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2010年3月14日 (日曜日)

JR中央線の敷設に貢献した人

 JR中央線の前身は甲武鉄道だ。
 始発・飯田町駅(現・飯田橋)~立川駅までは明治22年に開通している。
 今回は、この鉄道敷設に貢献した方と、多摩地域初の南北道路建設に尽力した方をまとめてご紹介する。

 ここ東京都を、東西一直線に横断する甲武鉄道(JR中央線)の建設には、明治16年の計画当初には大きな反対運動があったという。当初は、民家が多く客を見込まれる青梅街道沿いか甲州街道沿いを計画したが、近隣の農家や宿屋の経営者から大反対され、国側が「面倒だ」とばかりに定規を引き、今の横一直線になった経緯がある。

 反対の理由は、農家は黒煙が農産物に有毒、宿場町の宿屋からは客がいなくなるなどの理由だった。このとき、境村(武蔵野市)の「秋元喜七」という人が、自分の畑に駅舎を建てることを条件に土地を甲武鉄道に寄付をした。それでも、まだ用地が不足だと知ると隣接地を買収して寄付して誘致運動を推進し、明治22年(1889)に甲武鉄道の開通と同時に「駅」が開業、大正元年に現在の「武蔵境駅」と改称されている。

 また、田無町の「小山金衛門」は私財を投じ、境駅と田無町の青梅街道を結ぶ道路の開通に努力、桑畑の中に一直線の道ができた。これが「境新道(現在は調布・田無線)」だ。
 多摩地域で南北を結ぶ道路は、現在でも府中街道、小金井街道など極めて少なく、スッキリと貫いている道路は皆無だ。取りあえず境新道が最初の南北道路と思われる。

Photo_2

 そして、間もなく鉄道の時代が到来すると、甲州街道や青梅街道沿いの人達が悔やんだことは当然だ。先を見る目が大切なことはいつの時代も同じだ。
  因みに、甲武鉄道は始発・飯田町駅(現・飯田橋)~立川駅までは明治22年開通している。飯田町駅には甲武鉄道の本社もあった。当初の停車場は、新宿・中野・境・国分寺・立川の5駅で1日4往復だった。反対運動が一番強かった、杉並・高井戸・荻窪付近には駅を造らなかった。
 今は杉並区にも駅はあるが、急行が停車しない不便は今も続いている。
 ずいぶんと根は深いようだ。

■付け加えておくと、明治4年、初代鉄道助(今の運輸次官)」に就任したのは、山形県遊佐町吹浦出身の佐藤政養 (さとう・まさよし)(※地元では「せいよう」と呼ばれる)だ。(1821~1877明治10年8月2日、勝海舟邸で没)。毎年1 0月14日は鉄道記念日、「汽笛一声新橋を、はや我が汽車は離れたり・・・」の鉄道唱歌の生まれた日だ。この10月14日の決定には、山形県遊佐町升川(高瀬)の農家に生まれた佐藤政養が大きく関係している。
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-f25e.html

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