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2010年2月17日 (水曜日)

おもしろ地名「飯田橋」

 昨日、所用でJR中央線で飯田橋駅と更に地下鉄で麹町・隼町まで行って来た。
 飯田橋駅は若い頃よく利用した駅で、 結婚時に住まいを探した際も、最後まで飯田橋か王子かと検討したところだ。
 近くには、庄内藩江戸屋敷があったところで、山形県庄

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内地方とはゆかりのある地域でもある。幕末には「新徴組」を飯田町に住まわせ、後に「浪士組」も一緒にさせた。

 また、飯田橋駅は急カーブの地点にあり、ホームが大きく湾曲している。そのため、電車とホームに隙間が出来るので乗り降りに注意が必要なところだ。
 直線区間が長いことで有名な中央線としては珍しい地点にある。東西、どちらかに移転させればいいのにと、いつも思うことだが、今となってはどうしようもないのだろう。

飯田橋界隈のことを多少掲載しておきたい。
 JR中央線は、かつて甲武鉄道と言った。明治28年、甲武鉄道が開通したのは、飯田橋~新宿までだった。
 約10年後の明治37年に「お茶の水」駅ができるまで、飯田橋駅が始発駅として山梨や長野方面までの長距離列車が出発していた。
 千代田区北端の外堀にかかる橋(神田川ではない)は、明治14年ころ架けられたもので、飯田町の名から「飯田橋」と名付けられた。
 
 飯田町の地名の由来は苗字からきている。徳川家康が関東に入国した際、江戸城周辺の説明役となったのが、この辺りに住んでいた飯田喜兵衛で、そして喜兵衛が名主に指名され、以来の飯田町と呼ぶようになった。http://www.ne.jp/asahi/iidabasi/sanpo/rekisi/koubu.htm

■分かりにくいので順を追って記載する。
①江戸時代初期、今の外堀あたりに飯田さんという人が住んでいた。
②徳川家康は、飯田さんに江戸城周辺を案内させた。
③家康は、飯田さんが住んでいた辺りを「飯田町」と称した。
④明治に入り飯田町の外堀に橋が架けられ「飯田橋」と名付けた。
⑤昭和41年「飯田町」が「飯田橋」に地名変更される。
神田川の流れ
 おおむね目白通りに沿って流れてきた神田川は飯田橋交差点付近で外堀に合流し、神田方向に向かう。よって、飯田橋は外堀に架かっていることになる。

ホテル・エドモントが飯田橋駅の旧構内だった(改札口は小石川側だった)

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