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2010年4月22日 (木曜日)

山形県民の歌は昭和天皇作詞

 「山形県民の歌」のいわれを紹介する。Dscn3963

 “広き野を 流れ行けども 最上川
                     海に入るまで 濁らざりけり


 昭和天皇(当時は東宮殿下)が大正14年(1925)10月14日酒田へ行啓された。
 御歌は翌大正15年(昭和元年・1926年)の歌会始め御題「河水清」に、酒田日和山(ひよりやま)においての感懐を示しされたものという。
 この御歌は山形県の光栄として、昭和3年酒田市日和山公園に記念碑が建てられ、更に昭和5年、東京音楽学校(現東京芸大)の島崎赤太郎教授が曲を付け、県民歌として歌われるようになった。
 時を経て、昭和22年8月来県中の昭和天皇に、上山市出身の歌人斎藤茂吉が弟子の結城哀草果(山形市)とともに短歌について進講した。
 その際、茂吉が「うみに入るまでにごらざりけり」の表現について「実際は降雨が続いたりすると、ものすごい流れに変わり、濁流滔々として天より来るの趣がある」と講じると、陛下は少し顔を引き締められたようだっというエピソードが残る。

 昭和22年8月15日、再び酒田に行幸され日和山に立たれ、「最上川」の御歌碑と最上川の流れをご覧になり、市民奉迎会場において約2千人による県民歌の大合唱が行われた。
 このときの宿泊は、本間家別荘を御泊所とされた。
 しかし本間家は、明治14年明治天皇行幸に際しては、お宿を辞退している。
 官軍と戦った庄内藩を、経済面で支えた本間家が意地を見せたと言われている。
 酒田市の「明治天皇行在所」に関しては別の機会に紹介したい。

 なお、天皇が外出することを行幸(ぎょうこう)といい。
 皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃の外出を行啓(ぎょうけい)と言う。
 天皇と皇后が一緒に外出する場合は、併せて行幸啓(ぎょうこうけい)と言う。

  「最上川」の御歌碑の写真は、帰省時に撮影したものだ。
 歌碑は茶店から見える位置にある。
 
 下の写真は「目で見る酒田市史」からだが、歌碑のある位置から港方向に約50メートル地点あたりの、今は芝生の広場と思っている。

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