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2010年5月 7日 (金曜日)

まもなく国民投票法が施行となる

 この「国民投票法」のことは、ほとんどの国民は忘れていることだろう。
 国会論議もマスコミ報道も、作為的に低調だ。
 3年前はそれなりの論議を呼んでいた法案だった。
 しかし、黙っていても極めて重要な法律が自動的に動きだす。
 今月5月18日には、憲法改正手続きを定める国民投票法が施行され、憲法審査会による改正原案の発議が解禁となる。
 この法律が、憲法改正手続きの第一段だ。
 この法律を準備することに、63年の歳月を要した。
 しかし、憲法改正の発議には衆参両院の総議員の「3分の2以上の賛成」が必要で、ハードルは高い。このため自民党は夏の参議院選公約で、これを過半数の賛成に緩和する方針を打ち出した。改憲論議のスタート台に立つことすら拒み続ける民主党の姿勢を、自民党47800140幹部は「国会の不作為だ」「政権党とは言えない」などと批判。改憲に取り組む姿勢をアピールしている。(2010/05/02)

  この法律は2007年5月14日に成立している。
 あれから3年経過し、ようやく施行される。
 施行に3年も猶予期間を与えた面白い法律だ。
 この法律は、安倍首相の実績の一つだ。

 ここで、主張や視点がぶれない評論家の一人・櫻井よしこ氏の「日本よ勁き国となれ」を再度読み直した。
 3年前に発行されたものだが、各項目には説得力のある文章が綴られていて、主張が一切ぶれていないことを知ることが出来る。
 この中から「国民投票法」に関連する箇所を引用して紹介したい。

櫻井よしこ著「日本よ勁き国となれ」   250頁から
 日本はなぜ、斯(か)くも長きにわたって憲法改正をしてこなかったのか。
 これは、事あるごとに、日本の保守勢力を批判する「ニューヨーク・タイムズ」紙などでさえも投げかける問いだ。
 それほど、日本人は長きにわたって改憲の時機を逸してきた。
 憲法の専門家、駒澤大学の西修教授は、戦後40年の時点で米国を訪れ、日本国憲法作成にかかわった人びとを取材した。会った人物は10人以上だったが、全員が「まだあの憲法を守っているのか」と驚いたという。
 彼らの反応に、西氏のほうが驚いた。
 彼らは、自分たちがつくった日本国憲法は、占領終了後に当然書き換えられると考えていたのだ。だが、さらに驚いたのは、憲法改正の手続きについて西氏がその規定の厳しさを説明したときだった。彼らの多くが、国民投票で過半数、国会の3分の2以上の賛成というきわめて高い改憲のハードルについて、まったく記憶していなかったのだ。
 なんと無責任なことだろうか。
 だからこそ「まだあの憲法か」と20年以上も前に呆れられた米国由来の憲法に縛られることなく、日本人の憲法を一日も早くつくるべきなのだ。そのために、民主党は党内意見に耳を傾け、国民投票法制定に協力せよ。安倍首相は法案の欠陥修正に力を入れよ。『週刊ダイヤモンド』2007年3月31日号)             
憲法改正、偽りの衣を捨て去る時
 2007年5月14目、憲法改正の手続きを定める国民投票法が参議院で可決、成立した。
 現行憲法は改正のための条件を規定しているにもかかわらず、60年間も、改正を実施する法律がなかった。
 その法律上の空白が埋められ、憲法改正を党是とする自民党が、立法の不作為を克服して公党としての公約を果たせる体制を、漸く作ったのだ。自分の任期中に憲法改正をやり遂げたいと語る安倍音三首相の決意が窺える。
 なぜ憲法改正が必要か。第一に憲法というものが、国家の根幹をなすものだからであり、またそれはその国民の価値観を反映させたものでなければならないからだ。
 周知のように現行憲法はマッカーサーの命令で作られた。
 特に9条は「天皇の地位、戦争放棄、封建制の廃止」に関する「マッカーサー三原則」の戦争放棄の原則が下敷きになっている。
 マッカーサー案は以下の内容だった。「国家主権としての戦争は、廃止させる。日本は、紛争解決の手段としてのみならず、自国の安全を保持する手段としての戦争をも放棄する。日本は、その防衛と保全とを、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を維持する権能は、将来ともに許可されることがなく、日本車に交戦権が与えられることもない」
 彼が日本に対して「自国の安全を保持する手段としての戦争」をも禁ずるつもりだったことを、日本人は忘れてはならない。彼は日本国から一切の自衛権を奪い去るつもりだったのであり、侵略を受けたが最後、日本人は座して耐え、侵略者に隷属せよ、それがいやなら、黙って滅んでいけという意昧だった。マッカーサーが心の奥深く、どれほど強い日本憎悪の感情を抱いていたかを窺わせる内容である。
 憲法草案の起草に関わった民政局もこれには驚いて、「自国の安全を保持する手段としての……」の件を削除した。
 日本はこれでやっと、侵略を受けた場合は、自衛のための戦いをしてもよいと認められたのだ。
国家は本当に。悪々なのか
 それでも、マッカーサーが日本国憲法の根幹に組み込んだ、日本国政府に対する類例のない強い縛りは、そのまま残った。
 軍を否定し、政府の権威も権力も否定し、他方で国民に対しては、権利と自由を強調した。マッカーサーが作らせた日本国憲法では、政府と国民は対立の構造に置かれ、従来の日本の善き風土であった政府と国民の間の信頼関係は姿を消した。
          --中略----
 遥かな昔、私たちの先人が定めた憲法、国の姿は、和を基調とし、日本人一人ひとりの知の力を信ずる民主的な精神によって成り立っていたのだ。先人たちが日本国の形として書き残した価値観は現代にも十分通用するメッセージである。
 強調すべきは、この十七条憲法の延長線上に五箇条の御誓文と明治憲法があり、日本国の形としての憲法は、時代を超えてつながっていることだ。それは国家というものが、ひとつの有機体のように、民族の文明を世代を超えてひきついでいくものであることを示している。
 だがマッカーサーが作らせた現行憲法は、国家の継続性とも日本の価値観とも無関係だ。むしろ、日本的価値のすべてと長き文明の流れをバッサリ切り捨てた。
 現行憲法は、真の意味で、日本人の憲法ではないのだ。
 だからこそ、改正が必要なのである。
 国民投票法の成立で、本に竹を接ぐように平目然な形で与えられた現行憲法を変えるための第一歩が踏み出された。それでも改正への道は長く険しい。
 だからといって安倍首相は妥協を図り、改正のための改正に終わらせてはならない。改正が、真に日本国と日本国民のためになるよう、勇気ある提言を続け、全員で議論することが大事である。
                  (週刊新潮2007年5月24日号)

櫻井よしこ(本名: 櫻井 良子、1945年10月26日~)
ベトナム生まれ
新潟県立長岡高等学校卒業
ハワイ大学歴史学部卒業

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