発されたのが小瓶「十四代 特吟」。「日本酒は造られた土地で飲むのが一番おいしい」(高木顕統専務)との考えから、「県外から訪れた人が、山形で味わえるように」という思いも込められている。
     山田錦を50%まで磨き上げ、特別に醸造した純米吟醸生貯蔵酒。
     初年度は、県酒類卸が販売した今年7月の生酒限定醸造頒布会(3銘柄セット)用に計6000本、蔵元扱いを含め村山市や尾花沢市、大石田町を中心とした取引酒店向けに計1万5000本を生産した。希望小売価格は1本750円(税別)。
     多くは県内の飲食店などに回ったようだが、人気ブランドの“宿命”としてネットオークションや県外に流れた分も少なくないとみられる。
     顕統専務は、「地元にどのくらい回ったかの分析はこれからだが、来年に向けて、どういう方法が効果的なのかを検討していく。
     現在は世話になっている地元中心だが、来年以降も順次、量を増やして、いずれは県内全域に向けて出荷していきたい」と話している。

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    茶番劇「民主党代表選」

     「茶番劇」とは、オチが読めるくだらない芝居。
     転じて結論の見えた争いや議論を言う。
     その言われは、お客にお茶を出す「茶番」は売れない遊女の役目で、その茶番が演じた他愛のない演し物を茶番劇と言った。
       http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-f996.html
     現代の「茶番劇」は、マスコミも一緒になって演じるから面白い。
     「民主党代表選は世論に従うべきだ」などと、民主議員、司会者、コメンテーターまでも偏向した発言が幾度も、繰り返し繰り返し報道されていた。 
     このような偏った宣伝行為を、民主主義の言論の自由を利用した「悪質なプロパガンダ(propaganda) 」と言う。
     世論がマスコミによって形成されることは、マスコミ自体も認めている。
     日本人が、特にその傾向が強いことはハッキリしている。
     そのマスコミが「世論に従うべきだ」というのだから、お笑いだ
     結果は、マスコミが扇動したとおりと出た。

    ■民主党代表選は「菅直人」の勝ちと出たが、世論に従った結果だという。
     国民のほんの一握りの、更に水増し、集計疑惑、政治活動禁止の外国人も含む34万2千4百93人の「民主党員・サポーター」は、マスコミに煽られ「菅20100915直人」と記載したはずだ。
     これを本当に「民意」と呼んでいいのか?。
     「民主党員・サポーター票」の菅直人249ポイント、小沢一郎51ポイント、この差は、マスコミが煽った成果であろう。
     国会議員票:菅首相412ポイント(206人)、小沢前幹事長400ポイント(200人)。
     地方議員票:菅首相60ポイント、小沢前幹事長40ポイント。
     と比較すれば一目瞭然だ。
     それに、この「茶番劇」でマスコミは、どのくらい視聴率を稼ぎ、新聞・雑誌を売り上げたのだろうか。国民も国民でテレビなどの垂れ流し情報をまともに受けて、支16senkyoku01k持率や投票行動を起こす。なんと自分の意志を持たない、おぞましい国民となってしまったんだろう。

    菅直人首相は山形・福島で完勝
     党員・サポーター票の最多得票者に1ポイントが加算される東北の衆院25小選挙区では、菅直人首相が16選挙区を制し、小沢一郎前幹事長の9ポイントを圧倒。山形・福島県は全て菅直人。

    ■「民意(世論)に従うのがいい政治」なのか。
     たいていの戦争は民意(世論)の盛り上がりによって引き起こされる。ナチス・ヒトラーも、日本軍部も「民意(世論)」に従って戦争を企画したとされる。
     特に、朝日新聞など左翼系マスコミは、時の政権や軍部と一体となり戦争を全面支持し報道したことは有名だ。
     このように、民意(世論)とはマスコミに煽られ醸成される傾向は極めて強い。
     つまり、マスコミと政府が一体となったときが、一番危険なときとされる。
     それが今だ。

    ■民主代表選の世論調査は、電話調査とネットで全く正反対の結果が出ていた。
     テレビなどのマスコミに洗脳された国民と、今の政治に批判的なネットユーザーで意見がわかれることは当然だ。
     こんな「茶番劇」の間にも、中国漁船船長逮捕などの国際問題、円高などの経済問題をはじめ、政治課題は山積し大変なことになっている。
     こんな国民無視の民主党政権は、年内、遅くとも来春までには行き詰まること必至だ。もっとも、既にお手上げ状態とされるが・・・・・・・。
    ---------------------支持・応援できる----
    新藤義孝代表(1958年川口市生まれ、•自民党埼玉県連会長)
     政界きってのネット通として知られ、自民党ネットメディア局長を務めている。
      祖父は栗林忠道(陸軍大将)、母は新藤たか子(旧姓・栗林、元女優)。 
     自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)HP http://www.j-nsc.jp/
     ※新藤義孝プロフィール http://www.shindo.gr.jp/profile/index.php

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    2010年9月14日 (火曜日)

    「ガダルカナル撤収作戦」秘話

     ここ数日、集中的にガダルカナル島戦のことをお知らせしている。
     ガ島戦で、上陸した総兵力は31,404名、うち撤退できたのは10,652名とされる。
     撤退作戦の企画は大本営作戦参謀・瀬島隆三氏とされるが、成功の陰には二つの捨て石作戦」があったことを紹介したい。
       (※長文です。ガ島戦関心ある方だけ読んで下さい)
     まず、124連隊は悲運の連隊と言われた。
    ▼約4000人がガ島戦に参戦したが、撤退時は300人いなかった。
    ▼ガ島上陸作戦時、約70名を無人島に取り残す残留部隊が発生した。
     ※後に横井庄一氏が生還した際に注目され、捜索するも全員死亡が確認。
    ▼川口少将が攻撃直前に異例の解任劇が起きた。 
    ▼辻参謀が「泥棒部隊」と呼んだ。他部隊からも「ゴロツキ部隊」などと敬遠された。
    ▼米軍パイロットをスープにした『人肉試食事件』がある。
    ▼岡明之助大佐(聯隊長)指揮による「軍旗奉還作戦」で2月1日岡大佐戦死した。
    など、数々の悲劇に遭遇し話題が多い。
     しかし
    ▼ガダルカナル島から10,652名を撤退させた最大の功労は、ガ島に残留して最後まで戦った124連隊宮野隊128人であることは知られていない。
     ほぼ全滅したが、何人かは米軍の捕虜になり、戦後帰国した人もいるという。  

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     ガダルカナル島撤退の御聖断は昭和17年大晦日、ガ島17軍司令部に伝達されたのは昭和18年1月17日とされる。 
     太平洋戦争の作戦のうち、「真珠湾奇襲作戦」に継いで成功したのは「ガダルカナル撤収作戦」といわれ、後は「やることなすこと誤算ばかり」と酷評される。
     「ガ島撤収作戦」を計画したのは、大本営作戦参謀・瀬島隆三氏とされるが、その成功の陰には「捨て石作戦」があった。

     本当は、こちらに光をあてるべきなのに、あまり知られていない。
     その「捨て石」になったのが、124連隊「宮野隊」128名と臨時編成された38師団矢野大隊」750名だった。
      撤退作戦投入のために、名古屋で臨時編成された矢野大隊長以下約750名は、昭和18年1月14日、全滅覚悟でガ島に送りこまれた。

     戦国の昔から、敗色が色濃く退く際はしんがり部隊が一番危険とされる。
      殿(しんがり)は、後備えともいわれ、有名な戦では「金ヶ崎の戦い」で豊臣秀吉が殿を引き受けて信長を逃がし、自らも命からがら戦場を脱出し信長に認められる結果になった。
     なお、ガダルカナル撤収作戦で一番最初に、船に積んだものがあった。
     ガ島の砂を入れた米俵を数10俵だったという。
     それを何に使ったのか?
     遺族の元に届ける白木の箱に入れる砂だった。これも秘話の一つであろう。

     以下は、124連隊遺族会「ホニアラ会」事務局・上村清一郎氏のコメントと、遺族会機関誌「つくし」に掲載された、防衛研修員・近藤新治氏の文章を紹介したい。
    -----------------------------引用--
     「ガダルカナル撤収作戦」の最大の功績者は、124連隊「宮野隊」であると紹介されています。宮野隊の宮野政治中尉は福岡県朝倉郡夜須町出身、ご遺族は福岡ホニアラ会会員の義弟・宮野正明様です。この様な貴重な記録は、聯隊史などに記載されていないので皆様にご報告申し上げたい。(事務局・上村清一郎)
    -----------------------------引用--
      「ガダルカナル撤収殿軍の最期」 
                              防衛研修員 近藤新治
     ガダルカナル撤収殿軍の最期餓え衰えた日本軍の撤収作戦は成功したが、その陰には、撤退を支えた尊い犠牲があった。
    ■挟み撃ちを企図した米軍
     日本本土を離れる5千キロ。南太平洋のガダルカナル島で行われた作戦は、結果を知りつくした今となっては、日本軍の作戦指揮の失敗という枠を、一歩も出るものではない。
     だが、勝利の女神が、日米いずれにほほえむか、わからない交戦途中の軍隊にとっては、ひとつひとつの戦況が、杞憂のもとであった。
     どちらが勝つかわからない。
     いま一押しすれば、うまく行くかも知れない。
     そんな気持が常につきまとっていたのが実相である。
     結果的には勝った米軍も、(昭和17年〉 10月、11月は日本軍の攻撃にたいして、頑強な防禦線を保持することを主とし、ときどき局地的な反撃を行った時期であり、12月は増援部隊派遣の途中で、攻撃態勢整備時ということができる。
     翌18年1月上旬、ガ島(ガダルカナル島)の軍は三個師団になった。海兵一個師団で、海空の直接支揺蔀隊を入れると、5万人をこえた。
     当、日本軍は約1万5千人で、その第一線では所により、餓死者が出るほど、補給が切迫していた、もとより米軍は、その細部など知るよしもなこの段階で新しい大規模な攻勢をとることになった米軍は、大要つぎのような作戦計画をたてた。 まず、すみやかにアウステン山を攻撃し占領する。ついで一個師団(アメリカ師団)を飛行場の守備に充当し、二個師団(第二海兵・第25師団)で西進攻撃を行う。
     西進攻撃の要領は、まず二個師団を海岸からアウステン山の間にならべて配置し、日本軍の外翼を席捲するように攻撃。マタニカウ川西方3千ヤードに第一線を拡張。ついで、2個師団で日本軍を補捉撃滅するため、西方への攻撃を続行する、というものであった。
     計画段階で在ガ島米軍指揮官のバッチ将軍が発言した。
     「日本軍は正面攻撃にたいしては頑強に抵抗して、始末が悪い。歩兵一個連隊ほどをこの辺に上陸させて、敵の増援路を遮断し、あわせて背面から攻撃させたらどうだ」バッチは、拡げられた地図の上のガ島西端を指揮棒でたたきながら言った。
     棒の先端のヴェラヒユー海岸という文字が、そのたびごとに踊った。半年あまりも戦争しているというのに、ガ島の西端の状況を、米軍はつかんでいなかった。そこで大事をとって一個大隊が、北岸のコカンボナから西南方向にまっすぐ島の中央山系を横切り、南岸に出る路を偵察のため先遣された。
     四隻の駆逐艦に護衛された迂回隊の主力が、人員・資材・食糧・弾薬を、一隻の駆逐艦と五隻の戦車揚陸艇に満載して、北岸のククムから出航したのは、2月1日午前4時のことであった。
     日本軍の主要揚陸点エスペランス岬をはるか左手に眺めながら、目的地ヴェラヒュー海岸に上陸したのは、午前11時を過ぎていた。揚陸艇は帰途、日本軍急降下爆撃機14機の攻撃を受け、一隻が沈没した。駆逐艦も至近弾で、操舵装置が破壊され、乗員2名が戦死した。引き続いて午後早く、「20隻の日本駆逐艦が、ヴェララ・ヴェラ島北方を高速力で南下中」という報告が入った。
     米軍司令部は、増援のための陸上部隊の輸送艦隊、と判断した。
     午後6時20分、南下を阻止するため、41機がへンダーソン飛行場を離陸した。日本側は零戦18機が上空警戒に当たっていた。この戦闘で駆逐艦「巻波」を航行不能にした。夜になって米側は、四段の阻止手段を講じた。機雷と駆逐艦と魚雷艇と航空機による攻撃である。米軍の、この手を換え品を換えての阻止行動の中に、日本の艦隊はズカズカと入って来た。
     米側の四つの手段は、いずれも効果なく、魚雷艇が砲戦で二隻沈没した。
     米軍はその結果、一日夜は日本軍の増援輸送を成功させてしまった、と判断した。二日の日中、東部の第一線タファサロング付近で、放棄された無線通信機と、割合い大きな機械工場跡で十組の砲の部品を米軍は入手した。
     だが米軍は、これらのことは再開される攻勢のための態勢整理の徴候と見た。
     日本軍の母艦航空機が、ブーゲンビルの飛行場から飛来したり、ガ島とラッセル島間の絶え間ない船の往来は、北に向かっての撤退ではなく、去年の11月半ばの頃と同様、増強がまだ進行中である、との推定を強める以外の何物でもなかった。
     2月4日午後も、同じように米軍の増援阻止作戦が行われた。戦爆連合64機による爆撃により、駆逐艦「舞風」を航行不能にしたが、他の19隻の駆逐艦は、何物かにつかれたように南下を続けた。7日も同じように、18隻の駆逐艦がガ島に向かうのを偵察機が発見した。二隻に命中弾を与えたが、編隊から落伍しなかった。
     一方、米軍はヴェラヒュー海岸から行動を起こし、日本軍に決定的な強圧を加えるため、2月7日にはエスペランス岬から約五キロの地点まで進出した。この日、米軍連隊長が負傷し交代した。東から海岸通りを進んだ部隊は、タファサロング西方1.5キロに達していた。明日は、いよいよ日本軍を東西両正面から挟撃できる。
     バッチ将軍は、ルンガ岬の司令部でほくそえんでいた。
     だが、その2月8日の朝、エスペランス岬に達した米軍第一線は、空の舟艇と放棄された補給品のほかは、何も見出されなかった。「何が起こったのだー己おそるおそる進む東西両方向の米軍が、接触したのは、翌9日午後4時25分のことであった。バッチ将軍は腹立ちまぎれに、ハルゼイ提督に打電した。「ガダルカナルにおける日本軍全員の完全な撤退は、本日16時25分に確認された。(中略)東京急行は、もはやガダルカナルに終着駅を持っていない」。
    矢野大隊の奮戦
     日本側の撤収について、なぜこのような奇跡がおきたのであろうか。
     原因は、いろいろ考えられる。この時ばかりは、日本側は作戦計画も見事であった。陸軍も海軍も、撤退を成功させるために捨身になっていた。戦争の後半期に見られるような、軍紀の弛緩はなかった。戦争開始以来、負けたことのない軍隊である。いまは具合が悪いが、つぎの段階では必ず勝つと思っていた。等々各種の条件が重なっている。
    だが、これらの原因を列挙してみても、一抹のものたりなさが残る。それは、相手方の米軍が、戦術原則に忠実に、なぜ猛烈果敢に追撃してこなかったのか。米軍が積極的に行動しさえすれば、栄養失調で朽木のようになっていた日本軍である。ひとたまりもないはずだが、という疑問が消えないのである。全段で述べたように、米軍は日本軍の撤退行動を、増援行動と誤判していたのだ。
     評者はこれを、天佑といい神助という。だが、史実を細かく調べると、前に触れた米軍が誤判した、いろいろの戦術的徴候のほかに、明らかに「増援」とみるのが当然と思われる処置を、日本軍は撤収作戦を成功させるために発令していたのだ。

