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2010年8月 9日 (月曜日)

長崎原爆投下は宗教弾圧?

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今日8月9日は長崎原爆投下の日。Photo
 また、長崎のキリスト教信者が壊滅した日でもある。米国は建国以来、キリスト教宣教に力を入れて来たが手痛い事実だった。このことは、長崎出身の同僚がよく話していた。

 65年前の今日、1945年8月9日午前11時2分、長崎にプルトニウム原爆「ファットマン」が投下された。
 長崎市は当時の人口24万人のうち、
 約7万4千人が死亡した。
 この長崎の原爆投下で忘れてならないのは、2カ所のカトリック教会だと思う。
 長崎は、元々キリスト教信者が多い土地だ。
 信徒12,000人の内、8,500人が爆死したと推定される。
 「大浦教会」、「浦上教会」に参拝していた信徒は全員即死した。
 上段の長崎「平和祈念像」は長崎県南有馬町出身の北村西望の作品。
 ちなみに西望の作品は、警視庁警察学校に川路大警視の立像がある。

大浦天主堂(長崎市南山手町5-3 )
 グラバー邸の隣26_1
 「日本二十六聖人殉教」の地でもある。
 大浦天主堂は、日本最古の現存するキリスト教建築物。
 正式名は「日本26聖殉教者聖堂(天主堂)」。
 名前のとおり、「日本二十六聖人」のために建てられた教会堂だが、慶長元年12月19日(1597年2月5日)秀吉の「キリシタン禁止令」によって捕縛され処刑されたのは、この場所だった。
 この26人の殉教のことは世界中に広く伝わり、1862年(文久2)6月8日、ローマ教皇ピウス9世によって聖人に加えられ、「日本二十六聖人」と称せられた。
 教会堂は殉教地である西坂を向いている。

浦上教会(長崎教区カトリック浦上教会)Urakami CathedralF0196455_13332596
 「無原罪の聖母」が有名(戦後、頭部は瓦礫の中から発見)
 長崎市本尾町1-79
 浦上地区は長崎の北に位置し、キリスト教伝来当時からカトリック信者の多い土地だ。
 江戸時代には、厳しく、隠れキリシタンの摘発も行われた。
 檀家制度は、キリシタンの摘発を目的につくられた制度でもある。

 鎖国が終わり長崎が開港されると、欧米人が住み始め長崎港の近く1864年(元治元年)に「大浦天主堂」が建造された。
 大浦天主堂完成から1ヶ月後の元治2年(1865)2月20日、杉本ユリら浦上の潜伏キリシタン15名が訪問し、大浦天主堂に赴任したプチジャンA_01司祭(神父)に密会して
 「ワタシノムネ、アナタトオナジ」、
 「サンタマリアのご像はドコ」と信仰を告白した。
 この教会のマリア像は、『信徒発見のマリア像』と呼ばれるが、この感動的信徒発見は、キリスト教史上奇跡とされる。
 
 間もなく明治時代に入るが、「浦上四番崩れ」と言われる宗教弾圧が続き浦上の信者は各地に配流された。そして1873年ようやく信仰の自由が認められた経緯がある。
 原爆投下も、宗教弾圧の一つ「浦上五番崩れ」と言われている。
 キリスト教国であるアメリカは、この事実をどう見ているのだろうか。

原爆は「神の摂理」だと言う。これで長崎市民は納得するのだろうか。

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