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2010年7月18日 (日曜日)

庄内平野の「官道」はどこ?

 車での移動時は、各地の「道の駅」を利用する機会が多い。 Map_021
 2010年現在、全国に936箇所もあるという。
 「道の駅」には、その土地の情報が凝縮しているように思っている。この「駅」の歴史は古く、約1300年前の飛鳥時代まで遡る。

 大和朝廷が定めた律令制度によると、原則約16Kmごとに、宿泊・休憩・馬の乗り継ぎができる「駅」が作られた。そして、駅と駅をつなぐ道路を「官道」と呼んだという。 
 東北地方では、蝦夷が往来した古代の道路 「安倍道」を、「官道」として使ったらしい。
 当時の大和朝廷にとって、蝦夷対策として重要な城であった陸奥国府「多賀城」と出羽国府「城輪柵」を結ぶ「官道」の存在は「延喜式」に記載されている。
 
 この古代交通網「官道」は、庄内平野では正確な位置が判明していないらしい。Sakuat16
 ほぼ判明していることは「」名だけで、陸奥国府(現:多賀城市)→栖屋(すねや)駅(現:宮城郡利府町)→名取駅(現:名取市高館)→小野駅(現:柴田郡川崎町)→最上駅(現:山形市小白川町)→村山駅(現:東根市郡山)→野後駅(のじり)(現:大石田町駒籠)→避翼駅(さるばね)(現:船形町猿羽根)→佐芸駅(さき)(現:鮭川村真木辺り)→白谷駅(松山町成沢辺り)→飽海駅(現:平田町郡山、相沢川河口)→遊佐駅(現:遊佐、大楯)→象潟(きさかた)駅(現:象潟北) → そして秋田まで続くという。※「山形県の歴史」から

  酒田の砂越近くにあったとされる飽海駅(現:平田町郡山)は最上川右岸にあった。
 近くには、宝亀5年(774)に大和国飛鳥坐神社を勧請分祀したといわれる「飛鳥神社」もあり、信憑性が高い。
 この駅は、海路にも利用されていた「湊」だったらしく、新潟県村上市岩船の次の港は飽海駅で、最上川河口の潟湖(砂潟)の水駅だったという記録があるという。
 つまり当時は、今の砂越や飛鳥辺りまでは、潟湖(砂潟)だったということになる。

 本楯の「城輪柵」の場所は判明しているが、「遊佐駅」の場所は分かっていない。
 今のところ最有力は、月光川左岸の遊佐氏が拠点とした「大楯」辺りと推測する。
 隣には、「平津」という「」が付く「湊」を意味する地名も存在している。
 また、直ぐ北側の「舞台」という地名も気になる。
 「」が付く地名は海岸に近い高台で、地盤が良い場所を意味するという。
 
  話は戻るが、佐芸駅から飽海駅に抜ける官道に「与蔵峠」があるが、陸路ではこの峠を使って最上と庄内を往来していたことが推定されている。
 鮭を方言で「ヨウ」と言うが、これが語源との説もある。
 
 もし、庄内平野の官道が判明すれば、当時の「阿古の海」の広さも分かるだろう。現段階では、東側の山寄りの345号線沿いと想像するのが自然だ。この路線沿いには古い地名や神社仏閣が多く存在している。
 庄内町狩川駅の南側には「阿古屋」(あこや)という地名もある。
 片や平野地には、○○新田、○○興屋、○○曾根などの新しい地名が多い。
 官道や阿古の海のことは、
 考古学に携わる方には、是非、力を入れて調査して欲しいものだ。
 
 因みに東京都内の「官道」の駅は、乗潴(あまぬま)駅家(杉並区天沼付近)・豊島駅家(北区西ヶ原、御殿前遺跡=推定武蔵国豊島郡衙址)が確認されているという。

■鮭を方言で「ヨウ」と言う。(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E8%94%B5%E5%B3%A0
 与蔵峠は、もともと多賀城と城輪柵との間の連絡路の一つとして開削されたと推定され、最上地方と庄内地方を結ぶ古道として知られるが、専ら脇街道であり、歴史上メインルートであった時期はない。
 峠には「与蔵沼」があり、鬱蒼とした森の中に美しい湖面を湛えている。
 与蔵の名の語源は、昔、与蔵沼に夫婦とその子供与蔵が訪れた際、沼のヌシに断らずに勝手に魚をとって食べてしまったため、子供の姿が龍に変わってしまい、天に消えて行ったという当地に伝わる伝説によるものである。
 異説として、当地に息づく「鮭・鱒崇拝」の習俗から、鮭川村で鮭を表す方言「ヨウ」に語源を求める説もある。
■等高線がある地図「地図閲覧サービス

庄内地方の地名
 庄内地方の地名の由来を調べるのに便利だ。

Photo

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飽海駅があったとされる辺り

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