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2010年5月に作成された記事

2010年5月31日 (月曜日)

代々木公園C地区と春の小川

 代々木公園は、A・B・C地区の三つのゾーンに区分されている。
 A地区は明治神宮側、B地区はNHK側で、いずれも有名だが、C地区は殆ど知られていない。このC地区は小公園で、文部省唱歌『春の小川』の歌碑がある。
 この地域は、東京オリンピック直前昭和36年に米軍から返還されて、オリンピック関連施設として整備されたところで歴史は比較的新しい。
 道路名は、「放射23号線」、「補助53号線」などの、味気ない名称が残る。
 それから、A地区の西門方向には、「大東塾十四烈士」の碑もある。
 これも、忘れてはならないことだ。
 Photo_2

 20代後半、3年半京王線・初台駅近くに住んでいた。
 先日、約30年ぶりにこの辺りの散策に出かけた。
 「代々木公園」から「明治神宮」、「NHK放送センター」辺りは、週二回のジョギングに利用した場所で特に明るい。
 公園内や神宮内は、今も目をつぶっても歩けるくらいだ。
 今回は、原宿駅から明治神宮に入り、「清正井」にと思ったら工事中でPhoto_4入ることが出来なかった。参拝を終え西参道口から出た。
 この方向で「炭焼き」をやっていたが、「今でも続けているのだろうか」と思いつつ、良く利用した「至誠館」という道場前を通り、西参道から表に出る。
 更に、乗馬倶楽部前から代々木の裏道を抜けて、初台駅に行くことにした。麗子像で有名な画家、岸田劉生が描いた「切り通し」の案内表示、「河骨川」の表示も見える。有名芸能人の自宅も何軒か知っているが、今は現役を退いた○○の家を教える。
 裏道まで詳しいので連れは驚いているが、住んでいたのだから当然だ。
 
 当時のジョギングコースを教えた。
 まず、初台から概ね河骨川沿いの裏道を抜けて西参道方面に出る。
 次に「補助53号線」を渋谷方面に走り、「代々木公園C地区」前から、「代々木公園A地区」に西門から入る。
 数周して、「放射23号線」の歩道橋を渡り「代々木公園B地区」の「織田フィールド」でダッシュの駆け込みだ。
 「織田フィールド」は陸上競技の織田幹雄の業績を称えた名称。
 そして、帰りは「代々木公園C地区」に立ち寄りクールダウン。0000_1

 この公園には、文部省唱歌『春の小川』の歌碑がある。
 この付近に住んでいた国文学者・高野辰之の作詞。
 小川のモデルは「河骨川」だが、当時も既に暗きょになり確認出来なかった。辺りの風景を見渡しながら、どんな川だったのだろうかと郷里の小川に思いを巡らせたものだ。
 今回の散策ではこの公園には足を延ばさなかったが、歌碑も新しく建立されたようだ。
 次回は、渋谷駅方面からNHKや「織田フィールド」に寄り、次は、代々木公Photo_3園A地区で、終戦直後、影山庄平と大東塾・塾生13名が割腹自殺をとげた場所に案内し、そして西門から「補助53号線」に出て北上し、西参道から神宮に入り、再度「清正井」に行き代々木駅方面まで散策してみようと思う。
 大塾生・塾生14名の割腹自殺など、殆ど忘れ去られている。大東塾は、正統派右翼と評価されていた。
 自決の場所は西口近くの管理事務所のすぐ近くなので、事務所で聞けば直ぐわかる。「19本ケヤキ」は今もあるのだろうか。何も知らないカップルは暗くなっても、自決の地辺りから離れ無かった。

Yoyogi

  
 
春の小川
春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら

春の小川は さらさら行くよ
えびやめだかや 小ぶなのむれに
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやきながらPhoto

代々木公園C地区(春の小川の歌碑がある場所)

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2010年5月30日 (日曜日)

相撲部屋の元祖は引手茶屋

 遊郭入り口には、「引手茶屋」があり、ここで遊女を仲介していた。Yoshiwara10
 つまり、飲食が出来る案内所のようなところだ。
 基本的には、いきなり遊郭に行くことは出来なかった。
 相撲の「枡席」を国技館の窓口で購入できないのと同じだ。

 さて、「相撲茶屋」で斡旋した升席「維持員席」が暴力団に利用されたと、マスコミに問題視されている。 Image0022
 両国国技館周辺には、「相撲茶屋」が何軒かある。
 両国駅前や回向院前辺りに行くと、何軒かの相撲茶屋が目に止まる。
 四ツ万、寺尾、大塚、大地、札幌、相撲、横綱、相撲部屋、浜力、玉龍など20軒前後あるが、殆どが「ちゃんこ料理屋」を兼ねている。

 この「相撲茶屋」は、吉原遊郭の「引き手茶屋」のシステムが、そのまま引き継がれたと言われている。
 「茶屋」は客に飲食・遊興をさせることを業とする家のことで、遊郭では「引手茶屋」と呼ばれていた。
 「引き手茶屋」は吉原大門を入ると真っ直ぐの道「仲之町通り」が延び、左右に並んでいた。四隅には稲荷神社がある。この神社にもちゃんと意味がある。
 格式の高い遊郭は、この「茶屋」を通してしか客を受け入れなかった。20100526
 相撲の枡席と同じだ。
 また、粋な客は「引き手茶屋」で芸者と幇間(たいこもち)と遊ぶだけで登楼せず(遊郭に行かず)帰宅する例もあった。これも、相撲を見物しないで、相撲茶屋で飲み食いして帰宅するのと同じだ。

 「引手茶屋」には、「遣り手」という茶屋と遊郭を取り持つ人がいた。30過ぎの元遊女が殆どだったという。
 ”やり手ババア”はここから来ている。
 今は、中年のイジワル女を言うようだが、事実、「遣り手」は遊女の値段を決めたり、酒宴の内容を決めたり、見世の仲介役で、仕事の性質上、非情を要求され遊女にとっても客にとっても怖い存在だった。
 これも「相撲茶屋」が、相撲に詳しい元力士が経営に関与しているのと似ている。

  「相撲茶屋」は枡席の観客のみを営業の対象としているが、その枡席は、各茶屋が占有している。例えば、現在両国国技館には約1500の枡席があるが、一割以上を「相撲茶屋」の最大手の「四ツ万」が「保有」しているという。
 財団法人日本相撲協会と、御茶屋の関係は簡単には切れないであろう。
 なお、通常のチケット購入は、国技館の入り口で購入出来る。
 最近は相撲人気も低迷ぎみで、平日の当日券なら、昼過ぎに窓口に並べば購入出来ると思う。「相撲茶屋」ウィキペディアWikipedia

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ウサギ飼育失敗とTDKの成功

 TDK成功の陰には、アンゴラウサギ飼育の失敗がある。Kenzo
 かつて、アンゴラ兎を秋田県や山形県北部の農家が飼育し、この毛を業界最大手であった鐘淵紡績(現・カネボウ)に売って、副収入を得ていたことは、最近では地元でも知られていない。

 昨日、ウサギのことを書いていたら、秋田県の偉人の一人、TDKを創業した齋藤憲三を思い出した。
 齋藤憲三は(1898年(明治31年)2月11日~1970年10月31日)秋田県の南部、由利郡平沢村(現にかほ市)に生まれた。
 戦後は、衆議院議員となり科学技術庁政務次官を務めた人物だ。
 若い頃、産業組合中央金庫(現・農林中央金庫)で貸付係をしていた。
 「農家に対する資金の大半は首都圏に行ってしまう。このままでは東北の農家は貧Angora乏の域を脱し得ない」、「この地域から、なんとか出稼ぎをなくしたい。それには働く場所が必要だ」と考えていた人だった。

  そして思いついた、酪農の一環として、毛がフサフサしたアンゴラ兎を農家に育成させ、その毛を農家の副収入に当てることだった。いろんな困難にも直面したが、大企業だった鐘紡紡績の支援を受けて大々的にアンゴラ兎を飼育する。
 しかし、事業が拡大するにつれ問題が噴出して失敗するが、秋田南部から山形北部の農家でウサギの飼育が広がった切っ掛けだった。

  斎藤が、「フェライト・コアー」に出会いTDKを創業に成功したのは、アンゴラ兎の飼育事業に失敗した直後のことだ。
 アンゴラ兎の飼育に行き詰まり、東京工業大学電気化学研究室を訪問した。
 ここで助言を受けたのが、「フェライトの工業化」だった。偶然のことだった。
 これがTDKのはじまりとされる
 あまりにも失敗事業が多く「2勝98敗の男」と言われた。
 2勝は「政治家として成功」と「TDKの創業」。
 TDKは10数年前、危機に陥ったが、人員削減と工場閉鎖でこれを乗り切った。http://www.tdk.co.jp/index.htm
  TDK本社は、秋田県にかほ市平沢字前田151にあるが、山形県北部からも大勢が通勤している。また、山形県内にも遊佐工場や酒田工場など何カ所かあるはずだ。
 このTDKのネットワークは、アンゴラ兎飼育当時に築かれたものかは知らない。
 また、TDK硬式野球部(秋田) は有名だ。
 妻の従兄弟もレギュラーで活躍している。

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2010年5月29日 (土曜日)

ウサギの悲しい思い出

多摩湖の土手でウサギを遊ばせている家族がいた。
ウサギは懸命にクローバを食べていた。

ウサギを見るたびに思い出すことがある。
小学校に入ったか入らないか頃の昔話だ。
昭和30年代始めころ、まだ何処の家も貧しかった。
家には常に、豚や山羊が数頭、ニワトリも20羽位飼っていた。
乳の出が悪かったり、玉子を生まなくなったら食用にしていた。

ある時、父親が何処からか、白い小ウサギ二匹を貰って来た。
横幅1㍍位のウサギ小屋も造ってくれた。
「お前が責任持って大きくしろ」などと言われ喜んで飼いはじめた。
学校から帰ると真っ直ぐウサギを見に行き、何かしらのエサをあげた。M2002105430
近くの河原に草を食べさせに連れて行ったりもした。
呼ぶと戻って来るようにもなった。
いい遊び相手だった。
ウサギの成長は早い。
春に生まれたら、秋には大人になる。

夕食どき、両親や祖母が不穏な会話をしている。
「ウサギの肉は柔らかくて旨い」のような会話だ。
まさか、自分が飼っているウサギが食べられるとは思ってもいない。
こんな会話を聞いて数日経った。
学校から帰って真っ直ぐウサギのところに行くと、一匹いない。
たまに逃げることもあるので探し始める。
すると、屋敷の外れに血だまりがあって、竹竿に白い皮がぶら下がっている。
なんと、可愛がっていたウサギの皮だ。

家に入ると祖母が台所にいて、まな板には肉の塊がある。
どんな会話をしたかは覚えていないが、ずっと泣いていたという。
夕食時になっても食卓に来ないので、母親が迎えに来たらしい。
そして泣きながら、ウサギの肉を食べていたと言う。
そんな話は、成長してからも何度も聞かされた。
本当だったのだろう。

以後は開き直って、何でも食べたが、ショックは忘れることが出来ない。
もう一匹も食べられたはずだ。
しかし、子供ごころに、大きな傷がついた。
この話を、女房、子供に話しても笑い話にしか聞いてくれない。
きっと、これを読んだ人もそうだろう。

いろんな体験を経て大きくなったという話だ。
ただ、あれ以降、うさぎは飼わないことにした。

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半島の文化は日本が伝えた。

 「日本文化は半島経由」と擦りこまれている人は必読だ。Taboo
 「歴史の常識を完全否定」する必要がある。

 当方も、「半島南部は大和王権の強い影響下にあった」ことは間違いないとは思っていた。
 しかし、この常識程度のことも朝鮮半島に気を遣うあまり、議論がタブー視されて来た。

 室谷克実著「日韓がタブーにする半島の歴史」を読んだ。
 オビにある『文明は半島から来た」なんて大ウソ!古代史の常識がひっくり返る』とあり、思わず購入した。

 多くの日本人は昔、「文化は朝鮮半島から日本列島に伝わってきた。」と考えているところがある。
 ところが、現存する半島の古文書からすると、
 「倭人は半島の民族から様々なことを教えられたどころか、半島に初めて統一国家を築く新羅の基礎作りを指導したのは、実は倭人・倭種であり、新羅も百済も倭国のことを”文化大国”として敬仰していた。」とある。

 また、「現存する古文書(漢文)である「三国史記」「三国遺事」をもとに、1世紀に列島から流れてきた脱解が新羅の王になり、その子孫も引き続き、王位を継承した事を示します。それのみではなく、半島南部にみられる日本独自の前方後円墳のように、古代において半島南部が倭国に属していた事を示します。中国との交易も半島経由ではなく、東シナ海経由で直接に行われていた。」という。
 更に、韓国にはびこる独特の偏見に満ちた「対日OINK史観」の根源も指摘する。
 つまり、歴史ねつ造だ。
 そういう国民性だ。しかし、
 「朝鮮半島の古代史の古書を整理し、国の恥も隠し立てなく記せ」との王命で編纂されたのが正史・三国史記だという。
 半島にも立派な国王がいた

■著者情報(「BOOK」データベースより)
 室谷克実(ムロタニカツミ)
 1949(昭和24)年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。時事通信社入社。
 政治部記者。ソウル特派員。宮崎、宇都宮各支局長。
 「時事解説」「時事評論」「地域づくり」各編集長。
 2009年定年退社

朝鮮の正史  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%8F%B2
 朝鮮では、高麗の金富軾が作った高句麗・百済・新羅三国の紀伝体正史『三国史記』 (1145年) が最初の正史であり、現存する最古の歴史書である。高麗が李成桂の朝鮮にとってかわられると、中国の正史編纂にならって紀伝体の『高麗史』が作られた。『高麗史』の最大の特徴は、歴代の高麗王の記述が天子を意味する「本紀」ではなく、諸侯の歴史をさす「世家」となっていることである。これは中国の天子の歴史だけが「本紀」といわれるべきであり、高麗王は中華皇帝の諸侯である、という趣旨からである。またそれとは別に編年体の『高麗史節要』も作られた。20世紀初頭まで続いた李氏朝鮮では、各国王一代の編年記録(実録)が編纂されつづけ、『朝鮮王朝実録』と呼ばれているが、紀伝体による李氏朝鮮王朝の正史は作られていない。

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「未知のウィルス」中国で拡散

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 怖いのは口蹄疫だけではない。
 中国で未知のウイルスが拡散中
 

 元・警視庁通訳捜査官で、坂東忠信氏がいる。
 「いつまでも中国人に騙される日本人」、
 「通訳捜査官―中国人犯罪者との闘い2920日」
 などの著書もある。
 この板東氏が、「未知のウィルス」=エイズに似た怪病、中国で急速に拡散か と新種の病原体について警告している。
 中国から弾圧を受けている宗教団体「法輪功」の機関紙「大紀元」にも00662掲載されている。既に日本国内に数名の保菌者が上陸しているという。
 「現在、中国で蔓延しているとされるHIVに似た症状をみせるウイルスについて、闘病生活を乗り越えるべく感染情報等を集めております。」とある。
http://ameblo.jp/maruobarca/entry-10541119036.html
 果たして対策は取れるのか。
 国は何もしないだろう。
 国内には、多くの中国女性が風俗で働いている現実がある。
 唾液感染するらしい
 下段に坂東忠信氏のブログから引用させていただく。
http://taiyou.bandoutadanobu.com/

「未知のウィルス」=エイズに似た怪病、中国で急速に拡散か
 ご興味のある方は私のミクシィ「坂東忠信」の日記「注意 中国は隠している」からご覧ください。)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1496479700&owner_id=16406968
この患者のブログを要約すると、
1 HIV検査をしても陰性反応しか出ない。
2 コンドームをしていても感染する。
3 病原菌が攻撃するのはCD4細胞である

ということで、症状としては
1 できものができて、破れる
2 頚部リンパ球がしこりとなって浮き出て、押すと動く
3 舌が白くなる
4 疲労倦怠感が強まる
5 歯茎から出血し、異臭がある
6 体の表面に血の点々ができる

などなど。
 これらが二年間続いているというのです。
 さらに、この患者から感染した女性は、筋肉痛、吐き気、めまい、のどの痛み、下痢、特に強いのは疲労倦怠感とのこと。

 注意すべきはこの「エイズ恐怖症」とされる奇病が、唾液感染するらしいということ。そして他の記事を読む限り、エイズ検査では陰性反応ながら、エイズ同様の症状があり、潜伏期間は一年間ほど(個人差があるようです)とのこと。
 この日本人感染者の方は、自身の容態を随時アップしています。
 過去の日記を見ると、彼が感染者同志で連絡を取り合い作成した感染者リストには、他にも日本人の名前が見られるとのこと。
今、日本にはたくさんの中国人が合法違法を問わず来日、滞在し、さらにたくさんの中国人女性が風俗で働いています。
アンダーグラウンドながらネット販売などで売り上げ好調といわれるアダルトグッズも多くが中国製造だそうです。
さらに、たくさんの食品や品物が中国で生産され、私たちと密接にかかわっています。
 どう対処を取るか、それ以前に、日本は中国に対して対処を取れるのでしょうか?
 この病気に関する賛否両論を知り合いの政治家先生や、いくつかの情報発信局などに連絡しました。政治家の先生方は忙しく、確証がなければ動きません。
 私としては、情報があれば確認と対処に動いて欲しいのですが、そうは行かないようです。--中略--
 万が一これらのリンク先の情報がデマであったなら、お金はないから頭丸めて責任とりますので、ご覧の皆さんもどうか冷静な予防対策をお願いします。
 多くの人がひとつの情報としてこれを知り、冷静な行動と、うがい手洗いなどの衛生管理、危ない火遊びなどの自粛と、MY箸の携行活用をお勧めします。

宮城県出身。警察官拝命後、初めての中国人自転車泥棒に騙され、取り逃がしそうになったことから、あまりの悔しさに北京語の独学を開始、上司の推薦で警察庁の語学研修課で北京語を習得警視庁通訳センターで通訳捜査官としてまた都内有数の繁華街を持つ池袋・新宿などの警察署では、通訳捜査官、刑事として活動。警視総監賞、刑事部長賞などを受賞、警察庁北京語検定上級を取得その後勤続18年で警視庁を退職、現在は司法通訳、作家、防犯講師として活動中。
専門は、外国人犯罪(特に中国人犯罪)。警視総監賞2回、その他警察署内部受賞歴多数。
1985年 地元の高校を卒業
1986年 警視庁巡査を拝命
1987年 警視庁中野警察署に卒業配置。中野駅前交番勤務。
      初めて出会った中国人犯罪者に騙され、悔しくて北京語の独学を開始。
1989年 警視庁第五機動隊。隊員・警備係勤務の後、警視庁教養課で半年間の北京語語学研修に参加。
1994年 警視庁から警察庁国際捜査研修所に派遣、北京語を習得。
1996年 警視庁本部通訳センター(通訳捜査官)
1998年 池袋警察署(交番勤務・刑事)
2000年 警視庁通訳センター(通訳捜査官)
2002年 小岩警察署に昇任配置(小岩駅前交番主任として勤務)
2002年 新宿警察署に配置換え(交番主任、刑事)
2003年 勤続18年で警視庁を退職。
2005年 検察庁、裁判所などの司法通訳業務を開始
2008年 1月、『通訳捜査官』(経済界)出版

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2010年5月28日 (金曜日)

元暴力団組長「後藤忠政」の本

 「相撲と暴力団」の関係を批判する報道が続いている。
 国民に面白い情報を与え、 
 一見、警鐘を促しているかのように見えるが、関係者が「そのとおりです」としか言いようがないことを集中報道することは、見方によれば卑怯だ。
 反論出来ない理由は、相撲協会は公益法人という弱みがあるからだが、だからと言って集中攻撃は、単に弱い者いじめと同じ思う。
 
 政治団体、宗教団体等と暴力団との関係報道と、大きくバランスを欠いている。
 こっちの団体の方が遙かに税金(非課税を含め)を投入している。
 「先ず隗より始めよ」になっていない。
 相撲のそれよりも、「政治家」、「創価学会」、「芸能界」、「財界」、「マスコミ」等の、もっともっと大きい組織と暴力団の癒着こそ、強く批判すべきだ
 「ペンは剣より強い」ことを証明して欲しい。

 元・後藤組組長・後藤忠政(昭和17年9月16日生まれ(67)の自叙伝「憚りながら」が先日発売された。
 各書店で売り切れが続いているくらい評判になっている。

 著書の中で、「創価学会、公明党と親しく、汚れ仕事を請け負ってきた」と証言。
 「池田教が国家権力の中枢に入り込み、日本を乗っ取ろうとしている」
 「一番の悪はやっぱり裏で(他の者に)汚れ役をさせといて、表で善意に満ち溢れた教祖様面してる池田大作だろうな」と、痛烈に批判。F333
 また、芸能人や政財界の著名人との交友を暴露。
 60歳を過ぎて、女優の嘉門○○、元レースクイーンの須之内○○子、声優の宮脇○○子らを愛人にしていたという男だ。
 若い頃の武勇伝は凄いものだったろう。

 昔、聞いたことがある。
 某親分がテレビをみながら、「おっ、最近いいのが出たな」と独り言を口走ったら、それを聞いた子分達は、その日の夜か翌日には準備したという。
 それが気が利く、子分としての器量とされた。
 何を準備したかは想像に任せる。
 健康器具や電化製品かも知れない。
 話半分でも、面白いと思う。
 本は、さっそく購入しようと思い、国分寺駅ビルの「紀伊国屋書店」に立ち寄るが、「売り切れています。予約しても何時になるか分かりません」と言われた。
 仕方なく帰宅して、あちらこちらに電話して、ようやく予約できた。
 
追記
 本の末尾に、「後藤氏に対する本書の印税は、その全額が高齢者福祉及び児童福祉のために寄付されます。」とある。

『憚りながら』著者・後藤忠政
サブタイトルは
 「生か死か?怒濤の生き様!しょせん、俺はチンピラだっ516nnw0kejl__ss400_た。得度から1年――伝説の組長はなぜ、山口組を去ったのか?」

■戦後愚連隊社会、創価学会との攻防、山一抗争、
■伊丹十三襲撃事件、バブル経済、政界との交流。
■日本の深層を生き抜いた人物の半生と人生哲学。

 かつて伊丹十三監督襲撃事件などで日本社会を震撼させた武闘派団体・後藤組の後藤忠政組長。2008年10月に山口組を電撃引退し、翌年には天台宗系の浄発願寺で得度(得度名=忠叡)。日本中をあっといわせたのは記憶に新しい。
 激動の半生を送ってきた人物が語り下ろす、今年、注目度ナンバーワンのノンフィクション!
目次
まえがき 「是でもなく、非でもなく」
第1章 血筋
 留置場で芽生えたプライド
 一杯飲むと大狂いの親父
 富士宮の大財閥だった祖父 …ほか
第2章 富士宮愚連隊
 静岡で一番ヤバい町
 一度逃げたら、一生逃げることに
 日本刀で現役ヤクザを滅多斬り …ほか
第3章 イケイケの時代
 「大リーグ」からのスカウト
 戦国武将のような“領土拡大”
 後藤を破門しろ …ほか
第4章 創価学会との攻防
 富士宮の小佐野賢治
 創価学会への内容証明郵便
 元公明党都議との密会ビデオ …ほか
第5章 山口組直参
 四代目・竹中正久親分の思い出
 山一抗争と極道の大義
 四代目の跡目をめぐって …ほか
第6章 生涯の友・野村秋介
 本当に素敵な出会い
 石川重弘カメラマン救出作戦
 糸山英太郎襲撃事件 …ほか
第7章 東京進出
 大物仕手・竹井博友
 川崎定徳・佐藤茂との出会い
 フロント企業の増殖 …ほか
第8章 バブルの勝者
 勝っても我慢、負けても我慢
 伊丹十三襲撃事件
 武富士の裏切り、中江滋樹の逃亡 …ほか
第9章 政界の品格
 永田町備忘録
 現役大臣が手形を持ち込む
 大義がなかった小泉首相の“ケンカ” …ほか
第10章 渡米肝移植
 刺青と肝臓病
 入国できないはずの米国で移植できた理由
 家族3人、奇跡のハワイ旅行 …ほか
第11章 引退の決意
 「力こそ命」の時代の終わり
 オウム真理教と後藤組
 宅見若頭射殺事件後の締め付け …ほか
第12章 得度
 刺青を入れた住職
 一隅を照らす これ国宝なり――最澄の教え
 袴田事件への思い …ほか

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笹塚発信の味「イル・キャンティ」

 渋谷区笹塚で誕生した「イル・キャンティ」は、今や全国的に有名だという。

 上海帰りの娘が、連日の中国料理の口直しに旨いものを食べたいと言い出した。
 立川市にある、イタリア料理「イル・キャンティ」に行きたいと言う。
 車中で何度も「イル・キャンティ」と聞かされる。
 どこかで聞いたような店名だが、なかなか記憶が蘇らない。
 「立川店」は立川駅南口から右方向に徒歩約3分、立川市柴崎町2-2-18にある。
 ようやく、チラシの文面で記憶が蘇った。

 ヒントは渋谷区笹塚に3軒もあるということだ。
 「笹塚」は、33~4数年前の20代後半に仕事をしていたので比較的詳しい。10_ilchianti
 こうなると、現場を踏まないと気が済まない性分だ。

 数日後、久しぶりに京王線・笹塚駅に降り立った。
 プライベートでも笹塚は、「山形屋」と言う同郷の三浦さんが経営する名物居酒屋があった場所で、週に1~2回も通った頃もあった。
  「笹塚の居酒屋、山形屋の思い出
   http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-343d.html