    いわば「捨て石」である
     捨て石は、二目あった。
     一つは矢野大隊である。
     以下簡単にその概要を述べよう。にっちもさっちも行かなくなった、ガ島の作戦を打ち切るために、部隊を撤収せよ、という大本営命令がラバウルに伝達されたのは、昭和18年1月4日のことである。前年8月から始まった戦闘で、日本軍はすでにガ島周辺の制空・制海権を失っていたので、命令だから撤退するとしても、艦船と人員の半数は撤退し得まい、と関係者のだれもが判断した。奇跡的に潜水艦で脱出してきた者の話では、ガ島では、マラリアと飢餓で、満足に戦闘行動ができる兵隊は、いないのではないかという。
     攻撃・防禦・追撃・退却・偵察・警戒などという地上作戦の戦術行動のなかで、古来、一番難しいと言われている、退却作戦をそんな病人の兵隊でどうして実施できようか。
     とくに昔から最後に退る後衛部隊、これを殿軍(シンガリ)というが一番難しいとされている。病人部隊では殿軍は勤まるまい。
     そこで、まさかの時には在ガ島部隊と一緒に斬り死させるつもりで、矢野大隊が選ばれた。矢野大隊は第38師団(名古屋編成)の補充員で臨時に編成され、大隊長以下約750名。小銃三中隊。機関銃一中隊、山砲一中隊という編成である。
     出発のための軍装検査に立会った、井本といら参謀が、「全般の企図は何も知らぬ彼等、之を一人残らず殺すのだと思って見たときは、感極まるの外はなかった」と、手記を書いている。
     当時、矢野少佐は「重大任務というだけで、撤退のことは知らされていなかった。
     1月14日午後10時、おりからの猛烈なスコールの中を、矢野大隊はガ島エスペランス岬に上陸した。新品の軍服に身を固めた750名の部隊の出現は、半年間風雨にさらされ、乞食のような姿の者もいる、ガ島の日本軍にとっては驚異であった。
      「いよいよ攻勢だ!」飛行機と砲兵でたたかれ続けている将兵を勇気づけた。
     大隊は米軍機の空襲をさけるため夜間行軍を繰り返し、1月17日朝、勇川の線に進出した。任務は一時、歩兵第228連隊(長、田中大佐)に配属であった。やっと探した連隊本部で、「よく来てくれた。もううちの連隊には、大隊長は一人も残っておらん。最後には俺といっしょに斬り込んでくれよ」田中大佐は、矢野大隊長の手をとらんばかりに真剣な表情で言った。
     連隊の属する第38師団の第一線は、米軍の強圧の間隙をみて、続々と勇川河谷に後退していた。
     矢野は、翌日の夕刻、その集合場所に行ってみて驚いた。
     「やっと歩ける兵だけが、着の身着のままで、フラフラと来る。そのフラフラの兵が病人を肩にかついでいるのだ。歩兵連隊の焦答ではなく、野戦病院の移動といった方がいい。それでも、各兵は、兵器はしっかりと持っている。中には病気のうえに、疲労が重なったのだろう。後方に退った安心感から、集結地にたどりつきながら息を引きとる兵もいた。
     看護する人もなく、薬もなく、皆が病人なのだ。
     この状態でよくも今まで頑張っていたものだ。
     人員は「一個連隊といっても、百名ほどしかいなかった」と述懐している。
     19日朝から、矢野大隊は勇川東岸に陣地占領した。
     この日から第38師団が後退行動を起こしたので、大隊は文字どおり第一線となり、米軍主力と接触することになる。この頃の米軍の戦法は、4~50人で横隊となり、あたりかまわず射撃しながら前進する。
     日本軍が一人でも陣地にいて、射撃でもすれば、ただちに後退する。
     30分か1時間ほどして、その日本兵の位置に、物凄い迫撃砲と砲兵の射撃を集中する。それが終ると、最初の要領で歩兵部隊が攻撃前進してくる。このパ夕ーンの繰り返しであった。米軍としても、勇川の線で、今までと違った新しい服装の、敏捷に動く日本兵の姿を見て、これは変だと思った。
     そして、矢野少佐自身もこの時点では、はっきりと撤退援護のための後衛部隊とは聞いていなかったので、日本軍増援部隊の第一陣と漠然と考えていたというから、相手の米軍が「増援」と判断しても、少しもおかしくない状況であった。矢野は、前記米軍の戦法を巧みに逆用して、後衛部隊として最大限に時間をかせいだ。
     すなわち、
     1、夜間のうちに陣地占領する。
     2、米軍を最大限引きつけて不意に射撃。
     3、米軍の集中射撃間、第二線に後退。
     4、射撃が止めば第一線に復帰。五絶対優勢な米軍が、ジャングル等を利用して、包囲態 勢をととのえ、大隊の陣地保持が困難になれば、夜間を利用し、次の陣地に後退する。このやり方で、五線の陣地で実に14日間の時間をかせいだ。一陣地平均三日間という遅滞日数である。軍主力の後退時期・距離等から、矢野大隊の捨て身の援護振りがしのばれる。
    宮野隊の最期
     戦術的に見て、勇川以西の撤退地域の要点は、タファサロングとセギローである。エスペランス岬とカミンボという上船地点を援護できる地点は、この二つしかない。ただセギローはエスペランス岬との距離が、5~6キロしかなく、重砲の射程を考慮すると、いかにも近すきる。 一方、引揚艦艇の手配が、第一次撤収(第38師団乗艦予定)まで、10日もかかる。最前線の拠点は、米軍の強圧に耐えかね、一つずつ玉砕していく危殆に瀕している。崩壊寸前だ。そこで軍は、まず第二師団をタファサロング付近に陣地を占領させ、第38師団が離島するまで援護させることにした。
     矢野大隊は、その第二師団の陣地の前面で時間をかせいだ。
     さて、その第二師団も2月2日、乗船地に向った。
     あとは矢野大隊だけである
     その頃になると、米軍も戦車を繰り出して来たので、矢野も、「もはや、これまで」と何度か観念した。が、何とか2月4日まで陣地線を維持した。
     この日、第二師団が第二次撤収部隊として離島した。
     命令により後退した最後の陣地がセギローであった。ここのジャングル地帯は、軍の野戦病院と師団の患者収容所があった所だ。これらの施設は、名ばかりで、ジャングルの湿地に樹の枝を並べた程度である。泥津路の両側は、屍を埋めた土盛りが畝をなしている。
     2月4日、ここに撤収作戦第二捨て石が置かれた。
     総後衛部隊作戦命令の第四項がそれだ。
     「宮野中尉は、残留患者を指揮し、現在地を確保し'敵の前進を拒止すべし」一見何の変哲もない、退却作戦命令の定型文句であるが、それは後刻、撤退が命令される、とい
    う前提があっての表現だ。だが、この場合はその前提はない。
     三日後に予定される第三次撤収で、矢野大隊を主力とする約2千名のガ島残留者は、全部引き揚げてしまうのだ。

     殿軍の総後衛部隊長(松田教寛大佐)は、その日(4日)の朝、計画どおり矢野に、「将校の指揮する、約70名を残置、主力は日没後乗船点へ転進」と命令した。
     矢野は、即座に「大隊全力で残留」させてくれと言った。
     70名だけの部下をどうして残せるか、死なばもろともである。
     問答をしている間も、米軍の砲声が反復する。矢野は、「命令は命令として、大隊全員が残ろう」と腹を決めて指揮所を飛び出した。その様子を見ていた松田は、「なんとかこの男とその精鋭な部下を生かしてやりたい」と思った。
     今回の撤退命令が出たとき、現地第17軍司令部が反対した理由の一つに、もし撤収できたとしても、それは後方部隊や足腰の立つ者が主であって、勇敢にあくまで戦闘し、栄養失調で動けなくなった将兵のほとんど全部は、遺棄死体として残置することになる。
     それは統率上忍びがたい、というのがあった。
     だが、どのような理由があれ、大命遊奉、撤収作戦実施ということになったのだ。そこで軍司令部の心配が、現実の問題となった。「撤退計画」に感情を押さえて、冷たく表現したつぎの文句がある。
     「単独歩行不可能者ハ 各隊共最後迄現陣地ニ残置シ 射撃可能者ハ射撃ヲ以テ敵ヲ拒止シ 敵至近距離ニ進撃セバ 自決スル如ク 各人昇示錠二錠宛ヲ分配ス」
     松田は、矢野が前線に飛んで帰ったあと、セギロー付近の歩行困難な兵隊の数を調べさせた。「128名であります」椰子の根元に天幕を敷いてすわっている松田に、本部の書記が報告した。
     だれに指揮させるべきか。松田は迷った。
     「私が残ります」宮野政治という予備役の中尉が、松田の心を見すかすように足をひきずりながら寄ってきた。
     歩兵第124連隊の将校だ
     松田は、矢野に対する命令を取り消して、前掲第四項の宮野に対する文章を入れた。総後衛部隊は、乗艦地カミンボに集結した。
     今日は2月7日、宮野たちと別れてから3日になる。
     午後4時、あと数時間で最後の駆逐艦が迎えに来る。
     すべての手配を終わった松田の耳に、遠雷のような米軍の砲声が聞こえてくる。
     心の中で手を合わせる想いで、松田は手帳に書いた。
     敵の砲撃は猛烈なるも、セギロー陣地は依然確保しあるものの如し。
     今尚、残置してある将兵はもう再び会うことは出来ない。
     また生きることも出来ない。
     真に断腸の思いである。然し如何とも致し難い。
     「総後衛部隊戦闘詳報」宮野隊の欄外余白に、二重丸して、「殊勲甲」と朱書きしてある。

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    2010年9月13日 (月曜日)

    124連隊の「軍旗奉還作戦」

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     これから紹介することは、ガダルカナル島戦の秘話とされる。
     殆どの皆さんには、マニアック(Maniac)な話かも知れない。
     事情を知る関係者が鬼籍に入られた現在、ガ島戦のことを書く作家や研究家にとっては貴重な記録になる可能性が高い。(※長文なので関心ある方だけ読んで下さい)
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     ガダルカナル戦史の著作物には、必ずといっていいほど、124連隊の「軍旗奉還作戦」のことに触れているが核心に迫ってはいない。
     いや、迫ることが出来ない事情があるらしい。
     この作戦は、昭和18年1月下旬から2月上旬のガダルカナル島カミンボからの撤退時に発生した。
     福岡編成の歩兵124連隊は、アウステン山の一番奥に陣地があり、派遣部隊の中で一番連絡が取りにくい場所に配置されていた。
     そして、大本営からの撤退命令を連隊長以下知らずに、軍旗を一時的にアウステン山、べラバウル高地の聯隊本部付近に埋めて隠していたことが、スムーズな撤退の妨げになった。
     米軍の猛攻撃でアウステン山を撤退したのが、1月16日、
     大本営からガ島17軍司令部に撤退命令が届いたのが1月17日
     この撤退命令を知るずれが124連隊に不幸を招くことになる。
     そして、1月19日に、軍旗捜索隊12名による決死隊が編成され、軍旗捜索にアウステン山に向かうが二人を残し10人が戦死する。
     聯隊旗手の小尾少尉が軍旗を持ち帰ったとされるが、この辺りの記述が作家により、みな曖昧なことで知られる。

     遺族会「ホニアラ会」事務局長の上村清一郎氏は、同氏の父上が初代連隊旗手として天皇陛下から賜った軍旗に関連することから、特に思い入れが深く、次のように考察している。
     まず、当時の聯隊旗手だった陸軍中尉・小尾靖夫氏は、このような手記を残していることでも知られる。何百人もの死を見届けた観察記録だ。今でも通じるとされる。
     
    ガダルカナル最前線(元陸軍中尉、小尾靖夫の手記より)
     ◎ 立つ事の出来る人間は~寿命30日間。G_butai_haichi_1
     ◎ 体を起こして座れる人間は~3週間。
     ◎ 寝たきり、起きられない人間は~1週間。
     ◎ 寝たまま小便をする者は~3日間。
     ◎ もの言わなくなった者は~2日間。
     ◎ またたきしなくなった者は~明日。
     ああ、人生わずか50年という言葉があるのに、俺は齢わずかに22歳で終わるのであろうか」(昭和17年~18年)
     ※この人間末期の観察は、今も通じるとされる。

      以下は、上村清一郎氏の手記を引用させていただく。
     小尾氏は、JR中央線の吉祥寺近くに住んでおられたが近況は知らないという。
     なお、上村氏も遺族会を代表して、小尾靖夫氏に幾度も面会を申し入れたが、全て断られたそうだ。 
    ---------------------------------
     「軍旗関連の推考ホニアラ会事務局長 上村清一郎Uemula_1http://www.geocities.jp/honiara_kai/index.htm

