« 映画「アバター」を観て来た | トップページ | ジョギングはワコールで »

2010年2月 4日 (木曜日)

日向川(にっこうがわ)は人工河川

 山形県庄内平野の北部、鳥海山系を水源とする日向川(にっこうがわNikogawa)は、酒田市興休(おこしやすみ)東部で荒瀬川と合流し、六ツ新田を経て日本海に注いでいる。
 実はこの日向川河口は人工河口であることを、地元の人々にも意外と知られていない。この川の近くで育った妻も知らなかった程で、今教えているところだ。

 かつての日向川は、六ッ新田・上市神・藤塚・田村を経て南流し、さらに西転して小湊から日本海へと注ぐ流路をとっていた。
 現在の旧国道七号線藤塚~下市神間の道路西側一帯が、旧日向川の河身であった。ここでも、当時の日向川流路のおもかげをしのぶことができる。日向川、荒瀬川が合流して発生する大洪水は、巨岩巨石を容赦なく押し流し、さらに砂泥を運んで被害を増幅させた。このため、遊佐郷住民による日向川新川掘切工事の請願が、庄内藩へたびたび出されてきた。Yuza_000
 この大事業を請け負ったのは、遊佐郷の大庄屋・今野茂作等だった。上市神新田村下より直接日本海に流れる新川工事に、安政5年(1858)1月着手し、通算20万人の人夫を動員して、海抜30メートルの海岸砂丘を切り崩し、長さ2,500メートル、深さ2メートル、川幅200メートルの人工河川を6年の歳月をついやして文久二年(1862)4月に完成した。
 ただ、意外な結果が生じた。
 洪水の害は減少し、旧流路は100町余の田畑に変わり、茂作新田と称されたが、川の環境の変化によって、鮭の上らない川となってしまったことだ。
 山形県では、明治30年ごろより鮭の人工孵化事業が進められ、日向川でも大場馬治が明治42年に人口孵化事業に着手し成功している。大場馬治の父の与吉は、天保11年生まれ。蕨岡村(現・遊佐町)出身であるが、奇しくも日向川新川掘割の時、人夫頭の役割で、この工事に参加しており、のちに茂作新田の田畑を買い求め、宮海村に移住している。

|

« 映画「アバター」を観て来た | トップページ | ジョギングはワコールで »

09 遊佐町の関連情報」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1208592/33244113

この記事へのトラックバック一覧です: 日向川(にっこうがわ)は人工河川:

« 映画「アバター」を観て来た | トップページ | ジョギングはワコールで »