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2010年8月 3日 (火曜日)

面白地名・鶴岡市の「古郡」

 山形県鶴岡市の「古郡(ふるごおり)」は歴史のロマンを感じさせる地名だ。
 正に「地名は土地の履歴書」だ。Photo_2

 7~8世紀に律令制が整備されていく過程で、北海道を除く全国を60余りの「国」に区割りし、その「国」を数カ所の「郡」で区分していた。
  山形県や秋田県辺りは、「出羽(いでは)」と呼ばれたが、これは「越の国」(新潟の上越市)からの出先としての「出端(いではし)」の意味だという。(※「越の国」の国分寺跡は未発見)
 和銅2年(709)7月1日、律令政府は諸国に命じ、蝦狄(えてき)を成敗するための兵器を、「出羽柵(いではのき)の「征狄所」へ船100嫂運送したと記録がある。

 しかし、この「出羽柵」の正確な場所が分かっていない。
 現段階では、この鶴岡市「古郡」が最有力視されている。
 「古郡(ふるごおり)」は、藤島町が鶴岡市と合併する前は、「東田川郡藤島町古郡」だったが、現在は「鶴岡市古郡」と地名変更されている。

 「出羽柵」の近くには、船100嫂を停泊できる「潟湖」があったとみられる。
 庄内平野はかつて「潟湖」だったところだが、当時の潟湖の広さが分かっていない。
 現在の「古郡」は最上川から10㎞ほど離れているが、直ぐ近くには「池神社」、「皇大神社」の古い社殿があるのが面白い。

 また、『続・日本紀』によると、和銅7年(714)から養老3年(719)までに、東海・東山・北隆三道の民が4度にわたって出羽国に移され、累計1200戸に及んだという。
 庄内は、「出羽郡」「田川郡」と「飽海郡」となり、更に「陸奥国」に属していた「最上郡」、「置賜郡」の5郡で「出羽国」となり、ほぼ現在の山形県の広さになった。

 更に180年も経った頃、、
 『日本三代実録』の887年(仁和3年)5月20日の条に、「国府は出羽郡井口地にあり」とあるが、「井口国府」とは、酒田市の「城輪柵」とする見解が有力だそうだ。

 当時、朝廷と蝦夷の抗争がこの辺りで頻繁にあったものと推測されている。
 明白なのは、朝廷側が侵略、それに蝦夷側が抵抗していたもので、アメリカの西部開拓当時の白人とインディアンの抗争と同様であろう。
 アメリカでは「西部劇」というが、日本の場合は「東北劇」か。
 そんな映画を鶴岡の映画村で作って欲しいものだ。

 追われる判官・義経を応援したい気持ちを「判官贔屓」という。
 これは、義経に寄せる東北人の心情とされるが、その心の奥には「滅び行く蝦夷に対する心情」が交差しているとの話を聞いたことがある。

海面が7m上昇した東北の地形は
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/special/267_data/index15.html

Photo

 

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