     現代社会では、戦争当時の軍人の軍旗に対する考え(忠誠心)には理解が難しいことと思います。軍旗は、聯隊創設時、宮中において天皇陛下から聯隊ごとに親授されたものであり、その聯隊の命でもあるのです。
     よって、それを紛失したり敵に渡すことは、許されることでは無かったのです。また、部隊に万が一の場合は焼却する建前であり、これを奉焼と言い、奉焼した部隊長は責任をとって自決することが不文律とされていました。
     このような厳しい中で、ガダルカナル島でも3ケ聯隊の軍旗が消滅していま124ht_gunki11す。
     ●17年8月 一木支隊第28聯隊・聯隊長が軍旗を焼いて自決。
     ●17年10月第2師団第29聯隊・聯隊長が軍旗とともに突撃し聯隊長と軍旗の状況不明。
     ●そして、18年1月 第124聯隊の軍旗となります。
     また、西南戦争における小倉歩兵第十四聯隊の乃木少佐、また、戦況が悪化した大東亜戦争末期の満州をはじめ、南方のビアク島、サイパン島、硫黄島 レイテ島などに派遣されていた聯隊で奉焼しています。
     そして、軍旗の最後は、その部隊の玉砕を意味しています。
     軍旗を捧持し、兵隊の志気を鼓舞する効果はあったでしょうが、そこには大変な締め付けと忠誠心が要求されていたのです。中国戦線では、旗手だった父も1年間の任期が終わったときの感想を、「ほっとした」と軍隊手帳に記しています。それだけに、ガ島では連隊旗手でおられた小尾靖夫少尉のご苦労の数々は理解しているつもりです。
     それでは、124聯隊の軍旗にまつわる考察に入ります。
     以前、第二次世界大戦戦史研究所の所長佐賀井喜彦氏から、ガダルカナル戦末期の歩兵第124聯隊の軍旗に関して問い合わせがあった。
     その内容は、「軍旗を小尾少尉が腹に巻いて帰還したと言われているが、調査していて、いろいろ分からない点が多い。小尾少尉に面会を申し込んだが断られたし、問い合わせにも応じてもらえない。そちらで分かっていることがあれば教えて欲しい。」ということだった。124聯隊の軍旗は、父・上村清少尉が初代旗手として、天皇より親授されたこともあって関心を持っていたことでした。
     なにぶん、素人の調査で十分とはいえないが、分かったことや疑問点を列記してみたいと思います。
     会報「つくし」に掲載された手記や戦記などを読むと、以下のような点が浮かび上がってきます。
    推考1~軍旗を埋めて撤退。工藤雷介軍曹の手記にその経緯が書かれている。
    http://www.geocities.jp/honiara_kai/124ht_hiwa/124ht_hiwa_kudo_raisuke.htm
     手記、「昭和18年1月16日、アウステン山、べラバウル高地聯隊本部付近に、形見分けをし、そのあと埋めて撤退した。」と記載がある。
    推考2~誰が軍旗奪回の命令を出したのか。
     黒沢参謀は1月20日朝、岡聯隊長の一行に遭遇し、軍旗奪回命令を出したと記録している。一方、工藤雷介軍曹は1月17日、丸山道とマタニカウ河との交叉点に到着。二日間大休止したと記録し、聯隊長の別命で森口中尉と第十七軍指令部に行く途中で、第三十八師団伝令の曹長に会って命令書を見せてもらったとある。
     月日も17日から19日の間ではないだろうか。
     ※砥板名誉会長の手記に、1月19日軍旗捜索隊が出発した事が書かれている。
    推考3~誰が軍旗捜索に行ったのか。
     調査の結果、左記の方々が行かれたものと思われる。
     氏名    階級    所属   状況
     岡明之助 大佐   第百二十四聯隊長(戦死2月1日) 
     一色博 少佐     第三大隊長(戦死2月1日)       
     森口行雄 中尉   聯隊通信隊長(戦死2月1日)     
     熊谷啓次 中尉   第一機関銃少隊長(戦死2月1日)
     今川清 中尉     不明  (戦死2月1日)
     今長谷 少尉     不明           不明
     小山田宗人 少尉  聯隊副官 (戦死2月1日)
     福永壽太郎 少尉  聯隊砲小隊長生還(ビルマ戦死)
     小尾靖夫 少尉    聯隊旗手  生還
     黒木文雄 軍曹    第十中隊 戦死昭和18年1月23日
                  (福岡県糟屋郡出身)
     村山    軍曹    不明(戦死月日不明)           
     小河章能 兵長    通信中隊(戦死2月1日)
       以上12名(小尾、福永両少尉が生還)。
     ※資料及び各種ガ島戦記、西島・工藤・高崎・砥板各氏、伊藤正美氏の記録、陸士53期同期生の記録他。
    推考4~聯隊本部が置かれていた、アウステン山べラバウル高地は、昭和18年1月20日の時点で米軍に完全に占領されていた。軍旗捜索隊12名の方々はべラバウル高地の軍旗の埋めた場所まで行くことが出来たのか。
     米軍資料で、1月23日にべラバウル高地に足の負傷で歩けず、部隊撤退に際し追求できず置き去りとなった本部付きのT少尉が、米軍に収容されて捕虜となっている(後日アメリカより帰国)。
     はたして、捜索隊はべラバウル高地に侵入できたのだろうか。
    推考5~小尾少尉の手記にアウステン山べラバウル高地で、埋めた軍旗を掘り出したとの一言が記録にない。小尾少尉が2月7日軍旗を腹に巻いて帰還されたとあるが、あれだけの重量の軍旗でさらに水に濡れて重たくなったものを、衰弱した身体で行動が可能だったのだろうか。
    推考6~山本参謀の手記にあるように軍旗の一部だったのではないか。
    推考7~昭和20年終戦後、ビルマ(現ミャンマー)で軍旗は焼却されたが、それに参列した砥板さんによれば、軍旗は完全で奇麗だったと証言している。

     数日の脱出行で、水に濡れたり、形見分けでちぎれたりした軍旗ではなく、奉焼された軍旗は、再交付された軍旗だったのではなかろうか。 
    ※他の部隊のことであるが、記録によると、戦時中、福岡県と佐賀県の県境、背振山に飛行機が墜落し、その飛行機に再交付の軍旗が乗っていたとの記録もあり、軍旗の再交付は行われていた事実がある。
     第124聯隊旗も、再交付された可能性が高いと思われる。 
     現在も、お元気な小尾靖夫元少尉が真相を話されない理由として、いろいろな事が考えられるのですが、これにより、軍旗捜索隊12名の方々、特に未帰還の10名の方々の最期が判明しないことは残念である。
     勝手ながら、やや乱暴に推測させていただくと、軍旗捜索隊12名の方々はべラバウル高地の軍旗の埋めた場所まで到達することができず、岡大佐以下は責任をとって自決された。
     しかし、旗手の小尾靖夫元少尉が最初から持っていた軍旗の一部を持って帰還し、撤退時の体裁を整えたと推測できるのです。

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    2010年9月12日 (日曜日)

    ガ島戦・三連続奪回失敗の愚かさ

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     前回、カダルカナル島で玉砕した福岡124連隊の遺族会「福岡・ホニアラ会」のことを紹介した。この会の事務局長・上村清一郎さんは、父上がここで戦死したことから毎年のようにこの島に訪問していた。小生も幾度か誘われた。関心深いが訪問するまでには至っていない。上村さんも今年4月亡くなられ、11月には遺族会の有志が島に分骨のため訪問するという。関係者から誘いの連絡が入ったがお断りした。その代わり、「ガ島」戦のHP広報を、今後も続けていくと約束した。
     ▼「福岡ホニアラ会http://www.geocities.jp/honiara_kai/index.htm 

     太平洋戦争は、明治政府誕生以来、国を富ませ兵力を強化し、列強に追いつき追い越せの合い言葉で植民地獲得合戦に参戦し、日清・日露戦争とかろうじて連勝したことによる、指導者層の過剰な自信と傲慢が根源にあったとみている。
     
     戦争の悲惨さと、当時の指導者層の愚かさを知るには、まず「ガダルカナル島」戦のことを学ぶといいとされる。Q_w
     日本軍の戦法は、精神力だけの肉弾戦
     素手物量、
     子供
    大人
     飢餓満腹、
     
    原始近代の戦い、
     地獄、残酷、悲惨そのものだった。
     この、ガダルカナル島でとった日本軍の犬死に戦法は、敗戦のその日まで変わらなかった。アメリカ軍の、近代的装備による銃弾雨あられの中に、ただ、銃剣で突撃・突撃と明治時代と変わらない戦法を強いた日本軍将校の愚かさ、そして餓えの中で希望を失い死を急いだ兵士の哀れさは「餓島」に凝縮されている。 
     下級兵士が餓えで命絶えていく中で、上級将校は後方のパラオ辺りに慰安婦を買い戻っていた記録も残っている。補給路を断たれ兵士が餓えた中で闘いを強いられたことから、「餓島」とも呼ばれる。
     ガ島戦は、右上写真の三人が企画した。

     戦争を美化する人、逆に自虐史観を説く人も多い。
     しかし、戦争を避けたいのは多くの国民の願いだ戦争は当然繰り返してはならないが、回避を最善の策としつつも、必要なら勝つための万全の備えが大切だと思う。
     戦争は、怖い、恐ろしい嫌だ、反対だと否定語を羅列しても避けることは出来ない。

     昭和16年12月8日太平洋戦争が勃発し、日本軍は南方の島々に戦略上良好な飛行場を設営する必要に迫られた。そこで当時無人島に近く、島の北側に平地があるガダルカナル島に急ぎ飛行場を設営した。
     しかし、完成間近の昭和17年8月7日、米軍の奇襲攻撃で奪われている。
     明治22年2月11日大日本帝国発足以来、負け知らずの帝国陸軍は島を早期に奪還するため、G_butai_haichi_1
     旭川歩兵第二十八聯隊(一木支隊)、
     福岡124聯隊(川口支隊)、
     仙台第二師団
     名古屋第228連隊等、
     3万数千名を逐次投入したが全て撃退された。
     戦死者2万数千名を数え、昭和18年2月に完全撤退した。
     その後は、米軍を中心とした連合軍は、このガダルカナル島を反攻の拠点とし飛び石に本土に迫って来たことは良く知られている。
     「ガ島戦」の真相は長く国民に秘密にされていた
     ※グーグルアース「ガダルカナル」ホニアラ
      ガ島戦とは、この飛行場の争奪戦だった。

    0000075

    ---------------------------------------------------------------引用
    ガダルカナル島戦・三連続奪回失敗・敵も己も知らず
      旧日本陸軍官僚達は、精神主義一辺倒で、明治時代から装備改良を怠っていた。
     白兵(銃剣)突撃が主な戦法だった。突撃中は発砲禁止とされた。
     ノモンハン事件で、関東軍は近代装備のソ連軍に大敗 。
     2万人の犠牲者を出したが、陸軍官僚首脳部は無反省、戦術無改良、無責任体質を維持した。そして、その旧来の手法のまま、米軍 と初めて戦かった島がガダルカナル島だった。
     現地司令官いかに現地の状況報告をしても、軍官僚・辻政信参謀達の無謀な突撃指令一辺倒で大量に犠牲者を出し、三回連続して奪回に失敗し、天皇命でしぶしぶ撤退を決断。大本営は、これを転進と偽って発表。
     結果、約3万人投入し、生還者は約1万人という惨憺たる大失態に終わった。
     犠牲者2万人中1万5千人は、不十分な戦況分析と不十分な補給計画で餓死した。

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    2010年9月11日 (土曜日)

    福岡124連隊遺族会「ホニアラ会」

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     「歩兵第124連隊」は、福岡県福岡城跡において、昭和12年9月編成された。
     明治17年に創設された「歩兵24連隊」の連隊本部が、明治19年に福岡城に設置されているが、歩兵24連隊が満州に出陣し留守中に、福岡県出身者を中心に編成動員されている。そして昭和12年9月12日、小堺連隊長は連隊旗手・上村清少尉を伴い宮中において、連隊旗を親授された。後にガダルカナル島なおいて、決死の軍旗奉還作戦が発生するが、このときは知るよしも無かった。
     約4000人の威風堂々の岡連隊(菊兵団)は、ガ島撤退時は300人いなかった。

      まず、福岡歩兵第124連隊の遺族会「福岡ホニアラ会」のことと、元事務局長・上村清一郎氏のことをご紹介する。http://www.geocities.jp/honiara_kai/index.htmUemula_1
     ガダルカナル島で玉砕した川口支隊の主力は第124連隊だ。同連隊の慰霊祭は、今月9月13日(月)正午より、福岡市中央区六本松の旧陸軍墓地にて執り行われる。ガダルカナル島は日米陸軍が最初に闘った島で、日本兵士が餓えながら戦ったことから、「餓島」とも呼ばれる。ガ島戦は日本陸軍最初の負け戦で、終戦まで秘密にされていた。

     まず、「福岡ホニアラ会」事務局長の上村清一郎氏が、今年4月26日逝去された。糖尿を患っていると聞いていたが本当に残念なことだ。
     上村さんは、ガダルカナル島に生涯を捧げたような人だった。
     同氏のことをG_124_uemura描いた「餓島巡礼」という本もある。
     今年11月には、同氏の父上が眠るガダルカナル島に分骨されるという。父上は、福岡で編成された第124連隊旗手・上村清少尉。同少尉は昭和17年11月5日、ガダルカナル島マタニカウ河左岸で頭部に砲弾破片を受け戦死している。上村清少尉は、招集直前まで福岡県朝倉中学校の体育の教師だったが、直ぐに少尉として連隊騎手に選ばれるのだP_uemuraから人物そして容姿端正だったのだろう。
     戦死した翌年の昭和18年に父上の戦死の知らせがあり、小学校6年の上村清一郎氏が喪主を務めたという。
     上村さんと、お目にかかったのは一回だけだが、電話、手紙、メールなどでは数え切れないほどの交流がある。
     知り合う切っ掛けは、「ガダルカナル島戦の遺品探し」だった。

