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2010年8月28日 (土曜日)

地獄のニューギニア戦線・ビアク島

 今から約65年前の「ビアク島の戦い」のことは、約1万3千名の守備隊がBiaku_img002ほぼ全滅したために、日本側の資料も語り継ぐ者も少なく、あまり知られていない戦いだ。

 守備 隊の主力は青森、岩手、秋田、山形県の東北出身者で編成された陸軍36師団、歩兵第222連隊(秘匿名・雪3523、連隊長・葛目直幸大佐)の3、815名だった。
 今回、アメリカ側の資料が発見されたというニュースが報じられたので、内容をそのまま掲載する。

ビアク島」米軍上陸前の資料発見、地獄のニューギニア戦線
 2009.12.31  産経新聞
 太平洋戦争のニューギニア戦線で、最大級の激戦地となったビアク島(インドネシア)の上陸(1944年)直前に米軍が作成した偵Biak_newguinea_news_2 察資料が、ワシントン近郊で発見された。作戦の総指揮をとったマッカーサー大将(当時)が作成を命じたもので、上陸地点の地勢や旧日本軍の防衛状況が、航空写真や詳細な地図を交えて解析されていたことが分かった。赤道直下のビアク島は、当時日本の絶対国防圏内にあり、歩兵第222連隊(青森)を主力とする日本軍将兵や台湾人軍属、インドネシア人兵補が、守備や飛行場設営に当たっていた。
 1944年5月27日に始まった米軍との戦闘で、日本軍は約1万人が戦死(戦病死を含む)する壊滅的な打撃を受けていた。発見された資料は、連合軍兵要地誌部が前線指揮官らに配布した地誌ハンドブックのうち、ビアク島を含むスハウテン諸島(ニューギニア島北西部)に関するもの。ワシントン近郊の古書店で、国防総省関係の放出資料からみつかった。
 資料は軍機扱いとされ、「敵に奪われる危険のある場合は廃棄せよ」の注意書きがある。作成責任者には、南西太平洋方面の連合軍総司令官だったマッカーサーをはじめ、戦後の日本占領で情報工作を担当したウィロビー准将(当時)らが名を連ねている。作成はビアク島上陸開始の約2週間前である5月12日付となっている。

 ビアク島の攻略目的として、資料は「軍事的な価値は、現存するものと今後の設営を含めた航空施設にある」と指摘。日本の統治下にあったパラオ諸島までの距離を明示するなど、同年6月に始まるサイパン島攻略を支援する目的という戦史の通説を裏付けた。
 航空写真や地図などは、島の全周にわたり日本軍の哨戒線や道路、飛行場の位置を詳しく示している。実際の上陸地点となったボスネク海岸など島の南東周辺については、上陸用舟艇の接岸に適した砂浜である一方、「身を隠すものがない」などの注意や、上陸直後に米軍を悩ませた高台が海岸近くに広がっていることを指摘していた。

 ビアク島 戦没者の遺骨は戦後約4000柱が収集された。インドネシア内務省は今月、新たに291柱の遺骨を現地で日本政府の関係者に引き渡していた。

ビアク島からの生還
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/shibuya/

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