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2010年8月20日 (金曜日)

「死の商人」大倉喜八郎

 前回、坂本龍馬を「死の商人」と紹介したが、同業者に「大倉喜八郎」がいる。Ookura
 「鯉は 小さなたらいでは 育たんす」と言いながら、新潟から、幕末1853年18歳のとき、20両(今の約60万円)を持参し江戸に上った。

 大倉喜八郎は天保8年(1837)生まれ、幼名「鶴吉」、越後、蒲原郡新発田出身、一代で「大成建設」創業の他、サッポロビールホテルオークラ、東京経済大学、千代田火災海上(現あいおい損害保険)、日清製油(現日清オイリオグループ)、東海パルプ、川奈ホテル、帝国繊維、サッポロビール、リーガルコーポレーション、日本化学工業 、東京製綱、日本無線 、富士銀行、太陽生命、東京慈恵会医大病院、更には、神戸市「大倉山公園」寄付、新発田市「東公園」寄付などの、数々の創業・起業に成功し、国内数カ所の地名にまで名を残した。

 このような成功には、必ず裏がある
 坂本龍馬同様、どのように評価するかは個人の勝手だ。
 最近の日本人は、金儲けのチャンスを物にしたと評価する人が多い。
 金儲け上手が、立派な人、偉い人、尊敬される人との評価が定まった証だ。
 すっかり商人(あきんど)国家になってしまった。かつての、「一身を国家(藩)に捧げる」ことを美徳とした、侍国家の姿は消えた。

 金儲けの成功は「偶然」が重なったと、大倉喜八郎は後年述懐している。
 江戸に上って約10年、乾物業や金貸しなどをやって来たが今一つ不満だった。
 「早く大商人と言われる身分になりたいものだ」と情報収集に努めていた。
 ある日、喜八郎は横浜港に行くと、頻繁に黒船が来ることを知る。800pxhotel_okura_1_2006_05
 そこで、兵器の積み降ろしを目撃した。
 現場監督の日本人が、「どこの藩でも、洋式鉄砲や大砲を手に入れたがっている。そのうちに、でっかい戦が始まるぞ」と話す。
 これは、「必ず戦争が始まる」と直感する。
 そして、戦が始まれば「武器が必要になる」。
 約10年開いていた乾物屋をたたみ、
 八丁堀にあった「鉄砲商小泉屋(小泉屋忠兵衛)」で鉄砲のことを修行する。
 ここの見習いは5カ月で止め、神田・和泉橋通に「大倉銃砲店」を開業する。
 1867年(慶応3年)2月のこと。龍馬の亀山社中設立に遅れること1年半後だった。
 思惑通り、戊辰戦争が始まり、武器の需要は急激に高まる。
 
 前置きが続く。
 幕末「戊辰戦争」がはじまると、東北諸藩は「奥羽越列藩同盟」を結成した。
 しかし、形勢が悪くなると次々に同盟を離脱する藩が出た。
 最初に離脱したのは「秋田藩」、「新庄藩」、続いて「弘前藩(津軽藩)」だった。

 「弘前藩」は官軍側に着くと、箱館戦争の際には、函館を攻める官軍の前線基地の役割を担うことになる。更に、明治新政府から最後の闘いの場になった「函館戦争」に向かうように命令される。このとき、新式の銃が欲しい弘前藩は武器調達を、「大倉銃砲店」の大倉喜八郎に新式ライフル銃2千5百丁購入を依頼している。
 「大倉銃砲店」は、江戸・神田の和泉橋通りにあった。
 依頼に出向いたのは、津軽藩の西館平馬。

  大倉喜八郎は後年、「弘前藩」からの依頼に対して、
 「運試しにひとつやってみる。もしこれが失敗するようなことなら、自分に運がないのだと諦めるより以外にない」、「そこで私は自分の身代を残らず売り払って金にし、これでやっと注文だけの小銃二千五百挺と弾薬を整えることができた。それから横浜の亜米利加一番で独逸(ドイツ)の帆前船を一艘雇って、それに鉄砲弾薬一切を積みこみ、自分もその上乗りをして、いよいよ津軽に出帆することとした。」
 と語ったと言う。(尾崎竹四郎著「東北の明治維新」から)

