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2010年8月31日 (火曜日)

山形県・酒田や鶴岡の処刑場

 以前、東京付近、つまり江戸の処刑場に関して調べてみたが、山形県庄内地方、庄内藩当時の処刑場のことも気になった。
 調べると江戸時代までは、今の時代では考えられないような罪で、簡単に処刑は執行されていた。現代社会に当てはめるなら、犯罪者の半数以上が処刑場送りではないかと思う。
江戸時代の罪と罰一部
親への傷害→磔か死罪
主への傷害→晒し又は市中引廻しの上磔、死罪 Photo_2
尊属への傷害→死罪
師匠への傷害→死罪
殺人強盗 →市中引廻しの上獄門
傷害強盗→ 死罪
追はぎ→ 獄門か死罪
十両以上の窃盗→ 死罪
十両未満の窃盗→ 重敲の上入墨
空巣→重敲きの上入墨
普通の詐欺→窃盗と同じ扱い
依託品取逃がし→死罪
官名詐称→死罪
拾得物横領→過料


酒田の刑場
 酒田の刑場は、旧・酒田西高校近くの酒田市北新町付近にあった。
 ここでの最後の処刑は、幕末、官軍と戦った庄内三烈士といわれた、
 ○ 佐藤桃太郎(遊佐町升川、佐藤藤佐の孫)、
 ○ 関口有之助(岡崎藩士)、
 ○ 天野豊三郎(幕臣)
 の3人だった。
 今町の刑場跡には受刑者の霊を弔う地蔵があり、首切り地蔵と呼ばれていたが、明治35年、「善導寺」境内に移され、現在は赤子(せきし)地蔵と名づけられ、子供たちの成長を願うお地蔵さまとして信仰を集めているという。
 また、処刑前に宿とした米屋町の九郎右衛門は、自分の菩提寺の林昌寺境内に髭髪(しゅはつ)碑(遺髪を埋めた碑)を建立して、3烈士の御霊を弔っている。
 また、「三烈士碑」は酒田市相生町2-4-20 妙法寺公園にある。
   ※碑の篆額は林董(ただす)(元外務大臣、旧幕臣・伯爵、佐藤藤佐の孫)

 最後に処刑された「佐藤桃太郎」のことは、荘内日報の「郷土の先人・先覚」ページに、詳しく紹介されている。

嘉永元~明治2年 刑場に消えた3烈士の1人
  http://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/exploit/exp181.html
   佐藤 桃太郎(本名は喜惣司、嘉永元~明治2年)
 遊佐郷升川村(現遊佐町)出身、三方国替えで活躍した佐藤藤佐の曾孫に当たり、祖父は江戸詰めの庄内藩医・佐藤然僕。
桃太郎は通称で、本名は喜惣司。幕臣として旗本格。陸軍奉行・支配評定所の書物御用役。幕府解体のとき箱根などに転戦。敗れて庄内に脱出し、八ツ興屋(現・鶴岡市)に逃れてきた。しかし、捕えられて酒田に身柄を預けられ、明治2年4月21日、酒田で処刑された。19歳だった。一説には22歳ともいわれている。
鶴岡の処刑場
 キリシタンが弾圧された江戸時代初期には、庄内藩でも1626年に200人以上の切支丹が追放され、1629年5月9日(寛永6年3月17日)に鶴ヶ岡髪谷地刑場で9人、酒田刑場で10人、鶴ヶ岡大山刑場で5人が、火あぶりや斬首によって処刑されたとの記録がある。
 「鶴ヶ岡髪谷地刑場」は、内川端の萱場牢から、荒町、般若町などを経て清川街道を江戸に向う途中の「赤川の渡し場」付近にあったとされています。

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