     それは、当方に平成17年はじめ米国ユタ州の方から、「中村部隊本部用」と書かれた紅白の「たすき」などの持ち主を調査して欲しいとの依頼が入ったことに始まる。
     与えられた調査のヒントは、ガダルカナル島で米軍兵士が昭和18年1月10日頃の一斉攻撃の際に、日本人将校を戦死させて手に入れたものだという。
     しかし、その米軍兵士(中尉)も昭和26年に朝鮮戦争で戦死している。
     手がかりが薄い。薄すぎる。
     やや前置きをすると、戦争遺品の身元調査はG_00071父親がニューギニア戦の生き残りで遺族会に関係していたこともあり、随分前から当方も手伝っている。勿論、調査費用は全て持ち出しだが、何か義憤のようなものが自分を動かしている。
     この調査も、過去に日章旗や遺爪髪の身元調査に取り組んで来た経験から、何とかなるだろうと軽く踏んで受けていた。
     しかし直ぐ壁に突き当たった。
     いろいろ調べても「ガダルカナル島戦」に、日本から「中村部隊」なる部隊が参戦した記録が出てこない。
     著名な作家や軍事専門家にも聞いた。Yamazaki
     防衛研究所資料閲覧室(目黒区中目黒2-2-1)にも何ども足を運んだ。
     そして「ガダルカナル島戦」に関する著書は、20~30冊と読破したが、「中村部隊」という呼称は発見出来なかった。
     調査から1年近く経過し諦めかけていたころ「福岡連隊史」を読むことになった。
     日本各地の師団や連隊が「師団史」や「連隊史」なるものが綴られるようになったのは、戦後も落ち着いた昭和40年から50年代に集中している。この「福岡連隊史」も昭和49年発刊とある。きっと当時は遺族会も活発な活動があったのだろう。

     この「福岡連隊史」の中にヒントが隠されていた。
     中村部隊は、歩兵124連隊が中国大陸に出兵していた当時の呼称だった。
     この一文を捜すために、仕事もそぞろだった当時を思い出す。Tasuki_1_fig0011_thumb_211
     この部隊の関係者に連絡方法がないかと模索中に知ったのが、この遺族会だった。
     そして、歩兵124連隊の遺族会は「福岡ホニアラ会」という名称で、上村氏はこの会の事務局長の要職にあることを知った。
     ホニアラ会は、激戦の地、ソロモン諸島ガダルカナル:Guadalcanal島の首都ホニアラから戴いている。上村さんとの交流は、ここから始まった。
      以下は、「週番将校用襷」が、124連隊のものと認定した経過を簡記する。
                                    記
    ■写真は「週番将校用襷」といい「中村部隊本部用」と記入がある。この襷は通常各連隊に、精々1本渡されるが、戦地で使うことはないという。Nakamura11
     この部隊は、福岡編成の第124連隊と判明するが、「中村部隊」の名称は、昭和14年8月124聯隊の第三代連隊長・「中村次喜蔵大佐」からの呼称と知る。124連隊が昭和17年9月にガ島に派遣された当時は、第四代「岡明之助大佐」が連隊長であり、「岡部隊」としてガ島に上陸していることが、調査を困難にさせていた。
    それでは何故、「中村部隊本部用」と記入されたまま、ガ島に持参されたかを推測すると、同じ第124連隊で本隊より約1ヶ月遅れて上陸した部隊があった。
     それは、124連隊・高級副官「山崎正人大尉」が率いる部隊だった。
     「福岡連隊史」には、「昭和17年10月4日、ブーゲンビルに残っていた千人を率いた山崎正人大尉がガ島に上陸してきた。」と記されている。この山崎大尉が率いる部隊は、ガ島に派遣される以前は、「中村部隊」として、昭和14当時から中国大陸に派遣されている。つまり、「中村部隊本部用」と記載された週番将校用襷は、部隊名を変更する暇もなく、中国大陸から直接ガダルカナル島に派遣されたのだった。
    ■124聯隊の山崎大尉に関しては、福岡県「ガ島・ホニアラ会(事務局長・上村清一郎)」の協力を得て詳細に調査したところ、同大尉は、第三代の連隊長「中村次喜蔵大佐」当時からの高級副官であり、週番将校襷を管理する立場にあった。Yomiuli_18_12_7
     つまり、連隊長が代替わりし、本来なら名前を変更すべきところ、週番将校襷を携行したまま、本隊と合流したことになる。
     また、戦死した昭和18年1月10日には「危険を冒して、単身で他の部隊と連絡に行き、山中で敵に囲まれ35歳の生涯を銃弾に散った。」と福岡聯隊史に記録されており、戦利品として持ち帰ったアメリカ側の証言と合致した。
    ■なお、同大尉が所持していたノートは、「山崎ノート」として米軍が日本軍の分析に活用した事実も判明した。「山崎ノート」は、米国戦争記念館に保管されている。
     これは遺品を入手した米軍少尉が差し出したものと思われ、山崎大尉の軍刀は連隊長に差し出したと言われており、この功績で、同少尉は数日後の昭和18年1月14日には中尉に昇進している。
    返還後の状況は
     歩兵124連隊の連隊長が第三代「中村次喜蔵大佐」当時(昭和14年8月1日就任)に使用されていた、「週番将校たすき」が約65年Man11ぶりに福岡の地に還ってきたと大きく報道された。
     この「週番将校たすき」は、平成17年、米国ユタ州のバーン家で発見されたもので、このバーン家のMattさんが、祖父・William Richard Burn氏の遺品を整理中に発見したものだが、祖父・ウィリアム少尉はガ島戦に昭和18年1月4日から参戦しており、家族に「襷や拳銃はギャロッピング・ホース「日本名称・見晴台」の攻撃で、1943年1月10日ころ日本軍将校から戦利品として得たものだ。」と言い伝えてあった。
     この状況は、平成18年12月7日付けの読売新聞・朝刊でも紹介されたが、久留米駐屯地・広報資料館で保管展示されている。
    ホニアラ会ホームページの紹介
    http://www.geocities.jp/honiara_kai/Photo
     このホームページは、上村さんとの交流を続ける中で、技術面で協力し作成した。
     更新要領や暗証番号は全て上村さんに伝えたのだが、こちらにパスワードの記録が残っていない。近況などを更新してあげることが出来ずにいる。
     ホニアラ会の掲示板は、独立して今もガダルカナル戦に関心ある方々で活発に動いている。http://8921.teacup.com/honiara/bbs
     掲示板はトップの左上、他にお知らせページサイトマップの下段に付けてある。
     直接、ヤフーに連絡し理由を説明してパスワードを教示してもらう予定だが・・・。
      (※その後、何とか教えてもらう) 
    遺品の展示場所Tengi_13
      福岡県久留米市国分町100
     陸上自衛隊久留米駐屯地 広報資料館 0942-43-5391
     一度は、自分の目でも確認したいと思っている。
     ガダルカナル島戦やニューギニア戦のことは、今後も時々紹介させて頂く

    福岡ホニアラ会の近況紹介
     福岡ホニアラ会は、一旦、解散しましたが、会長の関と藤顧問を中心に、会の意思を尊重される有志の方々と、事業の一部を引き継ぐことに致しました。今後とも、よろしくお願いいたします。恒例の、124連隊の慰霊祭を、来る、9月13日(月)正午より、福岡市中央区六本松の旧陸軍墓地にて執り行います。ご遺族、関係者の皆さまのご出席をお願い致します。引き続き、「ガ島慰霊巡拝の旅」が、下記の通り、確定致しましたので、ご案内申し上げます。
     ○期間 11月16日(火)~24(水) 
      福岡と成田より出発し、シンガポールにて合流予定です。
       ※今回は、慰霊に重点を置いておりますので、行程も余裕があります。
     ○代金 福岡発 487,000円 成田発 493,000円
     ○申し込み締め切り 8月20日(金) (申込金として30,000円が、必要です。)
      ○ご参加を、希望される方には、別途、詳細資料を送付いたします。
       下記にご請求下さい。
     ○申し込み先 
        〒828-0068 福岡県朝倉市甘木1837-4   (株)筑後旅行センター甘木営業所
          TEL 0946-24-1244   FAX 0946-24-0288   担当 綾部穂積さん
     なお、今回は、当会の前事務局長として、永年、お世話されました、上村清一郎さんの分骨を合せて、行う予定です。
     この旅行につきましては、今回が、最後になるかと思います。
     従いまして、出来るだけ、皆さまのご参加をお願い申し上げます。
                 平成22年7月28日
                    会長       関  義一
                    顧問・事務局長  藤  秀暢
       (〒838-1515  福岡県朝倉市杷木若市2686 TEL 0946-62-0252) 
                                代理 築地 武士 

    ガダルカナル島戦争遺品調査サイトに対する評価
     (※誰が作成したサイトかは知らない

     http://cyber.deci.jp/rekishi/a1.html
      「充実した情報が掲載されているサイトです。 軍司令部について 福岡ホニアラ会ホームページ 主に歩兵124連隊戦死者の慰霊、遺骨収集、ソロモン諸島との親善を目的に結成されています。」と評価されている。
     防衛関係者やマスコミからも問い合わせがあるので、目立つサイトなのかも知れない。   これも、遺族会事務局長の上村さんが、いろいろアドバイスしてくれたお陰だと思っている。有り難いことだ

    ガダルカナル島戦争遺品調査サイト 

    充実した情報が掲載されているサイトです。

    福岡ホニアラ会ホームページ

    主に歩兵124連隊戦死者の慰霊、遺骨収集、ソロモン諸島との親善を目的に結成されています。

    大空中戦のはてに

    日米のエースパイロットが繰り広げた死闘

    動画 ディスカバリーチャンネル

    ある兵士の手記

    生々しいガダルカナルの

    体験談です。どうぞご一読ください。

    ガダルカナル日米死闘の空

    日米の空戦の記録です

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    2010年9月10日 (金曜日)

    酒田刑場・最後の斬首刑

     「刑場には竹やらいが設けられ、周囲は黒山の人だかりであった。しばらく三人は平常のように談笑して時の来るのを待っていた。」、これは処刑の目撃談だ。

     「三烈士碑」は山形県酒田市相生町2-4-20の「妙法寺公園」にある。 3resi_2
     この碑は、戊辰戦争で官軍を相手に最後まで戦った、
     佐藤桃太郎信徳(遊佐・升川、佐藤藤佐の曾孫)、
     関口有之助(岡崎藩士)、
     天野豊三郎(幕臣)
     の三士が斬首されたことを悼み建立された。
     処刑は明治2年4月21日、酒田刑場で斬首された。
     
     桃太郎の祖父・佐藤然僕(ねんぼく)は江戸詰めの庄内藩医。然僕の実兄・佐藤泰然は順天堂の創設者。
     軍医総監・松本良順は佐藤泰然の次男となる。
     三烈士の碑には、佐藤藤佐の孫、元外務大臣林董(ただす)が揮毫した。
     碑は大正2年11月15日竣工されている。
     このように、遊佐町升川村の佐藤家からは、実に歴史に名を残す蒼々たる人材を輩出している。

     以降は、松本良一.菅原伝作著「遊佐ゆかりの人々」の“戊辰の役最後の烈士”「佐藤桃太郎」を引用させていただく。
    --------------------------------
     さて、桃太郎は嘉永元年旗本佐藤桃太郎の嫡子として江戸に生れた。
    はじめの通称喜惣司、本名を信徳といった。Image0039
     家督相銃後桃太郎と改名し、幕臣旗本として高七捨俵五給人扶持を給され、陸軍奉行および支配評定所の書物御用出役をつとめて役料五人扶持を賜わる。(庄内人名辞典)
     慶応四年(明治元年)正月戊辰の役起り、4月幕軍遂に力尽き江戸城を開き、さしもの徳川幕府もその歴史を閉じた。
     この時多くの幕臣江戸より脱走し、箱根で西軍(官軍)と戦ったが戦敗れて或いは蝦夷五稜郭へ、或いは会津へ、或いは庄内へと奔った。
     幕臣佐藤桃太郎もこの箱根戦争に参加したが、幕府遊撃隊軍監天野豊次郎、三河国岡崎藩士関口有之助のほか6人と共に庄内藩に身を投じた。
     時恰かも9月の末で庄内藩が官軍に降伏した時であった。
     庄内藩では桃太郎ら9人を田川郡櫛引通嶋組八ツ興屋村(今の鶴岡市八ツ興屋-旧斎村)林高院にかくまってくれた。
     やがて六人は官軍に投降して東京に去ったが、佐藤桃太郎、天野豊次郎、関口有之助の三人は降伏の勧告を、「貴藩は健闘すること半年、一兵をも領内に入れず、そして開城したのであるから、武士の面目も立とうが、我等は連戦連敗、今となって降伏したなら、どの顔で地下の戦友に会うことが出来ようか」と断乎してこれを拒んだ。
     八ツ興野村の豪農三浦半三郎これを聞き、大いに感激し、酒肴美味あれば常に三士に贈ったという。
     ここで八ツ興屋の豪農三浦半三郎のことにふれなければなるまい。箱根戦争で敗れた佐藤桃太郎けじめ9士は同村林高院にかくまわれた。藩では、半三郎にその三度の食事を給することを命じた。半三郎はもともと義侠の人で情けの深い人であった。
    彼はすすんでそれを引きうけ、諸士を厚遇した。
     明治2年2月22日、酒田民政局長官西岡周碵より三士は酒田に呼び出された。八ツ興屋の人たちは、三人は恐らく死罪になるだろうと話し合った。半三郎は紋服を新調して三人に贈った。林高院の住職、半三郎はじめ村人は別れを惜しみ、最後の別れをして鶴岡まで見送った。
     酒田では、木屋町佐藤九郎石エ門という醤油屋に宿をとった。
     九郎石エ門では、一家あげて親切にしてくれた。西岡民政局長は三士に対し、降伏を強くすすめたが、却って三士は薩長を痛烈に攻撃し、応ずる気色が少しもなかった。
     同年3月14日、民政局では松山藩に三士の預りを命じ、三士の措置については中央政府の指示を仰ぐことにした。
     松山藩では、藩士斎藤弥石工門の桑山別荘(今の松山中学校の辺)を借り三士を収容した。4月になって漸く中央政府の指示が出た。その間、松山藩では毎晩食膳に酒を添えてもてなした。八ツ興屋の人たちも時折食べものを待って見舞いに訪れたという。
      --中略--
      時既に三士即ち佐藤桃太郎、天野豊次郎、関口有之助の斬首の刑は決まっていた。先に三士は切腹を申し出たが許されなかった。そのための酒田への呼び出Photo_2しであった。三士は出発に先立ち、夫々辞世の詩をものにしている。
     守節男児長若斬
     棄生取義復何疑
     一朝身命成灰土
     千石留名在此時
     これは桃太郎の辞世の詩である。男子の面目まことに躍如たるものをうかがうことができる。
     三士が酒田刑場(現酒田西高校前)に着いたが先方の準備が整っていなかった。刑場には竹やらいが設けられ、周囲は黒山の人だかりであった。しばらく三人は平常のように談笑して時の来るのを待っていた。--後略--
    --------------------------------
    酒田刑場
     酒田刑場は、旧・酒田西高校近くの酒田市北新町7番12号付近にあった。
     ここでの最後の処刑は、ここで紹介した「庄内三烈士」だった。
     処刑は明治2年4月21日行われた。
     今町の刑場跡には受刑者の霊を弔う地蔵があり、首切り地蔵と呼ばれていたが、明治35年、「善導寺」境内に移され、現在は赤子(せきし)地蔵と名づけられ、子供たちの成長を願うお地蔵さまとして信仰を集めているという。
     また、処刑前に宿とした米屋町の九郎右衛門は、自分の菩提寺の林昌寺境内に髭髪(しゅはつ)碑(遺髪を埋めた碑)を建立して、3烈士の御霊を弔っている。

