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2010年8月30日 (月曜日)

吉村昭の歴史を究める姿勢

 歴史をねじ曲げて、面白おかしくすることは絶対に避けるべきだという。
 このことは、天台宗僧、小説家、参議院議員であった今東光が、吉川英治の「宮本武蔵」や「新平家物語」等の作品を「歴史をねじ曲げた小説だ」と強く批判していたことを思い出す。
 最近では、酒田市出身の佐高信氏が、司馬遼太郎の作品を「上から目線」「英雄史観」などと厳しく批判している。
 小説家は、売るために大衆に迎合した作品に仕立てる傾向があるのだろうか。
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 このような傾向を、作家・吉村昭氏は「回り灯籠」や「ひとり旅」で、歴史小説を書く場合は「歴史を究める」姿勢が大切なことや、「勝者の歴史」になりがちだ
 歴史は、勝者によって強引に形作られる
 勝者の声は威丈高で大きく、敗者のそれは甚だ小さい
 と指摘している。

  吉村昭(1927~2006)の作品は、高校当時の昭和42年「高熱隧道」や「戦艦武蔵」に関心が向いて以来、よく読ませてもらった。
 この方の、歴史小説を書く際の取材力や突き詰める姿勢は、他の追従を許さない。
 正に作家職人だと思っている。
 黒部の「高熱隧道」の舞台には20歳代に幾度も足を運んだ。 
 母方の大叔父が若い頃、この現場でトンネル仕事に従事しており、厳しさを聞いていたので、小説と聞いたことを自分の目で確かめたかった。
 
 また、同氏の作品で、山形県遊佐町に関連する『暁の旅人』がある。
 この小説は、「初代陸軍軍医総監」に就任する松本良順の生涯を描いた。良順は、遊佐町升川出身の佐藤藤佐(とうすけ)の孫となる。庄内藩士・本間友之助と共に、庄内に入ったこともある。尚、良順はポンペとともに長崎大学医学部の創設者でもある。父親は順天堂を作った「佐藤泰然」。
 「順天堂と遊佐町の深い関係」 でも紹介したが、近代医学に貢献した人達だ。

■吉村昭著「回り灯籠」に「勝者の歴史」という項目がある。
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 倒幕につくした武家は勤皇の志士として美化され、月形半平太、鞍馬9784480814852天狗といった架空の人物まで創作され、幕吏は無能であり人材は乏しかったとされている。
 そのような幕府否定は、多方面にわたっていて、国旗の日の丸が、薩摩藩の作り出したものという説すらある。
 しかし、日の丸は、江戸時代、幕府の御用船が必ずかかげていた船印で、幕末に洋式船を竣工した薩摩藩が、外国船と区別するために日の丸を船印としたにすぎない。
 幕末の外交史の史実にふれてきた私は、その折衝にあたった幕吏の優秀さに感心する。
 ねばり腰で巧みに交渉をつづけ、国益を大きく損うことのない結着にみちびいている。欧米列強の武力は強大で、そのような武力を背景にした外国の外交官によく渡り合えたものと思う。その叡智にみちた努力によって、武力がないに等しい日本が、植民地化されずにすんだと言える。
 歴史は、勝者によって強引に形作られる
 勝者の声は威丈高で大きく、敗者のそれは甚だ小さい
 そのため歴史はゆがめられ、修正されるのは、歳月という時間の流れにたよるほかはない。終戦後、その修正は徐々に椎し進められ、明治維新の真の姿がおぼろげながらも浮び出ている。
 テレビに採り上げられている新撰組などは、勤皇の志士を容赦なく殺戮する極悪非道の集団とされていたが、今ではそれが時代の要請にもとづいて行動した者たちとされている。
 原子爆弾投下によって終結したあの戦争も、勝者によって形作られた歴史の縄でくくられて、身動きすることもできないでいる。その歴史に客観的な解釈が下されるのは、百年後か、それとも二百年、三百年たってからか。

 

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