« 相撲部屋の元祖は引手茶屋 | トップページ | 山菜の王様「ネマガリ竹」 »

2010年5月31日 (月曜日)

代々木公園C地区と春の小川

 代々木公園は、A・B・C地区の三つのゾーンに区分されている。
 A地区は明治神宮側、B地区はNHK側で、いずれも有名だが、C地区は殆ど知られていない。このC地区は小公園で、文部省唱歌『春の小川』の歌碑がある。
 この地域は、東京オリンピック直前昭和36年に米軍から返還されて、オリンピック関連施設として整備されたところで歴史は比較的新しい。
 道路名は、「放射23号線」、「補助53号線」などの、味気ない名称が残る。
 それから、A地区の西門方向には、「大東塾十四烈士」の碑もある。
 これも、忘れてはならないことだ。
 Photo_2

 20代後半、3年半京王線・初台駅近くに住んでいた。
 先日、約30年ぶりにこの辺りの散策に出かけた。
 「代々木公園」から「明治神宮」、「NHK放送センター」辺りは、週二回のジョギングに利用した場所で特に明るい。
 公園内や神宮内は、今も目をつぶっても歩けるくらいだ。
 今回は、原宿駅から明治神宮に入り、「清正井」にと思ったら工事中でPhoto_4入ることが出来なかった。参拝を終え西参道口から出た。
 この方向で「炭焼き」をやっていたが、「今でも続けているのだろうか」と思いつつ、良く利用した「至誠館」という道場前を通り、西参道から表に出る。
 更に、乗馬倶楽部前から代々木の裏道を抜けて、初台駅に行くことにした。麗子像で有名な画家、岸田劉生が描いた「切り通し」の案内表示、「河骨川」の表示も見える。有名芸能人の自宅も何軒か知っているが、今は現役を退いた○○の家を教える。
 裏道まで詳しいので連れは驚いているが、住んでいたのだから当然だ。
 
 当時のジョギングコースを教えた。
 まず、初台から概ね河骨川沿いの裏道を抜けて西参道方面に出る。
 次に「補助53号線」を渋谷方面に走り、「代々木公園C地区」前から、「代々木公園A地区」に西門から入る。
 数周して、「放射23号線」の歩道橋を渡り「代々木公園B地区」の「織田フィールド」でダッシュの駆け込みだ。
 「織田フィールド」は陸上競技の織田幹雄の業績を称えた名称。
 そして、帰りは「代々木公園C地区」に立ち寄りクールダウン。0000_1

 この公園には、文部省唱歌『春の小川』の歌碑がある。
 この付近に住んでいた国文学者・高野辰之の作詞。
 小川のモデルは「河骨川」だが、当時も既に暗きょになり確認出来なかった。辺りの風景を見渡しながら、どんな川だったのだろうかと郷里の小川に思いを巡らせたものだ。
 今回の散策ではこの公園には足を延ばさなかったが、歌碑も新しく建立されたようだ。
 次回は、渋谷駅方面からNHKや「織田フィールド」に寄り、次は、代々木公Photo_3園A地区で、終戦直後、影山庄平と大東塾・塾生13名が割腹自殺をとげた場所に案内し、そして西門から「補助53号線」に出て北上し、西参道から神宮に入り、再度「清正井」に行き代々木駅方面まで散策してみようと思う。
 大塾生・塾生14名の割腹自殺など、殆ど忘れ去られている。大東塾は、正統派右翼と評価されていた。
 自決の場所は西口近くの管理事務所のすぐ近くなので、事務所で聞けば直ぐわかる。「19本ケヤキ」は今もあるのだろうか。何も知らないカップルは暗くなっても、自決の地辺りから離れ無かった。

Yoyogi

  
 
春の小川
春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら

春の小川は さらさら行くよ
えびやめだかや 小ぶなのむれに
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやきながらPhoto

代々木公園C地区(春の小川の歌碑がある場所)

|

« 相撲部屋の元祖は引手茶屋 | トップページ | 山菜の王様「ネマガリ竹」 »

02 「うんちく」知ったかぶり」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 相撲部屋の元祖は引手茶屋 | トップページ | 山菜の王様「ネマガリ竹」 »