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2010年4月24日 (土曜日)

基地の街「立川市」の秘話Ⅱ

 昨日は、隣町・立川市のお歴々と会合があったが、立川市の戦後の話に花が咲いた。中に70歳代の方もいて、立川が空襲を受けた際に、B29が撃墜された様子の目撃談があった。
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 まもなく終戦を迎える頃で、B29が撃墜され国立方面に墜落したという。
 目撃した当時は小学校低学年だった。
 搭乗員は二人の米兵が捕虜になったが、一人は現在の立川市立第三小学校の校庭で、市民から竹の棒で殴打され死亡した。
 その米軍人の遺体は、立川市羽衣町2丁目の「正楽院墓地」に埋めたが、米軍が立川に進駐するといち早く掘り起こされ本国に帰還した。
 この話をした方は、「米軍は事前に何らかの情報を持っていたと思う」と言うが、それは当然と思う。
 米国は日本のように戦死者を、南方の島々に置いてきぼりにはしない国だ。

 ただ、この話は以前どこかで聞いたような記憶があり調べてみると、「東京立川憲兵隊事件」(GHQ資料163号再審記録217号)という記録があった。
 ほぼこの方の記憶と合致していた。
 今度会った際は、この記録を伝えたいと思う。
 立川市民は、このような事件もあり、米軍が進駐すると伝えられたときは戦々恐々としていたという。
  『立川市史』では、その日の街の様子を次のように記している。
 昭和20年8月15日、聖断が下りてわが国はポツダム宣言を受諾し、帝国陸海空軍部隊は連合国軍に無条件降服をした。
 時を移さず連合国軍はハーシー提督のアメリカ海軍第三艦隊が相模湾へ、8月28日に陸軍部隊を厚木飛行場へ進駐させ、同月30日には連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が厚木に着いた。
 越えて9月3日から4日にかけて、米軍進駐部隊はジープやトラック等に分乗して立川市内に進駐して来たのである。
 米軍は八王子方面より日野橋を渡って、立川市内に入り、柴崎町の旧市役所前を通過し、立川基地に入った。一部は日野橋から立川温泉前を通り、東京府立第二中学校(現都立立川高等学校)に入り、そこに宿泊をした。
 この武装した長い輸送部隊を立川の市民はただ黙って見送っていた。Image0010_2
 部隊の進軍中その列の前を横切った者は射殺されるかも知れないからである。又当時市中の婦女子は、身の安全を守るために田舎へ逃げる方がよいというような流言があり、実際立川から近郊へ避難した者も多数あった。
 当時の三浦立川市長は、市民に対して、外出は極力さけるようにと警告を発していた。アメリカ軍司令部兼宿舎としては、一先ず府立二中の校舎が使われ、将校宿舎としては楽水荘や、料亭業平があてられ、一般軍人は曙町の都立立川短期大学校舎(旧陸軍特攻隊宿舎)を兵舎として使用した。
(『立川市史』下巻、「大正・昭和時代の立川」第四節 敗戦と連合国軍の進駐から)

東京立川憲兵隊事件』(GHQ資料163号再審記録217号)
 1945年8月8日の東京の中島航空機武蔵製作所空襲時、1機のB29が北多摩郡谷保村(現・国立市)に墜落し、搭乗員12人のうち10人は墜落死、2人が捕虜になった。
 彼らは立川憲兵分隊へ連行され、このうち1人は翌日の夕刻に東京憲兵隊司令部へ送られたが、もう1人のSerafine MORONE軍曹は、翌日の午後、立川憲兵分隊長の矢島七三郎少佐の指示で近くの錦国民学校(現・立川市立第三小学校)、立川市錦町3-4-1)の校庭に晒され、800人の市民から2時間にわたって竹の棒で殴打され、重態に陥った。
 彼はその後、憲兵隊員によって近くの正楽院墓地へ連行され、首切り役を買って出た立川陸軍航空廠の将校によって斬首され、その場に埋められた。矢島七三郎少佐らは終戦後すぐ遺体を掘り返して焼却し、病院の医師に「墜落死」との死亡証明書を書かせるなど、証拠隠滅をはかったが、匿名の投書などにより、事件は米軍の知るところとなった。
 戦犯裁判の結果は、立川憲兵分隊長の矢島七三郎少佐は無期懲役、補佐役の関昇憲兵准尉は懲役20年となったが、処刑実行者の立川陸軍航空廠の将校の身元は判明しなかった。

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コメント

私は、同志社大学の4年生です。今、卒論で「吉行淳之介の「驟雨」をてがけています。どうしても、昭和29年ごろの「赤線地帯」の女性のことが知りたく探しています。今日、大学の図書館で『立川』のことを知りました。どうしたら、この本を見ることができるのですか。教えてください。もし、購入できるなら、その方法も教えてください。この当時のRAAのことや進駐軍に接待していた「娼婦」などの資料を探しています。お願いします。

投稿: 平田 恵美子 | 2010年8月 9日 (月曜日) 午後 08時47分

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