     処刑後、三浦半三郎は3人の首を掘り起こして鶴岡林高院に墓を建てた。
     桃嶽院殿誠忠義心居士(佐藤桃太郎)
     義豊院殿忠山良勇居士(天野豊三郎) 
     賢明院殿精勇英了居士(関口有之助)

    鶴岡の処刑場
     キリシタンが弾圧された江戸時代初期には、庄内藩でも1626年に200人以上の切支丹が追放され、1629年に鶴ヶ岡髪谷地刑場で10人、酒田刑場で10人、鶴ヶ岡大山刑場で5人が、火あぶりや斬首によって処刑されたとの記録があるが、正確な場所は不明だ。
     一番可能性が高いのは、赤川河川敷とされる。
     藤沢周平も漠然と記載していた。

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    2010年9月 9日 (木曜日)

    「水争い」の歴史と土地改良区

    Yuza_4

     庄内平野は日本一の米どころだが、単に広大な農地の存在だけでなく、田圃の隅々まで農業に適した用水が流れ、治水と利水が徹底された地域でもある。
     その陰には「土地改良区」のご苦労がある。

    水争いの歴史と土地改良区
     庄内平野に限らないが、国内の人口が増加するに連れ食料不足が深刻になった。
     それを補うために、各地で新田開発が奨励され農地は拡大するが、必ずと言っていいほど水不足と水争いが発生した。
     四文字熟語の『我田引水』は、「かってに自分の田に水を引く」という意だが、この言葉の背景には水不足と水争いの歴史があった。Image0037
     この我田引水は死罪とされ、それほど水源の維持管理は重要だった。
     ただ、水争いは米作りが始まった弥生の昔からあったそうで、特に平安の「荘園」の時代に顕著になり、この「荘園」の土地と水を護るために武装した武士が誕生した。
     これが武士団として組織され、更に国盗り合戦の戦国時代につながったとみていいし、今も昔も水を治める者、つまり治山治水が為政者の条件とされる。
     
      さて、現代社会では、不必要な争いは防ごうとする工夫がある。Mw147031
     それは戦後、「土地改良法」が施行され、農地や水の管理を目的に「土地改良区」が組織され、更に土地改良法施行令により、村々や地域からの総代などの話し合いで、水争いなどを未然に防止する制度が誕生した。
     この土地改良区は、「水土里ネット」(みどりネット)という愛称で呼ばれ、
     山形県遊佐町の土地改良区は「月光川土地改良区」といい、10年ほど前から「水土里ネット月光川」という愛称で呼ばる。http://www15.plala.or.jp/gakkougawa/
      今回、「水土里ネット月光川」を紹介するのは、関係者に親戚、友人らが多いこともあるが、その業務や重要性が世間にあまり知られていないこともある。

     「水土里ネット月光川」のホームぺージに、簡潔にまとめある。

    ■「土地改良区」の仕事はどんなことをしているの
     土地改良区は、川やため池から水を引き、農家の人たちが農業に使う水(農業用水)を、安定的に送ることを主な仕事としており、農家の人たちによって組織されている団体です。
     農業用水を安定して配分するためにさまざまな施設の整備をおこない、それらの維持管理をとおして、地域の「水」と「土」を守ってきた歴史をもっています。
     農業基盤の整備にあわせ生活環境の整備も進められ、土地改良施設は農家の人たちの財産だけではなく、地域の共有財産として大きく位置付けられてきております。
     土地改良区では、農地農業のもつ能力をもっと活用し、「水」と「土」にかかわる地域資源の管理を通じて、美しい自然環境にマッチした豊かな「ふるさと」づくりに組織をあげて取り組んでいきます。

    ■「月光川土地改良区」所在地
      山形県飽海郡遊佐町遊佐字京田36番地Midorinet_ty

        年   度

    項       目
    昭和26年 遊佐町土地改良区設立
    昭和27年 吹浦、高瀬土地改良区設立
    昭和30年 稲川土地改良区設立
    昭和37年 月光川土地改良区設立
    昭和40年 遊佐町土地改良区に合併
    昭和44年 月光川土地改良区に名称変更

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    2010年9月 8日 (水曜日)

    米俵の蓋「せんべし」作り

    Senbesi

     近所のスーパーに米俵が飾ってあった。
     思わず立ち止まり、久しぶりにワラの感触に触れながら、しげしげと見てしまった。
     連れに、俵の蓋を示して「この名前知っているか」と聞くと「知らない」と言う。
     「せんべし知らないのか」と言うと、藁で作った似たような座布団なら知っているという。同郷でも、数年、歳が違うとこんなものかと思う。

     この米俵の蓋の正式名称は知らないが、庄内弁では「せんべし」と言った。お菓子の「せんべい」と言葉も形も似ているので、語源に何か関連しているのかも・・・・・。
     それとも、「散米止サンベイシが訛ったものか、細かいことは不明だ。
     
     この「せんべし」を使った米俵で、米を供給していたのは、昭和40年頃までだったと思う。その後は、「麻袋(またい)」で供給したはずだ。

     我が家の田圃保有は1町8反程度の零細だったが、それでも概ね200俵分の俵が必要だった。つまり、米俵が200枚、「せんべし」は、倍の400枚が必要となる。
     米俵編みは母や祖母が担当し、この「せんべし」は小学校低学年当時から小生がよく手伝った。
     「じょんだの」とおだてられながら、腰を曲げて懸命に作ったものだ。
     大抵、夕食後の2時間程度の片手間仕事だったが、一晩に10数枚づつ作った時期があった。0018l
     どこの農家にも15畳程度の土間があり、そこには藁打ち石が据えてある。土間は、餅つき、味噌作り、納豆作り、そして、俵編みなどの農家のちょっとした工場空間だった。
     「せんべし」を作るには、藁打ち石と藁打ち杵で叩いて、ある程度柔らかくする必要があった。腕力がついたのは、子供当時からのこのような作業があったからと思う。
     そして、大きさ形を均等にするために、円型の板で大きさを決めながら作る。
     きっと、今でも作れるだろうが、東京では藁など見たこともない。
     あと、縄をなったり、ワラ草履やワラムシロも作ったことがある。
     当時は、自給自足に近い生活だったが、けっして心まで貧しくはなかった。
     最近は物が有り余っているが、心まで豊かにはなっていない。

    桟俵(さんだわら)
     どうも、さんだわらと呼ぶようだ。
    http://sagami-oodako.at.webry.info/200611/article_2.html

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    2010年9月 7日 (火曜日)

    面白地名・山形県遊佐と遊佐姓

    P_6b

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     かつて「遊佐」さんという同僚がいた。案の定、宮城県鳴子町の出身だった。
     年齢は当方より10歳も上だったが、出身地名関連から親しくさせていただいた。
     鳴子町には「遊佐」姓が多い。また、「こけし」でも有名な町だ。

     宮城県鳴子町と山形県遊佐町は、遊佐姓のルーツが遊佐町にあることから平成4年姉妹都市を締結している。この「鳴子町」も現在は、隣接町と合併し「大崎市」と町名を変更したが関係は続行しているという。

     これまで「遊佐姓」の人に接した経験は少なく、それ程多い姓とは思えない。
     それでも馬術の神様・遊佐幸平、歌手の遊佐未森、ライフセーバーの遊佐雅美らを思い出すことが出来る。ただ、この方々が鳴子町出身とは限らないが、きっと縁が深いと推測する。面白いことに、遊佐町には「遊佐姓」が一軒もないと言われるが、それでもシッカリと地名に残るのだから、相当に強い基盤があったのだろう。

      「遊佐氏」が遊佐に館を構えていたのは10世紀初期、現在の遊佐町小田原大楯で、遊佐高校と遊佐中の中間辺りとされる。
     地名も「大楯」、「御所ノ馬場」などと、その名残を強く感じさせるものがある。
     官道の駅も、この辺りにあったと推測され、乗り継ぎ用の馬10匹を置いたと伝えられるが、ここの御所ノ馬場で飼育していたのだろうか。

     平安時代後期には「荘園」が全国に広まる。
      この「荘園」は奈良・室町時代当時、貴族や大きな神社・寺院が 私有していた土地の事で、全国に4千近くあったとされ、武士の発生は「荘園を護る」ためとされる。
     庄内平野には、大泉(武藤氏)、海辺(あまべ)、遊佐の三カ所の荘園が12世紀ころまでに成立したとされる。「大泉庄」は赤川流域と京田川南側辺り、「海辺庄」は最上川南の余目辺り、そして「遊佐庄」は最上川北から遊佐辺りまで及んだという。
     遊佐庄の「遊佐太郎繁元」も、武士の始まりの一人のようだ。

     前後してしまったが、鳴子町に「遊佐姓」が多いのは、遊佐氏は南北朝時代に、大泉庄の武藤氏(大宝寺・大梵字氏とも呼ばれる)に敗れて宮城県鳴子町辺りに落ちのびたからという。「大宝寺」は衆徒5千の大寺だった。後の庄内藩につながる。

     以降は、松本良一.菅原伝作著「遊佐ゆかりの人々」の“大楯の楯主「遊佐太郎繁元」”を引用させていただく。
    --------------------------------
    大楯の楯主「遊佐太郎繁元」

     十世紀の始頃から地方の土豪が開拓した土地を守る為に、中Image0039央の権力家に寄進し、自らはその庄司(※荘園を司る役人)となった。
     遊佐庄は遊佐氏が月光川の流域を中心に開拓してこれを関白家・藤原氏に寄進したものであろう。
     後三年の役が終って奥州は、平泉藤原氏の時代になったのが寛治元年(1087)、藤原忠実が関白となったのが東和元年(1099)のことである。
     この忠実の頃から遊佐庄の増税問題がおこって奥州の藤原氏に交渉を開始していることが忠実の子頼長の「台記」という日記本に書いているそうである。
     十世紀の始に出来た延喜式に遊佐は、仙台多賀城より秋田に通ずる駅路になっておるので、遊佐氏は遊佐の地名から庄司がこれを名乗ったもので全国にある遊佐氏はここより出ているといわれておる。
     保元の乱後、遊佐荘は形の上では後白河法皇の荘園となっておったが奥州平泉藤原氏の保護を受けておった。
     文治五年(1189)の源頼朝の平泉攻撃には藤原泰衡は田河太郎行文をして出羽を守らせたが破れておる。
     この時出羽の土豪が多く討伐されたようだが遊佐氏の名はない。
     遊佐太郎繁元は、頼朝の家来になった出羽の守護武藤資頼の臣となり、五町野(田川郡新堀)を治めており、子孫がその職をついで遂に川北全体を遊佐郡と称するようになった。
     「嘉禎三年ゆざ殿断絶。其年太宝寺にゆざ殿とられ候-石黒家記-文正の年(1466)洪水にて川北水に浸ること7日、東禅寺破壊す、遊佐太郎繁元亀ケ埼に移して酒田城となす」と庄内物語にある。
    -------------------------------
     ※『荘内物語』は庄内藩士・小寺信正が享保年代(1715-1724年)にまとめたもの。庄内の地名は、「庄内は大泉荘の内たることに由来する」が定説としている。

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    遊佐町・歴史・観光・見所
    遊佐町概要: 遊佐町は鳥海山と繋がりの深い地域です。遊佐町には鳥海山山頂の大物忌神社本宮を始め、吹浦口之宮蕨岡口之宮があり古来から信仰されてきました。特に鳥海山は活火山だった為、たびたび噴火を繰り返し神の山として考えられ朝廷や幕府などの権力者からも崇敬されました。中世には神仏混合となり多くの修験者が遊佐町周辺に集まり、杉沢熊野神社では「杉沢比山」と呼ばれる神楽を伝承するなど独自の文化が伝わっています。又、遊佐町は古くから開けていた地域で、延喜式で記されている「駅」や「吹浦湊」があり出羽国府(城輪柵)と秋田城秋田市寺内)を結ぶ重要な役割を持っていたと考えられています。平安時代からは「遊佐荘」と呼ばれる荘園が置かれ延長5年(927)の記録では荘園主に遊佐太郎繁元、繁光の名前が記されています。その後遊佐荘は平泉(岩手県平泉町)に本拠がある藤原基衛、久安4年(1148)には摂関家である藤原頼長へ所領が変わっています。江戸時代に入ると庄内藩に属し、秋田から新潟にかけての羽州浜街道が整備されると藩境付近にあった女鹿集落に番所を置いて人や荷物の管理をしました。松尾芭蕉も「奥の細道」行脚の際、遊佐町を通り象潟へ訪れていて元禄2年6月15日に吹浦に一泊し難所だった三崎峠で難儀したことが曽良日記に記されています。戊辰戦争では庄内藩は奥羽越列藩同盟に組した為、政府側に回った秋田藩と矢島藩と交戦状態となり三崎峠は戦場となり双方に犠牲者がでています。