 身代を残らず売り払い、自分も船に乗り鉄砲を運んだ武勇伝は広く知れ渡り、「大倉屋は金もうけ一本やりでなく、義侠心に富んだ男だ」という評判が定着した。
 以来、店は大きく発展、明治6年(1873)資本金15万円で「大倉組」を設立した。
 ここから数々の創業が始まった。
 坂本龍馬は、1867年(慶応3年)11月暗殺され夢は頓挫したが、喜八郎は、これを後継したかのように明治の世でも大きく羽ばたいた
 大倉喜八郎の名言「鯉は小さなたらいでは育たんす
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1853年(嘉永6年) 6月■アメリカ東インド艦隊司令官・ペリーが軍艦四隻を率いて浦賀に来航す。
1855年(安政2年) 10月■安政の大地震が起こる。
1857年(安政4年) 5月■下田条約調印。 1858年(安政5年)
            4月■井伊直弼が幕府大老の職に就く。
1859年(安政6年) 6月■横浜が開港す。
1860年(万延元年) 1月■幕府の軍艦・咸臨丸が太平洋を横断す。
1862年(文久2年) 1月■坂下門外の変が起こり、幕府老中・安藤信正が負傷す。
1863年(文久3年) 3月■将軍・徳川家茂が京都に上洛す。
           6月■高杉晋作が奇兵隊を結成する。
           7月■薩英戦争が勃発す。
1864年(元治元年)6月■池田屋事件が勃発、新選組が一躍名を馳せる。
           7月■佐久間象山が斬殺される。蛤御門の変(禁門の変)が起こ
          り、薩摩・会津両藩VS長州藩が御所を囲んで激戦す。
1865年(慶応元年) 5月■土佐勤王党の頭目・武市半平太が処刑される。
           6月或いは7月に
            坂本龍馬が薩摩藩の支援を得て、長崎に亀山社中設立。
1866年(慶応2年) 1月■坂本龍馬の活躍で薩長同盟が成立す。
             ■寺田屋にて坂本龍馬が幕吏らに襲撃される。
           6月■幕府が第二次征長の役を起こす。
           7月■14代目将軍・徳川家茂が病没す。
          12月■15代目将軍に徳川慶喜が就く。攘夷佐幕派孝明天皇崩御
1867年(慶応3年)2月■大倉喜八郎、神田に「大倉銃砲店」を開業する。
           4月■亀山社中が土佐藩の支援を受けて、海援隊と改称
           6月■坂本龍馬が『船中八策』を作成す。
           7月■中岡慎太郎が土佐藩の支援を得て、陸援隊を結成す。
          10月■幕府が朝廷に大政奉還を奏上す。朝廷から討幕の密勅。
           11月■坂本龍馬・中岡慎太郎が見廻組に襲撃され暗殺される。
           12月■朝廷から王政復古の大号令が発せられる。
1868年(慶応3年12月25日)(1868年1月19日)■三田の薩摩藩邸焼き討ち         
1868年(慶応4年~明治元年)
          1月■鳥羽・伏見の戦いが勃発※戊辰戦争が始まる
          3月■江戸無血開城が成る
          5月■奥羽越列藩同盟が結成。
            ■上野で官軍VS彰義隊が戦い官軍勝利。
          8月■官軍VS会津藩軍の戦いが始まる。※会津藩降伏。
   明治元年9月8日■年号を明治へと改元し、一世一元の制を定める。
1869年(明治2年) 1月■薩長土肥の四藩主が版籍奉還を上奏す。
1870年(明治3年) 10月■土佐藩出身の岩崎弥太郎が「三菱」の前身
               九十九商会の運送業を 始める。
1873年(明治6年)  ■大倉喜八郎「大倉組」設立

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