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2010年5月26日 (水曜日)

日韓併合で半島から何を強盗?

 日韓併合は100年目だそうだ。Rimasako
 併合は、1910年8月22日「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて、大日本帝国が大韓帝国を併合した。38年間も同じ国だった。親しみを持っている日本人は多いが、殆ど片思いに終わっている。
 日本は朝鮮半島に多くのものを与え、近代化に協力してきた。
 与えたと言うと皇室には失礼だが、
 韓国王朝に、皇室から李方子様が嫁いでいる

 それなのに、併合で日本人が半島から強盗したという人がいる

 ソウル大学経済学部教授・季栄薫(イョンフン)著『大韓民国の物語』に簡単に目を通した。“韓国の「国史」教科書を書き換えよ”とのサブタイトルや帯の文言に期待したが、普通の日本人の期待とは逆だった。9784163703107
 
 朝鮮半島は中国からの1,000年に及ぶ属国としての歴史、そして、近年は日本と併合とした歴史がある。
 属国や併合の経緯や理由まで覆い隠すことは出来ない。
 それを無視し捏造してまで、文化、文明など全て韓国が優位に立つような内容では、全くお話にならない。

 朝鮮半島関連の著作物で、日韓合併を多少でも評価したもの。大量虐殺があった「済州島四・三事件」や
 白丁などの「奴隷制度」、また朝鮮半島の「文化や習慣」を正確に述べた内容があればと思うが、まず見あたらない。

 『大韓民国の物語』には、有名な詩人・徐廷柱(ソ・ジョンジュ)の「親父は奴婢だった」を引用していたので、この箇所を紹介したい。
 奴婢は戦後1948年の農地改革で消えたとある。
 そして、同書の最終章では、「宝石にも似た美しい文化をもつ李氏朝鮮王朝が、強盗である日本の侵入を受けた。」と結んでいる。
 日本は、朝鮮半島から何を強盗したのか知りたいものだ。Min01
 何か、盗むものがあったのか
 
 李氏朝鮮王朝が素晴らしかったから、皇室から嫁いだのだ。朝鮮が植民地扱いなら、皇室から嫁に出すわけがない。
 日本は李王朝を、皇族に準ずるものとして手厚く遇した。

 流転の王女と言われ、梨本宮家出身の「朝鮮王朝最後の皇太子妃」李方子(り まさこ/イ・パンジャ)様の婚儀、この一点を捉えても、「日本Hata01_2は韓国を植民地扱いにしてない」と断言出来る。
 失礼ながら、内容が奴婢から皇室にまで及んでしまった。
 古い地図と国旗は、半島は中国の属国だったことの証明だ。 

大韓民国の物語   著・季榮薫(イ・ヨンフン)
「親父は奴婢だった」から引用
 読者の皆さんは詩人・徐廷柱(ソ・ジョンジュ)の「親父は奴婢だった」から始まる「自画像」1937年)という詩をご存じでしょうか。
 この偉大なる抒情詩人は父親が奴婢身分の出でした。
 詩人は奴婢の身分を恥じました。
 そこで「世の中は行けども行けども恥ばかりなり」と詠いました。ところで李朝時代における奴婢の売買文書を見ると「寿介(スゲ)」というちょっと粋な名前がしばしば目につきますが、実際には「犬っころ」という語の当て字でした。
 詩人は自分をその犬っころに喩えています。
 「舌が垂れ下がった病犬のように息せき切りながら我は来たり」と。私はいまだかつて、このように自身の卑しい身分を、ある時代の痛みにまで昇華させて詠う高潔なる精神に触れたことはありません。この詩人はしばしば親日派と罵られていますが、私はこの詩の一篇だけでも彼を愛してやみません。
親父は奴婢だった。夜遅くなっても帰ってこなかった。
葱の根っこのような白い頭の祖母と、棗の花が一株植わっているだけだった。
お袋は月を眺めながら、初モノの満洲杏を一つくらい食べたいと言ったけれど……
すすけたランプの下で
爪の先が黒いそのお袋のせがれ。
甲午の年だったか海に出て行ったまま帰ってこないという
祖父のふさふさの髪の毛と、あの大きなまなこがおまえに似ているという。
二十三の年まで自分を育ててくれたのは八割が風である。
世の中は行けども行けども恥ばかりなり。
ある者は我が眼に罪人の形相を見出し
またある者は我がロに生まれついての痴を見出して行かん
しかし自分は何も悔みはしない。
燦々と開けきたるある日の朝にも
額の上に乗っかる詩の露には
教条の血のしたたりがいつも混じっている
陽ざしであれ日陰であれ、舌が垂れ下がった
病犬のように息せき切りながら我は来たり。
                  (未堂・徐延柱「自画像」前文より)
 奴婢といえば思い出されますが、1920年代に全羅南道の求礼土旨面に住んでいた両班の柳氏一族が残した日記には、正月一日に家の奴婢たちが訪れてきて、居間に座っている主人に向かって新年の挨拶を行う光景が描写されています。
 その日、主人は「たとえ世の中が変わったとはいえ、主人と奴婢の間の上下の義理は変わらない」と日記につけました。そのように、年が改まれば主人の家を訪ね、屋敷の中庭で犬のように腹這いになって挨拶を行わなければならなかったのが奴婢という身分でした。そして、その奴婢身分が農地改革によって消えてしまったのです。
終言・歴史からの自由を   平々凡々の生活誌で
 大韓民国は「歴史問題」で風邪をひいています。かからなくてもいい風邪に意味もなくかかっているのです。だから余計に体と心が痛いのかも知れません。風邪の原因とは誤った歴史観です。歴史観を明るく健康なものにすれば、風邪はたちどころに治るでしょう。
悪夢にうなされていたものが、たちどころに明るい陽ざしの朝を迎えた気分になるでしょう。人びとの歩みには再び活気が満ちあふれ、笑顔でお互いに親切にしあえる社会となること請け合いです。だから歴史観を正す必要があるのです。いいえ、歴史そのものから自由になる必要があるのです。先進的な人間とは歴史から解放された自由人のことなのです。
 誤った歴史観は、過去百三十年間の近現代史を汚辱の歴史として子供たちに教えています。すなわち、宝石にも似た美しい文化をもつ李氏朝鮮王朝が、強盗である日本の侵入を受けた。それ以後は民族の反逆者である親日派たちが大手を振った時代だった。日本から の解放はもう一つの占領事であるアタリカが入って来た事件だった。
 すると親日派はわれ先に親米の事大主義者にその姿を変えた。民族の分断も、悲劇の朝鮮戦争も、これら民族の反逆者たちのせいだった。それ以後の李承晩政権も、また1960~70年代の朴正煕政権も、彼らが支配した反逆の歴史だった。経済開発を行ったとしても、肝心の心を喪ってしまった。歴史においてこのようにして正義は敗れ去った。機会主義が勢いを得た不義の歴史だった、というのです。
 私は本書において、現行の中学校・高等学校用歴史教科書にまで深く入り込んでいるこのような誤った歴史観の問題点を批判してきました。そして未熟ながらも自分なりに批判的な想像力に基づいた歴史観を示してみようと努めました。

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