 結婚後は年数回となり、最後の訪問は経営者が亡くなる平成8年の少し前になる。
 この「イル・キャンティ」1号店は、この「山形屋」の直ぐ近くにあって、何度かIlchianti立ち寄ったことがある。
 味の記憶はない。当時は腹に何か入れば満足していた頃だ。
 場所は、渋谷区笹塚3-16-2先水道道路沿い、10号通り商店街を抜けて、信号のある地点で右方向に顔を向けると看板が目に入る。数台分だが隣に駐車場もある。
 店に入る前に妻とも幾度か来ていた「山形屋」があった場所に立ち寄った。個人的には、感慨深いことが多すぎるがここでは流す。
Photo_2
 ところで、「イル・キャンティ」はラダドレッシングが有名だ。
 店で食べるサラダはドレッシングを多めに使いがちで、少々味が濃くなるが旨い。パスタやピザもなかなかだ。
 訪問した当日は笹間オーナーは不在だったが、かつて、厨房で腕をふるっていた20代のエネルギッシュな姿が、若き日のオーナーだったのだろう。

 ドレッシングは、無理をお願いして1本手に入れた。
 味が濃い目なので、魚貝類を入れたサラダに合う。
 これで、自宅でも店に負けないようなサラダが期待出来るだろう。
  「イル・キャンティhttp://www.chianti.co.jp/index.html
■渋谷区笹塚3-16-2      03-3378-0945
■渋谷区笹塚2-7-9ライブイン笹塚1階03-3397-6217
■渋谷区笹塚1-50-1笹塚NAビル1階    03-5465-552

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2010年5月26日 (水曜日)

芸能・相撲等の興行と暴力団

 去年の大相撲名古屋場所で「維持員席」を暴力団に親方が斡旋、と報道が流20100526れた。
 木瀬親方(元前頭・肥後ノ海)と 清見潟親方(元前頭・大竜川)だそうだ。
 この報道で、昔からある興行と暴力団の関係を思い出した。

 40年も前に、同郷の山形県酒田市出身の○○会系のヤクザと知り合った。○○会○○一家の幹部、当時35歳位で佐藤某と言った。
 脂がのりはじめ、一番幅を効かせていた頃だった。
 その組の飛車角の一人と言われていた。
 佐藤は同郷のよしみで、若輩の小生に度々声を掛けて来た。
 佐藤は、「○○一家の芸能担当だ。○圭子と○○三郎を担当している。二人を育てたのは俺だ」と豪語していた。
 「あいつらの入場券は何時でも準備する」と言われたが、一度だけ割り勘で酒席を共にしただけだ。

 暴力団稼業で、唯一合法的に収益を上げることが出来るのは、この興行関連と言われ、昔から「興行を打つ」と言う。「博打を打つ」ことと根底は同じ意味なのだろう。
 「興行を打つ」際は、出し物、場所探し、広告、入場券販売、会場警備まで取り仕切っているのが現実のようだ。地元ヤクザ者が仕切る場合が多い。もっとも最近は、世間の目が厳しくなったことから、「芸能プロダクション」や「イベント業」に姿を変えている。
 
 暴力団の裏稼業には、総会屋、会社ゴロ、拳銃密売、覚醒剤等薬物密売、管理売春、債権回収、ダフ屋、賭博、地上げなど不動産売買、債権取立等の金融屋、振り込め詐欺、等々、表から裏までカネの臭いがすれば暴力団の影がある。
 
 それから、「芸能プロダクション」や「イベント業」の経営は、前科前歴のない者を責任者に仕立てて、裏で暴力団が仕切っているところが多い。
 大阪の「吉本興業」などは、その典型であろう。
 中田カウスは、自分を含め島田紳助と山口組の関係を暴露したこともあった。
 まあ、利用する人がいるからヤクザ業も成立する。需要と供給の関係だ。
 今回のことも、この延長線で発生したこと思えばいい。
 歴史的に深いつながりがある。簡単には手を切ることが出来ないだろう。

 新宿界隈で流しをしながら演歌歌手になった、○○三郎や○圭子は、当時は暴力団とは切っても切れない関係だった。
 新宿の花園稲荷神社や西向天神社には○圭子の歌碑が建立されている。
 この人達をテレビで見るたびに、暴力団や、あの佐藤を思いだす。
 果たして、関係を断ち切ったのだろうか。
 二人共、羽振りの良い噂がある。そこに付け込まれる材料が生まれる。
 佐藤も元気なら75歳位か、何をしているのだろう。勿論、出身町、フルネームも記憶している探せば分かるはずだ。
 「割り勘でなら」と言ったら、「俺に恥をかかすのか」と格好付けていた。 26

■肥後ノ海 直哉(1969年9月23日~)は、熊本市出身で三保ヶ関部屋所属の元大相撲力士。本名は坂本直人(さかもと なおと)。最高位は西前頭筆頭(1995年5月場所)。得意手は左四つ、寄り、上手出し投げ、突き落とし。現役時代の体格は183cm、152kg。現在は、年寄・木瀬として木瀬部屋の師匠を務める。
http://sumoreference.com/Rikishi.aspx?r=26&l=j

■大竜川 一男(1946年1月21日~)は兵庫県加古川市出身の元大相撲士。三保ヶ関部屋所属。本名は和田一男。身長178cm、体重115kg。最高位は東前頭筆頭(1969年11月場所)。現・年寄清見潟。
    http://sumoreference.com/Rikishi.aspx?r=4053&l=jPhoto

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日韓併合で半島から何を強盗?

 日韓併合は100年目だそうだ。Rimasako
 併合は、1910年8月22日「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて、大日本帝国が大韓帝国を併合した。38年間も同じ国だった。親しみを持っている日本人は多いが、殆ど片思いに終わっている。
 日本は朝鮮半島に多くのものを与え、近代化に協力してきた。
 与えたと言うと皇室には失礼だが、
 韓国王朝に、皇室から李方子様が嫁いでいる

 それなのに、併合で日本人が半島から強盗したという人がいる

 ソウル大学経済学部教授・季栄薫(イョンフン)著『大韓民国の物語』に簡単に目を通した。“韓国の「国史」教科書を書き換えよ”とのサブタイトルや帯の文言に期待したが、普通の日本人の期待とは逆だった。9784163703107
 
 朝鮮半島は中国からの1,000年に及ぶ属国としての歴史、そして、近年は日本と併合とした歴史がある。
 属国や併合の経緯や理由まで覆い隠すことは出来ない。
 それを無視し捏造してまで、文化、文明など全て韓国が優位に立つような内容では、全くお話にならない。

 朝鮮半島関連の著作物で、日韓合併を多少でも評価したもの。大量虐殺があった「済州島四・三事件」や
 白丁などの「奴隷制度」、また朝鮮半島の「文化や習慣」を正確に述べた内容があればと思うが、まず見あたらない。

 『大韓民国の物語』には、有名な詩人・徐廷柱(ソ・ジョンジュ)の「親父は奴婢だった」を引用していたので、この箇所を紹介したい。
 奴婢は戦後1948年の農地改革で消えたとある。
 そして、同書の最終章では、「宝石にも似た美しい文化をもつ李氏朝鮮王朝が、強盗である日本の侵入を受けた。」と結んでいる。
 日本は、朝鮮半島から何を強盗したのか知りたいものだ。Min01
 何か、盗むものがあったのか
 
 李氏朝鮮王朝が素晴らしかったから、皇室から嫁いだのだ。朝鮮が植民地扱いなら、皇室から嫁に出すわけがない。
 日本は李王朝を、皇族に準ずるものとして手厚く遇した。

 流転の王女と言われ、梨本宮家出身の「朝鮮王朝最後の皇太子妃」李方子(り まさこ/イ・パンジャ)様の婚儀、この一点を捉えても、「日本Hata01_2は韓国を植民地扱いにしてない」と断言出来る。
 失礼ながら、内容が奴婢から皇室にまで及んでしまった。
 古い地図と国旗は、半島は中国の属国だったことの証明だ。 

大韓民国の物語   著・季榮薫(イ・ヨンフン)
「親父は奴婢だった」から引用
 読者の皆さんは詩人・徐廷柱(ソ・ジョンジュ)の「親父は奴婢だった」から始まる「自画像」1937年)という詩をご存じでしょうか。
 この偉大なる抒情詩人は父親が奴婢身分の出でした。
 詩人は奴婢の身分を恥じました。
 そこで「世の中は行けども行けども恥ばかりなり」と詠いました。ところで李朝時代における奴婢の売買文書を見ると「寿介(スゲ)」というちょっと粋な名前がしばしば目につきますが、実際には「犬っころ」という語の当て字でした。
 詩人は自分をその犬っころに喩えています。
 「舌が垂れ下がった病犬のように息せき切りながら我は来たり」と。私はいまだかつて、このように自身の卑しい身分を、ある時代の痛みにまで昇華させて詠う高潔なる精神に触れたことはありません。この詩人はしばしば親日派と罵られていますが、私はこの詩の一篇だけでも彼を愛してやみません。
親父は奴婢だった。夜遅くなっても帰ってこなかった。
葱の根っこのような白い頭の祖母と、棗の花が一株植わっているだけだった。
お袋は月を眺めながら、初モノの満洲杏を一つくらい食べたいと言ったけれど……
すすけたランプの下で
爪の先が黒いそのお袋のせがれ。
甲午の年だったか海に出て行ったまま帰ってこないという
祖父のふさふさの髪の毛と、あの大きなまなこがおまえに似ているという。
二十三の年まで自分を育ててくれたのは八割が風である。
世の中は行けども行けども恥ばかりなり。
ある者は我が眼に罪人の形相を見出し
またある者は我がロに生まれついての痴を見出して行かん
しかし自分は何も悔みはしない。
燦々と開けきたるある日の朝にも
額の上に乗っかる詩の露には
教条の血のしたたりがいつも混じっている
陽ざしであれ日陰であれ、舌が垂れ下がった
病犬のように息せき切りながら我は来たり。
                  (未堂・徐延柱「自画像」前文より)
 奴婢といえば思い出されますが、1920年代に全羅南道の求礼土旨面に住んでいた両班の柳氏一族が残した日記には、正月一日に家の奴婢たちが訪れてきて、居間に座っている主人に向かって新年の挨拶を行う光景が描写されています。
 その日、主人は「たとえ世の中が変わったとはいえ、主人と奴婢の間の上下の義理は変わらない」と日記につけました。そのように、年が改まれば主人の家を訪ね、屋敷の中庭で犬のように腹這いになって挨拶を行わなければならなかったのが奴婢という身分でした。そして、その奴婢身分が農地改革によって消えてしまったのです。
終言・歴史からの自由を   平々凡々の生活誌で
 大韓民国は「歴史問題」で風邪をひいています。かからなくてもいい風邪に意味もなくかかっているのです。だから余計に体と心が痛いのかも知れません。風邪の原因とは誤った歴史観です。歴史観を明るく健康なものにすれば、風邪はたちどころに治るでしょう。
悪夢にうなされていたものが、たちどころに明るい陽ざしの朝を迎えた気分になるでしょう。人びとの歩みには再び活気が満ちあふれ、笑顔でお互いに親切にしあえる社会となること請け合いです。だから歴史観を正す必要があるのです。いいえ、歴史そのものから自由になる必要があるのです。先進的な人間とは歴史から解放された自由人のことなのです。
 誤った歴史観は、過去百三十年間の近現代史を汚辱の歴史として子供たちに教えています。すなわち、宝石にも似た美しい文化をもつ李氏朝鮮王朝が、強盗である日本の侵入を受けた。それ以後は民族の反逆者である親日派たちが大手を振った時代だった。日本から の解放はもう一つの占領事であるアタリカが入って来た事件だった。
 すると親日派はわれ先に親米の事大主義者にその姿を変えた。民族の分断も、悲劇の朝鮮戦争も、これら民族の反逆者たちのせいだった。それ以後の李承晩政権も、また1960~70年代の朴正煕政権も、彼らが支配した反逆の歴史だった。経済開発を行ったとしても、肝心の心を喪ってしまった。歴史においてこのようにして正義は敗れ去った。機会主義が勢いを得た不義の歴史だった、というのです。
 私は本書において、現行の中学校・高等学校用歴史教科書にまで深く入り込んでいるこのような誤った歴史観の問題点を批判してきました。そして未熟ながらも自分なりに批判的な想像力に基づいた歴史観を示してみようと努めました。

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2010年5月25日 (火曜日)

朝鮮半島の恥ずかしい風習

 5月24日(月)、ビートたけしの 「TVタックル」は、「日韓併合から1Image100年!!韓流ブームの裏に深い溝!!」がテーマだった。
 まず韓国の諺を紹介していた。
  「倒れた者の後頭部蹴り
 「風邪も他人にやらない
  「姑への腹立ち紛れに犬の腹をける
 等々、
 韓国の国民性を端的にあらわしていると思う。
 韓国を代表する整形美女金慶珠(キム・キョンジュ、昭和42年生れ、東海大学准教授)が懸命に弁明に回っていた。
 集中攻撃を受けていたが、絶対に納得するはずがない。
 このような人は、常に在日代表としてコメントしているのであり、カメラの向こうに多くの在日の目があることを意識して発言していることを理解する必要がある。

 しかし、いつまでも腫れ物に触るような放送では、日本国民にまで誤解を与えてしまうことわざ程度で遠回りに指摘するのではなく、ズバリと、次のような制度や風習の証拠写真や文書を示して国民に紹介して欲しいものだ。 18

 朝鮮半島には、かつて、他国には知られたくない非常に珍しい風習があった。
 忘れ去りたい、恥ずかしいことばかりだという。
両班が白丁などを奴隷としてこき使った「奴隷身分制度
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuunanadai
女性は胸を出していた「乳出しチョゴリ
子供を産める女の証として、妊娠したまま嫁ぐ「試し腹
人間の大便を舐めて体調を判断する「嘗糞(しょうふん)」
指を切って血を飲ませる「指詰め供養
内股の肉を切って捧げる「割股供養
伝統芸能の一つ「病身舞(ピョンシンチュム)」
 こうした風習は朝鮮時代まで続いていたが、日韓併合後に日本の指導で徐々に禁止させた。ただ根強い抵抗で復活したものもあるという。 
 最近では、韓国の若者には「乳だしチョゴリ」のことなどは教えないので、誰も知らないらしい。
 都合の悪いことは絶対に教えないのだ。Photo
 歴史を歪曲させる程度は、へのカッパと言われている。
 同時に日本が道路、橋、鉄道、港湾、ダム等のインフラ整備から教育、商工業の発展まで、多岐にわたり近代化に貢献したことも歴史から消し去ろうとしている。http://photo.jijisama.org/OldKorea.html
 忌まわしい制度や風習を禁止させたことだけでも、日本に感謝すべきだ。
 ただ、日本国内に持ち込まれた風習や制度があった
  これが、日本の政治や治安問題に深く関連している
 まず、「指詰め」は日本のヤクザ社会に引き継がれた。
  ヤクザの半数前後が在日関係と言われる証明でもある。

 また、白丁等の奴隷階級にあった人達が、本国での差別から逃れたいことと自分の素性を知られていない土地に移り住みたい願望から、大量に日本に入り5014441定住されてしまった。

 今、「在日コリアン」などと呼ばれ、日本人からより、韓国、つまり自国民から強く差別されている理由はここにある。
 右の写真は、外出する両班を奴隷の白丁が乗せて運んだ車
 農作業で使う猫車の原型となって日本に入ってきた。
 これは使いかってがいい道具と思っている。
http://zoome.jp/freetibet/diary/1

Tonsulunchibannoyaku

朝鮮半島には、かつて面白い風習があった
※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)等からのコピーです。
嘗糞(しょうふん)
 人間の大便を舐めて、その味が苦ければその人物の体調は良くなっており、甘ければ体調が悪化していると判断する、古代中国や朝鮮半島の李氏朝鮮時代まで行われたという診断法。
 中国の南北朝時代や唐代の説話集『二十四孝』や『日記説話』によれば、南斉時代に庾黔婁と言う役人が不安に襲われて急遽帰郷すると父親が病気になっいて、医者に糞を嘗めて見ないと状態が解らないと言われ、実際に糞を嘗めてみた結果、その味が甘かったので憂いたとされ、これが儒教における孝行の一種「嘗糞憂心」の説話となった。
試し腹
 「女は子を産む道具でしかない」朝鮮では、「道具(女)が不良品(不妊症等)であってはならない。故に、『これこの通り、妊娠できる体でございます』ということを証明するために、「種男」という男に娘を犯させ、妊娠した状態で輿入れさせる」。これを「試し腹」と言う。
 産まれてくる子供は、当然夫の血を引いていないため、妻と同じ奴隷的な身分しかなく、結婚はおろか大人になるまで成長する者も稀だった。自分の娘を血縁の近い男(兄や叔父)に妊娠させて、妊娠できる女と証明させて嫁がせる儒教思想が暴走した悪しき習慣だそうです。日帝が禁止した朝鮮時代の悪しき風習だ。
病身舞(ピョンシンチュム)は、
 大韓民国慶尚南道密陽に伝わる伝統芸能の一つ。
 ハンセン病患者、小人、身体障害者、せむしなど、「身体障害者・病人=病身」として表現される。女流演劇家の一人である孔玉振(コン オクチン、1931年~)が、一人舞台で病身舞を演じてから、マスコミを通じて韓国中に知られることとなり、大衆娯楽化した。 日韓併合とともに、集会取締令の対象の一つとして禁止され、日本の敗戦後に復活する。
指詰め供養
 朝鮮半島には「ひとの両親の病気に指を詰める」という諺がある。
 人の心配事に介入し過ぎる人をけんつく言葉だ。 ことわざが示唆するように朝鮮(チョソン)時代までは両親の病気がなかなか治らない時、息子が指を切って指から出てきた血を供養することは、最高の孝行とされた。



「女は三日殴らないと狐になる」
「他人の牛が逃げ回るのは見ものだ」
「他人の家の火事見物をしない君子はいない」
「弟の死は肥やし」
「梨の腐ったのは娘にやり、栗の腐ったのは嫁にやる」
「母親を売って友達を買う」
「営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴る」
「姑への腹立ち紛れに犬の腹をける」
「あんな奴は生まずにカボチャでも生んでおけば、煮て食べられたものを」
「人が自分にそむくなら、むしろ自分が先にそむいてやる」
「家と女房は手入れ次第」
「野生のまくわ瓜は、最初に独り占めした物が持ち主だ」
「らい病患者の鼻の穴に差し込まれたにんにくの種もほじくって食べる」
「一緒に井戸を掘り、一人で飲む」
「自分の食えない飯なら灰でも入れてやる」
「川に落ちた犬は、棒で叩け」
「泣く子は餅を一つ余計もらえる」

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2010年5月24日 (月曜日)

民主は無視した、口蹄疫対策



 5月20日 衆議院本会議において、江藤拓議員が宮崎県における口蹄疫被害について、政府の対策を質問した。
 当然、外遊していた赤松農相の責任を追及した。
 本会議場はヤジと声援で騒然となり、与えられた質問時間を大幅にオーバー。
 時間オーバーを理由に質問を切り上げさせようとする与党。
 しかし高木毅自民党議院運営委員会理事のがんばりで最後まで質問が続けられた。
 
 本会議場には、江藤議員の質問が始まる直前迄は席についていた鳩山総理がなぜか退出。本会議場2階のマスコミ記者席もガラガラだった。
 なぜだ。
 口蹄疫問題は日本の酪農に関わる問題だ。
 そして宮崎は今本当に毎日つらい日々を送っている。江藤議員の元に寄せられた多くの地元の声を記事で紹介します。
 是非ご覧下さい。http://www.yamatopress.com

 何故、こういう大事な場面にマスコミはいないのか。
 最初から事実を伝える気がないということなのか。
 マスコミは、皆、事業仕分けに行き、「事業仕分で民主党は頑張っています」と報道し、参議院選前に再び支持率アップを謀りたいのか。

 民主党議員たちのヤジはひどいものだ。
 宮崎で現に10万頭以上の牛や豚が処分されているという現実に置いても、怒鳴り声だけだ。質問そのものを「ヤメロ~!オラ」なんていう声も聞こえる。
 民主党は、まるでヤクザ集団だ

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2010年5月23日 (日曜日)

柔ちゃんは色んな金を掴んだ

 柔ちゃんは、これまで色んなを掴んで来た。
 柔らかから、堅いもだ。I0003

 「ヤワラちゃん」こと谷亮子(34歳)は、この夏の参議院選比例区で民主党から立候補する。
 スポーツの世界では、「最高で、最低でも」、「田村でも、谷でも」、「ママでも」などと“ヤワラちゃん語録”が次々と生まれた。
 このようなコメント能力がマスコミ受けし国民から可愛がられ、また、「政治能力もある」と小沢幹事長の目に止まったのだろう。
 そして、今後は「良識の府」とされ、党派を越えて中立公正な審議をする議会の「バッジ」を付けた議員になる可能性が高い。
 だからこそ、ヤワラちゃんは世間に説明責任が伴う。
 それは、今までは単にスポーツ選手ゆえに、マスコミも国民も黙認して来たと思われる、自身の破廉恥な、問題が多いとされる父親や家族の存在だ。

 父親は、最近でこそ谷専属のトレーナーの肩書きを付けたようだが、
 某週刊誌では、
 「本業は整体師のようだが、ヤバイうわさはいくらでもある。以前、地元・福岡に取材に行ったら、近所の人は『あの一家とかかわりたくない』と、取材に応じてくれなかった。谷氏が当選したら、父親がらみのスキャンダルがひとつやふたつは出てくるのでは。Im00002709ちなみに、谷氏が影響を受けて柔道を始めた兄もかなりやばい人といううわさ。披露宴は欠席していた」(週刊誌記者)
 
 最近の週刊文春の記事では、谷亮子の父親・田村勝美は、こう言ったという、
 「変なことを書いたら、私はキツいよ。いや、ほんとに」
 「あなたの親兄弟を徹底的に私が調べて、記事にすることもできるのよね。」
 また、ヤワラちゃんは私生活でもなかなかのモテモテぶりで、浮き名を流してきた。
 「十文字の金」、「吉田の金」、「谷の金」を掴んで来たというが、今後は「政治家の金」を掴むのだろうか。
 ただし、「イチローの」には逃げられたらしい。
 道場の風呂場の一件は、現役当時の小川直也に目撃されたという。
 恥ずかしい・・・・
 いずれにしても、谷亮子は「いろんな」が大好きなようだ。
 こんなところが、汚れた同士の価値観が共有したのだろう。
 そして、本当の価値が選挙で問われるが、何も知らない国民は投票する。
 もっとも当選しても、評価するはずがない

民主公認・谷亮子のウラの顔
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-f6dd.html

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ブログは民主批判記事がトップ

 昨年8月下旬にブログを開始し、480頁記載した。
 最近は一日平均250~300回前後の訪問者があり、ページ別アクセスはこの数倍にのぼる。
 このブログの存在を知る人は5~6名だから、他は全て検索からの訪問になる。
 左側の「ジオターゲティング」は、アクセスされた方の地域情報が分かるそうだが、ほぼ毎日、全国から訪問をいただいている。
 ページアクセスが高い順番は下記に列挙したが、民主党批判記事が数日で上位に二つ並んだ。
 政治への国民の関心の高さと民主党政権に対する危機感を感じ取ることが出来る。

 ブログの内容は当初、郷里の山形県や居住地の多摩湖周辺の情報と、日々の生活のリズムの中で感じたことに限定する方針でいた。
 しかし、昨年9月、価値観を相容れない政権が誕生した。
 極左集団や暴力団、在日、日教組などから支援を受けて当選した輩が多い民主党議員。若い頃から、そのような団体と密着した活動を続け、思想的に偏った危険人物と思っていた輩の入閣が次々と発表されたことに憂慮した。
 そして、案の定、可笑しげな政策が表面化してきたことは多くの国民の知るとおりだ。
  特に許せないのはバラ色の公約を並べて当選し、政権を執ったら「出来ません」と言い始めたことだ。
 これは国民を愚弄し、騙したことである。
 それでも支持する人は、犯罪者である詐欺犯人と共謀し、何かの利益、恩恵を受けている人達であろう。
 いずれは国民から鉄槌が下るであろが、数にものを言わせ重要法案を次々に成立させている。
 それにしても、民主党の衆議院議員308議席は多すぎる。
 不毛の時は、まだまだ続く。
 国民の心の喪失感は大きい。
 一時でも期待したからだ。
 そして、諸外国からも軽視され、国益の損失は限りなく甚大だ。

1位:暴力団の支援を受ける民主党
2位:民主公認・谷亮子の裏の顔
3位:九星(生まれ年と月)による相性
4位:九星別相性/干支別相性
5位:漫画家・佐藤タカヒロの紹介
6位:江戸の処刑場
7位:江戸以外の諸藩の刑場
8位:「毒を以て毒を制す」作戦?
9位:世田谷一家殺人事件・最新情報
10位:都内で山形の味を楽しめる店
11位: 都道府県別・事件発生件数%
12位: なぜ芸能界に「在日」が多い?
13位: 追いつめられると弱い偉い方々
14位: 最高のパワースポットは皇居
15位: またNHK偏向放送を見てしまった 
16位: 庄内空港は需要予測上回った

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2010年5月22日 (土曜日)

商売は評判が大切、政治も同じ

 料理店などのご商売は、評判が客を呼ぶ。
 政治の世界も同じと思う。
 勿論、評判だけで政治をしてはいけないが・・・

 2ヶ月に一回程度だが、20年も前から行き付けの中華料理店がある。
 昔ながらの、古びた店舗とシンプルな味が我が家の体質に合う。
 久しぶりに行くと、店の人が「前にメガネを忘れたでしょう」と声を掛けてきた。
 確かに数ヶ月前、老眼鏡を無くしたが、ここに置き忘れたとは思っていなかった。
 店の人は、きっと、あの客はまた来ると思っていたのだろう。
 ちゃんと取って置いてくれたことと、頻繁に来る常連とは言えない客の顔を覚えていることに感謝した。

