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2010年2月 8日 (月曜日)

鶴岡音楽祭が盛大に催された

 「雪の降る街を」は、内村直也作詞、中田喜直作曲による1952年の作品。
 この日本中の人々に愛唱されている名曲は、鶴岡の雪景色や旅の思い出をメロディにしたものといわれている。中田喜直は、鶴岡の音楽愛好家菅原喜兵衛と親交が深く、毎年のように鶴岡を訪れては、ピアノ独奏や地元の校歌を多く作曲していたという。
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 この名曲発祥の地にちなんで開催される「鶴岡音楽祭」は、
2010年 2月7日(日)午後1時30分~ 鶴岡市文化会館において、 鶴岡冬まつり実行委員会によって催された。
http://kankolog.jp/shonai/event/p0133.html

第1部は、地元鶴岡の中学、高校の合唱。
第2部は、招待されたプロの歌手の独唱。ソプラノの品川昭子、バリトンの河野克典。
第3部は、会場を暗くしてクリーンが下ろされスライドショー。
  中田喜直と鶴岡の縁、「雪の降るまちを」着想の話など。

雪の降る街を」作詞 中田喜直(1923年~2000年)
(1) 雪の降る街を 雪の降る街を
  想い出だけが 通りすぎてゆく
  雪の降る街を
  遠い国から おちてくる
  この想い出を この想い出を
  いつの日か包まん
  あたたかき幸福(シアワセ)の ほほえみ
(2) 雪の降る街を 雪の降る街を
  足音だけが 追いかけてゆく
  雪の降る街を
  一人心に 満ちてくる
  この哀しみを この哀しみを
  いつの日か解(ホグ)さん
  緑なす春の日の そよかぜ
(3) 雪の降る街を 雪の降る街を
  息吹とともに こみあげてくる
  雪の降る街を
  だれも分らぬ わが心
  この空(ムナ)しさを この空しさを
  いつの日か祈らん
  新しき光ふる 鐘の音

中田喜直(なかだ よしなお、大正12年8月1日~平成12年5月3日)『ちいさい秋みつけた』や『めだかの学校』『夏の思い出』など、小中学校の音楽で歌い継がれている数々の名曲を作曲した。

なっとく童謡・唱歌 
 昭和27年3月初旬、庄内地方は前年から断続的に積もった大雪で、一面の銀世界でした。そんな中を鶴岡駅に馬そりで、当時28歳の中田喜直と、声楽家で中田とは東京音楽学校で同期の村田節子、そして、その妹でピアニストの村田克子を出迎えたのは、農村・斎村(いつきむら・現在の鶴岡市勝福寺)に住む菅原喜兵衛さんでした。
 中田にとって数回目となる鶴岡への旅の目的は、翌日に開かれる自身が作曲した斎学園歌(いつきがくえんか)の発表会に出席するためです。馬そりは、一行を乗せて月の光に照らされた雪道を進み、夜の十時半、宿舎である菅原宅に到着しました。菅原は、「将来は作曲家になりたい」が口癖で、地元で音楽活動をしていました。
 昭和20年夏、姉の疎開先だった斎村を訪れた声楽家の村田節子と知り合い、続いて中田と出会いました。初めて村田の伴奏者として連れてこられた中田と、意気投合。以来、中田と長い親交が続きました。菅原喜兵衛は平成10年(1998年)2月、94歳で亡くなりました。

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