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2010年4月 4日 (日曜日)

最高のパワースポットは皇居

 大抵、テレビがブームに火をつける場合が多いが、相変わらず「パワースポット」人気は高い。浅草○○神社、両国○○院等々得意げに紹介している番組がある。
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 このブログでも、先日、明治神宮「清正井」はパワースポットと紹介したが、いささか異論を唱えておく。
 結論から言うと、この東京(江戸)では、皇居(江戸城)に勝る「パワースポット」はないのだ。
 特に強いのは、「半蔵門付近」と「皇居東御苑」(千代田1)辺りは最高と言われている。
 半蔵門は、新宿通りの突き当たり。
 東御苑には大手門から入ることが出来る。2010_6
 休園日の確認はこのHPで。
 http://www.kunaicho.go.jp/event/higashigyoen/gyoen-map.html
 先に断っておくが、当方はパワースポットなど信じる方ではない。
 江戸城は1457年に太田道灌によって築かれたが、徳川家康が江戸に入った1590年当時は荒れ放題で城の形態をなしていなかったという。
 これを、一大風水都市に変貌させたのは、家康のブレーンで天台宗の僧侶「天海僧正」(1536?~1643年)の進言と言われている。
 天海僧正は、江戸城に風水で言う結界(霊的バリヤー)を張り巡らした街づくりを始めた。
 
 江戸城の鬼門、上野に「寛永寺」を開き、東叡山(東の比叡山の意)を川越の喜多院から寛永寺に移し、不忍池は琵琶湖とみたてて、奈良の吉野山から桜を移植させて、上野に聖地「吉野山」を造り出した。
 また、裏鬼門を押さえるために「日枝神社(比叡山を指すらしい)」を建立するなど城の周りを「護国寺」「浅草寺」「増上時」「回向院」等の神社仏閣で固めた。
 実に徹底している。
 現在、初詣や花見で賑わう神社、公園などは、この当時の「天海僧正」の策略でもあり、その名残りでもある。
 東京(江戸)自体に、人が集まるように造られたのかも知れない。
 それが、そうなら当たっている。

 結界を張られた結果、皇居(江戸城)は、日本最高、いや世界最高の「エンペラー・オブ・ザ・パワースポット」になった。
 ただ、このようなことは、信じる人のみが救われるようなところがあり、人それぞれだ。何処に行くと「気持ちがいい」、「元気になる」というところがあれば、それはそれで十分と思う。
 個人的には東大和市の多摩湖周辺は、水と森のエネルギーを感じることが出来る「マイ・オブ・ザ・パワースポット」だ。
 あくまで個人的なこと、真に受けないように。
 混雑されては困る。
 下の絵地図は「徹底解剖・江戸時代」からの写し。
 江戸城周辺の赤い地域は町民の地域だ。
 外堀の内側にも民家があった。
 武家屋敷ばかりと思っていた。
 平河門前の「平河町、九段辺りの「飯田町」、半蔵門前の「麹町」は特に有名だ。
 平河町も転々としていて面白い。
 いずれ紹介したい。 
Image0002

■家康のブレーンで天台宗の僧侶「天海僧正」
 南光坊天海。
 朝廷より慈眼大師の諡を下賜される天台宗の高僧。史上、大師号を下賜された僧は仏教全宗派を合わせて24人。そのうち天台宗では天海を含めて5人だけである。生年は1536年(天文5年)、没年は1643年(寛永二十年)、享年百八歳。会津・葦名氏一族に生まれ、11歳で仏門に入る。諸国を遍歴し学僧の教えを受け、足利学校で儒教、仏教、神道を極める。1571年、信長の比叡山焼き討ち後は武田信玄に仕える。天海36歳の時である。その後1588年(天正十六年)に埼玉県川越市の喜多院(川越大師)、正式には「星野山無量寿寺喜多院」に来住する。

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