 東大和市にも、10年程前から「ラーメン街道」などと呼ばれるところがあり、約1キロの間に20数軒のラーメン店が軒を並べている街道(けやき通り)がある。
 行列が出来るような店には足を運んだが、何処も口に合わない。
 二度足を運んだところは全くない。

 我が家では全員が、ちぢれ麺の「支那そば」が好きで、旅先でも、この文字が目に入ると自動的に立ち寄ることがあるが、ここに勝る店がまだ見あたらない。
20108
 ラーメン店に限らないが、客商売は客が客を呼ぶと言う
 評判、口コミはバカにはできないものがある。
 食中毒、店主らの不祥事で店を閉めたところは何軒もある。

 政治の世界も同じようなもので、評判を落とせば一気に支持率を低下させる。
 客が客を逃がすことが多い。
 つまり、民主党が食べ物屋なら、とっくにつぶれているはずだ。
 客(国民)の忘れ物(約束)をお返しするような政治が大切なのに・・・・。

 それが、国民と約束したことを全て裏切るような政治では、「美味い物を食べたい」と期待して来た料理店が、全く別の味になっていたのと同じだ。
 民主党を飲食店に例えるなら、店先だけを派手なネオンと美人ホステスで迎え入れ、店内には、どうしようもない料理やホステスを揃えている店と同じだ。
 騙されて入った、下心があったお客(国民)が悪いとしか言いようがない。
 マスコミと言う、派手な呼び込みに騙されたのかも知れないが・・・・・。

 しかし、店構えは良くないが、期待を裏切らない店には今後も行くことだろう。
 

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2010年5月21日 (金曜日)

築地の穴子天丼とワラビ

 急に「穴子天丼」が食べたくなり、築地に行くことにした。
 西武新宿線の中井駅で大江戸線に乗り換え、約1時間20分で到着する。Photo_4
 以前は山手線・新橋駅から歩いたこともある。
 築地には年に4~5回行く程度だが、場内にある天ぷら料理の店「天房」の「穴子天丼」が気に入り、行くたびに同じものを食べている。穴子料理は、「高はし」も人気なのは知っているが、浮気しないのが当家流だ。
 今日も近隣の寿司屋に行列が出来ていたが、この店は行列が出来るほどではないので落ち着いて食することが出来る。
 いつものように、穴子天ぷら二本が丼からはみ出している。
 1300円だ。
   東京都中央区築地5-2-1 築地場内6号館「天房」 (てんふさ)
  電話: 03-3547-6766Photo

 次は、場外を一周する。
 今の時期は、山菜を探すことにしている。
 山菜なら何でも好きなのだが、目がないのが「ワラビ」だ。
 置いてあるところは数件見つけたが鮮度が悪い。
 郷里の山形では自分でも採りに行ったし、両親が元気なころは採りたてを、年に数回は送ってくれたので鮮度にうるさい。
 築地のように人出のあるところでも、売れないまま数日経っているのだろう。
 マイナーな食べ物なのだ。しかし、鮮度は一目で分かる。
Photo_3
 5~6軒眺めて、ようやく納得行く店があった。
 「こごみ」は山形産、「わらび」は秋田産で、いずれも鮮度はいい。
 買いそうな顔をしていたのだろう。
 「今日入ったばかりだよ、お兄さん」と声を掛けられる。
 一箱788円、一箱でも十分な量だが、二箱にした。
 アク取り用の「灰」も付いている。
 これで一週間は、「ワラビ」料理に毎日有り付けるだろう。Warabe

 我が家では、「おひたし」にしてショウガ醤油を掛けて食べるのが一番と思っている。
 他には、味噌汁や納豆汁の具、わらびの玉子とじ、「ワラビたたき」も旨いのだが山椒が直ぐには手に入らないので次回にする。
 ワラビには血管年齢を若返らせる働きがあるという。

 「ベジタブル石橋」(野菜専門店) 電話番号 03-3545-1538
 場外のほぼ中央にある。
 この店のおばさんに、「今度来るときは、ワラビがあるか電話するから頼むね」と告げて来た。「お兄さん覚えとくよ」と元気のいい返事が返ってきた。Dscn3906
 野菜類は築地で、一番品揃えがいい店とみた。

あく抜きの方法
1.大鍋に多めの水を沸騰させる。
2.沸騰したら中火にして「わらび」を入れる。
3.「灰」を杯数入れて数回かきまぜる。
  灰の代わりに重曹を使用するときは、水1㍑につき重曹小さじ1程度と言われている。椿の葉を使用してもアクを抜くことが出来る。
4.20秒間前後で火を止める。
5.火を止めて、一晩そのまま放置する。
6.翌朝、新しい水に入れ換えさらす。
7.あとは、お好みの料理で食す。

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菊池寛創業の文藝春秋のこと

 文藝春秋週刊文春を読む機会は多い。
 もっとも、購読するようになって40年もなるからファンの一人でもある。

 読みかけの雑誌は無造作に居間に置いてあるが、家族はどの程度読んでいるのかは知らない。置きっぱなしに出来るのは、女性ヌードが全く無いこともある。
 最近、こんなやり取りがあった。1006
 久しぶりに帰宅した息子が、「文藝春秋の6月号」を見て、「これ文藝春秋の人からもらったよ」と言う。
 「それで読んだのか」と質問すると、「まだ読んでない」と言う。

 実は、息子は千代田区紀尾井町の文藝春秋・本社の近所で仕事をしている関係で、文藝春秋の方から、文藝春秋や週刊文春を直接いただくことがあるのだそうだ。

 「もったいないじゃないか。今月号には、藤沢周平や井上ひさしの山形県出身者800pxbungei_shunju_head_office_1の特集が掲載しているから、今度会ったら、このことを話題にしろ。」と、ほぼ読み終えた文藝春秋を持ち帰らせた。
 「文藝春秋」を無料でいただけるという、自分の状況と有難味を分かっていない。

 株式会社文藝春秋は1923年、芥川賞、直木賞の設立者でもある菊池寛が創業した。日本を代表する老舗の出版社だ。
 「月刊・文藝春秋」「週刊文春」「Number」は読むことが多い。時に週刊文春には問題記事を掲載することもあるが、信頼出来る報道機関と思っている。
 
 息子にも、文藝春秋の編集姿勢などは一通り教えてあるので、多少は認識を改めて「文藝春秋」の皆さんと接することだろう。
 どこで、縁がつながるか分からないものだ。
 末永く、宜しくお願いしたい。
   
株式会社文藝春秋 〒102-8008  東京都千代田区紀尾井町3-23
 電話03-3265-1211
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2010年5月20日 (木曜日)

民主公認・谷亮子の裏の顔

 鳩山民主の最後の「悪あがき」が始まった
 
 今週の週刊文春の目玉記事は、谷亮子スポーツ選手だから報じられなかった「ウラの顔」であり、長年マスコミがタブー視してきたことだ。
 タブーと言うと、避けてきた程度にとれるが、取材と報道を怖がってきたのだ。

 血のつながった親族がなぜ、議員失格の烙印を押すのか
 そのウラには、これまで報道されなかった谷と家族の秘密があった。

 「国政の場に出る以上、谷は自ら、父と暴力団の関係などを明らかにして、総括する必要があるのではないか。」と、文春の記者は谷亮子の父親・田村勝美氏(62)からの脅しにも負けずに、このような記事を書いている。Map
 きっと怖かっただろう。
 福岡までの足取りも重かっただろう。
 谷亮子の父親・田村勝美は、こう言ったという
 「変なことを書いたら、私はキツいよ。いや、ほんとに
 あなたの親兄弟を徹底的に私が調べて、記事にすることもできるのよね。」
 これは、やくざもん独特の言い回しだ。
 暴力団はヒマにまかせて、狙った対象(獲物)には興信所なみの徹底した尾行を付けたりして調べるという。
 このセリフ一つで谷亮子のウラの顔と、殆どのマスコミが尻込みしてきた状況を伺い知ることができる。これが、国政を狙う立場の人物の親の言葉だ。
 親子の信頼関係は強く、これまでもいろんな場面で影響を受けているという。
 親と子は別だというなら、二世議員や支持母体のことは問題にすべきではない。
 
 週刊文春は、信頼出来る報道機関だ
 本社は、千代田区紀尾井町3番23号 電話03-3265-1211
 今回の取材は本当にご苦労様と言いたい。

 他の大新聞やテレビ局は、腰が引けて取材の申し込みも出来ない。
 もし取材する方向に動くとしたら、周りのマスコミや国民の反応を見てからだろう。
 単独で動いて、リスクを負いたくないからだ。
 本当にずる賢いのだ。
 せめて、事情に詳しい「西日本新聞」に頑張って欲しいが、過去の事件報道でも「ヤワラちゃん」の父親と分かるような記事は書かなかったというから期待は出来ない。

 今週の週刊文春の目玉記事は、「ヤワラちゃん」の父親・田村勝美氏(62)と実兄・田村幸次氏(67)からの取材だった。
 他にも、吉田秀彦との熱愛、十文字貴信とのデートなど数々の浮き名も紹介。

Shukanbunshun_100527_mag

谷亮子スポーツ選手だから報じられなかった「ウラの顔」
そんな勝美氏に話を聞いた。
――小沢氏との関係はどのようなものなのか
 「17年くらい前に後援会を通じて、亮子がサインをしてあげたんです。結婚式も最初から最後まで出席していただいた。長いお付き合いをして咄った小沢先生の人間性に惹かれたのが大きいんじゃないかなと思う。たとえば、小沢先生が自民党でも行ったでしょう」
――かつて実刑判決を受けたご自身の過去について、どう受け止めているのか
 「それは個人情報の範囲だから。僕はそのことについて、喋ったことがないのよ。20年も30年も前の話を出すのはマスコミの仕事じゃなくて、これからどうやって生きていくかが問題であってさ。そのことについては、一度も話したことありませんよ」っていう軽い感じで行きましょうよ」
――親族から借りた保釈金350万円の返済を、だいぶ渋ったと聞くが
 「それはよくわからんね。そういうことを書く必要があるのかな。あなたの親兄弟を徹底的に私が調べて、記事にすることもできるのよね。文春の社長のことも、爺さん、婆さん、孫に至るまで全てを調べて、万引きしたかどうか、報じることもできるわけ。しよう
と思えば、僕はやるよ」
 そして取材の最後に勝美氏は、こう言い放った
 「変なことを書いたら、私はキツいよ。いや、ほんとに。紳士的に行きましょう」
 国政の場に出る以上、谷は自ら、父と暴力団の関係などを明らかにして、総括する必要があるのではないか。
 幸次氏が締めくくる
 「勝美は出所した後も、一向に悪びれる様子がなく、反省の弁も聞いたことがありません。それどころか、今日まで、迷惑をかけた私に謝罪の一つもないままです。亮子からも、世話になった感謝の言葉もない。国会議員になろうというなら、出馬表明する前に、まずは一人の社会人として、自分たちが世話になった人達に、目を向けるべきではないですか」

その他の内容

西日本新聞の記事の紹介
 1990年1月26日付夕刊で、「田村容疑者は、入院もしていないのに十二指腸かいようなどで入院したという偽診断書を作り・・・・計480万円をだのし取ったのをはじめ・・・・」
実兄・田村幸次氏の証言
 ▼勝美は、主に(交通事故に介入して高額な報酬を要求する)示談屋で生計をたてていた。 
 ▼亮子が中学3年の12月福岡国際女子柔道選手権で史上最年少で優勝した当時、勝美は刑務所で服役中だった。
 ▼私たちは8人兄妹だが、私以外は勝美一家と絶縁状態だった。
 ▼亮子の兄・徹は、5年前覚醒剤で逮捕されたことがあった。
 ▼兄・徹は前妻との間に生まれた子供だ。
 ▼勝美は中洲のクラブでドアボーイをしていたとき、そこで働いていた和代と、徹のことを隠して付き合っていた。
 等々。
 あとは購入して読まれたい。

福岡市東区城浜団地

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週刊文春・谷亮子「ウラの顔」

 毎週木曜日は、「週刊文春」と「週刊新潮」の発売日だ。

 今週の中吊り広告からは、週刊文春で勝負ありだ
 まっすぐ、週刊文春に手が伸びるだろう


 谷亮子スポーツ選手だから報じられなかった「ウラの顔」
 文春は、どこまで迫っているか早く確認したい。

 当ブログでも、いち早く「暴力団の支援を受ける民主党」と題して掲載している。
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-3eea.html

 この雑誌社はいずれも老舗であり、ともに「新聞・テレビが書かない記事」を書く週刊誌というスタンスで信頼性が高い。
 もし、これらの雑誌社まで、共産党や社民党などの左翼政党、創価学会などの宗教団体、右翼や暴力団、日教組、また日本を敵視する外国におもねるような記事を書くようになったら、それこそ日本はおしまいと感じるだろう。
 また、「週刊現代」や「週刊ポスト」が女性ヌードを掲載して売り上げを伸ばしたあとも、「女性ヌード」はなく、通勤時など人前でも安心して読める雑誌だ。

■「週刊文春
  発売日:毎週木曜日。価格:350円
  http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/
 谷 亮子スポーツ選手だから報じられなかった「ウラの顔」
 「議員でも金!? 国民をナメてはいけない」
 父親の逮捕。恩人に相談せず小沢と密談。
 伯父が「あの夫婦の子は政治家にはなれん!」と断言する理由は……

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■「週刊新潮」
 発売日は毎週木曜日、価格は320円。
    http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/
鳩山幼稚園」の廃園準備
▼虚ろな目でゴメンナサイ「鳩山総理」は偉い子だった!
▼「総理に腹案はない」と断言していた「岡田外相」腹の中

■上海万博「日の丸」を掲揚しない卑屈すぎる「日本館」

20100512

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2010年5月19日 (水曜日)

都内8箇所の米軍基地マップ

 国内の米軍関連施設は、都内にも8箇所もあることは意外に知られていない。
 8箇所の概ねの位置を地図に落としてみた。
 「硫黄島(いおうとう)通信所」のことは、東京都小笠原村にあることから、東京都民にも縁遠く感じられているようだ。
 なお2007年、国土地理院は、硫黄島の呼称が「いおうじま」から「いおうとう」に変更した。この背景には、旧島民が「いおうとう」と呼んでいることにあるという。
 ここに紹介したのは、何も邪魔に思っているからではない。
 世間が沖縄の基地に注目しているから、バランス感覚で知って欲しいだけだ。
 
横田飛行場(横田基地)(Yokota Air Base)
 旧日本陸軍多摩飛行場。在日米軍司令部や第5空軍司令部、OSI(特別捜査局)などが置かれる。沖縄県・米空軍嘉手納基地に次ぐ、国内最大級の米空軍基地で、3.350mの滑走路を持ち、主に輸送基地として使用されている。
 司令官は極東地区全域の司令官を兼務する。首都・東京都に置かれ日本占領の象徴的基地と言われた。つまり、日本の首根っこを押さえるという意味を持つ基地だ。今は、日米安保条約に基づき配置された国内の最重要基地
 ベトナム戦争当時は米兵の慰安基地でもあった。また、ベトナム戦争の米兵戦死者を立川基地や横田基地、王子野戦病院等に搬入して洗浄し本国に送還していた。これは日本人の高収入源だったことは知られている。
 連邦司法省刑事局特別捜査部Office of Special Investigation)通称「OSI」のことは殆ど知られていない。米国内の白人至上主義者グループ(KKK、ネオナチ、ミリシアなど)は、軍隊まで尾を引いてあるという。これは、唯一絶対の神が自分に似せて創った人間が白人で、他はサルや下等生物とする主義だ。原作・ピエール・ブールによる、白人至上主義の代表的映画「猿の惑星」の猿は日本人がモデルだ。
 おっと、これ以上横道にそれたら大変だ。

赤坂プレスセンター(Akasaka Press Center) 港区六本木7丁目23 
 旧日本陸軍駐屯地だった。都立青山公園に隣接している。都心の麻布六本木に今なお米軍基地があることはあまり知られていない。現在は、ヘリポート、星条旗新聞社、独身将校宿舎、ガレージとして使用。近く約4,700平方メートル返還の見通し。    
府中通信施設(Fuchu Communication Station)
 旧日本陸軍燃料廠だった。順次返還され、現在は107mの通信鉄塔と施設1棟のみがある。横田飛行場、大和田通信所、上瀬谷通信施設(神奈川県)との中継通信基地となっている。
多摩サービス補助施設 (Tama Service Annex)  
 旧日本陸軍多摩火工製造所だった。接収当時は弾薬庫として使用していたが、現在は、ゴルフ場、キャンプ場、野外スポーツ等のレクリエーション施設となっている。
大和田通信所(Owada Communication Site)
 旧日本海軍気象通信所だった。清瀬市と埼玉県新座市にまたがる受信通信施設で、基地内にはパラボラアンテナ、LPアンテナなどのアンテナが立ち並ぶ。
由木通信所(Yugi Communication Site) 八王子市別所の長池公園に隣接。 
 横田基地関連の通信施設として米軍に提供され、極超短波(UHF帯)通信中継施設として使用され、通信鉄塔のみが置かれている。重要な情報が集められている。
硫黄島通信所(Iwo Tou Communication Site)東京都小笠原村硫黄島
  昭和43年、小笠原諸島の日本復帰後も引き続き米軍が使用。現在は、海上自衛隊の揚陸場や滑走路を共同使用している。
ニューサンノー米軍センター(New Sanno U.S.Forces Center)
 港区南麻布 4-12-20  山王ホテル士官宿舎の代替施設として、昭和58年に米軍に提供され、会議及び宿泊施設として使用され、また日米合同委員会が開催される。

Photo

 施設名 所在地 用    途 管理部隊
横田飛行場 立川市、昭島市、福生市、武蔵村山市、羽村市、瑞穂町 飛行場(滑走路(3,350m×60m)、住宅、学校、事務所等 米空軍第374空輸航空団
赤坂プレスセンター 港区 事務所(星条旗新聞社、宿舎、ヘリポート等) 米陸軍基地管理本部
府中通信施設 府中市 通信(事務所、通信施設) 米空軍第374空輸航空団
多摩サービス補助施設 多摩市、稲城市 レクリエーション施設(ゴルフ場、キャンプ場等) 米空軍第374空輸航空団
大和田通信所 清瀬市(新座市) 通信(通信施設) 米空軍第374空輸航空団
由木通信所 八王子市 通信(無線中継所) 米空軍第374空輸航空団
ニューサンノー米軍センター 港区 その他(会議宿泊施設等) 米海軍横須賀基地司令部
硫黄島通信所 小笠原村 通信(訓練施設) 米海軍厚木航空施設隊
合 計 16,030,740㎡(約1,603ヘクタール)

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宮崎県「口蹄疫」非常事態宣言

 宮崎県に「口蹄疫」の非常事態が宣言された。
 とりあえず、なにか出来ないのかと思い、宮崎県の東国原英夫知事のサイトから、「そのまんま日記」をコピーし紹介する。
Akamathus
  責任者は、愛知県第5区選出の赤松農水相
 国の一大事に、のんびり外遊していた男だ。
 こんな情けない男が大臣なのだ。
  暴力団の支持で当選している
 その上には、「子ども手当て」を受けている鳩山総理もいる。
 最悪の事態が発生しているのに何ら手を打てない輩だ。
 こんな最悪の民主党議員を選んだのは多くの国民だ。  
 
 これは、民主党が言う政治主導の完全な失敗、
 危機管理に、無能なことが証明された事件だ
 責任感のかけらも持ち合わせていない政党だ。

 「口蹄疫」、この病気は伝播力の高さ、罹患した動物の生産性の低下、幼獣時の高い致死率という特徴を持つ。罹患した家畜は他の家畜への感染拡大を防ぐために、先進国では発見され次第殺処分される。畜産関係者から恐れられている病気だ。
  

宮崎県における「口蹄疫」非常事態宣言
2010-05-18非常事態宣言O037902731273649168226
 本県における「口蹄疫」発生に対し、これまで、発生農場や農業関係者は勿論、国・県・市町村・農業団体等が一丸となって懸命の防疫措置を講じて来ましたが、いまだにその拡大が止まりません、
 このため、ここに県内全域に非常事態宣言を発することに致しました。
 口蹄疫感染拡大を阻止し、一日も早く、撲滅・終息できますよう、県民の皆様並びに県内のあらゆる機関・団体・企業・組織の方々に、一層のご理解・ご協力をお願いするものであります。
 ※不要不急の外出は控えること、
 ※家畜・畜舎・えさ・車両等の消毒、
 ※畜舎等への出入りは極力控え、出入りする場合はマスク等を着用すること
 ※畜産農家への訪問・接触は差し控えること、
 ※イベント・大会・集会等は当面延期すること。やむを得ず開催する場合は、出入り口等で消毒など防疫措置を徹底すること
 ※一般車両を含め、車で移動する場合は、消毒ポイントにて消毒を受けること
 ※家庭における手足の洗浄、うがい等を励行すること
 ※公共施設・小売店舗・学校など人が集まる場所では消毒マット等の方法により消毒を徹底すること
  等々、お願い申し上げます。
  --中略--
 本日までに新たな判明は10例。殺処分対象は2045頭。発生は、川南町と高鍋町。これまでの累計は101例、殺処分対象は82,411頭。本日までに殺処分が完了した家畜(牛・豚)は、49,198頭。
 
宮崎県を応援したい方、また寄付したい方へ
   公式サイト→ふるさと宮崎応援寄付金 宮崎の牧場主が直接募金口座を開設しました(共同募金で被害にあった牧場主間で分配されるそうです) 

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2010年5月18日 (火曜日)

5月18日施行「国民投票法」

 本日、国民投票法が施行されるので、再度、焼き直して掲載しておく。
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-3569.html

 この「国民投票法」のことは、ほとんどの国民は忘れていることだろう。
 国会論議もマスコミ報道も、作為的に低調だ。
 政権政党の民主党が無視しているからだ。
 3年前はそれなりの論議を呼んでいた法案だった。

 しかし、黙殺していても極めて重要な法律が自動的に動きだす。
 5月18日には、憲法改正手続きを定める国民投票法が施行され、憲法審査会による改正原案の発議が解禁となる。

 この法律が、憲法改正手続きの第一段階だ
 この法律を準備することに、63年の歳月を要した

 しかし、憲法改正の発議には衆参両院の総議員の「3分の2以上の賛成」が必要で、ハードルは高い。このため自民党は夏の参議院選公約で、これを過半数の賛成に緩和する方針を打ち出した。改憲論議のスタート台に立つことすら拒み続ける民主党の姿勢を、自民党幹部は「国会の不作為だ」「政権党とは言えない」などと批判。改憲に取り組む姿勢をアピールしている。(2010/05/02)

  この法律は2007年5月14日に成立している。
 あれから3年経過し、ようやく施行される。
 施行に3年間も凍結された面白い法律だ。
 この法律は、安倍首相の実績の一つだ。

産経主張】『国民投票法施行 憲法審査会で国を論じよ
2010.5.18
 憲法改正手続きのための国民投票法が18日施行された。公布から3年間、凍結されていた憲法改正原案の発議が可能となった。
 画期となるべき日だが、現状を見れば大きな進展への一歩とは言い難い。衆参両院の憲法審査会は設置から2年9カ月が経過しても始動していない。選挙権や成人の年齢を18歳に引き下げる公職選挙法、民法などの関連法も未整備だ。政権与党である民主党が違法状態を放置しているため、改正論議の土俵すら整っていない。
 それでなくとも中国や北朝鮮の脅威が増大し、日本の安全保障環境は悪化する一方だ。憲法9条の改正や集団的自衛権の行使容認問題など、日本の安全をいかに確保するかを論じる必要性が格段に高まっている。にもかかわらず、政権政党が国家の基本的課題に向き合おうとしないことは問題だ。
 参院では、審査会の委員数などを決める審査会規程も制定されていない。両院の審査会で、まずは関連法整備に着手することが急務である。
 鳩山由紀夫首相は、憲法審査会が動いていない現状について「暮らしに直結する経済、景気、雇用の問題を議論してもらいたい国民の気持ちの表れ」だと分析した。ばらまき政策が重要で、国のかたちについての憲法論議は必要ないとでも言うのだろうか。憲法論議を避けたまま、外国人参政権など主権にかかわる政策を実現しようとしている点にも問題がある。
 過去を振り返れば、民主党は国民投票法の制定に向け自民党と協議していたが、3年前に安倍晋三首相(当時)が憲法改正への積極姿勢を示したのに反発、反対に回った。
 その後は「与野党が議論する環境にない」と、憲法審査会の活動を阻害し続けている。
 政権を担う立場になっても制定時の手続き論にこだわり、なぜ憲法改正が必要かの本質論に入ろうとしない姿勢が問われている
 「新憲法試案」の著書もある首相は、昨年暮れに改正論議を活発化させると述べた。
 言葉だけに終わらせないことが先決だ。
 小沢一郎幹事長もかつて月刊誌に「憲法改正試案」の論文を発表した。与党の最高責任者として、憲法審査会の始動を指示してほしい。
 自民党は憲法改正原案の提出を検討している。核心となる9条改正や集団的自衛権の行使容認への姿勢を打ち出す必要がある。

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「夜爪は親が早く死ぬ」は迷信?