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    マスコミ支持とネット支持率の違い

     9月14日に投開票が行われる民主党代表選は、どっちが総理に相応しいのか。
     それとも、どっちも相応しくないのか。Canvas1
     どうでもいいが一応注目している。

     この菅直人総理(63歳)と小沢一郎前幹事長(68歳)の一騎打ちに関して、マスコミやネット上で「管vs小沢、どちらを支持する?」と世論調査が熱心に行われている。
     しかし、マスコミネット調査の、結果に差がありすぎる。

     9月6日付けの読売新聞では、菅氏66%、小沢氏18%、と菅総理圧勝を報じている。
     ところが、ネット上の「民主党代表選、どっちが勝つ?」では、小沢一郎前幹事長69.6%、菅直人総理30.4%と全く逆の数字がでている。(※下段に掲示)
      どちらが本音かは断言できないが、ネット上には、大手マスコミ報道を良しとしない輩の存在も事実だろう。
     これに対して、『ウェブはバカと暇人のもの』著者・中川淳一郎は、「マスコミ報道を『マスゴミの捏造報道』と言いたいがために、新聞やテレビ各社の世論調査と反する投票をすることはよくある。ネット上の数字をあまり鵜呑みにしない方がいい」と見ている。

     果たしてそうだろうか
     殆どのマスコミは、これまで、小沢一郎を叩くだけ叩いて、雑誌・新聞を売り、テレビの視聴率を上げてきた。とにかく「小沢だけは総理にしたくない」という報道が見て取れる。
     まず、支持率の差をしつこく報道して、「総理はこの人しかいない」とする、典型的な印象操作が続いている。このような偏った宣伝行為を、民主主義の言論の自由を利用した「悪質なプロパガンダ(propaganda) 」と言うのでないのか?。

     支持率の調査方法にしても、各社の方針として、小沢一郎を総理にさせたくないという、意地汚さが根底にあっても可笑しくない。
     そうでなければ8月31日の新聞報道にみられた、共通した的はずれ報道にはならないはずだ。
     「小沢氏不出馬強まる」(毎日朝刊)、
     「小沢氏不出馬で最終調整」(夕刊)、
     「小沢氏不出馬で調整」(産経)、
     「対決回避へ調整大詰め」(日経夕刊)、
     「小沢氏 代表選不出馬も」(読売朝刊)、
     「菅・小沢氏 対決回避へ調整」(夕刊)
     「小沢氏と対決回避も」(東京)
     などとこんな調子だ
     小沢一郎氏の出馬の意志は、現場の記者達は空気を読みとっていたはずなのに、各新聞社の方針として、このような共通した見出しになったものと見ている。

     思えば、小沢一郎も長年マスコミの格好の餌食にされた人だ。
     もちろん、それなりの理由はあった。それでも、
     マスコミは、何か気に入らないと一斉に申し合わせたようにキャンペーンを張るところがある。このアリ地獄のような執拗な報道にはまった人達は、最近ではライブドアの堀江貴文、ボクシングの亀田兄弟、占いの細木数子、大相撲の朝青龍、作曲家の小室哲哉、そして野村沙知代、沢尻エリカ等々がいる。
     果たして、小沢一郎のマスコミからの復権はあるのだろうか。 

    民主党代表選、どっちが勝つ?」

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    2010年9月 6日 (月曜日)

    民主党代表選まで残り一週間。

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     昨日9月5日(日)は、大阪・梅田で民主党代表選の立ち会い演説会が行われた。
     聴衆からは「小沢コール」が鳴り響いたそうだ。その様子を横で見ていた菅直人総理大臣は顔色無しだったという。
     「クリーンだが何も出来ない菅か」、「ダーティだが
    何かやりそうな小沢か」
     民主党の有権者は、何を見て投票するのだろうか。
     民主党が政権を担当して約一年、経済をどん底に落とし、世界中からは信用を失墜している。

     国民の多くは単に、目先の見映えの良さや手当てなどの甘い補助金目当てで票や支持率が動いている。自分の家、地域に補助金が来れば、それで満足する。人のことは関係ない。
     これが民主党の支持者層のようだ。
     「日本経済の衰退」は日本国内だけにとどまらず、日本の貿易相手国や経済援助を待っている国々にとっても打撃が大きCrslpnkmい。
     きっと、多くの国々で日本経済の早い立ち直りを期待しているはずだ。

     さて、次の総理大臣がどっちになっても、大胆な景気浮揚策を打ち出すことが出来るのかだ。民主党政権は頼りなく期待薄でも、衆議院でとんでもない議員数を占めている以上は、なんとかして欲しいと期待せざるを得ない。


     毎週月曜日発売の「週刊現代」・「週刊ポスト」、今回も、政治記事に力が入っている。
     タイトルを読むだけで、概ねの内容が想像がつく。 
     今週号は、どこかの本屋で立ち読みにするか。


    週刊現代 2010年9月18日号http://online.wgen.jp/
    代表選、総理がまた替Mokujiわる/もう止まらない、小沢一郎総理大臣 
    ○小沢×菅「これが最終的な票読みだ!」
    ○ああ菅直人、そして誰もいなくなりそう
    ○鳩山由紀夫、あなたはもういいから
    ○本当に小沢総理でいいんですか
    ○菅も小沢も鳩山も、もはや害悪でしかない
    ○太田和美「小沢先生はいい人なんです」
    ○小沢と菅、あなたならどっちを選ぶ?
    ○民主党もおかしいけど、この暑さもおかしい

    週刊ポスト 2010年9月17日号
     
    http://www.zassi.net/mag_index.php?id=51
    小沢総理の「(新)日本改造計画」Photo_2
     7年前から秘かに書き進めていた驚天動地の「革命計画書」をスッパ抜く 
    ○しょせん学生運動上がりの菅政権
            「内ゲバ代表選〈ここまでやるか?〉」
    ○今週の仙谷官房長官は醜聞の犯人捜しと“辞令”乱発で大忙し 
    ○態度がデカイ総理大臣を待望する 
    ○大新聞の政治部記者よ、
     「あいた口がふさがらない」のはあなた方だ
      代表選、総理がまた替わる/小沢×菅「これが最終的な票読みだ!」
    ○態度がデカイ総理大臣を待望する

     

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    名庭師・山田挿遊と遊佐町

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     山形県遊佐町には、大きな庭がある屋敷が何軒かある。
     その代表的なところとして、遊佐町野沢上の渋谷八十郎家(元・町長)、遊佐町宮田の石垣茂左衛門家(もんぜぇん)」の庭をあげることができる。
     きっと、この町では両横綱と思う。
     野沢の渋谷八十郎家の庭は、大正時代の造園で我が家の祖母も娘時代に手伝ったと聞いた。一緒に訪問したとき、あの庭石もこの庭石も、モッコで自分が運んだと自慢していたが、嘘か本当か確認しようがないので、驚いてみせた。
     きっと本当だろうし、懐かしかったものと思う。
     ここでは、遊佐町宮田の「石垣茂左衛門家(もんぜえん)」のことに多く触れる。
     宮田は、「おくりびと」が撮影された月光川の「朝日橋」から約2キロ下流にある。
     かつては「宮田楯」もあった村で、「楯(城)」は石垣家のことのようだ。石垣茂左衛門家は月光川沿いにある大きな屋敷だが、この地に住むのは関ヶ原戦以後とされ「板垣河内守」を称したという。それが、いつ頃からか石垣姓を名乗ったとされる。
     父親は、祖父の生家を経由して遠いが親戚だと称して良く出入りしていたが、小生は昔、親を車で送って門前までしか行ったことがない。細かい関係は知らない。
     この屋敷には外から見ても分かるが、立派な庭がある。↑上の写真。
     この庭は、酒田の庭造り名人・山田挿遊(そうゆう)の作品だと父親が語っていた。

      山田挿遊は、明治の中頃、庭師として活躍した人で、文政元年生まれで明治29年に没している。挿遊こと山田市十郎は、通称「興屋の山」と呼ばれた酒田の浜畑に生まれ、「京都で修行し、50人からの弟子がいた」と語り継がれる、伝説の人だ。Itemfile701060801083742

      挿遊作の庭は、石垣茂左ェ門家のほかに、酒田・浜田の大地主伊藤四郎右衛門家の別荘「清亀園」、新井田川畔の加茂屋秋野家、八幡町(現・酒田市)前川の大滝勘太郎家などがあるが、中でも旧小山家別邸の「寄暢亭(きちょうてい)」の庭が一番評価が高いとされる。
     この「寄暢亭」は酒田駅から約500メートル「本間美術館」に隣接している。
     造園は明治23~4年頃で、昭和56年頃、小山家から「本間ゴルフ」所有Photo_2に移り、更に、数年前、東京の不動産会社に買い取られマンション建設計画の話があった。それを知った都内でも三元豚の「とんかつ店」で有名な、「平田牧場(ヒラボク)」(酒田市、新田嘉一会長)が買い取り、酒田市の文化遺産として残すという。
     いい話だ。

      挿遊作の庭で、今は見ることができない庭がある。
     明治14年(1881)、明治天皇が酒田に巡幸している。一泊するだけの、Gozasyo酒田行在所(あんざいしょ)を豪商渡辺作左衛門の自宅(現・酒田市本町3 丁目)に、屋上庭園を造るが、挿遊の一世一代の大仕事だった。
     残念ながら、今は右写真のように公園になっている。
     本当にもったいない話だ。
     一説には渡辺作左衛門は、これに資金を掛けすぎて釜けした(倒産)とされる。
     この行在所のことは、最初に本間家に最初に話しがあったそうだが、賊軍になった庄内藩に協力したからと、自ら断ったという逸話がある。Ee089b69646dc2d7a395164e7e795bc0
     
     石垣茂左衛門家のことから離れてしまったが、石垣家七代目・兵藏のことは藤沢周平の「義民が駆ける」の中でも紹介され、石垣家近くの「玉龍寺」の僧・文隣(ぶんりん)、遊佐郷・升川の佐藤藤佐(とうすけ)とともに、庄内藩転封阻止運動の中心となって活躍した。
     また、この屋敷には「真武館」という剣道場がある。
     この道場は、石垣茂左エ門家八代目・兵三郎が、明治15年、庭に道場を建て剣道師範を置き、近隣の師弟と武道に励んだという。
     同家の近年ことでは、当主・石垣直一(なおかず)氏は、山形県議会議長や遊佐町土地改良区理事長を務めていたことがあった。
     ごく最近の知識はない。↓下の写真。

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    Yuza_1

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    2010年9月 5日 (日曜日)

    民主党は問題だらけの政党だ!

     民主党は、極左などの支持母体はじめ実に問題の多い政党だ!!
     今日の読売新聞の社説では、「代表選の投票権 外国人にも認めるのは問題だ」が掲載されていた。この程度のことは、まだ小さい問題だと思う。
     社説とダブル点もあるが思いつくままに掲載する。
     これが、多くの国民から支持されているという政権政党の姿だ。「民主」という言葉にダマされているからと思う。

    ①:民主党には「綱領」も「規約」も無い極めて危うい政党だ
     政権奪取だけが目的の“野合の衆”と言われる。かつて、鳩山代表は国会で「綱領はないがマニフェストの中に具体案を書き込んでいる」と答弁していた。
     つまり、マニフェストが絶対の党で、この意味では小沢候補がマニフェストに拘ることには一理ある。綱領がないまま政権を担当するのは「ドイツ・ナチス」と民主党だけだ。581294
    ②:国旗「日の丸」を平気で切り刻む
     これは説明の必要はない。
    ③:野党時代と全く矛盾する政策を掲げる
     野党当時はアドバルーンを上げ国民を引きつけていた。左翼特有の闘争テーマだ。かつては「安保反対」「成田空港反対」等、現在は「沖縄基地移転」「原水禁反戦運動」などがある。
     しかし、政権を担当すると何も出来ない。基地移転も自民党案に戻したほか、国旗・国歌、死刑廃止等々沢山ある。マニフェストを含め信念を貫くことが出来ない。Hatoyamad7b6e
    ④:「外国人参政権」を推進する
     民主党は、外国人参政権、朝鮮学校の教科書無料化など、外国人、特に中国、朝鮮半島の顔色を見て活動している政治家が多い。
    ⑤:無断で他人を党員やサポーターに仕立てる
     徐々に新聞でも報じられているが、民主党は勝手に知った人を党員に仕立てる最悪の政党だ。それに、党員は年間6千円、サポーター年間登録料2000円が必要だが、誰が支払っていたのか。
     「登録料肩代わり」の疑惑がある。
    ⑥:民主党は外国人からが政治資金を受け取っている
     上の問題点とダブルが、「政治資金規正法」は外国人からの政党寄付を禁じているが、民主党では党員は年間6千円、サポーターは2千円を支払っている。
    ⑦:党員・サポーターに占める外国人数を公表しない
       例えば、在日中国人や韓国人を、組織的に党員・サポーターに仕立てれば、その国の意図した総理大臣が誕生することになる。
    --------------------------引用-----
    代表選の投票権 外国人にも認めるのは問題だ(9月5日付・読売社説
       http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100904-OYT1T01061.htm?from=y10
     民主党代表選は日本の政党の党首選びである。
     在日外国人にまで投票権を認めるのは、明らかに行き過ぎだ。
     民主党は、国会議員、地方議員、党員・サポーターに代表選の投票資格を与えている。
     その合計の1224ポイントのうち、党員・サポーター票は300ポイントと約4分の1の重みを持つ。選挙戦が激しくなれば、約5万人の党員、約29万人のサポーターの1票が、勝敗を決する可能性もあると指摘されている。問題は、民主党の規約が党員とサポーターの資格を「在日外国人を含む」と定めている点だ。
     憲法は公務員選定・罷免の権利を、公職選挙法は選挙権を「日本国民」にのみ認めている。政治資金規正法は、政党や政治団体が外国人や外国法人から寄付を受けることを禁じている。いずれも、日本の政治や選挙が外国からの干渉を受けるのを防ぐための規定だ。この趣旨に照らせば、政権党であれ、野党であれ、党首選の投票権を外国人に認めることは、きわめて疑問である。
     党員などの要件や代表選の仕組みは、政党自身が決めることではある。民主党は「開かれた政党」という考えの下、在日外国人にも門戸を開いていると説明する。
     しかし、政党は、国民の税金である政党交付金を受ける公的な存在だ。憲法や法律から逸脱することは無論、その趣旨を歪めるようなことがあってはならない。
     民主党は、党員・サポーターの中にどのぐらい在日外国人が含まれているかも把握していない。選挙管理があまりに杜撰過ぎる。
     枝野幹事長は先月、記者会見で「将来的にいろいろ検討しないといけない。国政に参加する要件は国籍で判断するべきだ」と述べている。代表選が首相選びに直結してようやく、この問題の重大性に気づいたのだろう
     自民党や共産党などは、日本国籍を党員の要件としている。民主党も、党員・サポーターの資格を日本国籍の者に限るべきだ。
     党員・サポーターには、永住外国人への地方選挙権付与を期待する在日韓国人が少なからずいるとみられている。
     菅首相と小沢一郎・前幹事長が党を二分する選挙戦を演じる中、党員・サポーター票の獲得を目当てに、両氏やその支持議員が、この法案の成立を競って約束するといった展開になれば、国の基本を損ねることにもなる。民主党は、早期に是正措置を講じるべきだろう。

