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2010年7月25日 (日曜日)

日本兵が造ったナヴォイ劇場

 妻の父の兄、つまり伯父は昭和21年ソ連・シベリア抑留中に死亡している。
 義父は、「本来ならこの兄が家を継ぐはずだった。ソ連はとんでもね国だ」と、仏壇の軍服の写真を見上げた。
  http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/CombineDorei1.html
 終戦時、日本はポツダム宣言受諾に躊躇したことがソ連の参戦を招いたとされる。
 1945年8月9日から9月2日までの25日間に、ポツダム宣言に違反した 極悪非道のスターリンの極秘指令によって、戦争は終了していたのに、70万人以上の日本人捕虜がシベリア等に集団拉致され、奴隷として重労働を強制された。
 そして、移送途上で4万人以上、奴隷労働中に16万人以上が死亡した。
 
 一口にソ連に抑留されたと言っても、広大なソ連領土であり、日本兵捕虜は10カ所余りに分散させられた。
 この中で、気候などを含め比較的条件が良かったのが、「ウズベキスタン」だったと言われている。この「ウズベキスタン」には、約2万5千人の捕虜が送られた。
 首都「タシケント」にあるオペラ座“ナヴォイ劇場”は、この中の日本兵約250人の捕虜が造ったものだ。建築は全員が素人だった。
 しかし、かつて、マグニチュード8.0の大地震でタシケントの市街地が壊滅的打撃を受けたときもビクともしなかった。
 
 数年前、NHKで「わが青春のナヴォイ劇場」と題して、
 中央アジアを代表するオペラ座“ナヴォイ劇場”は日本人捕虜の強制労働によって、見事オペラ座を造り上げたという秘話を放送していた。
 まず、建築に素人だった20歳代の日本兵の研究心と器用さに驚かされる。
 また、当時の日本兵を尊敬するウズベキスタン人によって、日本人墓地はきれいに整備されているという内容だった。
 これらのことは下段の動画で詳しく紹介している。Runnningman_2
 きっと感動すると思う。
 
 7月24日、酒田市の女性建築家で
 「無題・休題-ハバネロ風味-」 というブログを配信している 方からのメールで、
  この“ナヴォイ劇場”に間寛平氏がアースマラソンの途中で立ち寄ったことを知った。
 この様子は「間寛平ブログ」でも紹介していた。

 因みに日本兵捕虜は、「ウズベキスタン」では 813人が亡くなり、10ヶ所の日本人墓地に分散埋葬されているという。
 寛平氏は、「タシケント」にも日本人墓地があることを知り墓参りをしたそうだ。
 いい話だ。
 
なお、「シベリア特措法」について追記すると、
 終戦直後に旧ソ連に連行され、強制労働をさせられた元シベリア抑留者の訴えが、ようやく国に届いた。7万~8万人といわれる生存者に1人25万~150万円の特別給付金を支給する特別措置法が、本年6月16日衆院本会議で可決成立している。

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