 深爪が 思い出させる 一燭光

走り出したら、左足の親指がチクチク痛い。202
 前日、深爪してしまったようだ。
 急遽、多摩湖一周を取りやめ、堰堤下の土のところを走ることにした。 コンクリートより土の方がクッションがあって、爪に負担がかからないので痛みが少ない。

 走りながら、子供のころ、母や祖母から「夜、爪を切ると親が早く死ぬぞ」と言われたことを思い出した。それならと、朝切っていると「朝も出かける前は『出爪』と言ってダメだ」と言われる。
 それなら、「いつ切ったらいいのか」と文句ぎみに尋ねたことがあった。
 結局は、休日などの気分がゆったりしている日に、明るいところで落ち着いて切ることだと理解した。
 そうすれば、今回のような深爪することもないということだろう。
 ところが、なかなか思ったとおりに出来ず、個人的には風呂上がりの爪が柔らかくなっているときに切ることが定着した。ほとんどが夜7時前後ころだろうか。

 昔の人が言う「出爪、夜爪はいけない」ということには、ちゃんと理由があった。
 昭和初期までは山形県の村々には電気がなく、暗がりでの爪切りは危険だった。
 このような事情から、「夜爪を切ると親が早く死ぬ」と子供達に戒めで教えたのだろう。

 因みに、山形県の庄内平野に電気が通じたのは、父親からは、「俺が小学校に入った当時だから、昭和3~4年頃だ。それも夜だけと決められ、明かりも一燭光だけ。それまではロウソクかランプだった」と教えられた。
 これが山形県全域とは限らないので断っておくが、何処も似たようなものだろう。

 電気、水道、ガス、電話など自由に使用出来るようになったのは、地域差は多少あるが、昭和40年代からで、つい最近のこと。
 電気や水道の大切さは、80歳を越す高齢者は皆さん知っていることだ。
 
 

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2010年5月17日 (月曜日)

鳩山由紀夫総理の実績

 内閣総理大臣 鳩山由紀夫氏は、衆議院議員として北海道9区から選出されている。
 昨年9月に鳩山政権が誕生し、数々の実績を残している。Canvas1
 早ければ、あと1ヶ月程度で退陣の可能性もあるので、実績をまとめてみた。
 ただ、鳩山首相本人の意向では、「せめて1年は首相を続けたい。あの安倍晋三さんだって1年やったのだから」と、最近、側近に漏らしたという。
 きっと、当時の安倍元総理と心境は似ているのだろう。
 と言うことは、9月まで三ヶ月あるが、果たして大丈夫だろうか。
 このような場合、押しかけ女房と言われる幸夫人が引導を渡すことになるだろう。

鳩山由紀夫総理の実績(末永く記憶に残ることであろう)
月1500万円の「子供手当」を知らないと答えて、新たな脱税方法を教えたこと。
カネがあると総理の椅子も買うことが出来ると証明したこと。
オバマ米大統領に「私を信頼して(Trust me)」と伝えたこと。
米誌に『愚か(loopy)』と指摘され、国会で「愚かな総理」と認めたこと。
鳩の真似をして日本国民から失笑を買ったこと。
在日特権を強化したこと。http://questionbox.jp.msn.com/qa5843145.html
日本国民のためになることは、何一つしていないこと。(事実だ)
法務大臣に死刑廃止論者の千葉景子を任命し、死刑は一件も執行しないこと。
沖縄県民を愚弄し、多くの関係者に迷惑かけたこと。

その他の実績(過去を含めて)※2チャンネルのコピー
■在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
■国立追悼施設を考える会(副会長)
■恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟(恒久平和議連)(会長)
■民主党日韓議員交流委員会(委員長)
■日朝友好議員連盟
■外国人参政権法案を推進(被選挙権まで容認)(朝日新聞のアンケートに「どちらかと言えば賛成」と回答)
■人権侵害救済法案を推進
■国立国会図書館法の一部を改正する法律案(恒久平和調査局設置法案)(提出者)
■金正日総書記推戴の祝賀宴に来賓として出席
■「友愛外交」を提唱(「東アジア共同体」の創設、「友愛ボート」の活用、「ユラギ」の重要性を主張)
■「国家主権の移譲・制限」を明記した憲法試案を作成(「主権の一部を国際機構に移譲」「主権を制限」とある)
■靖国神社への参拝に反対(国立追悼施設の建立を主張)
■所謂"従軍慰安婦"問題の"解決"を主張
■統一教会の「救国救世全国総決起大会」に部下十数名と共に来賓として出席(2005年3月22日)
■崇教真光の「47周年秋季大祭」に来賓として出席、祝辞を述べる(2006年11月)
■鳩山の公式Webサイトにて、不可解な"日本語"が散見され、話題となる(日木、白由、埋解、白由党、白信)(2009年4月22日)
■世界10大リスク第5位に、鳩山政権が選出される(鳩山リスク)(2010年1月4日、ユーラシアグループ)
■民団の広報大使で韓国俳優の李瑞鎮を、首相公邸での夕食会に招き、鳩山自身も同席する(2010年3月17日、首相官邸)
■核安保サミットに関して、「最大の敗北者は断然、哀れで益々逝かれた日本の鳩山由紀夫首相」と酷評される(2010年4月14日、ワシントン・ポスト)
■核安保サミットに関して、「バカが専用機でやって来た」と週刊誌で揶揄される(2010年04月22日、週刊文春)
■日米関係に関して、「鳩山由紀夫首相の信頼はボロボロ」「ジャパン・ディッシング」と酷評される(2010年4月22日、ウォールストリート・ジャーナル)
■鳩の真似をして、日本国民からの失笑を買う(2010年4月29日、新宿御苑、国際生物多様性年記念イベント)
■米国側には、鳩山に対して『愚か・現実遊離(loopy)』と捉え、更に『真の軽蔑(genuine contempt)』があると指摘される(2010年5月4日、産経新聞)

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危険水域・政権断末魔の支持率

 鳩山政権が昨年9月の発足時は、国民の期待感から約70%の支持率があった。
 それが最近は、「危険水域」「政権の断末魔」とされる19%だ。

 支持政党も与野党逆転し自民がトップの座についた。
 政党支持は、「常に政権政党がトップにある」という個人的定石が崩れてしまった。

 支持率がここまで下がり切った原因は、「政治とカネ」「基地問題の迷走」「数々の公約破り」等いろいろあるが、端的に言うなら鳩山由紀夫個人の総理としての資質のなさだ。一貫性のないコメント、命を大切になど歯の浮くような演説、視線の定まらない自信ない表情等々。
 米国からの痛烈な皮肉も解釈できず、屈辱を屈辱とも感じない、何の戦略もないまま総理になり、自らも“愚かな”と認める始末。
 この人物が総理の座にある限り不毛の時が流れる
  同時に国民の不幸も続く
 諸外国からはバカにされ、国益の損失は甚大だ。
 当然ながら、
 鳩山総理を支えるべき閣僚も民主党議員も同罪だ。
 そして、
 本当は308議席も与えた国民にも責任があるのだ。

 当分の間、鳩山政権断末魔
 「死ぬ瞬間の苦しみ」を味わう。

内閣支持続落、19%=普天間で49%「首相退陣を」時事世論調査
 時事通信社が7~10日に実施した5月の世論調査によると、鳩山内閣の支持率は前月比4.6ポイント減の19.1%となり20100514ax04b、昨年9月の政権発足以来初めて2割を切った。
 不支持率は同7.6ポイント増の64.1%。沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題で鳩山由紀夫首相が掲げた「5月末決着」が事実上不可能な情勢となり、首相の資質や指導力不足を問う声が強まっていることなどが要因とみられる。
 支持率が1割台となったのは、麻生内閣退陣直前の昨年9月の調査以来。普天間問題が月内に決着しなかった場合の首相の進退については、「責任を取って辞任すべきだ」と答えた人が49.2%で、「辞任する必要はない」の42.0%を上回った。
 調査は、全国の成人男女2000人を対象に個別面接方式で実施。回収率は68.8%だった。 
 内閣不支持の理由(複数回答)は、「リーダーシップがない」が42.0%(同9.9ポイント増)に急増した。以下、「期待が持てない」38.3%(同3.3ポイント増)、「首相を信頼できない」28.7%(同7.8ポイント増)の順。支持する理由は「他に適当な人がいない」が7.9%で、「首相を信頼する」3.7%と「だれでも同じ」3.7%が続いた。
 資金管理団体の政治資金規正法違反事件を抱える小沢一郎民主党幹事長の進退については、「幹事長を辞めるべきだ」が46.9%(同0.7ポイント増)で、「幹事長だけでなく衆院議員も辞めるべきだ」34.6%(同4.9ポイント増)と合わせ、辞任を求める声が8割を超えた。 

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2010年5月16日 (日曜日)

キリスト教の聖遺物に驚く!

 世界中で最大の信者を擁する宗教、「キリスト教」のことを少し勉強してみた。

 キリスト教には聖遺物として、「聖槍」「聖剣」「聖骸布」「聖杯」「聖娼」「聖櫃」「聖釘「聖十字架」などがあり、信者達は、救世主イエス・キリストにまつわるものとし4_0て、有り難く崇めている。
 このほかに、「茨の冠」「墓の破片」「キリストの血液」なども高値で売買されているらしい。当然ながら偽物が多いどころか、殆どが偽物だという。
 もっとも、創価学会も 『ニセ本尊』を製造販売していたのだから同レベルのことか。とはいえ偽物であっても、信者達は絶対的なものとして崇めているのだろう。
 昔から「鰯の頭も信心から」と言われ、鰯の頭のようなつまらないものでも信仰すると、ひどく有り難くなるというから、第三者はとやかく言う必要がないのかも知れない。
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_top.html

 それから、キリスト教は、欧米かぶれした現代日本人の精神に合うようで、商魂たくましい商売人にこの心理逆利用されている。
 一大産業に発展したはずだ。
 江戸幕府のキリシタン禁教令により、キリシタンは弾圧され火炙りされた宗教だった。それが、あっという間に、結婚式、クリスマス、バレンタインディ、ハロウィン等と、無分別に広がっている。もっとも多くの国民は、深い信仰心などなく宗教の知識も殆どない。
 単なるファッショ感覚
 間違いないのは日本の良き伝統文化の破壊が進んでいることだ。Ail2
http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/index.htm
 キリスト教は、最初は「イエス」を教祖として作られた「教団」ではないことは明らかだ。自分で聖書は書けないのだから当然だ。これは釈迦の経典でも同じことが言える。

 また、約2千年前は「ユダヤ教」の一派で、当時としては問題が多く迫害を受けていた宗派だった。
 それがイエスが処刑された後、弟子のペトロパウロなどが、イエスの教えを思い出しながら、神の言霊とされる「聖書」をつくり、徐々に教団として形つくられて行く。
 そして、4世紀に東ローマ帝国コンスタンチヌス帝が、キリスト教を国教としたことから、今日に続く基盤が作られた。
 ローマ帝国は犯罪者として処刑したイエスを、概ね300年後には、国王自らが神として崇めたのだから、面白い。
 日本で例えるなら、鎌倉時代に北条時宗の怒りに触れて島流しになった日蓮が、後に国の指導者達の信者を集めているようなものだろう。また、創価学会では、いずれは天皇陛下を信者にするという極秘計画があるそうだが、やや似たようなものだろう。

 さて、聖遺物に含まれるのかは疑問だが、「聖娼」のことに触れる。
 キリスト教で「聖娼」と言えば、「マグダラのマリア」を指すという。
 キリスト関連の映画などでは、イエスが処刑される際、十字架の下で最期を見守る二人の女性だ。一人が母親のマリア、そしてイエスの愛人とも妻とも言われる「マグダラのマリア」だ。
 生神女(聖母マリア)に続く、第二の聖人とされている。
 「聖娼」は実在した制度で、簡単に言えば売春婦のことだ。
 このあたりの解釈はいろいろあり、断言すると信者に袋叩きにされるだろう。

 「聖娼」は、ギリシアやイスラエルのほかアジア全域にみられ、日本では「巫女」のことを言う。日本の「巫女」も昔はその役割を持っていた。それが、江戸時代には神社近くに遊郭が栄えたことと関連しているらしい。このことは別の機会に触れる。
 それから、「マグダラ」とは「」を指すという。
 「マグダラの塔」という場所もあった。男根を指すらしい。
 随分と意味深なことだ。
 日本に限らず、世界中で神に仕える女性は同時に「娼婦」でもあったという。

 疑いのある方、もっと深く知りたい方は、次のような本がある。
 購入が面倒な方は「女性の霊性に関する考察」で確認を!
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/metadb/up/LIBAESK01/aes09-107.pdf 

「聖娼」遠なる女性の姿

  聖娼とは、古代文明に実在した制度で、女神の愛を直接触れさせる女性達のこと。
 そこでは、精神と性愛は深く統合されていた。
 その後無意識の奥に失われた聖娼のイメージを、現代の女性(と男性)の癒しに復活させる途を探る。http://www.nippyo.co.jp/book/1125.html4535561265
  序 章 聖娼のイメージを求めて
第1章 女神とその処女
 聖なる儀式
 巫女
 聖娼の起源
 女性へのイニシエーション
 世俗的買春
 聖婚
 聖娼の消滅
 亡霊となった女神
第2章 聖娼の心理学的な意味
 はじめに
 女神
 聖娼
 異邦人
 婚礼
第3章 男性心理のなかの聖娼
 アニマ
 夢の中のアニマ
 D・H・ローレンスの『死んだ男』
 アニマの段階
 中年期におけるアニマの発達
第4章 女性心理のなかの聖娼
 はじめに
 ジェイン、メアリ、スーザン
 アン
 門の前に立つ異邦人
第5章 魂の再生
 分裂した女性性
 マグダラのマリア
 処女マリアと黒い聖母
 時を超える女神
 統合を求めて

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山形県人必見の文藝春秋

 4月29日、鶴岡市に開館した「藤沢周平記念館」のことが、Bungeishunju_1006_mag
 「文藝春秋」22年6月号に掲載された。

 376頁には、「生きる力」藤沢周平この三作、と題して、児玉 清×杉本章子×遠藤展子氏による、藤沢周平の裏話が掲載してある。
 また、「こまつ座が見た井上ひさし」と題して、井上麻矢×栗山民也×辻萬長氏らの対談集も掲載してある。
 山形県出身の「藤沢周平・井上ひさし」の特集号のようなものだ。
 山形県人なら必見の6月号だ。ちょっとオーバーか。

藤沢周平記念館の場所は、山形県鶴岡市馬場町4番6号
開館 午前9時から午後4時30分まで
 (休館~月曜日・月曜が祝日の場合は次の平日、年末年始(12月29日~1月3日)
入館料 大人 300円、高校生・大学生 200円 ※中学生以下は無料です。
交通案内、バス、JR鶴岡駅より約10分、「市役所前」下車徒歩3分、
山形道鶴岡I.C.より約10分

 目玉展示は、練馬区大泉学園町4-27-9の自宅書斎を移築し、藤沢周平の愛用品で再現された場所だという。

 文藝春秋掲載の藤沢周平の書斎」の箇所を紹介したい。
 自宅二階の書斎を展示室に移築・再現。
 この静謐な空間から多くの名作が生まれた。

Photo

小説誌
 「オール漬物」「小説新潮」「別冊文藝春秋」などを発表の舞台とした
本棚 
 時代考証のために使用した多くの研究書や、樹木や花の事典が手に届くところに。
  フセンや書き込みのあるものも
箱類 
 干疋屋や紀ノ国屋の箱に「メモ類」「未決」などと貼って書類を整理していた
タヌキの人形 
 クーラーを嫌い、夏は窓を開け、うちわや濡れタオルで涼をとっていた。
 長女の展子さんがうちわを持ったタヌキの人形をプレゼントしたが「涼しくならないよ」。ここから主を見守ることに
机と椅子 
 1990年ごろまでは文机の前に座っていたが、腰痛が悪化して椅子を導入
くず箱 
 原稿は直しが少なく、書き損じは決してくず箱に投げ込まなかった。
 裏に創作用の年表を書いたり、展子さんの子供の頃にお絵かき用に与えたりしていた
資糾
 
担当者が持参した資料はその出販社の袋に入れて手元に。
 家族が掃除をするときには「大事な資料だから、触らないように」と言っていた
6段の小ひきだし 
 
爪切りや万年筆、サングラスやタイピン、「用心棒」やセロテープ、ラジオ、写真や切り抜きが入っていた。
 「用心棒」とは職場でもらったドライバーのセット。
 「おとうさん用心棒ちょっと貸して、なんて言ってました」(展子さん)
引き戸 
 隣は展子さんの部屋。「私が部屋で聞いていた洋楽を『いい曲だなあ』って言ってくれたときはうれしかった」音楽の好みはクラシックからニューミュージックまで幅広かった
⑩「雪の庄内地方を走る庄内交通湯野浜線
 湯野浜線は、鶴岡から日本海沿いの湯野浜温泉までの12キロを結んでいた(写真・久保田久雄)。「青い海に対する願望は、その後間もなく鶴岡から小さなローカル電車に乗り、砂丘を越えて湯野浜温泉に遠足に行ったときに満たされた。だが「山のあなた」が暗示した土地は、まだ私は見ていない」(『半生の記』より)
愛用の湯飲み 
 書斎では日本茶。朝の散歩で喫茶店に入ってコーヒーを飲むのが楽しみだった
オペラグラス
 
庭に訪れる尾長やヒヨドリを正面の窓を開け、オペラグラスで見つめていた
原稿用紙 
 コクヨの市販のものを使用していた
パーカーの万年筆 
 中細で軽いものを愛用していた
文鎮
 
「湯野浜線廃止記念 庄内交通 1975・3・31」。線路を加工したもの
小物など 
 
ペン立てと、インク壷の置いてあるトレイは展子さんからの誕生日の贈り物。インクはパーカーのブルーブラック。
 胡桃の実はボケ防止と疲労回復に、掌のなかでころがしていた

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2010年5月15日 (土曜日)

出揃ったかタレント候補?

 溺れる者は藁をもつかむ 民主かな

 
選挙は知名度次第と言われる。20080902_material1
 その点、最初から名前が知られている有名タレントは圧倒的に有利だ。
 選挙の候補者は、知名度を上げるには大勢の目や耳に触れる必要があり、チラシ配布、ポスター掲示、街頭演説、テレビ出演と何でもやることになる。
 しかし、その必要がないのがタレント候補だ。
 締め切り直前に立候補しても当選の可能性があると言われ、タレント能力次第で、得票が左右し、応援政党の当選議員数にも影響する。
 単なる「集票マシン」と揶揄される。
 つまり、国会議員として法律を立案する能力は期待されていない。20070215_card
 極端に言うなら、所属政党の言いなりに「ハイ」と言えればいいのだ。
 本来、政治家は豊かな知識と経験を持ち、且つ高い見識と理念で行動し、国の行く末と国民の幸せを最優先に考える方々との希望があるが、この国は違う。

 ましてや、夏の選挙は、良識に基づき、中立・公正な審議をすることが期待され、「良識の府」とされる参議院議員の選出だ。
 だが実際には、この参議院においても私利私欲と所属する政党に支配されることになる。
 この程度のタレント並べて、「何が良識の府だ」と言われる所以だ。
 同じタレントでも、もう少し知性と品性を感じさせる候補はいないのだろうか。

 今のような選挙制度が続くなら、地方区をやめて全国一選挙区がいいという見方や、参議院を廃止し、衆議院一院制導入との意見もある。
 世界に類例がない二院制度と酷評され、衆議院と変わらない方法で選出され、党利党略で動く参議院議員のことは一考の余地がある。
 
タレントで 売れなくなったら 立候補

支持率も 頼みの綱は 有名人


自民党
・比例区~石井浩郎
・地方区~三原じゅん子、田島みわ(麻生真宮子)、堀内恒夫
民主党
・比例区~谷亮子、有田芳生、池谷幸雄、立入勉三、庄野真代、
       岡崎友紀子(岡崎友紀)
・地方区~酒井芳枝(岡部まり)、長塚智広、原田大二郎
国民新党
・比例区~西村修、敏いとう、江本孟紀
立ち上がれ日本
・比例区~中畑清、杉村太蔵
みんなの党
・比例区~真山勇一
国民新党
・比例区~西村修、敏いとう

※以後、判明次第、加除訂正する。

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普天間移転の「ウルトラE」は?

 普天間基地移転の「ウルトラE」は、うるま市の「浮原島」か?

 個人的には、かねてから当ブログにも記載しているが、自民が進めていた「辺野古案」に落ち着くと思うが、このような案もあるので紹介しておく。

 「普天間基地移設問題」は鳩山政権の試金石だ。
 だが、このところ、変に自信を持ったコメントが目に付く。
 この腹芸が本物なら、国民はなかなかの芸を見たことになる。

 もし、鳩山首相がキャンプ・シュワブ案以外のところに持っていったとしたら、この「浮原島」と言われ、アメリカ側も納得する案だという。
 この島の発音は「ウキバルジマ」という完全な沖縄弁だ。

  鳩山総理は「最低でも県外」の公約は断念しても、自民党政権当時のキャンプ・シュワブ海上案以外になんとか持って行きたい願望が見える。Honshi1006_2
 衆議院308議席を持つ民主党のメンツにかけても、前政権の自民案以外のところに持って行きたいのだろう。
 「浮原島」は「うるま市」にある。
 面積は254千㎡、無人島だ。
 
 「軍事研究・6月号」を読んでいる。
 普段は読まない本だが、「普天間基地移設の大本命『浮原島』“決着”するにはこれしかない!」が目に停まった。
 「普天間基地移設の大本命『浮原島』」の項は比嘉真実/安次嶺寿の連名のようだ。
 「普天間基地移設の決定打は浮原島移転案である」と両氏は述べている。
 果たして、これが本物の腹案なのか。

Canvas1

軍事研究・6月号『普天間基地移設の決定打は浮原島移転案である』
 普天間基地移設の決定打は浮原島移転案である。
 こうして浮上した様々な案のなかで、たったひとつだけ現実的な代替案になり得るものがある。それが2010年3月に入ってから浮上してきたホワイトビーチ沖移設案と呼ばれるものだ。
 この案はどれはどの現実性があるのだろうか?
 まずその地勢だが、沖縄本島中部東側の海上にある浜比嘉島のさらに東の海上、位置的には勝連半島の南端から見て真東に4キロの地点にある浮原(うきばる)島が、本移設先案の舞台となる。
 勝連半島中部から東に延びる海中道路で平安座(へんざ)島に向かい、そこから南へと続く浜比嘉大橋を渡って浜比嘉(はまひが)島へ。耶覇からだとクルマを使って一時間から一時間半ほどだ。平安座高の先にある伊計(いけい)島にはミニリゾートがあって、夏の休日にはここまで足を伸ばしてビーチパアティというのがちょっとした遠乗り感覚で楽しい。それらの島の南東側の海岸線から望むことのできる小島が浮原島である。
 浮原島は、行政上はうるま市に所在する周囲2キロはどの無人島で、戦前までは人が住んでいた。
 現在は陸上自衛隊が管理する日米の共同使用訓練場として使用され、陸海空自衛隊のほかに米海兵隊もここで訓練を実施し、自活訓練などがよく行われている。
 自活訓練というのは、航空機から脱出したパイロットが無人島に漂着した際などに必要となるサバイバル訓練のひとつである。多くの報道では計画を「ホワイトビーチ沖移設案」と呼称しているが、この浮原島の周囲を埋め立てて基地を建設するのだから「浮原案」とするのが正しい。本橋では、この計画を「浮原島移設案」として話を進める。
 ここまでに何度か触れているように、移設に絡む海兵隊のニーズのなかには「50キロルール」ともいうべきものが確実に存在する。
 これは航空基地と訓練地域が互いに50キロ圏内に存在するというものだ。
 効率面ひいては安全面からこれは支持されるべきことだが、浮原島移設案はこの50㎞ルールにまったく合致し、しかも中部訓練場や北部訓練場、伊江島に向かう途上のほとんどは海上であり、ヘリコプターは市街地上空を低空飛行する確率が非常に低い。
 普天間基地と比較すれば桁違いに安全性が高く、またキャンプ・シュワブ陸上案が出たおかげで本来ベストである現行案と比しても遜色ない。
 位置的な問題はわかった。では、移設先として建設すべき規模はどの程度のものになるのだろうか。結論から言えば、1600m以上の滑走路と60機の機体を駐機できるエプロン、整備用格納庫や生活地区、物資を陸揚げするための桟橋、それに弾薬関連施設を加えた総合的な施設となるのが望ましい。とくに弾薬関連施設は、海兵隊のヘリコプターが嘉手納基地(普天間基地ではなく)に離着陸する回数を減らせる重要な施設である。  
 これもまた各マスメディアで触る機会が少ないが、普天間基地には、実は弾薬類をハンドリングする能力がない。弾薬類を機体に搭載あるいは卸下するためには、周囲に安全帯を設けたアーミングゾーンが必要になるのだが、狭い普大間基地にはそれがなく、海兵隊のヘリコプターは嘉手納基地に着陸してその作業を行っている。
 沖縄国際大学でCH53の墜落事故が発生したときに「劣化ウラン弾が搭載されていた」と騒いだマスメディアもあったが、普大間基地を離着陸する機体には、もともとそうした弾薬が搭載されていないのだから騒ぎは空振りもいいところだった。
 訓練のために普大間基地を離陸したヘリコプターは、いったん嘉手納基地に着陸し、嘉手納基地のアーミングゾーーン内で弾薬の搭載作業を行う。こうした制約があるため、弾薬使用をともなう訓練に投じられるヘリコプターは、必ず嘉手納基地に立ち寄らねばならない。
 しかし、嘉手納基地はご存知の通り米空軍の基地。空軍機の運用が優先され、弾薬搭載作業のために普天間基地から嘉手納基地へ向かう、あるいは弾薬卸下のために嘉手納基地に向かう海兵隊のヘリコプターは、嘉手納基地を離発着する固定翼賛のために空中待機を余儀なくされることが多い。北谷と読谷周辺で海兵隊のヘリコプターによる騒音被害が現出するのは、そうした理由も一因である。
 「ならば空域が空くのを待ってから、嘉手納基地に向かえばいいではないか」と思うだろうが、民間航空機や自衛隊機も飛ぶ沖縄の空域は意外と混雑していてそうは簡単にいかないのである。長距離を飛び残燃料も乏しい航空機を先に着陸させ、ヘリコプターがその合間を縫うようにしてサッと嘉手納基地に進入する。
 それには旋回しつつ空中で待機するのがもっとも合理的で安全な方法なのである。
 浮原島移設案を突き詰めて考えていくと、白紙からのスタートであるだけに、そうした諸問題をまとめて解決することができそうだ。
 有力な計画案では浮原島を基点とし北北東に3.8キロ、西南西に約1.5キロ伸ばした線で囲まれる部分を埋め立て、そこに普天間基地の機能のすべてと、キャンプ・シュワブの一部機能(弾薬庫関連)と嘉手納基地の一部機能(海兵隊機の弾薬搭載卸下作業)を集約する。 