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    2010年9月 4日 (土曜日)

    押尾学の事件から刑法を学ぶ

     押尾学の事件は、刑法や裁判員制度、それに違法薬物の恐ろしさ、堕落24した日本人の姿を学ぶ良い機会だと思う。
     違法薬物使用は、何も押尾だけではない。「違法薬物天国日本」と言われる国の代表が「押尾」と言うことだ。以前、「大麻・覚せい剤など、276万人が経験か」との報道もあったが、実際はもっと多いはずだ。この事件は、名前が知れた男が関係した女が、たまたま死亡したから騒いでいるだけだろう。
     押尾は女性が死亡していなかったら今も続けているだろうし、他の何百万人もの違法薬物使用者は、何食わぬ顔して今日も使っている。

     去年の2009年8月2日午後、一緒に合成麻薬を服用して容体が急変Imagesした女性を放置して死亡させたとして、保護責任者遺棄致死、違法薬物MDMA使用など4罪に問われた元俳優、押尾学被告(32)の裁判が注目されている。
     この裁判は判例になる可能性もあるとされる。
     裁判は、2010年9月3日東京地裁(山口裕之裁判長)、裁判員6人、補充裁判員(予備員のような方で審理に立ち会わせることが出来る)3人を選任し開かれた。押尾は初公判で、「私は女性に合成麻薬を渡していないし、放置もしていないので無罪です」と述べ、起訴内容の一部を否認したという。
     評議を含め8日間の審理を経て、17日に判決が言い渡される。
     
     この押尾学の事件から、刑法を少し勉強してみようと思う。
    きっと、今回裁判員に選ばれた方々は、最低限この程度の勉強をしたはずだ。
     犯罪とは「犯罪構成要件に該当し、有責かつ違法な人の行為である
     ここで、「違法性、有責性、人の行為」については触れないが、
     刑法218条:保護責任者遺棄罪・不保護罪の「犯罪構成要件」である、「その生存に必要な保護をしなかったときは」の箇所が徹底的に審議されるはずだ。

     まず最低限、刑法理論上の、「不作為犯」とは何かを知る必要がある。
     不作為とは「本来何かをすべきなのに、しなかった」ことで犯罪が成立する場合を言い、「不作為犯」は、「真正不作為犯」と「不真正不作為犯」に区分される。
    真正不作為犯
     刑罰法規が不作為を予定している犯罪で、法文には「○○しなかったときは…」などと規定される。例えば、不退去罪(130条)、保護責任者遺棄罪(218条後段)など。
     この事件の場合、「助ける立場にあるのに、助けなかった」ということだろう。
    不真正不作為犯
     構成要件上作為を予定している犯罪を、不作為で成立する場合をいう。
     例えば、交通事故で重傷を負わせ病院に運ぼうと、一旦車内に引き入れたものの死んでも構わないと思って路上に放置し死亡させた場合は、殺人罪(199条)の不真正不作為犯が成立し得る。当方は「まぎらわしい」場合と勝手に解釈しているが・・・・。
    ---------------------------刑法条文--
    ■刑法第217条:遺棄罪
     老年、幼年、身体障害者又は疾病のために扶助を必要とする者を遺棄した者は、一年以下の懲役に処する。
    ■刑法218条:保護責任者遺棄罪・不保護罪
     老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは3年以上5年以下の懲役に処する。
    ■刑法219条:遺棄致死傷等の罪
     上述の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断される。
     (※本罪は遺棄罪及び保護責任者遺棄罪の結果的加重犯であり、遺棄の時点で
      殺意があれば、死について故意がある以上、殺人罪が成立するというもある)
    ---------------------------------
    起訴状によると
     押尾被告は平成21年8月2日午後5時50分ごろ、東京都港区の六本木ヒルズの一室で、一緒にMDMAを服用した田中さんがけいれんを伴う錯乱状態に陥り、午後6時ごろには急性MDMA中毒症状を発症したにもかかわらず、救急車を呼ぶことなく放置し、午後6時47分ごろから同53分ごろの間に、田中さんを死亡させたなどとされる。

    死亡時の状況の証言
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100903-00000577-san-soci

    裁判長:「検察官が言われた事実について、あなたの言い分はどういうことになりますか」
    被告:「私が泉田勇介さん(麻薬取締法違反罪で懲役1年の実刑確定)からMDMAを
     譲り受けたことは認めます。しかし、譲り受けたのは(起訴状記載の)錠剤10個ではなく、小さなビニール袋に入った粉末です。大きさは分かりません」
     「私が田中香織さんにMDMAを渡したことはなく、無罪です。私が起訴状記載の日時場所で、田中さんとMDMAを服用したのは認めますが、これは田中さんが持ってきたものです」「起訴状記載の死亡時刻も午後6時47分から53分の間ではなく、もっと早い時刻です」、「田中さんの容体の変化について、私の記憶とは違います。田中さんはまず、ベッドの上であぐらをかき、ブツブツと独り言を言い始めました。私が『大丈夫か』と声をかけると、返事をしてくれました。それが数分、長くても10分続いた後、田中さんは突然歯を食いしばった 表情になり、こぶしを握りしめて上下に動かし、あおむけに倒れてしまいました。目は半目のような状態でした。息もしていないし、脈も止まっていたので、人工呼吸や心臓マッサージを繰り返しましたが、生き返りませんでした」
     「私は田中さんにMDMAを渡していないので、保護責任はありません。救急車を呼ばなかったのは認めますが、MDMAの発覚を恐れたからではありません。田中さんがベッドの上であぐらをかき、ブツブツと独り言を始め、会話もできたので、私は生命が危険だと思わず、少し休めば元に戻るだろうと思い、救急車を呼ぶことを考えつきませんでした。その後、あおむけに倒れ、息をしていないし、脈も止まっていたので、人工呼吸や心臓マッサージを繰り返し、何とか蘇生しようとしましたが、その甲斐なく蘇生しませんでした。私は田中さんを放置しておらず、無罪です」(抜粋)
    裁判の争点
    (1)検察側は、田中さんに異変が起きてから死亡するまでに約1時間あったとみており、「すぐに救急車を呼べば助かった可能性があった」と主張する方針。
    (2)弁護側は「被害者がMDMAを持ち込み服用したので被告に保護責任はない」、「死亡時刻も容体急変からあっという間だった」。119番しても救命は不可能と主張。
    ポイント
      押尾学の行為(不作為)は、「生存に必要な保護をしなかったこと」(不保護)になるのかが問われている。1
     「薬物は誰が持って来た。押尾は女性が持って来たと主張」、
     「以前、他の交際女性とも薬物を使用している」、
     「午後6時ころ様態が急変したとき救急車を呼ばなかった」、
      「死亡時刻を午後6時47分から53分ごろと認定している」、
     「マネージャーに身代わりを依頼した」、
     「押尾は蘇生措置をしていたと主張している」、
     「押尾は部屋を出てヒルズ内のそば屋で昼食を取り、部屋に戻っている」、
     「救急車が到着したときヒルズ内の別の部屋でMDMAを体内から抜く方法(証拠隠滅)を模索していた」
     などの行為で適用条文が変わることも推測されるが、いずれも不作為による罪となる。誰も見ていない密室の犯罪を、検察側はどのように証明し、弁護団(男3、女1)はどのように弁護し、これを裁判員らがどのように判断するのかが注目される。
     きっと、裁判員の人達は、押尾被告の嘘つきぶりに呆れるだろうが、心証の善し悪しは別にして、裁判では被告は嘘を付くことも権利とされる。Noguti_1

    ■事件発生日時
      平成21年8月2日午後
    ■事件発生場所
      港区六本木6丁目「六本木ヒルズレジデンスB棟」2307号
      所有は、PJ野口美佳(44)が提供していたやり部屋との噂
    ■押尾学被告  1978/5/6生、血液A型、東京都出身、
      多摩市内、小田急多摩線、唐木田駅から徒歩3分のマンション50d736f7
    ■追起訴罪名
      刑法第219条 保護責任者遺棄致死罪他 
    ■被害者
      銀座8丁目クラブ「ジュリア」ホステス
      死亡 田中香織(源氏名・麗城あげは)昭和53年生まれ、
      岐阜県飛騨市神岡町、飛騨高山高校卒
    ■「女性は30分生きていた」と押尾被告が供述
     押尾被告は、平成21年8月2日「女性は午後6時15分ごろからけいれんし泡を吹き始め、6時50分ごろ動かなくなった」と供述。容体急変から30分以上は生存していたとみられ、この間に押尾被告が119番していれば、女性が助かった可能性があるとみて、保護責任者遺棄致死などの疑いで捜査を進められた。
     当日、押尾被告は8月2日午後2時半ごろ、六本木ヒルズに被害者女性を呼び出し、二人で合成麻薬MDMAを服用。薬物服用の目的?、それ意外になにがある。
     女性は午後6時ごろから体調不良を訴え、
     同6時50分ごろには呼吸が停止した。押尾被告は心臓マッサージなどの蘇生措置を取ったが、同9時19分に119番をしたのは、駆けつけた友人だった。
     救急隊到着時、押尾被告はヒルズ内の別の部屋でMDMAを体内から抜く方法を模索していた。6_1
    重要参考人
     ○
    泉田勇介(32)
      麻薬取締法違反罪で懲役1年の実刑確定
      押尾学と泉田勇介は、MDMAを「アミノ酸」という隠語で連絡を取り合っていた。
     遠藤亮平(28)
      元エイベックスの社員でマネージャー2_0
     押尾は遠藤亮平被告に自分の身代わりを依頼した。
     遠藤は中央大学時代は応援団長だったという。
    予測される実刑
     執行猶予中の麻薬取締法違反(使用)の懲役1年半を加えた併合罪となる。保護責任者遺棄罪だけなら実刑は2年位、合わせて3年半。
     保護責任者遺棄致死が問われれば実刑は8年前後で合わせて9年半と予測される。
     もちろん、無罪の可能性もあるとされる。
     果たして、裁判員の皆さんはどう見るか。
    裁判員が余談や偏見を排除する難しさ
     「押尾学という男はいいタマだ。芸能界そして被害者を含め、こんな男をチヤホヤする男も女も、そしてフアンも皆似たり寄ったりだと思う。」
     押尾と付き合いのない当方が下した、このような評価は、マスコミ報道によって植え付けられたものだが、このような事前の知識が裁判員にとって邪魔になる。しかし、この事件は、名前の知られた男の社会的反響の強い事件であり、新聞・テレビなどの報道から、いろんな形で知らされ各々の意見を持っている。
     裁判員制度は、このような情報をある程度知っている人の中から、突然、裁判員に選ばれ驚くことになる。
     今回は弁護人から、「報道されている押尾被告のイメージにとらわれないで欲しい」と異例の要望があったという。
     さて、裁判員は、余談を排除してどう裁くか注目される。
    ■「覚せい剤止めますか、人間止めますか
     覚せい剤は一生涯脳ミソに残ると言われ、一度覚えた快感は、脳みその欲望「性欲」に止まる。「止めたくても、止められない」。仮に止めたと言っても、猛烈な禁断症状に襲われる。逮捕されて懲役を受けても「止めた」という人は、10人に一人いないとされる。
    芸能人の薬物使用は氷山の一角

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    2010年9月 3日 (金曜日)

    山形ガールズ農場と国立ファーム

    M02main

     9月2日(木)午後6時30分ころから、日本テレビで「山形ガールズ農場」のことを紹介していた。15分位の放送だったが、ジックリ見てしまった。
     農業の新しい形だと思った。
      農業の安定した魅力づくりと、農家の嫁不足解消のためにも、このような娘達に焦点を当てることは大切だ。
     ※「山形ガールズ農場」のホームページhttp://www.kf831.com/girls/

      食料は人間の生命の維持は勿論、健康で充実した生活の基礎として重要である。
     よって、食料の安定供給は国家の基本的な責務であり、その食料安全保障の基本は農地と生産者の確保とされる。
     このような能書きは誰でも思いつくことだが、それでは誰が農家をやるかとなると、皆二の足を踏む。このような意味からも、山形県村山市大字大槇592番地「山形ガールズ農場」は意義があると思った。
     そして、誰が企画した農場なのか気になった。
     娘が学生当時、国立市にある「国立ファーム」の農家のことを話していたことを思い出し、帰宅した娘に「山形ガールズ農場」のことを聞くと案の定、「国立ファーム」の山形支部だと知っていた。詳しいので驚いた。Ganari
      創業者の社長は、高橋雅也(高橋がなり)が代表取締役を兼任している。青葉株式会社「国立ファーム」というそうだ。
     かつて、日テレ系で「マネーの虎」という、起業をアドバイスする番組があったが、ここで名が知られたのが「ソフト・オン・デマンド元代表取締役」の高橋がなり社長だった。
     なかなかのアイデアマンのようだ。
     詳しい実態まで知らないが、単純に「山形ガールズ農場」のような農場が、各市町村に一カ所づつでも出来たらと思った。
      「国立ファーム」ホームページ  http://www.noukanodaidokoro.com/top.html

