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2010年3月21日 (日曜日)

好きになれない河村瑞賢

 河村瑞賢(1617~1699)は、酒田から下関経由の日本海西廻り航路を確立し、最上川を利用して運ばれた物資を、迅速かつ安全に江戸に運ぶ手段を成功させた人だ。Reki0204_003

 これが山形、庄内、主に酒田の繁栄につながったとして、酒田市の日和山には銅像まで建立されているが、どうしても好きになれない。
 結論から言うと、他人の不幸に乗じて金儲けした人だからだ。

 河村瑞賢は江戸時代前期、新井白石から「天下に並ぶ者がない富商」と称えられた豪商だ。
 瑞賢は伊勢国(三重)に生まれ、13歳で江戸に出、車夫、人夫、漬物屋、人夫頭などをした後、材木商、土木請負を始めたが今ひとつだった。
  ところが、瑞賢は40歳の時、「明暦の大火(1657)」に遭遇する。

 別名「振袖火事」とも言われるこの大火は、江戸城の本丸・二の丸・三の丸を焼き、大名屋敷の75%を延焼させ、約10万人(当時の江戸は30数万人)を超える罹災者を出した。関東大震災や東京大空襲と死者数は近いが、当時の人口比率からしたら、いかに大きな被害かを知ることができる。
 これを金儲けのチャンスと抜け目ない人物がいた。
それが河村瑞賢だ。
 瑞賢は、直ちに集められるだけの現金をかき集め、江戸を出発した。

 行き先は、江戸の木材供給地であった木曽(長野)だ。
 そこで、材木を買い占めたそれも安価で、しかも、木曽の山の殆どを買い取る契約を結んでしまう。江戸の大火を知らない、木曽の木こり達は山ごと売る始末。
 遅れて木曽に到着した江戸の材木商達は愕然とする。
 彼らは、商売に必要な資材を全て河村瑞賢から購入せざるを得ないことになってしまったわけだ。
 復興資材として、飛ぶように売れる高騰した材木で莫大な富を手にした。
 これが河村瑞賢が飛躍する切っ掛けとなった。
 人の不幸を逆手にとった見事な場面だ。
 個人的には、このようセコイ感覚が嫌いなのだが、日本人は意外にこのような抜け目ない方を評価するところがあるから、表向きは非難できないときもある。
 もっとも日本人は、他国の災害や戦争をチャンスと捉え、投資や事業拡大する性分を持っているし、「死の商人」と揶揄されるユダヤ人と似た感覚を持ち合わせているとされるから、仕方ないか。

  酒田界隈では子供達に、河村瑞賢は尊敬にあたいする人物として教えている。
 それはそれで良しとして、このような裏事情も合わせて知ることも大切と思う。

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