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2010年5月14日 (金曜日)

米国・憲法9条は障害と提言

 先般「5月3日・憲法記念日に想う
  http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-6f13.html2010514
 と題して記載した。
 ここで、「GHQは、なんと日本を混乱させる条文を残したのか、アメリカなどの連合国48ケ国は、もう一度アフターケアの意味で、サンフランシスコ条約の完全履行を日本に迫る責任と義務がある。」と問題提起した。

 何も、このような展開を知っていたわけではないが、
 5月14日の産経新聞に
 「憲法9条は『障害』米議会党派超え認識定着・調査局報告」と題する記事が掲載された。
 記事内容は、
  「一般的に米国が起草した日本の憲法は、日本が集団的自衛にかかわることを禁止するという第9条の現行の解釈のために、日米間のより緊密な防衛協力への障害となっている」、 「その見解をさらに他の角度から読めば、現行憲法が日米防衛協力の推進には障害であり、その推進には憲法改正が必要だとする意見にもつながっていく。」
 と述べている。

   今後、この提言はどのように日本側に迫るのであろうか、そして、これを受けた日本国民や政治家はどのような反応を見せるのだろうか。
 アメリカからのクレームに屈したトヨタのように、外圧に弱い日本は、米国議会からの提言から憲法改正へと進む可能性もある。

 そして、まもなく国民投票法が施行となる。
 憲法改正に向けて、確かな一歩を歩みだす
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-3569.html

憲法9条は「障害」 米議会党派超え認識定着 調査局報告

憲法9条は「障害」 米議会党派超え認識定着 調査局報告
2010年5月14日(金)
 米国議会調査局が日米関係についての上下両院議員の法案審議資料用の報告で、日本の現憲法や現行解釈に基づく集団的自衛権の行使禁止が、今後の日米防衛関係でのより緊密な協力への障害になるとの見解を明記していることが明らかとなった。
 憲法上の制約を日米防衛協力の推進のうえでどうみるかは、米国側ではこれまで民主、共和両党の間に差があったが、この記述は「日本の憲法が防衛協力への障害」という認識が党派を超え定着したことを示している。
 議会調査局が作成した「日米関係=米国議会にとっての諸問題」と題する報告は、日米両国間に存在する安全保障や経済の諸課題を列記し、現状や展望を書いている。
 その中の「軍事問題」という章で「第9条の制約」と題し、「一般的に米国が起草した日本の憲法は、日本が集団的自衛にかかわることを禁止するという第9条の現行の解釈のために、日米間のより緊密な防衛協力への障害となっている」と明記した
 日本にとっての「集団的自衛」の説明としては「第三国に対しての米国との戦闘協力」と述べている。
 日本側がこの種の協力を禁じている限り、日米防衛協力をより緊密にすることはできないという見解を「一般的」として提示しているわけだ。
 その見解をさらに他の角度から読めば、現行憲法が日米防衛協力の推進には障害であり、その推進には憲法改正が必要だとする意見にもつながっていく。
 これまでは共和党側に「憲法9条とその解釈に基づく集団的自衛権行使の禁止を解消しなければ、好ましい日米防衛協力はできない」とする意見が強かった。一方、民主党のクリントン政権時代はそうした意見は後退し、むしろ日本は憲法を変えない方がアジアの安定に寄与するという趣旨の主張が語られていた。 

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2010年5月13日 (木曜日)

「毒を以て毒を制す」作戦?

 「毒を以て毒を制す」という諺がある。Photo
 悪を取り除くのに、他の悪を利用するたとえだ。 
 果たして「谷亮子」のは、民主党にとって特効薬となるのか。しかし、効果の高い薬ほど毒性も強いと言われる。取り返しのつかない副作用も予測される。

 民社党が谷亮子(1975年9月6日生まれ、34歳)を担いだのは「落ち目人気からの回復だ」と、マスコミは一斉に報道している。
 それもあるだろうが、民主党にとっては、
 暴力団関係の黒い噂は、同様に黒い噂を持つ谷亮子で打ち消す作戦とみた。
 後者の黒い噂には、マスコミは手を出せない弱みがある
 つまり、民主の暴力団関連を追及することは、即ち谷亮子の噂に触れることになる。
 これでは、取材も報道も出来ない。
 指をくわえて見ているだけ。
 民主党の「毒を以て毒を制す」作戦は成功する可能性もある。
 これからの展開が見物(みもの)だ。

 マスコミは「谷亮子ブランド」に最初から負けている
 これまで、「ヤワラちゃん」などと、全マスコミが持ち上げ、これ以上持ち上げることができないほど持ち上げてきた。
 つまり、マスコミは谷亮子人気にあやかってカネ儲けしてきたのだ。Gad0806241812016p1
 幼少時から大恩がある
 これでは逆戻りはできない。
 きっと取材でも、両親に頭を下げて来たのだろうし、父親の事に触れないなどの裏取引もあったのだろう。
 低頭する様子が見えるようだ。
 美談の上に美談を積み重ね、国民的ヒーローにしてきた。
 今、谷亮子の悪口を書いたり言ったら、国民からしっぺ返しを受ける虞がある。
 この人気とマスコミの弱腰に目を付けたのが小沢幹事長だ。
 奸佞邪知(かんねいじゃち)、海千河千(うみせんかわせん)、狡猾奸佞(こうかつかんねい)、千軍万馬(せんぐんばんば)、狡猾剽悍(こうかつひょうかん)、百戦錬磨(ひゃくせんれんま)、狡猾老獪(こうかつろうかい)、狡智佞弁(こうちねいべん)三百代言(さんびゃくだいげん)の作戦に勝てる人材は野党にいるかだ。
 いろいろ四文字を並べたが、これは全て政治家に当てはまる。

 一口で言えば、実に狡猾(こうかつ)、ずる賢い世界だ。
 国民もより利口になって、政治、そして政治家を観察する必要がある。
 そしてマスコミは、真実を知らせず恣意的に世論を操作したがるところだ。

 マスコミは、本当は最初から「問題が多い柔道少女」だと気づいたはずだ。
 父親の職業が非合法組織暴力団組員」だという忌まわしい事実だ。田村勝美(62)で福岡市博多を拠点とする指定暴力団の大幹部だという。これまで、三面記事を賑わしたこともあるが、マスコミはけっしてヤワラちゃんの父親とは報道しなかった。

 そして、谷自身も直前に足を痛めて出場したアテネオリンピックでは、「父に治療をしてもらい、テーピングも工夫してもらった。」などと父親を持ち上げたコメントをしている。
 しかし、イメージ低下のおそれがある父親のフイルムは意識的に流さなかった。89084007
 そして、柔道だけでなく、天性のコメント能力を発揮した。
 「最低でも金」、「ママでも金」、「議員でも金」などの名言だ。
 
 報道機関は、ことあるごとに「知る権利、知らせる義務」などと、報道の自由や表現の自由を主張しながら、一方で暴力団、カルト、犯罪者集団らと手を握る。
 正義のかけらもない。
 マスコミは、民主党小沢幹事長の「毒を以て毒を制す」という作戦に、言論までもが封じられるのであろうか。
誰か「頂門の一針」となる言葉を発する人材はいないのか。
情けないことだ。

谷亮子のプロフィル
 旧姓・田村。1975(昭和50)年9月6日生まれ、血液型B。身長1メートル46。
 父・田村勝美、 母・田村和代、 兄・田村徹
  「東福岡柔道教室」福岡市東区和白3-2-3で、小2のとき、
 6歳上の兄、の影響で柔道を始める。
 家族は夫は巨人軍・谷佳知外野手、長男・佳亮(4)、次男・晃明(生後7か月)。

Qちゃんは、民主からの出馬を断固拒否している

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2010年5月11日 (火曜日)

暴力団の支援を受ける民主党

広域暴力団「山口組」の支援まで得て獲得した、民主党308議席
 1.12、赤松広隆農水相は、都内のホテルで開かれた在日本大韓民国民団中央本部(民団、鄭進団長)の新年パーティーで2009挨拶し、民団による衆院選での民主党支援に
「全国各地でいろんな形でご支援いただき、308議席を獲得、政権交代につながった。心から感謝申し上げる」と表明。さらに「民主党中心の政権で地方参政権問題が解決するとの思いで応援してくれたと思う。その意味で公約を守るのは当たり前だ。」
と参政権法案の通常国会成立を約束した。
                 --中略--
 2007.7の参議院選挙に引き続き行われた「山口組」本部から、傘下団体への「民主党候補を支持せよ」の通達。
 赤松ならではの事情と思われるのは、現在の山口組6代目の司忍会長と高山清司若頭はともに「弘道会」(名古屋市中村区)出身で、事務所は赤松の地元選挙区内(愛知5区)にある。
 「山口組」は(広島・沖縄を除く)45都道府県に及び、傘下直系90余団体・構成員約4万人で全国の暴力団員の約半数を占める日本最大の暴力団組織である。
 構成組員の3~4割は在日出身とも言われている。以前よりパチンコ業界からの献金が多いことでも知られる赤松農相。パチンコ業界在日(総連)-山口組-民団-民主党、のつながりが見えてくる。

情報源http://blog.goo.ne.jp/tsubasa99/e/942086910c7f01f8c340d43d8f183941 

 火の気がないところから煙りは立たない

 それから、根も葉も無い噂はない。と思っている。
 
 真実を国民が知らないのは、単にマスコミが報道しないからだ
 マスコミ関係者は、「国民には知る権利がある」とか「知らせる義務がある」と偉そうに言うが、本当に国民に知らせるべき真実は知らせないところがある。
 マスコミの最高の力を発揮する場面は、大切なことを報道しないことだ
 今後は、テレビや新聞報道をよく観察したらいい。

  マスコミは実に恣意的で、損得勘定で報道するところだ。
 これは全てのマスコミと言っていい
 裁判ざたや、反撃されそうな宗教団体、暴力団、左翼団体などの組織のことは意識的に避けて報道する。
 本来なら、一番先に厳しく追及すべき団体なのに腰が引けて報道できない
 実にこざかしい組織、それが大手マスコミだ。Pk2010051102100009_size0
 弱いと思うと寄って鷹っていじめ、怖いと思うと逃げ回る
 つまり、リスク "危険性"が伴う報道は避けて報道する
 
 だから文句が来ない、来ても怖くない、相撲協会関連や警察、自衛隊など、公務員でも労働組合がない組織には、ちょっとしたことにも、言いたい放題の報道を繰り返す
 そして、国民はその程度の報道で、一見全てを知らされていると満足している。

 ところで、民主党も参議院選を前に、本性を露わにしてきた。
 まず、暴力団つながりの谷亮子(1975年9月6日生まれ、34歳)を担いできた。
 谷は旧姓・田村。父親は田村勝美(62)で福岡市博多を拠点とする指定暴力団の大幹部だという。当然、前科前歴もある。
 6歳上の兄も相当な男らしい。
 これらのことは地元では常識だという。
 これまで柔道一直線の谷亮子は、出自のハンディにめけずに頑張る、けなげな姿勢が国民に認知され、応援を受けてきた。
 だが、これから広義の意味で公務員である国会議員を目指すとなったら、その出自は明らかにすべきだ。
 もちろん父は父、娘は娘との反論もあろうが、それなら、二世議員や支持母体などのことは問題にすべきでない。

 暴力団は暴力団、善良な市民の敵非合法組織以外の何者でもない。
 これまでも、この親は大学入試、就職、オリンピック選手候補等で、口を挟んでいる。
  民主党は、こんなゴロツキ組織と手を組んでいたのだ。
 国民は、これでも支持するのか。
 

 それに、谷亮子の出身地の福岡は、
 「平成17年衆院補選で福岡市長選と同一ビル、組織的な関係はないのか?平成17年の衆議院福岡2区補欠選挙の折、民主党が党公認候補の支援のため、選挙事務所とは別に事務所を設置、事務所の所有は指定暴力団の幹部が代表を務める企業だったことが判明した。」
 と騒がれたところだ。
 この事務所と父親との関係は知らないが、福岡市が
 暴力団と民主党の癒着の土地と言われているのは間違いない。
   小沢民主党と暴力団の不可解な関係
   http://www.data-max.co.jp/2008/04/post_945.html

 谷亮子を民主党が担いだのはマスコミ対策とみた
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-82c1.html


谷亮子のプロフィル
 旧姓田村。1975(昭和50)年9月6日生まれ、血液型B。身長1メートル46。
 父・田村勝美、 母・田村和代、 兄・田村 徹
  「東福岡柔道教室」福岡市東区和白3-2-3で、小2のとき、
 6歳上の兄、徹の影響で柔道を始める。
 家族は夫は巨人軍・谷佳知外野手、長男・佳亮(4)、次男・晃明(生後7か月)。
 

山形県庄内地方の「庄内農業高校」創立100周年で記念講演
 2001年10月26日、田村亮子が記念講演をしている。
 民報藤島2001年11月4日第315号 からの情報
  田村は、「小学校2年生のとき、6歳上の兄が柔道場に通い、母と一緒に兄を迎えに行き見学したのが、柔道との出会い」とあかした
福岡市東区城浜団地

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性豪、西武の堤、創価の池田

 女癖の悪い会長二人と言えば、「西武の堤、創価の池田」が有名だ。
 大きな組織を動かしていると、女性も自由になるのだろう。
 側近は、会長好みの女性がいると、「会長に精神的やすらぎを与えて欲しい51gf7nerwnl__ss500_」などと接近させ、チャンスを与えるのだという。
 それによって側近も可愛がられる。
 つまり同罪なのだ。
 両者とも暴露本が何冊も出版されている。
 今回は西武関連に触れる。
 
 西武鉄道沿線である多摩湖周辺に住み26年になる。
 いやが上にも、西武関連のニュースは耳に入るし気にもなるものだ。
 2005年3月3日西武鉄道グループの総帥だった堤義明は、西武鉄道株の名義偽装と大量売却問題で、東京地検特捜部は証券取引法違反(虚偽記載、インサイダー取引)の容疑で逮捕された。
 あれから5年が経過した。
 一見、失脚したかにみえる堤義明氏は虎視眈々と復権を画策しているという。
 堤義明氏の逮捕劇は、作家・桐山秀樹氏の新潮への寄稿から始まったと言Largeわれている。この経緯などをまとめた「プリンスの墓標・堤義明怨念の家系」は徹底した取材に基づいた内容だ。
 おべんちゃら本、批判本も含め何冊も読んだが、追従を許さない。
 
 堤義明氏の西武企業の私物化、そして「性部」と揶揄されるにふさわしい女性遍歴にはあきれる。
 「有名企業だが、一流企業ではない」とされる由縁だ。
 それに創価学会の池田会長(朝鮮名は成太作)と並ぶ性豪と言われている。
 創価学会の場合は、殆どが盲信した信者のようだが、
 西武の場合は、有名女優から女子社員にも手を出す。
 カネの威力に物を言わせた性豪ぶりには、側近たちも感心すると言われる。
 もっとも、簡単に落ちる女も女だ。
 この本の中で、第6章高輪プリンスホテルの「公私混同」の項があるが、「高輪プリンスホテル」は、ある秘密の目的を持った同氏の専用ホテルだったと言われる。
 去年、夏頃一度だけ仕方なく利用したことがあるが、同氏がどんな野心であの豪華ホテルを建てたのかと思うと胸くそ悪くなる。

※文中の「荻窪第二夫人」は、天沼3丁目23番1号「西武ゴルフ研修所」という西武社有物件として建てたところに住んでいた。
 愛人まで税金逃れに利用していたというから感心する。
 利益は社会に還元するという「公益」の考えは絶対にない
 しかし、女に貢ぐカネはおしまない
 これでは尊敬されるなどあり得ない、物笑いのタネにされるだけ。
 ゴルフ研修所は、都の「天沼弁天池公園」として様変わりしている。

プリンスの墓標 堤義明怨念の家系』から抜粋
 著者 桐山秀樹 1954年名古屋市生まれ、学習院大学法学部卒 
●目次序章 封印されたきた「過去」
第1章 支配の「原点」
第2章 堤義明と軽井沢―「創業の原点」と天皇家の政治利用
第3章 堤義明と芝・増上寺―将軍家の墓の上に建つホテルと政治家パーティ
第4章 永田町の執務室・赤坂プリンスホテル―父と母を失った館
第5章 大磯の「本宅」、苗場の「母」
第6章 高輪プリンスホテルの「公私混同」―政治家、人気女優をもてなす欲望の「館」
終章 「王国」の崩壊と解体 
大物女優の「口紅」
 東京都港区高輪にある「高輪プリンスホテル」は、堤義明にとって特別な意味を特つ場所であった。「特別」とは、西武グループが所有・運営する他のホテルとは別に、決して人に明かすことの出来ない「目的」を果たすために用いられるという意味である。Im_hotel2
 このホテルは、東京の南玄関口・品川駅から徒歩三分の地にある。品川駅からさくら坂を登ると同ホテル「さくらタワー」があり、雑木林の生い茂る広大な庭園を挟んで、奥に石作りの西洋建築「貴賓館」と「和風別館」、「高輪プリンスホテル」かあり、左手には巨大宴会場の「飛天」と「国際館パミール」があり、その間に当初からマンションヘの転用も計画に入れて建設したと言われる「新高輪プリンスホテル」の白亜の建築もそびえ立つ。
 三つのホテル棟を結広縁の庭園は約二万平方メートルに及ぶ。
 このホテル群へは、品川駅から「さくらタワー」玄関へのアプローチ、高輪プリンス正面玄関へのアプローチ、ざくろ坂を登った新高輪プリンス玄関へのアプローチという三つの入口があり、樹々に隠れて人目から逃がれられるという利点がある。
 三つのホテルのうち、最後にオーブンした「さくらタワー」のオープニング・イベントに筆者自身が招かれたことかあるが、各ホテル間を繋ぐ通路は複雑に入り組み、案内表示を確かめないと、方向感覚を失ってしまいそうな「迷路」の様相を呈していた。このオープニング・イベントで堤義明は、当時キャンペーンガールだった女優の沢口靖子を脇に立たせ、国内外からの賓客を出迎えていた。
 数多くの出入口があり人目につきにくいという構造を生かして、堤義明は「高輪プリンスホテル」を自らの「私邸」化した。
 好みの料理人を揃えて、そこに政治家や人気女優らを招いて密談する「秘密の館」と位置付けていた。
 「例えば、この3ホテルの敷地内に新しいレストランがオープンした際、堤は愛人と言われた秘書課の女性と、荻窪第二夫人と呼ばれた女性を同席させ、料理やサービスを自らチェックし、○△×といった項目で採点した。何かに落度があれば現場の責任者を呼んで、二人の女性の前で叱責するのです。秘書の女性はそうした場合、社員側の擁護に回っていました。
 一方でそのレストランがTV番組で紹介され、有名タレントが料理やサービスを誉めたりすると、途端に態度が変わって現場を評価するというかなりミーハーな部分もありましたね」 と元社長は語る。
 このように周囲も公認の愛人を伴なって堂々と「高輪プリンスホテル」を訪れることもあれば、時には大物女優と「お忍び」で真っ昼間から逢瀬を楽しむこともあった。
 「高輪プリンスホテル最上階の16階には、四室続きのロイヤルスイートルームがあり、最も手前にキッチン付の部屋がある。前会長が客を招いて食事される場合は、三人のスタッフが付いて、キッチン付の部屋で料理の準備をする。前会長のいるロイヤルスイートの奥のリビングとの間にもう一つ部屋かおり、そこは中からしか開けられぬ二重ドアが付いていて、そこに料理を乗せたダイニングテーブルを置くわけです。テーブルを置いて、ドアを閉めると担当者がドアを開けて、料理を取り出す。
 その担当スタッフは決まっていて、彼以外は中に入れません。
 食事が終るとテーブルを再び中央の部屋に移勤し、片付けるわけですが、使用したワイン・グラスに大物女優の口紅が付いていると厨房などで大騒ぎになるわけで、中にはそのグラスをこっそり持って帰りたいと冗談を言うスタッフもいました」もちろん女優の名は、ほとんどの社員が知らされていないが、ある程度事前に漏れる場合もあり、社内では「公然の秘密」となるわけである。
 こうした芸能関係者と堤義明の会食などのセッティングは、全国のプリンスホテルで行なわれるディナーショーの企画を一手に引き受ける株式会社プリンスホテルの経営幹部が専門 に行なうと、元社員は苦言する。
 「例えば、ディナーショーの企画を待ちかける時、堤前会長のお気に入りの女優やタレントがいたりすると、まず各ホテルのキャンペーンガールやクリスマスのディナーショーの仕事を振り、それが終った後に二度、ウチの会長に逢ってみませんか、と芸能事務所を通じて会合を待ちかけるわけです」
 ホテルで会食をし、女優の様子を見て、まんざらでもないと判断すると、軽井沢、苗場などのリゾート地にある別荘へと招待した。
 高輪プリンスホテルは、堤義明個人にとっては、ホテル本来の目的とは離れたレストラン、使用人付の「私邸」として利用されてきたわけである。
 その「秘密の館」を現在、頻繁に使用しているのが、他ならぬ小泉純一郎首相である。
 もちろん「高輪プリンスホテル」自体は、一般客を対象とした都市ホテルであるため、若い社員の中には、堤前会長がこうした利用をしていることを全く知らないスタッフも多かった。前会長専門に食事等のサービスを行なうスタッフがおり、専門のベテラン社員がそのセッティングを行なった。それは、プリンスホテルそのものの業務とは、全く関係なしに行なわれた。
 堤義明にとっては、「仕事」そのものが「遊び」であり、「遊び」が「仕事」であった。高輪プリンスホテルに限らず、オーナーの堤義明が系列のホテルに愛用のベントレーやジャガーで到着する際は、ホテル幹部及び指摘されるポイントを知り尽した古参社員が出迎える。
 中には、提前会長が玄関からエレベーターに乗るまでの数十秒を利用して、直接通したい案件を手短かに説明し、会長の承認を得る幹部もいた。万一、「何の話だ」と聞かれた際のために、事前に資料も用意しておく。そうすれば、早い者勝ちでダイレクトに会長決裁がもらえる。
 プリンスホテルは、ホテル同土互いの営業成績をかけて激しい「内向き競争」を行なっていた。普通、ホテル業界は、資本の異なる他ホテルと競争するのが通例である。
 ところが、プリンスホテルは、例えばカクテルの創作コンテストでも、プリンスホテル・チェーン内で技を競うのである。
 ホテル経営に関する提案も同様で、各地域のプリンスホテルが組織内で営業成績を競う。
それに勝つためには、提前会長が来館の折に直訴し、承認を得るのが最も手っ取り早いのだ。
 それによって、他のプリンスホテルを一歩リードできるわけである。ホテル玄関からエレベーターまでは距離にして約三〇メートル。その間に担当者は提案を手短かに話し、提から「ウーン、いいよ」と承認を取った方が勝ちである。
そしてその企画や提案がヒットすれば、ホテルの総支配人に引き上げられることも夢ではなかった。
 だが、この10年余り、提義明へ、現場の「真実の情報」はほとんど伝わっていなかった。代りに、「実権」を握ったプリンスホテル社長の山口弘毅らのグループが情報を遮断し、堤に現実を見せないでいたと元幹部は苦言する。そして、近年はむしろ堤の権威にすがる幹部は敬遠された。
 山口らから「君は、間違った山を登っている」と直接、注意された社員もいた。忠誠を尽すなら、実権を握ったN02の山口の方ではないかという意味合いが、この言葉にはこめられている。
 かくして、提前会長に忠誠を尽せば、側近のN02グループから批判されるという、ややこしい「二重権力構造」が出来上がった。その結果、板ばさみにあって退職する社員も少なくなかった。
美食と性のアナクロニズム
 側近から現場に関する情報を遮断された堤の行動は、本能のままにエスカレートしていった。山口ら側近が「ホテルマン」として育ち、彼には以前のように直接目を出すことが少なくなってきたことも影響したと指摘する関係者もいる。
 元プリンスホテル関係者は、信じられない光景を口にする。
 「プリンスホテルでは、毎年1月15日頃の成人の日に、二〇歳になった若手社員を集めて『成人式』を行なう。
 ところが何故かそこに、堤前会長がわざわざ出席されるんです。
 そして、気に入った女性がいると、高輪プリンスホテル16階のロイヤルスイートを着替えするからすぐ用意しろ、と連絡が入る。
 利用されるのは30分ぐらいですが、堤前会長が女性を招く際に用意しておく『三点セット』と呼ばれるものがある。趣味のカメラ、避妊具、そしてプレゼントとして渡す高級下着ですが、これが昼の僅かな時間に利用されていて、担当者が驚いたことがあります」
 カメラは女性に限らず風景写真も好きで、国内視察の際にも愛用のニコンを身辺から離さず、いつも被写体を狙っている。
 写した写真のうち、年間12枚を選び、手作りのカレンダーとして、極めて親しい財界人に贈っているほどである。
 だが、社員の目も意識せず、昼の日なかから、ホテルのスイートルームをそうした私的目的に使うとは、経営者として堤義明は老いた、或いは呆けたとしか言いようがない。
 原宿にあるコクド本店の秘書課とその奥にある会長室で、さらにその会長室の隣のアイスホッケーチーム用の浴室でも秘書を相手猥褻な行為にふけっていたという報道などは、もしそれが本当なら、父親の康次郎と一体化したような近年の堤義明の常軌を逸した行動を示しているといわざるを得ない。
 秘書課の女性を愛人として箱根・大平台温泉にある研修所に住まわせ、そこにジェット・ヘリで通う。
 あるいは、好みのタレントや女優を選んで、豪華な食事に誘い、そこでお気に入りの料理人やソムリエに、好みの料理やワインを運ばせ、女性の前で自らの「権勢」を見せつける。ホテルの世界では、オーナーがそうした華やかな世界に賓客を招くことは珍しくないが、その場合の「主役」はあくまでも「ゲスト」であり、上流階級の人々を招待しての「正式な宮」である。
 だが、堤義明のそれはホテル・オーナーとしての「宴」ではなく、一企業の独裁者が権力を振るうために、社員の前で繰り広げる「私宴」であった。
 愛人たちの別荘への移動は、運転手付の専用車の場合もあるが、人目を避けるため13人乗りのジェット・ヘリ、シコルスキーS-76を利用する時が多かった。
 そのジェット・ヘリは2004年の記者会見後、既に売却され、東京ヘリポートに置かれている。白い機体に青い線が入り、中には革製のソファが備えつけてある。一時間の飛行料は約百万円と言われる。 

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「ぶら下がり」で背は伸びるか?