    国立BBQファーム

    山形ガールズ農場

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    2010年9月 2日 (木曜日)

    悪質なプロパガンダ

     今日2日、木曜日発売の「新潮」、「文春」のタイトルも踊っている。
     このようなときは、突っ込みが甘いテレビや新聞より、週刊誌のほうが面白い。
     タイトルだけで迫力が十分に伝わって来る。今週は「新潮」を購読している。

     新聞、テレビは「菅直人×小沢一郎」の支持率の差から「国民の意思は決まっている」と強調するなど、菅陣営と一体となって、小沢一郎を権力とカネの亡者だと大衆を煽動している。
     つまり「総理大臣はこの人しかいない」とする、典型的な印象操作だ。
     このような偏った宣伝行為を、民主主義の言論の自由を利用した「悪質なプロパガンダ(propaganda) 」と言うのでないのか?。
     見ていて辟易(へきえき)する。気分が悪くなる。
     プロパガンダは、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する宣伝行為だ。
     いずれにしても、殆どのマスコミは小沢を首相にさせたくないという方針がありそうだ。これまで、さんざん叩いてきた小沢が政権をとったら、どんな仕返しを受けるか分からないと怯えているのだそうだ。

     しかし、客観的に見て、二人の力の差は歴然としている。
     早くも、小沢政権誕生を読んで行動を起こしている議員がいる。
     「小沢政権」が誕生すれば、「菅陣営」が反対に回るか、協力を拒否する可能性があるが、すると民主党だけでは人材が足りない。
     それを読んだ、鳩山邦夫元総務相は原口一博総務相らと会談し「野党の切り崩し」に着手しているという。実に動きが早い。
     また、小沢一郎は「政策重視の人事を行う方針」で、新党改革の舛添要一代表が同調する可能性や一部の自民党議員にも期待感を示しているという。しかし、「たちあがれ日本」とは「経済・財政政策が相いれない」と連携に否定的。
     これは、政界再編につながる動きだろうか。
     面白い9月になりそうだ。
     最近、器の小さい政治家が多い中、久々に「清濁併せ呑む」ことも知る機会になるのか。かつて、田中角栄の秘書・早坂茂三が、小沢一郎の力量を高く評価していたことを思い出す。これだけ、政治・経済など全てに閉塞感が続くと、豪腕・小沢一郎ならなんとかしてくれる」との期待が掛かるのは無理がない。
     四面楚歌の中、マイナスからのスタートとなるか
     少なくとも、無為無策の何も出来ない市民運動家出身総理よりは、好き嫌い別にして小沢一郎氏に徐々に期待は高まるであろう。
     中には、目糞鼻糞の次元という人もいるが・・・・・・

    ■「週刊新潮」……「民主」を黒煙の焦土にした「暴君」復活戦争
        http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/
    ▼憎悪と遺恨の代表選
     仲間を売って命乞いした「菅直人総理」
     代表選の敗北を予感した「菅総理」は「小沢一郎」に膝を屈し、丸裸の自分を支えてもらいたいと打診した。政治信条もなかまとの連帯も捨てさせられた権力闘争の全内幕。
    ▼呵々大笑い小沢一郎前幹事長完全勝利でも喉に刺さった骨
    ▼涙目仙石官房長官:激突能面前原国交省の恨みを晴らす日
    ▼しょせんチンピラの喧嘩と言い放った 渡辺喜美の支持率低下
    ▼民主党は政権を担うにはあまりにも未熟だ(矢野絢也)
    ▼無策の市民運動家より下品な「悪党」総理を(佐藤優)
    ▼国民不在の「無策民主党」の不甲斐なさ(櫻井よしこ)

     
    ■「週刊文春」……総力特集 「デタラメ民主党」実況ライブ!
      http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/
    3カ月前に政権の表舞台から姿を消した2人が、なぜそろって復権を目指すという話になるのか。首相時代の悪夢をくり返した鳩山と、出馬せざるを得なかった小沢。権力とカネの亡者がバッコする民主党の断末魔!
    ▼小沢と鳩山「ゾンビの大暴走」恥ずべき内幕
    ▼蓮舫行政刷新相 が怒った! 「小沢に宣戦布告」
    ▼小沢支持の議員に私とのポスターは使わせない。小沢さんが党を割るなら割ればいい!
    ▼山岡副代表はモーニングを新調 「おねだり議員」閣僚大予想
    ▼原口一博総務相&小沢鋭仁環境相
    ▼小沢一郎「巨悪の証明」
     1億2500万円のウラ金工作スクープ・レポート!
     「平成の政商」と「権力者」の宴 「ここまで来ればしゃべらなあかん」

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    2010年9月 1日 (水曜日)

    「新徴組」と山形県遊佐町の関係

     「新撰組」の兄弟組織「新徴組(しんちょうぐみ)」のことをご存じですか。
     「新徴組」を江戸の人は御回りさんと呼んだことが、お巡りさんの語源になっていることや「新徴組」隊士が山形県遊佐町と関係していることを紹介したい。

     関係した新徴組隊士は、越後国福井藩士中川清閑の次男で、「中川一」と言う。
     中川一は、明治になると江戸から鶴岡に入り、後に遊佐郷北目に居を構え、北目村の戸長になる。晩年は、吹浦の菅野(すがの)に移り、自宅に道場を建て剣道や薙刀を教えていたが明治25.8.11、70歳で没する。
     菅野に「高橋泥舟揮毫の墓碑が残る。
     長男・中川寅三は遊佐郷・高瀬村の村長となり、長女・は、遊佐病院「点字音譜の祖」佐藤国蔵先生の妻になった。

     実は、このことは「遊佐ゆかりの人々」を読み返すまで知らなかった。
     この本は、10数年前に父親が郷里から持参してきたもので、軽く目を通してはいたが、この箇所は記憶に留まっていなかった。
     松本良一.菅原傳作著 「遊佐ゆかりの人々」で、「中川一」の項目は遊佐町史編纂委員を務めた菅原傳作氏が担当し、遊佐病院の佐藤克也先生に取材したとある。

     まず「新徴組(しんちょうぐみ)」のことに触れると、京都守護職に就いた会津藩の元で活躍したのが「新撰組(しんせんぐみ)」で、こちらは有名過ぎるほど有名だ。Photo
     しかし、江戸市中取締りに就いた庄内藩の元で活躍した「新徴組」(約169名)は殆ど知られていない。
     新徴組も新選組も、山形県庄内町出身の清河八郎が結成した「浪士組」が母体。
     つまり兄弟組織となる。
     
     「新徴組」の屯所があった場所は、JR飯田橋駅から徒歩数分、千代田区飯田橋1-9-7先、目白通りの歩道に、「新徴組屯所跡T0_1の碑がある。かつて、徳川四天王・庄内藩17万石の江戸屋敷があった近くでもある。当時は外堀に「飯田橋」は掛かって無かった。

      
      幕末、薩摩藩の殺人、強盗、放火などのゲリラで江戸の治安が悪化すると、幕府は庄内藩に江戸市中取締りを命じた。
     当時の薩長は犯罪者集団だったのだ。
     京都守護職の会津藩同様大変な負担だったという。
     庄内藩は、更に江戸の護りの補助的組織として「新徴組」を充実させることになる。
     「新徴組」は1番組から6番組まで6組の編制で、各組は肝煎が一人づついて肝煎の下に小頭5人、小頭の部下は4人、つまり1組は肝煎以下26人の編制だった。
     中川一は6番組の肝煎だったという。
     因みに、新撰組1番隊組長・沖田総司の義兄・沖田林太郎は新徴組の小頭で、沖田総司の姉ミツと屯所で暮らしていた。また、中川一は、新撰組組長・近藤勇とも手紙をやり取りしていた形跡があるという。

      庄内藩預かり「新徴組」の活躍を、江戸の人々は、
     「酒井佐衛門様お国はどこよ 出羽の庄内鶴ヶ岡」、
     「酒井なければお江戸は立たぬ御回りさんには泣く子も黙る」、
     「カタバミはウワバミより怖い」(カタバミは酒井家の家紋) などとうたわれた。
     警察官を「お巡りさん」の愛称で呼ぶが、この御回りさん語源となったという。
     
     さて、江戸の街の維新(革命)前夜は、西郷隆盛指揮する薩摩のゲリラ約500人が、薩摩藩邸を拠点にして、殺人、強盗、放火などの犯罪行為で攪乱していた。
     この方法は共産革命と酷似していたと言われ、目標とした国をゲリラなどで人心を不安に陥れ、幕府(政府)への信頼を失わせ、治安や統治機能の混乱に乗じて、そこに革命支援国(薩摩)から軍隊を呼び寄せる方式をとった。
     「新徴組」は御回り中、ゲリラ犯人が薩摩藩邸に逃げ込むところを目撃する。そして、慶応3(1867)年12月25日、庄内藩と「新徴組」は共に「薩摩藩邸を焼き討ち」を実施するが、これが戊辰戦争の引き金になる。
     薩摩藩邸焼き討ちを取り上げた教科書などは、だから戊辰戦争が勃発したと一方的に庄内藩が悪いように教えるが、その前に、薩摩藩は悪事の限りを働いていたことであり、庄内藩は犯罪の取締り過程で焼き討ちを断行したことを間違えてはならない。

     いずれにしろ、薩長の挑発で戊辰戦争の火ぶたは切られるが、初戦の「鳥羽・伏見の戦い」で、幕府軍は薩長連合軍に惨敗し、将軍は恭順する。幕府軍が敗北すると「新徴組」は庄内藩士と共に庄内へ帰国する。庄内藩に編入された新徴組隊士は、湯田川の旅館や民家37軒に分宿、隼人旅館を本部として部隊を再編した。
     再編した新徴組は 慶応4年7月20日付で編成された庄内藩兵第四大隊に付属、秋田・矢島藩との戦い「椿台の戦い」等に従軍するなど、新政府軍相手に連戦連勝の奮戦をするも、最終的に庄内藩も降伏することになる。この余力を残して降伏した庄内藩に対して西郷隆盛は寛大な処置をしているが、その背景の一つに江戸市中取締りにあった庄内藩に、多大な迷惑をかけた反省もあったとされる。

      明治に入ると、庄内藩士約3,000人は松ケ丘の荒れ野開墾事業に着手、新徴組も参加するが、「新徴組」は関東周辺の出身者が多く、慣れない土地での開墾生活は苦痛を強いられ次々に庄内から脱走した。明治14年7月当時、開墾事業に着手していた名簿には、元新徴組の隊士はわずか11名しか記載されていないという。

     ようやく「新徴組」の隊士の一人「中川一」のことになるが、文政6年1823年生まれで越後国福井藩士として誕生している。天保9年1839年、16歳で武者修行を志し江戸に上る。楊心流柔術や新陰流剣術を修業する。楊心流柔術の戸塚彦右衛門が没後は京橋に道場を開いた。当時、清河八郎の献言で幕府の浪士を集めて、京都の勤王浪士を制圧する案が採用される。「中川一」もこれに応募している。
     ここからは、遊佐病院の元院長・佐藤克也先生の談となる。
     「中川一」は吹浦・菅野に移ると宅地に道場を建てて、剣道、薙刀を教えていた。
     長男・寅三は高瀬村の村長となり、長女・は、遊佐病院「点字音譜の祖」佐藤国蔵先生の妻になっている。

     遊佐町は人口15,594人(2010年7月1日)の小さい町だが、剣道場が「高瀬道場」、「さわらび道場」、「西遊佐道場」、「菅野道場(正式名不明)」、また宮田Kendo01の石垣茂左ヱ門家の「眞武館」など5~6箇所もある町で、当然、剣道人口が多い。
     当然のように剣道が強く、全国大会レベルで活躍している子供達が何人もいる。この基盤には中川一が造った剣道場があったことも、その一つと思っている。
     また以前、遊佐病院のレントゲン技士に中川先生がいたが、この関連も気になる。

     それから、なぜ気安く克也先生などと呼ぶかというと、当時、遊佐病院の医師は4~5人いたが、全員佐藤姓なので、街の人達や患者は下の名前で呼ぶのがImages普通だった。
     当方が怪我で通院していた当時は、この先生方の家族関係は分かっていたが、関係を聞くのは気が引けた。
     この程度の知識なので、克也先生が国蔵先生の孫なのかひ孫に当たるのかハッキリしない。
     最後に、「新選組」に比べ「新徴組」のことは知名度が低く、いずれ歴史から消え去る運命にあるかも知れないが、「新徴組」の隊士の一人が遊佐の町に色濃く血を残していることを知って欲しいものだ。

     鶴岡市居住の作家・佐藤賢一も「新徴組」を書いた小説が新潮社から発売されたようなので、この本も早めに読んでみたい。

    Photo

                                                                                                                                     
    山形県遊佐町・酒田市の剣道場(主なところ)
    高瀬道場
          
    代表者 菅原清作
          〒999-8523 遊佐町大字当山字福の中55-7
          電話 0234-72-2215
    真武館 代表者 石垣 伸
          〒999-8432 遊佐町庄泉後藤寺39松本俊洋方
          電話 0234-76-2328
    さわらび道場 代表者 阿曽 到
          〒999-8317 飽海郡遊佐町大字小松字丸川戸39
          電話 0234-72-3415
    西遊佐道場 代表者 綱渕和之
          〒999-8438 遊佐町大字比子字服部興野80
          電話 0234-75-3734
    本楯剣志会
          
    代表者 池田善彦
          〒999-8134 酒田市大字本楯字南広面3-9
          電話 0234-28-2283
    池田道場
          
    代表者 池田善彦
          〒999-8134 酒田市大字本楯字南広面3の9
          電話 0234-28-2283

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