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2010年8月 2日 (月曜日)

面白地名、酒田市生石「登路田」

 山形県酒田市生石(おいし)に「登路田(とろだ)」という面白い地名がある。
 「地名は土地の履歴書」と言うが、正にそのとおりの地名だ。
 静岡県静岡市の「登呂遺跡」と関連している。
 いずれも、稲作水田の遺跡が発見されているが、残念ながら静岡の「登呂遺跡」のように有名な場所ではない。

 「登路田」の由来は、「ドロ田」「トロトロした田」、つまり低湿性の水田だという。
 大昔は、「たんぼ」を「どろ田」とでも呼んでいたのだろうか。
 山形県庄内平野にある酒田市生石の「登路田」からは、縄文時代晩期(紀元前1300年~紀元前950年)の稲作水田の遺跡が発見された。
 「生石2遺跡」と呼ばれている。
 昭和60年、発掘調査したところ、縄文晩期の土器とともに、福岡県の弥生時代前期の遠賀川(おんががわ)系土器が発見されているところから、稲作技術とともに九州から伝わったものと推測されている。
 酒田市生石の「登路田」は東側の山寄りの345号線沿いにあり、庄内平野でも早目に陸地化した場所だったと思われる。
 以前は何度か車で通りがかったが、別の道路が良くなってからは通行していない。

 それに「生石(おいし)」もまた面白い地名だ。
  大沼浩編著 『荘内地名辞典』では 『石材の産地としての伝播地名』とある。
 東平田の山寄りで、矢流川が下り、生石神社が祭られている。生石は、地名として近畿・中国地方に見られ、古く人名にもある。ここの生石は、石材の産地といわれ、神社の勧請による伝播地名であろう。


  因みに、縄文時代は今から約1万6500年前に始まり、約2千3百年前に終わった。
 その約1万3千年間を 「縄文時代」と呼ぶ。
 かなり長い期間だ。
 縄文時代には土器の製作と矢の使用が始まり、ムラが作り始められた。
 縄文時代の「縄文」は、土器に縄の模様を入れた時代を基準にしている。

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