 多摩湖一周ジョギングは良く続けてきた運動の一つだ。20105_2

 先般の連休中は、娘が何を思ったのか一緒に付いて来た。
 一緒の駆け足は10数年ぶりのことだ。
 子供の頃は駆け足が得意だったようで、速すぎて一緒に走るのがイヤになったものだが、今回は親のペースに合わせている。

  いつものことだが、駆け足後のクールダウンは、まず公園の遊具を利用した「ぶら下がり」を入れている。
 約1分前後ただぶら下がっているだけ。
 これを3本やると、全身がリラックスして肩からつま先まで力が抜ける。261502

 これを娘と一緒にやっていると、近所の子供二人が「何してるの」と声をかけて来た。
 ぶら下がりながら、「身長伸ばしてる」と答えると、「やりたい」と言う。
 一緒にやり始めた。
 小学校3年位だろうか、小柄なタイプのようだ。
 「これを一年続けたらこの位伸びるぞ」と指を広げて見せた。
 「ほんと」と言うので、「帰ったら親に聞いてごらん。それに食べ物を好き嫌いしたらダメだぞ」と教えると、無言で頷きながら、いつまでもやっていた。

 こんなことがあって一週間も経って、また公園近くを通りがかると、あの二人が来てぶら下がっている。素直なものだ。
  この年代なら何もしなくても、1年で10センチは伸びるはず。
 嘘つきにはならないだろう。
 「ぶら下がり」が即、身長を伸ばす効果があるとは思えないが、肩の力が抜けてリラックス効果は高いと思う。
 人間は大昔は猿のように木などに、ぶら下がる動作をしていたはずだ。
 手の構造を見ると想像が付く。
 それが、直立歩行に加え頭部が重くなると、背骨から腰にかけて体重がかかる生活を強いられるようになった。
 その結果、背骨の中の神経を痛めたり、腰を悪くしている人がなんと多いことか。
 小生は「ぶら下がり」を長年続けているからかは断言出来ないが、背骨や腰の痛みは一度も感じたことはない。
 また肩こりも一切ない。
 
 それから、クールダウンには、自宅のベランダでベンチを利用した腕立てや、5キロのダンベルで腹筋を叩き付ける運動を加えている。
 腹筋を叩くことで引き締め効果は高い。
 ただこの運動は中学頃から続けていることなので大丈夫なのだが、自信がない方に簡単には勧めることは出来ない。内蔵破裂のおそれがある。

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2010年5月10日 (月曜日)

江戸巡り、錦糸町~両国

 先日、千葉方面に所用で出かけた。Photo_3
 お茶の水で中央線から総武線に乗り換える。
 隅田川を越すのは数年ぶりだ。
 すると、浅草橋辺りでスカイツリーに目が止まった。
 「こんなに近いところにあるのか」と思いつつ、電車の動きに合わせて注視していると、錦糸町駅辺りからほぼ直角に見えていることに気づいた。
 「帰りに行って見るか」と連れに声をかける。
 用事はたいしたことないのでトンボ帰りして、午後2時ころ錦糸町駅北口に降りた。
 さて、タクシーかバスか歩くかと一瞬迷った。
 「歩いてもいい」と答えるが、対象物が大きい分近く見えるものだ。富士登山のときも五合目から見える山頂付近の近さに、妻は「あれくらい簡単でしょ」などと言いながら、八合目でダウンしたことを思い出した。

 「きっと2キロ半はあるぞ、いいのか」と確認しつつ歩き出すと、ロータリーに路線バスが停まっている。
 バスの入口から運転手に声を掛けると、「スカイツリーは業平橋です」と言う。
 簡単に易きに落ちてしまった。このバスに躊躇なく乗車した。
 日暮里駅2010510行きのバスだった。
 約10分で「業平橋」に到着すると、ほぼ真下だ。
 真下では見上げるだけ、一番先端部の工事箇所は展望の膨らみで見えない。それでも、先端のクレーンから地上まで数本のワイヤーが伸びていて、建築材料を上昇させる場面は圧巻だ。
 現在の高さは368mと掲示してあった。
 「業平橋」のたもとには「タワーの見所」の掲示板がある。Photo
 「川に映ったタワーが人気みたいよ」と言うが、「それは隅田川だろう、距離があるから次回だ」と切り上げる。
 帰りは、さっきの日暮里駅行きバスでもいいのだが、両国駅近くの回向院の話をすると行くという。
 両国駅に着くと午後3時を回っていた。
 駅を降りると、相撲を取り終えた数人のお相撲さんに行き交う。
 国技館の入り口付近には入り待ち、出待ちの相撲ファンが並ぶ。
 回向院は駅から100メートル位だが、かつてはここにPhoto_2国技館があった。また、回向院建立は明暦3年(1657)の大火の焼死者を集めて築いた万人塚が始まりで、その後にも安政大地震、関東大震災、海難、水死、焼死、斬首者などで亡くなった全ての無縁仏を祀っている。南千住の小塚原回向院は、ここの分家みたいなものだ。
 鼠小僧の墓は一番に奥にある。
 墓石のかけらは「賭け事に強くなる、運がつく、するりと入る」等のご利益があるという。最近はパワースポットとしても人気だ。
 北海道から来たという人が懸命に石を削っていた。
 錦糸町や両国を簡単に回っただけだが、それぞれ江戸を感じさせる街だ。
 江戸東京博物館は子供達と二度来ているが、今度はゆっくり来るつもりだ。
 東京スカイツリー(Tokyo Sky Tree)は2011年12月完成予定で高さは634mとなる。
 東京のいい名所となるだろう。

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米軍海兵隊の任務と必要性

 在日米国海兵隊は、大統領直轄部隊だ。
 常に議会の承認が不要で武力行使をする実力部隊だ。
 制服のレッドラインは、いつでも血を流す覚悟の現れとされている。

 さて、軍事のことへの好き嫌いは別にして、微妙な軍事バランスの中で国の安全が守らMarine_blueれ、経済活動や日々の生活を営んでいる現実がある。
 偉そうにしている政治家、経済人、企業家、評論家らも、国家が不安定になったら、どうなるか冷静に考えてみることだ。
 会社や生活基盤を含め、全てが吹っ飛ぶことになる
 「国防」のことは避けて通ることが出来ない最重要課題だ。

 日本は、韓国、中国、北朝鮮、ロシアなどの問題の多い隣国に囲まれている。一見同盟国と思える韓国でも、韓国民は根強い反日感情を持ち竹島占領問題等から、韓国軍は日本を仮装敵国とした訓練をしている。
 また、中国軍は日本近海における活発な活動を展開し日本の反応を見たり、ロシアの北方四島不法占領や北方海域での漁業では日々の緊張が続いているほか、韓国の哨戒艇が撃沈されたことによる北朝鮮との軍事衝突の可能性等々、挙げれば切りがないほど問題の多い国に囲まれている。
 日本はトップクラスに治安が良い国だが、国際的に平和度指数が低くなるのは、このような危険な国々に囲まれているからだ。
 しかし、唯一信用出来るのが日米安保条約によって駐留する米軍だ。勿論、アメリカの国益、自由主義圏の利益保護が目的だろうが・・・・。

 自由主義圏で生活し生存していくには仕方ないことだ
 日本男児として、国の防衛を米国に依存するのは悔しいものがあるが、この現実は認めざるをえない。
 総理大臣もこの現実にようやく気づいたのか、教えられたのか沖縄の駐留米軍に対する認識を改めるコメントを始めた。
 今後は国外移転など口が裂けても言わないだろう

 まず、在日米国海兵隊、第31海兵遠征部隊(31MEU)のことを勉強しておきたい。
 海兵隊は大統領直轄部隊といわれ、常に最前線にあり、最初に敵前に殴り込みをかけて強行上陸を敢行し、橋頭堡を築き、戦局の主導権を握ることにある。平時でも、議会の承認が不要で、米中央情報局(CIA)の指示で他国の主権を侵して武力行使をする実力部隊だ。
 制服のレッドラインは、いつでも血を流す覚悟の現れとされている。
 当然戦死者も多い。
 国のために血を流す決意など、今の、日本人には期待出来ない考えだ。
 今の日本では、10人も戦死者がでたら白旗を掲げるだろうと言われている。
 マスコミは錯乱状態になり、国民、世論が許さない状況を作るだろう。
 戦死者の家に取材に行き、「もう撤退させて」などと、叫ぶ声を拾って放送する。
 簡単に予測がつく。
 日本人は、そのくらいひ弱に見られている。
 世界中で人的消耗戦に一番弱い国民になってしまった。
  
■アメリカ軍海兵隊HP
  http://www.marines.mil/Pages/Default.aspx
■在日米国海兵隊
http://www.kanji.okinawa.usmc.mil/Commanders/Commanders.html

アメリカ海兵隊
 アメリカ海兵隊は最強を誇るアメリカ軍の中でも精鋭部隊とされ世界各地の紛争地帯に投入されているアメリカ軍の精鋭部隊である。
 アメリカ海兵隊は正式にはUNITED STATES MARINE CORPS(アメリカ海兵軍団)と呼ばれる。1775年に創設されて以来戦場に於ける輝かしい歴史を持つ海兵隊は海軍との連携の元その能力を遺憾なく発揮している。
 アメリカ海兵隊は他の陸海空と異なり個別の航空戦力、輸送艦艇、補給部隊を持った独立戦闘集団であり、その順応性、適応能力は他の陸海空軍組織を大きく引き離している。主に戦場に於ける最先鋒を務める他、近年ではその適応能力の高さを活かした海上臨検(VBSS=Visit Board Search and Seizure)、洋上対テロ支援作戦などにも参加している。海兵隊の司令部は統合軍の中に5つ存在しその他は統合軍とは独立して配置されている。大規模な司令部としては太平洋、大西洋、予備役海兵隊に分けられ太平洋、大西洋海兵隊にはそれぞれ実戦部隊を配置している。

第31海兵遠征部隊(31MEU
第31海兵遠征部隊は多種多様な任務及び特殊作戦を遂行します。その中でも、有事に備え、米国の太平洋地域での前方展開能力を示し、限られた期間で水陸両用作戦を実施します。第31海兵遠征部隊はキャンプ・ハンセンに司令部を持ち、1992年9月に部隊編成されました。第31海兵遠征部隊は多種多様な任務及び特殊作戦を遂行します。その中でも、有事に備え、米国の太平洋地域での前方展開能力を示し、限られた期間で水陸両用作戦を実施し、大規模な海兵空陸機動部隊の先遣部隊としての役割を果たし、又広範囲に及ぶ危機・緊急事態に対し海上作戦を展開することで、即時対応能力を提供します。
特殊作戦可能資格は例えれば他の部隊では通常対処し得ない事態に完璧に対応しうる能力を有していることを示しております。例えば非戦闘員救出作戦、航空機及び人員のための戦術的回収任務、遠距離における強襲作戦等が主な例です。特殊作戦可能資格とは別に、第31海兵遠征部隊は人道的支援や災害救助等の支援能力を有しております。
第31海兵遠征部隊は司令部、空陸戦闘部隊及び、戦闘役務支援部隊で構成され、およそ2,000名の海兵隊員と100人の海軍兵が所属しております。
第31海兵遠征部隊が太平洋地域で危機や緊急事態に迅速に対処できる能力は、第三海兵遠征軍にとって極めて重要であります。第31海兵遠征部隊が近年参加した作戦には、東テイモールで展開した治安維持活動 「スタビライズ作戦」、ペルシャ湾岸地域での「砂漠のキツネ」 などがあります。

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2010年5月 9日 (日曜日)

共産党と創価学会との裏協定

 創価学会と共産党は、1974年12月28日裏で結びついていた。Photo10
 普通の国民は殆ど知らないだろう。
 日本の、政治と宗教の癒着の原点だ
 なにも創価学会と公明党だけではないのだ。
 目的のためなら、全く正反対の思想とも結びつくのだ。
 今後、合併もありうるとみる。
 共産主義と宗教がありうる訳がない?
 なら、この協定は何なのだ。
 合併した、そのときの党名は「赤鶴党」がいい。

 創価学会日本占領計画」の全記録、矢野絢也著黒い手帖」を読んでいる。

 元・公明党委員長の矢野絢也氏は2009年「黒い手帖」という、暴露本を出している。
  矢野絢也氏といえば、公明党の委員長や書記長を20余年にわたって務めた公明党の重鎮だ。
  それが、名誉毀損に起因する損害賠償請求訴訟を起こして、2008年5月家族揃って創価学会を退会している。
 いかに問題が多い宗教団体かを伺い知ることができる。
 発端は、「文藝春秋」に、創価学会と公明党の関係を「政教一致といわれても仕方がない部分があった」と記述したことから、創価学会から非難を受けるようになったという。このことは当時話題になったものの、創価学会のような、縛りの強い組織は言論の自由はなく人権侵害が多々あることから、よくある造反劇とみていた程度だった。

 今回、同氏の「黒い手帖」が目に止まったのは、この本は創価学会や公明党関係者等が裏で買い占めていて、なかなか手に入りにくいと噂されていたからだ。

 暴露本の中には、池田大作への裏献金「P献金」のことや池田大作の下半身事情を暴いた「月刊ペン事件」で、自身がとった裏工作のことを正直に述べている。
 また、創価学会とマスコミとの癒着問題、池田大作の前では公明党の神崎武法、太田昭宏、浜四津敏子らもあやつり人形同然だということを暴露している。
 まあまあ面白い内容だが、
 まだマインドコントロールが説けていない箇点も見受けられる。
 
 フランスSGI(フランス創価学会)はカルト(セクト)認定されているが、
1.精神の不安定化
2.法外な金銭的要求
3.住み慣れた生活環境からの断絶4131l8azhl__ss400_
4.肉体的保全の損傷
5.子供の囲い込み
6.反社会的な言説
7.公秩序の攪乱
8.裁判沙汰の多さ
9.従来の経済回路からの逸脱
10.公権力への浸透の試み
 この中で一つでも当てはまれば認定されるという。
 そして、矢野氏自身も、創価学会から自宅を売却して2億円、3億円という莫大な金額の寄付をするよう執拗に強要された事実も明らかにしている。
 創価学会は、知るかぎりでは、この殆どに該当している。

  知られていないのが、「日本共産党と創価学会との合意協定」だ。
 なんと、
 唯物論の共産主義と、唯心論の宗教が、裏でシッカリ手を組んでいたという事実だ。
 この裏工作では、作家であり共産主義者・松本清張が動いていた。
 もっとも、共産主義も広い意味で宗教の範疇というから、これもありなのか。
 なかなか理解できないが。そのうち合併もあるかもしれない。
 そのときの党名は、「暴力・淫乱党」、それとも、創価学会は同根顕正会など他の宗教団体と暴力事件が多いから、「ダブル暴力党」にするのか。
 他にはイメージカラーとキャラクターから「赤鶴党」など、いくらでも思いつく。 

『創価学会「日本占領計画」の全記録、「黒い手帖」』から抜粋
 国立戒壇が実現するとき、やってくる天皇の使いを迎えるための門が総本山大石寺にある。この門は、そのときまで一度も開けることのないままになっているので、「開かずの扉」と呼ばれている。私たちが学会の幹部に「開かずの扉は開けなくてもいいんですか」と問うと、「いいんだ」という。
 「それじやあ、公明党をつくった意味がなくなる。学会員の皆さんも本気で応援してくれなくなる」などと真剣に侃々鍔々の議論を戦わせたことを昨日のことのように覚えている。
 もっとも、結論が出たわけではない。
 いくら論議しても、解決できない問題もある。未解決のものは未解決のまま置いておくしかない。しかし、学会と党との刷りあわせは必要だった。このときの経緯も私の手帖には詳しく書いてある。 
竹入委員長も知らなかった創共協定締結
 言論出版妨害事件が起きた後の衆議院選挙で、公明党は47議席から29議席と大幅に議席数を減らす。公明党の弱体化は、創価学会にとっても困った問題だった。
 公明党は、学会の防波堤である。それが弱くなって、学会内部には共産党に徹底的に叩かれるのではないか、共産党に対する備えが必要なのではないか、という焦りと不安が生じた。その結果、創価学今はがっくりするようなことをした。1974(昭和49)年10月、学会が共産党に待ちかけた、創共協定がそれである。
 共産党と学会の間を取り待ったのは、共産党のシンパでもあり、池田会長とも親交のあった作家の松本清張氏だった。
 「共産党と創価学会の組織が一緒になれば政権奪取も夢ではない。自分はその歴史的な同盟の生みの親として、かの薩長同盟を仲介した坂本龍馬のように歴史に残る」
 これが松本氏の思いだった。氏の「創共協定経過メモ」によると、締結までには次のような過程を辿ったらしい。
  10月30日、学会側から野崎勲男子部長と志村栄一文芸部長が、共産党側から上田耕一郎氏と山下文男氏が出席、介添人の松本氏によって初頭合わせが行われる。以来、協定調印まで七度の予備会談を開く。そして、年も押し詰まった12月28日、創共協定の調印に至った。その内容は以下の通りである。
日本共産党と創価学会との合意についての協定(十年協定)】
 創価学会代表野崎勲と日本共産党代表上田耕一郎とは、1974年10月末以来、数回にわたって懇談し、それぞれの組織の理念と性格、現在の活動と将来の展望、内外情勢などについて、広範かつ率直な意見の交換をおこなった。
 その結果両者は、創価学会と日本共産党とが、それぞれの組織ならびに運動の独自の性格と理念、さらに立場の違いをたがいに明確に認識しあい、相互の組織と運動の独立を侵さないことを前提とした上で、日本の将来のため、世界の平和のため、そしてなによりも大切な日本の民衆、人民のために、それぞれの組織を代表して、左記の事項について合意した。
一、創価学会と日本共産党は、それぞれ独自の組織、運動、理念をもっているが、たがいの信頼の関係を確立するために、相互の自主性を尊重しあいながら、両組織間の相互理解に最善の努力をする。
二、創価学会は、科学的社会主義、共産主義を敵視する態度はとらない。日本共産党は、布教の自由をふくむ信教の自由を、いかなる体制のもとでも、無条件に擁護する。
三、双方は、たがいに信義を守り、今後、政治的態度の問題をふくめて、いっさい双方間の俳論中傷はおこなわない。あくまでも話し合いを尊重し、両組織間、運動間のすべての問題は、協議によって解決する。
四、双方は、永久に民衆の側に立つ姿勢を堅持して、それぞれの信条と方法によって、社会的不公平をとりのぞき、民衆の福祉の向上を実現するために、たがいに努力しあう。
五、双方は、世界の恒久平和という目標にむかって、たがいの信条と方法をもって、最善の努力をかたむける。なかんずく、人類の生存を根底からおびやかす核兵器については、その全廃という共通の課題にたいして、たがいの立場で協調しあう。
六、双方は、日本に新しいファシズムをめざす潮流が存在しているとの共通の現状認識に立ち、たがいに賢明な英知を発揮しあって、その危機を未然に防ぐ努力を、たがいの立場でおこなう。同時に、民主主義的諸権利と基本的人権を剥奪し、政治活動の自由、信教の自由をおかすファシズムの攻撃にたいしては、断固反対し、相互に守りあう。
七、この協定は、向こう十年を期間とし、調印と同時に発効する。十年後は、新しい時代状況を踏まえ、双方の関係を、より二歩前進させるための再協定を協議し、検討する。
                     1974年12月28日
         創価学会代表総務長 野崎勲
         日本共産党代表常任幹部会委員 上田耕一郎
  この歴史的な協定の締結は長らく伏せられ、読売新聞が1975年7月8日付の夕刊で「共産党・公明が。歴史的和解〃宮本-池田両氏、昨年末に秘密会談反ファッショで連携 今月中にも正式会談 革新統一戦線へ新しい眼」の見出しで、スクープするまで、世間ではまったく知られていなかった。
 いや、それどころか、実は公明党書記長の私も竹入委員長も聞かされたのは、調印三日後の大晦日である。
 東大阪市の自宅に戻っていた私は、党にいるはずの竹入氏に、年末の挨拶をしようと電話をかけた。すると、「とんでもないことが起こった。『お年玉』をあげるよ。さっき党本部に北条副会長が末て、創共協定を結んだと知らされた。
 『賛成しろ』というので、俺は『反対だ』と承知しなかった。竹入が怒っているから、矢野を説得しろという指示が出るはずだ。間もなく、矢野にも連絡が入ると思う」という。
 共産党と学会が手を組んだとあれば、公明党は公安筋からも自民党からも、また他の野党からも目の敵にされる恐れがあると竹入氏は深刻に心配していた。
 そんな重要な問題を、私たち公明党幹部には一言も相談もなく、決められてしまったのだから、竹下氏が驚き、怒るのは無理なかった。 

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立川市の出羽三山供養塔

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 東京都立川市は山形県庄内地方の立川とロータリークラブ同士の交流がある。
 地名が同じとの単純な理由だそうだ。
 ところが、この立川は、江戸時代当時から出羽三山詣で別の意味で交流があったことを知った。

 立川市若葉町三丁目・医療法人「新緑会」の五日市街道に面したところに、「出羽三山供養塔」がある。この供養塔の横には文政年間(1818~1829)の刻みがあり、200年近く前に設置されたことを知ることが出来る。 Photo_3

 出羽三山は山形県庄内地方にある「月山、湯殿山、羽黒山」を言うが、山岳信仰の地として古い歴史がある。
 崇峻天皇の皇太子・蜂子皇子の開山だ。
 「出羽三山」の三山には紆余曲折があり「鳥海山、月山、葉山」を言う時代もあった。ところが天正年間(1573年から1593年)ころ、葉山が慈恩寺との関係を絶ってから衰退し、一時は「月山、羽黒山、鳥海山」を指していたが、間もなく「月山、羽黒山、湯殿山」を指すようになり其れが固定し現在に至っている。
 この三山詣では、江戸時代は相当に活発だったようで、関東各地からも「出羽三山講」や「奥講」などの講中が結ばれ、多くの参拝者を集めていたそうだ。
 講中が結ばれているところは、集落の代表者数名が毎年参拝に行ったという。
 立川市の「出羽三山供養塔」はその痕跡だろう。

 この立川市若葉町辺りは、江戸時代に玉川上水が引かれてから五日市街道沿いに新田開発された村で、Dscn3843戦後まで「砂川村」と呼ばれた地域だ。
 「砂川村」は、天王橋辺りの一番から小平方面に進むに連れ、二番、三番、阿豆佐味天神社辺りは四番、そして、砂川八番という交番付近、砂川下新田の田堀は九番、砂川前新田は十番の順に開発が進んだという。
 また、この番号は年貢の徴収単位であり、集落単位に組頭が置かれていたそうだ。「出羽三山供養塔」は砂川村全体のものか、砂川前新田(十番)辺りだけのものかは分からない。
 ただ、山形県との古いつながりに感慨深いものがある。

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同期会は健康披露会?

