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2010年5月30日 (日曜日)

ウサギ飼育失敗とTDKの成功

 TDK成功の陰には、アンゴラウサギ飼育の失敗がある。Kenzo
 かつて、アンゴラ兎を秋田県や山形県北部の農家が飼育し、この毛を業界最大手であった鐘淵紡績(現・カネボウ)に売って、副収入を得ていたことは、最近では地元でも知られていない。

 昨日、ウサギのことを書いていたら、秋田県の偉人の一人、TDKを創業した齋藤憲三を思い出した。
 齋藤憲三は(1898年(明治31年)2月11日~1970年10月31日)秋田県の南部、由利郡平沢村(現にかほ市)に生まれた。
 戦後は、衆議院議員となり科学技術庁政務次官を務めた人物だ。
 若い頃、産業組合中央金庫(現・農林中央金庫)で貸付係をしていた。
 「農家に対する資金の大半は首都圏に行ってしまう。このままでは東北の農家は貧Angora乏の域を脱し得ない」、「この地域から、なんとか出稼ぎをなくしたい。それには働く場所が必要だ」と考えていた人だった。

  そして思いついた、酪農の一環として、毛がフサフサしたアンゴラ兎を農家に育成させ、その毛を農家の副収入に当てることだった。いろんな困難にも直面したが、大企業だった鐘紡紡績の支援を受けて大々的にアンゴラ兎を飼育する。
 しかし、事業が拡大するにつれ問題が噴出して失敗するが、秋田南部から山形北部の農家でウサギの飼育が広がった切っ掛けだった。

  斎藤が、「フェライト・コアー」に出会いTDKを創業に成功したのは、アンゴラ兎の飼育事業に失敗した直後のことだ。
 アンゴラ兎の飼育に行き詰まり、東京工業大学電気化学研究室を訪問した。
 ここで助言を受けたのが、「フェライトの工業化」だった。偶然のことだった。
 これがTDKのはじまりとされる
 あまりにも失敗事業が多く「2勝98敗の男」と言われた。
 2勝は「政治家として成功」と「TDKの創業」。
 TDKは10数年前、危機に陥ったが、人員削減と工場閉鎖でこれを乗り切った。http://www.tdk.co.jp/index.htm
  TDK本社は、秋田県にかほ市平沢字前田151にあるが、山形県北部からも大勢が通勤している。また、山形県内にも遊佐工場や酒田工場など何カ所かあるはずだ。
 このTDKのネットワークは、アンゴラ兎飼育当時に築かれたものかは知らない。
 また、TDK硬式野球部(秋田) は有名だ。
 妻の従兄弟もレギュラーで活躍している。

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