 5月8日(土)は同期会があった。と言いながらも前日まで忘れていた。
 幹事から、前日「あした出席出来るのか」とぶっきらぼうな電話が入った。
 欠席しては何を言うか分からない連中なので、反射的に「当然だ」と答えた。
 場所は皇居に隣接したホテルで昼間からの酒飲み会だ。
 45名のクラスだったが35名集まった。Photo

 年一回開いているが、久しぶりに逢う者、昨年春まで元気だったのに体調を崩してようやく歩いている者が二人、肺や胃の大手術した者も出席していた。
 奥さんを駐車場で待機させている者もいた。
 そうしてまでも出席するから立派だ。
 互いの顔を見合わせ、取りあえず出席できるだけでも幸せに思っているはずだ。
 それに、当時世話になった担当教師二人が、80歳前後ながら元気に出席されたのが嬉しかった。欠席は既に死亡した二人の他は、余程の事情があるか、ひねくれている奴だ。

  挨拶言葉に、ほぼ全員が病気や体調のことを入れるから年齢層が分かる。
 当方は健康なら「オールA」だが、体調を崩している者を見るとあまり自慢も出来ない。「お前は元気そうでいいなー」などと言うが、「頭以外はな」と軽く受け流す。
 風雪に耐えた外見を見ると、実年齢から10歳は若く見える者、10歳は老けている者、差し引き20歳もあるから面白い。

 久しぶりに逢う中に、同郷の酒田市居住者がいて積もる話があった。
 7~8年振りだろうか。そして、世間は本当に狭いものだと実感した。
 まず、当方の従兄弟や高校で同じクラスの男とも職場が同じだったり、元上司で郷里で暮らす人とも交流があったり、「くろき脳神経クリニック」のことも仕事関連で知っていたので、驚くばかりだ。今度の帰郷の際は、また情報交換することが楽しみだ。

 いずれにしても『気の置けない連中』はいい。
 気の置けないを、「油断してはいけない人」と解釈する人もいるが、本当は「気配りや遠慮をしなくていい人。気楽に付き合える人」という意味だ。
 また来年、出来るだけ元気な姿で逢うことを楽しみにしている。 
 

 

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2010年5月 8日 (土曜日)

鶴岡市出身の佐藤鉄太郎のこと

 鶴岡市出身の佐藤鉄太郎のことは幾度か紹介している。
 佐藤鉄太郎は、日露戦争を勝利に導いた最大功労者の一人だ。
 http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-d998.html
 山形県人にも殆ど知られていない。
 戦争の話題をタブー視するあまり知ろうとしないのか、大人も知らない。
 学校の先生も知らないし、知っていても教えないのだろう。

 佐藤鉄太郎は、その頃の海軍で「秋山か佐藤か」といわれた逸材だったが、Photo優しげな容貌とは裏腹に気性は激しく、第二艦隊参謀として常に強気の姿勢を一貫させていた。
 陸軍の東条英故(東条英機の父)と並ぶ戦史の大家として『帝国国防史論』を残している。「日本のマハン(米軍人で海洋戦略の古典的理論家)」とも称された。

  今、「坂の上の雲」がテレビ放送されているが、予備知識をもって観賞すると楽しみが倍加するものだ。
 その意味で、『「坂の上の雲」を101倍堪能する 日露戦争明治人物列伝』はお奨めだ。
 追加情報だが、司馬遼太郎は生前、坂の上の雲の映像化は反対していたという。
 理由は、この話しは戦争に勝って終わる内容だかららしい。
 日露戦争の勝利によって、変な自信を付けた日本軍は、この勝利の余勢を借りるかのように泥沼の戦争に入って行くのだからというが、分かるような気がする。

 佐藤鉄太郎のことを掲載した253~255頁を抜粋して紹介する。

『「坂の上の雲」を101倍堪能する 日露戦争明治人物列伝』
   失敗を成功へ転じた刹那の英断は剣術の極意にあり
      第二艦隊参謀 海軍中佐 佐藤鉄太郎
 日露戦争の海軍の使命が「ロシア艦隊の殲滅」とすれば、日本海海戦の佐藤の一瞬の判断がそれを可能にさせたといっても過言ではないだろう。
 また、その佐藤の進言を瞬時に受け入れた上村という艦長の存在も大きい。戦争がその時々の偶然に左右され、作戦通りに進行しないなかで、指揮官の一瞬の判断能力の重要性を痛感させられる。 
 その左右には加藤友三郎と秋山真之の姿があった。先頭Image0011を行く「三笠」への砲撃が一番過酷なのだ。しかし、それ以上に、日本側の砲撃は正確にバルチック艦隊を捉えていた。
 日本海海戦は戦闘時間30分で勝敗を決した。
 バルチック艦隊は旗艦「スワロフ」以下「オスラビア」「アレクサンドル三世」「ボルジノ」が火災を起こしていたが、対する日本側の艦船で火災を起こしている艦艇は見あたらなかった。
日本海開戦はこの30分で大勢を決したといわれている。
 この30分のために10年の歳月をかけて日本海軍は増強し、訓練してきたのだ。
 日本艦隊の正確な射撃と広瀬火薬によってロシア第一艦隊は火災を起こし、黒煙をあげていく。なかでも敵艦隊の先頭にある旗艦「スワロフ」の被害は甚大で、操行不能に陥っていた。
 重傷を負い人事不省のロジェストウェンスキー司令官は指揮権をネボガトフ第三艦隊司令官に委譲する。そして、午後2時50分。操舵不能の「スワロフ」は艦隊列から外れ、北へ北へと回頭していった。
 「三笠」艦橋にいた東郷、加藤、秋山貴之はこれを北方への逃走と誤解してしまう。
 連合艦隊第一戦隊は左90度に進路を変更させた。絶対に献をウラジオストックに逃がしてはいけない使命は勝利でなく、敵の殲滅にある。この しかし、東郷第一艦隊後続の第二艦隊佐藤鉄太郎参謀は「スワロフ」の回頭は単なる舵の故障と見ていた。
 司令長官の上村彦之丞も同意見である。
 その時、佐藤参謀は、ほんの一瞬、第一艦隊の信号旗を見落としてしまう。そして、その信号内容が左90度の回頭であったことを知って驚愕する。
 「第一艦隊は誤解している!」 佐藤の脳裏に、目の前で起きている複数の現実が同時に飛び込んで警告を発した。が、躊躇している時間はない。このまま直進すれば回頭運動をはじめた第一艦隊にぶつかってしまう。
 かといって、第一艦隊と同じ左旋回をとれば敵本隊から離れてしまい取り逃がす恐れがある。
 佐藤はパニックを起こしそうな自分を必死に抑え、冷静になろうとした。
 剣術の達人がみせた窮地の極地
 佐藤鉄太郎は「薩の海軍」のなかにあって佐幕派の出羽庄内藩の出身である。明治になって、会津藩を筆頭に佐幕藩出身者はつらい境遇にあった。佐藤は十三歳で海軍兵学校のジュニアコースに入る。将校時代には四谷文友館で伊庭想太郎から心形刀流を学んだ。
 佐藤が参謀になった頃、伊庭想太郎は心形刀流の極意を伝授した。「剣にかぎらず万策尽きて窮地に追い込まれたときは、瞬時に積極的に行動に出よ、無茶でもなんでもかまわない、捨て身の行動に出るのである」。これが心形刀流の極意であるという。
 この言葉が佐藤の脳裏を奔った。
 佐藤は司令官の上村に第一艦隊とは逆の面舵で敵の頭をおさえることを進言する。
 佐藤同様に「スワロフ」の行動を舵の故障と認めていた上村彦之丞という勇猛な司令官は、即座に決断を下した。
 第二艦隊は単独、面舵をとる。
 装甲巡洋艦で編成されている第二艦隊は無謀にも、敵戦艦隊に挑戦していくことになる。この佐藤と上村の機転と英断が日本海海戦を奇跡的な勝利に結びつけるのだ。
 ミドル級のボクサー軍団が手負いのヘビー級軍団に挑戦したのである。「スワロフ」にかわって先頭になった「アレクサンドル三世」「ボルジノ」に猛攻を加え炎上させていった。しかし、この佐藤と上村の英断は長く海軍の秘密とされたという。
 佐藤鉄太郎はその頃の海軍で「秋山か佐藤か」といわれた逸材だったが、優しげな容貌とは裏腹に気性は激しく、第二艦隊参謀として常に強気の姿勢を一貫させていた。
 陸軍の東条英故(東条英機の父)と並ぶ戦史の大家として『帝国国防史論』を残している。
 「日本のマハン」とも称された。
 逃げまどうロシア戦艦隊を挟み撃ち
 その頃、敗走するバルチック艦隊を追尾から攻撃していたのが出羽第三戦隊と瓜生第四戦隊だった。敵巡洋艦、特務艦、工作戦を炎上させて追走しているとき、上村第二艦隊から逃走してきた「アレクサンドル三世」「ボルジノ」などのロシア艦隊と遭遇する。
 午後4時30分過ぎ、巡洋艦隊と戦艦隊の無差別紙の遭遇戦が開始された。一転して苦戦を強いられることになった第三・四戦隊だったが、そこへ日本主力艦隊の東郷戦隊と上村戦隊が到着。
 形勢は逆転して「アレクサンドル三世」「ボルジノ」は断末魔の火柱をあげて傾いていく。
 そして、太陽も大きく傾いていく。

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おもしろ地名「平河町」

 千代田区「平河町」には、最近幾度か足を運ぶ機会があった。Dscn3855
 この「平河町」は、麹町地区で最も古い地名だという。

 ただ、皇居の「平川門」は、平河町の反対方向、大手町方向にあるので、不思議に思っていた。
 この関連を「山田浅右衛門」のことを調べているときに知ることができた。
■まず、皇居東御苑の辺りには、大手町方向に平川(日本橋川)が流れている。
■太田道濯の時代、平川河口で栄えた村は平川村と呼ばれはじめた。そして、この村に江戸城内から「天神社」が移され、神社名も「平川天神」と呼ばれた。
■徳川家康が入城し1607年(慶長11年)江戸城増築工事に伴い、平川村の住民は現在の位置に平川天神社と一緒に移転した。
 平川が平河となった経緯は分らないそうだ。

 この平河町は、幕末の1868年(慶応3年)当時は、「麹町平河町」と呼ばれ一丁目より三丁目まであった。その後、「元平河町」が出来るなど幾多の変遷があったものの、現在は平河町一丁目・二丁目とスッキリしている。
  今回調べて面白かったことは、岡場所があったことの証でもある稲荷神社が二カ所もあったことと、「ももんじ屋」と呼ばれる獣肉の元祖店があり繁盛していたという話だ。

 稲荷神社のことは別の機会にして、
 江戸のももんじ屋では、麹町の山奥屋、両国のももんじやが特に有名だった。
 ももんじやは漢字で書くと「百獣屋」。
 つまり日本人は何でも食っていたのだ。
 今の動物愛護者が、これを見たら卒倒することだろう。
 江戸当時から、「桜=馬肉」、「牡丹=猪肉」又は「山くじら=猪」、「紅葉=鹿肉」、「柏=鶏肉」などと隠語で呼ばれている。
 この隠語からも、当時の実態を伺い知ることができる。

 山奥屋は、紅葉(鹿)、牡丹()、が名物で、幕末、訪れた外国人は店先に皮を剥がれたがぶら下がっているのを見て驚いたという記録がある。
 他に「カワウソ」の名もある。
 カワウソは河童とも言われ、紀伊国坂付近G720500v_2の堀に河童伝説もあるが、もしや、ここのカワウソを捕まえて店に出していたのだろうか。
 ももんじやは、武士の間では評判の店で江戸の名物だった。
 両国の回向院近くには、9代続くももんじや今もある。
 676年(天武天皇4年)の肉食禁止の詔では、牛、馬、犬、猿、鶏の五畜の肉食を禁じているが、陰では肉をシッカリ食べ続けていた。
 祖先は肉を食っていたから今も元気な日本人がいるのだ 。
 けっして批判する必要はない。
 本音と建て前とは、こんなものだ。
 動物愛護者も、自分が何を食しているか考えたらいい。
 人間だけではない他の動物もしかり、命あるもの全てが他の生命を犠牲にして生存している。だから、山の神、海の神、田の神などの自然界に感謝している。
 平河町は今はビル街だが、ももんじや、稲荷神社、岡場所とシッカリと人間くさい生活の痕跡が残っていた。ずいぶん横道にそれてしまった。

 これは現在の話だが、「月やま会館」、(山形県東京宿泊所、平河町1-3-4) という山形県人のための施設がある。1階にはDscn3848山塞」という山形料理を出す店もある。
  「山田浅右衛門」邸は「平河天神社」北側の「第一生命ビル」がある平河町1丁目2番辺りだった。「第一生命」は今年4月1日に東京証券取引所に上場した保険会社だ。

  「山田浅右衛門」は「屋号」のようなもので代々世襲され、斬首刑の執行は「副業」で、本業は「公儀御試御用」という、将軍家に納められる刀剣の切れ味を実際に「試し斬り」する役職だった。刀剣鑑定の任務もあった。
 この屋敷では斬首した遺体から肝臓を脳味噌を取り出し、乾燥させてある薬を造っていたことは有名な話だ。その薬は「浅右衛門丸」や「人丹丸」として明治時代も売っていた。また、屋敷内には「キモ蔵」があり、人間の肝を干し柿のように吊るしてあったそうだ。
 直ぐ近くの半蔵門辺りは、「パワースポット」としても有名だ。

平川門辺りの古地図

Photo

平河町辺りの古地図Photo_2

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2010年5月 7日 (金曜日)

まもなく国民投票法が施行となる

 この「国民投票法」のことは、ほとんどの国民は忘れていることだろう。
 国会論議もマスコミ報道も、作為的に低調だ。
 3年前はそれなりの論議を呼んでいた法案だった。
 しかし、黙っていても極めて重要な法律が自動的に動きだす。
 今月5月18日には、憲法改正手続きを定める国民投票法が施行され、憲法審査会による改正原案の発議が解禁となる。
 この法律が、憲法改正手続きの第一段だ。
 この法律を準備することに、63年の歳月を要した。
 しかし、憲法改正の発議には衆参両院の総議員の「3分の2以上の賛成」が必要で、ハードルは高い。このため自民党は夏の参議院選公約で、これを過半数の賛成に緩和する方針を打ち出した。改憲論議のスタート台に立つことすら拒み続ける民主党の姿勢を、自民党47800140幹部は「国会の不作為だ」「政権党とは言えない」などと批判。改憲に取り組む姿勢をアピールしている。(2010/05/02)

  この法律は2007年5月14日に成立している。
 あれから3年経過し、ようやく施行される。
 施行に3年も猶予期間を与えた面白い法律だ。
 この法律は、安倍首相の実績の一つだ。

 ここで、主張や視点がぶれない評論家の一人・櫻井よしこ氏の「日本よ勁き国となれ」を再度読み直した。
 3年前に発行されたものだが、各項目には説得力のある文章が綴られていて、主張が一切ぶれていないことを知ることが出来る。
 この中から「国民投票法」に関連する箇所を引用して紹介したい。

櫻井よしこ著「日本よ勁き国となれ」   250頁から
 日本はなぜ、斯(か)くも長きにわたって憲法改正をしてこなかったのか。
 これは、事あるごとに、日本の保守勢力を批判する「ニューヨーク・タイムズ」紙などでさえも投げかける問いだ。
 それほど、日本人は長きにわたって改憲の時機を逸してきた。
 憲法の専門家、駒澤大学の西修教授は、戦後40年の時点で米国を訪れ、日本国憲法作成にかかわった人びとを取材した。会った人物は10人以上だったが、全員が「まだあの憲法を守っているのか」と驚いたという。
 彼らの反応に、西氏のほうが驚いた。
 彼らは、自分たちがつくった日本国憲法は、占領終了後に当然書き換えられると考えていたのだ。だが、さらに驚いたのは、憲法改正の手続きについて西氏がその規定の厳しさを説明したときだった。彼らの多くが、国民投票で過半数、国会の3分の2以上の賛成というきわめて高い改憲のハードルについて、まったく記憶していなかったのだ。
 なんと無責任なことだろうか。
 だからこそ「まだあの憲法か」と20年以上も前に呆れられた米国由来の憲法に縛られることなく、日本人の憲法を一日も早くつくるべきなのだ。そのために、民主党は党内意見に耳を傾け、国民投票法制定に協力せよ。安倍首相は法案の欠陥修正に力を入れよ。『週刊ダイヤモンド』2007年3月31日号)             
憲法改正、偽りの衣を捨て去る時
 2007年5月14目、憲法改正の手続きを定める国民投票法が参議院で可決、成立した。
 現行憲法は改正のための条件を規定しているにもかかわらず、60年間も、改正を実施する法律がなかった。
 その法律上の空白が埋められ、憲法改正を党是とする自民党が、立法の不作為を克服して公党としての公約を果たせる体制を、漸く作ったのだ。自分の任期中に憲法改正をやり遂げたいと語る安倍音三首相の決意が窺える。
 なぜ憲法改正が必要か。第一に憲法というものが、国家の根幹をなすものだからであり、またそれはその国民の価値観を反映させたものでなければならないからだ。
 周知のように現行憲法はマッカーサーの命令で作られた。
 特に9条は「天皇の地位、戦争放棄、封建制の廃止」に関する「マッカーサー三原則」の戦争放棄の原則が下敷きになっている。
 マッカーサー案は以下の内容だった。「国家主権としての戦争は、廃止させる。日本は、紛争解決の手段としてのみならず、自国の安全を保持する手段としての戦争をも放棄する。日本は、その防衛と保全とを、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を維持する権能は、将来ともに許可されることがなく、日本車に交戦権が与えられることもない」
 彼が日本に対して「自国の安全を保持する手段としての戦争」をも禁ずるつもりだったことを、日本人は忘れてはならない。彼は日本国から一切の自衛権を奪い去るつもりだったのであり、侵略を受けたが最後、日本人は座して耐え、侵略者に隷属せよ、それがいやなら、黙って滅んでいけという意昧だった。マッカーサーが心の奥深く、どれほど強い日本憎悪の感情を抱いていたかを窺わせる内容である。
 憲法草案の起草に関わった民政局もこれには驚いて、「自国の安全を保持する手段としての……」の件を削除した。
 日本はこれでやっと、侵略を受けた場合は、自衛のための戦いをしてもよいと認められたのだ。
国家は本当に。悪々なのか
 それでも、マッカーサーが日本国憲法の根幹に組み込んだ、日本国政府に対する類例のない強い縛りは、そのまま残った。
 軍を否定し、政府の権威も権力も否定し、他方で国民に対しては、権利と自由を強調した。マッカーサーが作らせた日本国憲法では、政府と国民は対立の構造に置かれ、従来の日本の善き風土であった政府と国民の間の信頼関係は姿を消した。
          --中略----
 遥かな昔、私たちの先人が定めた憲法、国の姿は、和を基調とし、日本人一人ひとりの知の力を信ずる民主的な精神によって成り立っていたのだ。先人たちが日本国の形として書き残した価値観は現代にも十分通用するメッセージである。
 強調すべきは、この十七条憲法の延長線上に五箇条の御誓文と明治憲法があり、日本国の形としての憲法は、時代を超えてつながっていることだ。それは国家というものが、ひとつの有機体のように、民族の文明を世代を超えてひきついでいくものであることを示している。
 だがマッカーサーが作らせた現行憲法は、国家の継続性とも日本の価値観とも無関係だ。むしろ、日本的価値のすべてと長き文明の流れをバッサリ切り捨てた。
 現行憲法は、真の意味で、日本人の憲法ではないのだ。
 だからこそ、改正が必要なのである。
 国民投票法の成立で、本に竹を接ぐように平目然な形で与えられた現行憲法を変えるための第一歩が踏み出された。それでも改正への道は長く険しい。
 だからといって安倍首相は妥協を図り、改正のための改正に終わらせてはならない。改正が、真に日本国と日本国民のためになるよう、勇気ある提言を続け、全員で議論することが大事である。
                  (週刊新潮2007年5月24日号)

櫻井よしこ(本名: 櫻井 良子、1945年10月26日~)
ベトナム生まれ
新潟県立長岡高等学校卒業
ハワイ大学歴史学部卒業

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2010年5月 6日 (木曜日)

一番の美人を探せ

 うば桜   面影探す 遠くからDmc_2
 
 時々このような575を載せるが、 俳句にも川柳にもなってないことは理解している。
 そして、この話は我が家でしか通じない「ギャグ」の一種だということも断っておく。
 「夜目、遠目、傘の内」程度の話だ。

 先日、久々に娘と一緒にダイヤモンドシティに買い物に出かけた。
 行きたい場所は全員バラバラ、娘はVictoria、妻はH&M、小生は本屋。
 集合は一時間後と決めるが、万が一の連絡は携帯があるから便利なものだ。
 買い物しながら、昔話を思い出した。

 20年以上も前のことだが、東大和市内での買い物は、アイワールドか忠実屋が主だった。今ではアイワールドがニトリ、忠実屋がダイエーに代替わりした。
 時の流れを感じる。
 これらの店には、子供達が小学校前から家族連れでよく出かけたものだ。
 
 いずれも体育館程の広さがあり、買い物に夢中になるあまり家族全員が良く迷子になった。一番迷子になるのが母親だった。
 そんなとき、4・5歳だった娘は、「お母さん迷子にならないで」とぷりぷり怒っていた。娘が探しに行くと今度は娘が迷子になることもあった。
 こんなことを、凝りずに良く繰り返したものだ。

 一番いいのは、ジッと動かず待っていることだった。
 そして、階段途中の全体が見渡せる場所に立って、娘や息子に「一番美人がお母さんだから」と教えると、子ども達は真顔で探していた。
 ただ、このセリフは、いつまでもインプットされてしまった。
 娘はしばらくの間、食事をしながら、「お母さんが迷子になったら、一番美人を探せば簡単だよね。」と話題にして来た。
 「うん、そうだよ」と相槌を打つと、風呂に入っている母親にそれを告げに行く。
 直接は口が裂けても言わないが、子供の口を借りた実に簡単な機嫌取りだった。
  このことは、家族間のギャグで、他の人には笑われるだけだ。
 もっとも今では、家族間でも笑い話になった。

   もう一度 咲くと意地張る うば桜
 
      
んむ、これは川柳に使えるかな?
 
  うば桜 直ぐよそ見する じじ桜
 

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2010年5月 5日 (水曜日)

少しは学べアメリカの国家戦略

  マニフェスト 言葉遊びだ 基地移転

 「戦略論大系(9)佐藤鐵太郎」に目を通している。
 単に目を通しているだけだが、国を守るには、実に細かい作戦というか、平素の備えが必要かということを知ることができる。
 明治人である鶴岡市出身の佐藤鐵太郎は素晴らしい考えを持っていた。
 「自衛に遠かり 侵略に近きは 必竟亡国の基」(自国の地理的条件を無視し、防守自衛の限界を超え侵略に走る国は必ず衰退、滅亡する)という格言を残している。
 まず、基本となるのが「政治」であり、
 政治→外交→軍隊→兵器→戦略→戦術とつながってくる。

 いま、盛んに普天間基地移転問題が議論されているが、単に沖縄の基地だけでなく、もっと広い視野に立たないと日本の国防は成り立たない。
 しかし、国防という国の根幹に関わることをアメリカに委託、委譲している日本。
 戦争という言葉を聞いただけで、アレルギー反応を起こす平和ボケした日本国民、その代表である政治家や、にわか評論家が気づくわけがない。
 一国の総理が「学べば学ぶほど、安全保障の重要性が分かった」などととぼけたコメントするくらいだ。つまり、いろはのも知らずに総理の座につき、県外だ国外だと騒いでいたのだから始末が悪い。

  また、海兵隊が「日本を守るためのものでない」と盛んに論評している輩がいる。
 確かに今の段階では、台湾、韓国に敵国が攻め入った場合の緊急展開を想定しているようだ。特に大使館・領事館などの自国民の救出という、重要な任務を帯びている。
 きっと、評論家たちはこのことを指して、日本の防衛と関係ないと騒ぐのだろう。
 男女の二人連れがいた場合、強そうな男と一緒の美女に手を出さないという理屈と一緒。この場合、男がアメリカ女は日本という意味だ。
 この金持ちの美女だけなら、何をされるか分からないのが今の国際情勢だ。
 直ぐに丸裸にされるだろう。
 つまり、台湾、韓国のアメリカ人の防衛は、イコール日本の防衛なのだ。
 日本から見れば、外堀のような地域になっている。
 アメリカは地政学(Geopolitics)的に、「世界のどの地域が戦略的に重要か」を常に考え軍隊を配備しているのだろう。
 地政学の定石は「小さな島を占領すること」だそうだ。
 そして占領した島に滑走路を敷設する。
 アメリカは、この定石に従って行動しているのだろう。
 竹島などの小島を軽視する国民とは全く違う。

 中国や北朝鮮にそよ風を送る民主党政権も、その厳しい現実の前には屈する以外にない。そのことがこの7ヶ月間で、ようやく理解してきたのだろう。
 今年はじめ辺りまで、盛んに言っていた県外移設、国外移設のトーンは消えた。
    現実を 知り恥ずかしい あの発言
 あの強気の発言は一体なんだったのか。
 昨日になって、このことはマニフェストには書いてない。
 鳩山個人の考えだと逃げはじめた。
    先手打つ 能力だけは 忘れない
 
自分が責任をかぶって退陣すれば、参議院選に影響しないと考えたのだろう。
 マニフェストに書かなかったら、総理や閣僚は何を発言してもいいのか。
 これでは国民は何を信用すればいいのか分からない
一国の首相発言は重いものと思っていたが、くつがえすと何も無かったことなのか。
 このような総理、政権に率いられた国民は不幸だ。  

 下段には「戦略論大系(9)佐藤鐵太郎」の中から
 著・石川泰志アメリカの国家戦略と日本」を抜粋させていただく。
 民主主義国・日本は、民主主義国の盟主・アメリカの国家戦略の中でしか生き延びることが出来ない現実を記述している。
 少しは、アメリカの国家戦略を学ぶべきだ。
 これが現実だ。
 それがイヤなら、民主主義国から離脱し、共産主義国中国の傘に入ってアメリカに対抗するか、独自の国家戦略をもって軍備を沖縄に配備する以外に生き延びる手だてはない。
 強盗・強姦魔が隣にいる限り、無防備ではいられない。189269_c450

 左傾した民主党によって、「政治体制」がいかに重要であるかを教えてくれた。
 国民は、多少はそれを学んだだけでも、良しとすべきか。
 国益の損失という大きな禍根を残したが・・・・・・・・。
 立派に見えた
 民主党の政権公約(マニフェスト)は単に言葉遊びだったといえる。
 それに、一番もて遊ばれのが、沖縄県民だ。
 国民をバカにしているということだ。

  論より証拠 鳩が豆鉄砲  くらう顔

戦略論大系(9)佐藤鐵太郎
石川泰志著「アメリカの国家戦略と日本」
 アメリカの戦略の「最も基本的な価値観」こそ「自由貿易経済(これは民主主義国家の建設と表裏一体の関係をなしていると、米国民は考えている)の保障」である。
 自由貿易経済は海洋交易に支えられているから「海上通商交通の自由」つまり「自由航行の原則」が守られねばならない。
 「国際法や国際常識から見てこの権利(いかなる国、民族にも等しく与えられている権利と米政府は強調している)が、侵害されるなら、米国はその軍事力を行使して万人に対して共通に保障されるべき権利の復興を行なうであろう」。 
 このアメリカの基本戦略と敵対、矛盾しない戦略を日本は必要とする。いたずらな領土拡大、勢力圏拡大でアメリカと対立するより、日本の強みである地理的条件、人的資源の開発に力を注ぎ、国力を蓄えれば自然と経済力も成長し、政治的にも安定する。
 日本経済の成長はアメリカとの貿易の拡大を意味し、また日本の政治的安定度を増すことになる。
 アメリカの、国際社会での武力による発言力確保を裏付ける海軍力を備えた日本との友好をアメリカも必要とするようになる。
 江畑謙介氏がアメリカから見た日本の軍事戦略上の価値として第一にその地理的条件、「アジア・太平洋地域の安全保障という広い見地からも、日本はきわめて都合のよい、あるいは理想的な位置にある」点、第二に政治的に自由民主主義、議会政治が定着し政治的安定度が高く、反米的傾向が少ない。
 同じアジアの島国でもフィリピンやインドネシア、半島国の大韓民国とは格段に違う点。第三に経済的に駐留アメリカ車への手厚い経済支援(おもいやり予算)を行なう唯一の国である点、第四に技術力、横須賀のアメリカ軍基地は「世界で最も優れた艦船修理施設」とアメリカも認めるほどの能力を有し、世界最高の技術力を誇る造船業はじめ日本の工業技術をアメリカはほぼ自国と同じ条件で利用できる点である。
 実質的に、アメリカにとって日本はヨーロッパのイギリスに準ずる、あるいはそれ以上の役割を果たしている(イギリスをはるかに凌ぐ経済力・技術力ゆえに)といっても過言ではないだろう。
 大陸に対する野望を放擲(ほうてき)すれば、日米の友好と協力は充分可能であることを戦後の歴史は証明している。
 勿論、日本のナショナリズムの根底には反米主義の暗流が澱んでおり、大陸帝国への野望を追った戦前の歴史は正しいと強弁する者も少なくない。
 日本の運命を政権交代の手続きさえ満足に確定していない、対日政策がいつ180度転換するかもわからない、大陸国との同盟でアメリカに対抗しようとの試みは、第一次大戦前の日露条約、第二次世界大戦前の日独伊三国同盟で無惨にも失敗した。

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2010年5月 4日 (火曜日)

5月3日・憲法記念日に想う

 憲法の日 国旗眺めて 俳句詠む

 憲法記念日・みどりの日・こどもの日と祝日が続いている。
 しかし、このような祝日よりもっと重要な日が、数日前の4月28日だ。
 それは昭和27年、サンフランシスコで連合国と日本との間に「対日平和条約」が締結し、日本が主権を回復し独立国として認められた日だ。。
 「日本の独立記念日」とも言える。
 国家の独立なくして、憲法記念日もみどりの日も、子どもの日もないのだ。
 
 このサンフランシスコ条約憲法は、どっちが優先するかという問題がある。
 憲法は国家の基本中の基本、片や、条約は外国と結んだ決まり。
 しかし、決まりとは言え国と国を拘束する法律であり、簡単に破っては相手国との関係が悪化する。よって、国際社会では条約が優先するとの考えが一般的だ。
 今回は、このようなことを勉強しておきたい。

■まず日本国憲法だが、
この憲法はthe Constitution of Japan といい、GHQ統治下で、アメリカ人が2週間で仕上げた、いいかげんな憲法だ。もどき憲法、暫定憲法ともいわれ、
 日本人の主体性・責任感のなさの象徴でもある。
 日本国民の尊厳と意思など反映されていない。
 英語を訳した空虚な文字が並ぶだけだ。
 もっとも占領下の主権はGHQにあり、受け入れは仕方なかった。
 永井荷風は「米人の作りし日本国憲法今日より実施の由。笑ふべし」と書き残した。
 この憲法は日本弱体化政策に威力を発揮し、日本の完全武装解除に成功したが、1950年の朝鮮戦争勃発により、GHQは日本に警察予備隊を急遽編成させた。
 日本国憲法よりGHQ命令が強かった証明でもある。
 このように、憲法の矛盾が表面化した。
 1952年4月28日、サンフランシスコ条約が締結し、日本は主権が回復し時点で自主憲法を定めるべきだったのに、現在もGHQ命令に拘束されたままになっている。 
 
■次に憲法より重い条約のことだが
 サンフランシスコ条約第五条を引用する。
 第五条【集団保障、自衛権】
a)日本は、国際連合憲章第二条に掲げる義務、特に次の義務を受諾する。
  (i)その国際紛争を、平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危う
    くしないように解決すること。
 (ii)その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使は、いかなる国の
   領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立し
   ない他のいかなる方法によるものも慎むこと。
 (iii)国際連合が憲章に従ってとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる
   援助を与え、且つ、国際連合が防止行動または強制行動をとるいかなる国
   に対しても援助の供与を慎むこと。
b)連合国は、日本国との関係において国際連合憲章第二条の原則を指針とすべきことを確認する。
c)連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。

 この条約は、ソ連・支那・インド等を除く旧連合国48ヶ国との間に調印された講和条約だが、どこを読んでも「戦争放棄せよ」とは書いてない。
 しかも、国際連合が武力行使を図る場合は、「あらゆる援助を与えよ」と規程している。これは占領統治下憲法the Constitution of Japan 第九条と大きく矛盾する。
 簡単に言えば、サンフランシスコ条約発効時点で、占領下憲法の役割を終えたことになる。そして、日本はこの条約を尊重した新憲法を制定する必要があるのだ。
 それが、国際社会に対する約束というものだ。

日本人は外国から押しつけ(外圧)に弱い
 左翼日本人は基本的にアメリカが大嫌いなくせに、憲法9条だけは賞賛する。
 天皇陛下の関連規定などには反対するが、この9条だけが好きなのだ。
 これは反戦運動や反核運動に利用出来る条文だからであって、日本国や同盟国を思って護憲運動をしていることでないことは明白だ。
 左翼が憲法を遵守しない例を挙げると、共産党は天皇陛下が出席する行事や国会の開会式は欠席する。
 これは、憲法で定めた天皇制を認めない意思表示なのだ。
 今度、国会の開会式を見るといい。共産党席は空白だ。
 とにかく、 
 GHQは、なんと日本を混乱させる条文を残したのであろうか、 
 アメリカなどの連合国48ケ国は、もう一度アフターケアの意味で、サンフランシスコ条約の完全履行を日本に迫る責任と義務がある。
 
新無効論 「日本国憲法」は講和条約 (2-1) 南出喜久治

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2010年5月 3日 (月曜日)

お茶詰め放題は二缶分が目標

 てぐすねを 引いて詰める 新茶かな
 
 多摩湖の界隈は狭山丘陵の一角にあり、昔から茶どころとして知られている。
  狭山茶の生産地としては、埼玉県南部の入間、狭山、所沢、川越、飯能、日Dscn3844高あたりが中心地と言われているが、東京都内でも、青梅、瑞穂、武蔵村山、そして東大和あたりにも茶畑が広がっている。

 日本の三大銘茶として、昔から『色の静岡茶、香りの宇治茶、味の狭山茶』と評価され、有名な茶だ。
 近所には狭山茶を生産販売をしている「お茶の宮鍋」がある。
 もう25年以上も通っている店だ。
 地元では、お茶御殿と呼ばれている。
 飽きずに通っているのは「お茶党」でもあるが、よく、お茶の詰め放題が行われていてお得感があるGate_line_spring_03からだ。コーヒーも置いてある。
 今の季節は「新茶の詰め放題」が、一缶1900円位で行われているが、十分に美味い。

 詰め放題とはいえ、詰め方には工夫が必要なもの、二缶分詰めることが目標。パンパンに膨れた缶に、横で見ている妻もあきれているが、店員さんとも知り合いで阿吽の呼吸だ。
 てぐすねを 引いて詰める 新茶かな
 
 詰め放題はフタがシッカリと閉められていない状態になり、一見贈り物には向かないと思われるが、気心知れた親戚や仲間うちには結構喜ばれている。
 それなりの包装もしてくれるので体裁は悪くない。

東京都東大和市高木3-220  お茶の宮鍋
      電話番号 042-564-1122
      営業時間 9:00~19:00
 創業安永9年、お茶の里より香り伝えて二百有余年狭山茶とともに歩みつづけてきた宮鍋。自然の営みの中で育まれてきた茶樹から宮鍋伝統の技と心を織り交ぜ磨きあげた銘茶です。
 現在ではここ東大和市の特産品として全国の多くの方々にご愛用いただいております。お近くの直売店でもお買い求め頂けます。
 是非お越し下さいませ。 

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2010年5月 2日 (日曜日)

上海万博裏(パクリ)に想う

 万博に パクリ並べて 自慢顔

 
中国では昔から、日本人を「よこしまでいやしい女が治めるチビの国」と文献に残している。
 そして、日本人は否定しないで、そのまま認めている変な国民だ。
 理由は、これから説明する。

 数年前は北京オリンピック、今回は上海万博にと中華の国に人が集まっている。
 きっと、支那(シナ)国民は我が世の春を謳歌していることだろう。Photo_2
 ところが、PRソングから展示物までパクリのオンパレードだという。節操も反省も全くない無い国だ。
 この万博は「これからもパクリで行きます」と国際的に宣言しているようなものだ。もっとも、このパクリの裏には全て中華思想があるという。
 中華思想は自国中心主義(ジコチュウ)であり、元々他国の批判などに耳を貸すような国ではないし、誤りを認めるような国民ではないことはご存じのとおりだ。
 特に、漢字を使っている国は自分の国と思っているのだそうだ。
 同心円外交というらしい。(詳細は下段の動画で確認して欲しい)

 昔の中国では、南蛮、北狄、東夷、西戎などと周辺の国を呼び、自分の国より数段低く見下していた。特に日本に対する見方は最悪だ。
 この感覚は、今も変わりないのだろう。Himiko2
 その証拠を列挙をする。、
 大和国(日本)を邪馬台国(よこしまな国)と呼び、
 大和国の女王を卑弥呼(いやしい女)と呼んでいる。
 卑弥呼は、本来は「日の巫女」だったと思われるが、それが今では日本人自身までが、卑弥呼(いやしい女)と書いたり呼んだりして、定着しているから情けない国民だ。 
 「倭人」や「倭国」という呼び方にしても同じだ。
 人偏に委縮の委と書いて「」と呼んでいるが、これは「委縮した人」つまり「チビの人」という意味だ。
 これも本来は「和人(おだやかな人)」と書くべきなのに、日本人自身が「倭人」などと軽蔑用語を使っている変な国民だ。
 今後マスコミなどが公共の電波で、差別用語を日本人自ら使用していたら、その都度指摘して行くつもりだ。
 意味が通じないなら、「ヤマタイ国」「ヒミコ」などとカタカナ文字でいいのではと思う。

 付け加えてるが、中華思想は、欧米白人の「白人至上主義」と同じPhotoような意味で、世界中の民族は、大なり小なり、ジコチュウであることは常識だ。
 それなのに、日本人は戦争に負けて以来、自信を失い、この「自国民中心主義」を表に出せないでいる。
 一種の集団的トラウマだ。
 逆に、強い自虐史観を持っている政治家インテリが幅を効かせているから始末が悪い。
 我が国には、天皇制をはじめ独特の重厚な文化、穏やかで勤勉な国民性、高い技術力、医学、科学、豊かな自然、何もかも世界トップレベルにあることは皆知っていることだ。
 なぜ自信を持てないのだ。

日本とChinaの文化・思想の違い1

日本とChinaの文化・思想の違い2

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2010年5月 1日 (土曜日)

勉強しよう!創価学会のこと

 創価学会では、「立正」とは「人間革命」であり、「安国」は世界平和や人類の繁栄であるとし、南無妙法蓮華経と唱えて人間革命しなければ混迷を深める世界の平和は実現できない。地球環境の変化も思想・宗教と密接に関連するから、人類が正しい宗教に目覚めなければ、地球環境の保全もできなくなるとして世界広宣流布運動を展開している。という。
 よく理解できません。知りたくもありません。
 関係者は良く自宅に訪問してきます。
 「来ないでください」と、ハッキリ相手に言えない場合が多い。
 創価学会は、それを狙っているのだ。
 創価学会では、創価大学の卒業生を大手マスコミへの就職や法曹界(裁判官、弁護士、検事)に入ることに力を入れているらしい。
 そのための下地づくりは十分にしてきた。
 毎日新聞や朝日新聞の印刷は、創価新聞と一緒らしい。
 これでは新聞等の紙面やテレビ番組に影響しないはずがない。
 信者がマスコミ内で確固たる地位にあれば当然だが、周囲に信者がいると、記者達は遠慮して批判記事は書けなくなるという。
 マスコミ関係者は胸に手を当ててみるがいい。
 最近、大手マスコミに、創価学会や公明党の批判記事は極端に少なくなっている。
 裁判官や弁護士に信者を配置すれば、どうなるか、言わずと知れたことだ。
 恐ろしい戦略だ。共産党の手法とよく似ている。

■このサイトでも確認を
  「創価学会は北朝鮮宗教である
  http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/sokakitacho.htm

■「鶴タブー」とは、創価学会に対するタブーのこと。
  この映像はNHKが鶴のタブーに「触れた瞬間」画像だ。確認を
   http://radical-japan.seesaa.net/article/26390257.html 

■「聖教新聞や公明新聞から激烈な批判 宗教家がなぜ」公明党

創価学会
創価学会のメディア支配


勝谷誠彦 - 大手マスコミが報道しない、公明党・創価学会のP献金

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在日朝鮮人は祖国に帰りましょう

 「在日コリアンの皆さん祖国に帰りましょう」
 なにも当方が意地悪で言っているわけではない
 50年も前の記録ニュースだが、かつて在日朝鮮人には帰国を促していた。
Photo_4
 これは天下の「朝日ニュース」という映画ニュースで、帰国事業を讃えたものだ。
 「在日朝鮮人は直ちに祖国に帰りましょう」
 それは今も生きているはずだ。
 海の向こうにこそ幸せがあると信じている皆さんだ。
 じっくりと、この記録で確認して欲しい。 
 ただ、祖国民から在日は差別されるようです
 なぜでしょうか。
 つまり、
  帰国されては迷惑なのだ。
 それは白丁(ペィチョン)、奴隷階級の子や孫だからと言われている。
 今、日本に残っている在日は、自分達の意思で残ったのだ。
 天下の朝日新聞も認めている。
 それなら、なぜ、もっと素直におとなしく出来ないのだ。
 白丁(ペィチョン)の血が騒ぐのか。http://blog.livedoor.jp/pcwbui/archives/52349057.html

あなたは白丁(ペクチョン/ペッチョン)という言葉を知っていますか
  http://ameblo.jp/hatosavure/entry-10383923474.html
■在日朝鮮人は祖国に帰りましょうpart1


在日朝鮮人は祖国に帰りましょう part2


北朝鮮が「地上の楽園」は大嘘、地獄だったと朝鮮総連を訴える

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なぜ朝鮮人は嘘をつくのか

 韓国の大学教授・崔基鎬(チェ・ケイホ)氏が 朝鮮人が認めたがらない朝鮮人の歴史を激白する。

 日本統治前、多くの朝鮮人の女は乳を出し、まともな教育など存在しなかった。
 ハングルは話していたが、読み書きできる人間は限られた
 すべて、日本がやってあげ、文化度を同じレベルに上げてあげた
 それが戦後は、韓国の一般市民となると「搾取」されたと恨んでいるという。

 とにかく、日本が朝鮮半島から得たものは何もなかった

 日本は朝鮮半島に全て与えるだけだったのだ

 韓国の大学教授が真実を教えてくれるPhoto_3
 日本統治当時、朝鮮半島から中国やソ連などの外国に逃げた人はいなかった。
 皆、日本に来て仕事や勉強をしたかったという

 真実は一つしかない
 朝鮮人は、耳をかっぽじって聞いたほうがいい
 この先生が嘘を付いているなら、この大学に抗議したらいい

崔基鎬(チェ・ケイホ)氏 1923年生まれ。
  明知大学助教授、中央大学、東国大学経営大学院教授を経て、
  現在、加耶大学客員教授

 搾取されたのは日本
 そうした状況にある李朝を隣国において、1868年日本は明治を迎えます。
 当時の世界は強いものが弱いものを食う時代です。
 日本にとって清もロシアも大国です。その力が、清の属国になっていた李氏朝鮮、すなわち朝鮮半島から日本にやってくるという危機感が日本にありました。だからそれを防ぐために日本は、朝鮮としっかりと手を結ぶ必要があったのです。

  そこで1876(明治九)年二月、李朝と「日朝修好条規」を結びます。李朝成立後、484年が過ぎたときのことです。それは李氏朝鮮に、独立国家であってほしいという願いがありました。それが第一条にある「朝鮮国は自主の国」という言葉に表れています。これはきわめて重要な意義を持っています。
  しかしそうした清と朝鮮との主従関係を断ち切ろうとした日本の狙いは、実際その実現はほど遠く、民衆は相も変わらず、塗炭の苦しみを味わいつづけていたのです。
  1897年、李朝は国号を「大韓帝国」とあらため、年号を「光武」とし、王を皇帝と称し、表面的には510余年ぶりに明・清の束縛を脱し、独立国家を形成したのですが、清の保護下にある李朝の専横は変わるところがありませんでした。それは近代化と自主独立の道を拒否しつづけることであり、列強が蠢くなか李朝の存在は、東アジアの情勢に不穏な種を宿していたことになるのです。

 1904(明治37)年、日清戦争に次いで日露戦争を控えた日本は、こうした朝鮮の惨状を見かねて、目賀田種太郎(1853~1926年)を財政顧問として派遣し、日本からの財政支援をもとに、李朝をまともな国として立て直すという態勢がようやく緒につくことになります。
  目賀田財政顧問と総監府は、朝鮮の歳入不足分を補填するために、日本国民の税金から、大韓帝国政府に無利子、無期限の資金「立替え」を実施したほか、直接支出で援助しました。
  例えば1907年度、朝鮮の国家歳入は748万円しかなく、必要な歳出は3000万円以上ありましたから、その差額は全額日本が負担しています。1908年には、これがさらに増えて、合計3100万円という巨額の資金を日本は支出しています。
  総監府時代の四年間に、日本政府が立て替えた朝鮮の歳入不足分は、1428万円にものぼっています。そればかりではなく、司法と警察分野などに日本政府が直接支出した金額は、立替金の数倍、9000万円に達しています。
  現在の朝鮮・韓国の歴史では、このような日本の特恵的支援には一言の言及もありません。そして侵略だけを強調していますが、これがいかに偏狭な歴史観であるかということが分かると思います。それら詳しい数字については本に書きましたが、日韓併合によって、搾取されたのは、韓国・朝鮮国民ではなく、日本国民であった事実を認めるべきでしょう

なぜ朝鮮人は嘘をつくのか(1/3)


朝鮮人が認めたがらない朝鮮人の歴史(其の壱)


朝鮮人が認めたがらない朝鮮人の歴史(其の参)


なぜ朝鮮人は嘘をつくのか (3/3)

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世界に誇れる軍事戦略家二人

 日本が世界に誇れる軍事戦略家は、山形県鶴岡出身

 山形県庄内地方はかつて「庄内藩」が治めていたところだが、鶴岡出身の作家・藤沢周平の著書「海坂藩」のモデルでもある。
 「清河八郎」「大川周明」らはじめ、この地からは時に歴史的に重要な地位を占める人材を輩出している。
 ただ、派手さがなく、しかもマイナーなためか歴史の脇役的存在としてしか取り上げられる機会がない。近年では刀剣に関心を持つ人なら誰でも知っている鶴岡出身の佐藤寒山、酒田出身の本間薫山がいる。
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-b092.html
 今回は、戦争論を語ること自体がタブー視される現在では、名前を知る機会が少ない二人を紹介する。

 日本が世界に誇れる軍事戦略家として二人の名を挙げる場合、海軍では『佐藤餓太郎』、陸軍では『石原莞爾』が挙げられるという。512nhaf50al__ss500_
 二人とも庄内地方鶴岡市出身だ。
 石原莞爾のことは比較的知られているが、今回は日露戦争勝利の立役者、佐藤鐵太郎のことをあと一歩深く知りたくて、「戦略論大系(9)佐藤鐵太郎」に目を通している。

 戦略論大系は12巻からなっているが、日本人はこの二人だけだ。
 佐藤鐵太郎は、当時の陸軍を完膚無きまで論破したという。
 当然、陸軍の石原莞爾は郷里の大先輩といえども反論している。
 もし、この二人が太平洋戦争においても、戦争全般を指揮していたらと想像するだけで面白い。

 なお佐藤鐵太郎のことは、日本帝国海軍の調査研究書なる『KAIGUN』と言う米国書籍でも取り上げられ、高く評価されている。

 戦略論大系では、佐藤の戦略思想の原点は、
 「自衛に遠かり、侵略に近くは必竟亡国の基」、
 つまり自国の地理的条件を無視して、防守自衛の限界を超え侵略に走る国は必ず衰退・滅亡する格言は証明されたという。日本もアメリカもだ。
 この言葉は日本が歴史の選択に直面して決断に迷うとき、どう生かされるのか
 この言葉に秘められたキーワードは色あせていないと見る。

 下段黒枠部分は同書の、戦略研究会副会長・中山隆志氏のあいさつ文から引用する。二人の戦略家としての先見性は、この挨拶文からも知ることが出来る。

戦略論大系(9)佐藤鐵太郎(編集・解題/石川泰志)』
戦略研究会副会長・中山隆志挨拶文(抜粋)
 第9巻は『佐藤餓太郎』である。山形県鶴岡生れ。
 海軍中将。秋山真之と並び称される日本海軍きっての戦略家、日本海軍戦略思想の創始者と言われる。
 秋山が海軍の具体的戦略・戦術をまとめて海車内に普及し、佐藤が国家戦略に通ずる部分を部外にも発信した。
 その思想は「帝国国防は防守自衛を旨とし、帝国の威厳と福利を確保し、平和を維持するを以て目的とす(帝国国防論)」るにあり、明治以来の陸主海従、大陸発展の国策に対して、マハンの影響と地理的環境等の似た英国の例に学んで軍備は海士随従を、大陸進出ではなく平和的海洋発展を主張した。日露戦争後の情勢に従い、太平洋の平和維持のため日英同盟の堅持と日米提携を希求したが、情勢の変化に伴い自主独立の海軍軍備の必要を主張するようになっていった。
 海洋国家であることを忘れたかのような現代日本人に対して、今なお警世の書として歴史的意義を有する。
 本巻には、中心となる『帝国国防史論』を含み、佐藤の思索の足跡を示す1892~1930年にわたる著作5件の重要部分を抜粋して掲載し、その海軍戦略思想の影響と歴史的意義を考察する。
 第10巻は『石原莞爾』である。
 佐藤識太郎と同じく山形県鶴岡生れ。陸軍中将。70全年の日本陸軍の歴史を通じて屈指の逸材と言われ、陸軍の枠を超えた軍事思想家である。
 戦争史の科学的研究に基づく独創的な戦争進化論から最終戦争による世界の統一を予言し、文明論的な日米対決の必然を確信し、この対決に勝利するための戦略として日本のみならず、満蒙、さらに東亜を含めて壮大な戦略を構想した。
 石原は理論だけでなく、その第一段階として満洲事変を自ら画策推進し、昭和史に絶大な影響を与えた。
 結果は見果てぬ夢に終ったが、将来の戦争手段・様相の予想は極めて正確で、第二次世界大戦後の核による全面戦争抑止効果を核兵器出現前に既に認識しており、困難な国際環境への対応の考察過程なども含め、石原理論はなお今日性を持っている。
▼戦略論大系(1)孫 子(編集・解題/杉之尾宜生)
▼戦略論大系(2)クラウゼヴィッツ(編集・解題/川村康之)
▼戦略論大系(3)モルトケ(編集・解題/片岡徹也)
▼戦略論大系(4)リデルハート(編集・解題/石津朋之)
▼戦略論大系(5)マハン(編集・解題/山内敏秀)
▼戦略論大系(6)ドゥーエ(編集・解題/瀬井勝公)
▼戦略論大系(7)毛沢東(編集・解題/村井友秀)
▼戦略論大系(8)コーベット(編集・解題/高橋弘道)
▼戦略論大系(9)佐藤鐵太郎(編集・解題/石川泰志)
▼戦略論大系(10)石原莞爾(編集・解題/中山隆志)
▼戦略論大系(11)ミッチェル(編集・解題/源田 孝)
▼戦略論大系(12)デルブリュック(編集・解題/小堤 盾) 

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