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2010年2月20日 (土曜日)

鶴岡出身・渡部昇一の人物戦後史

 山形県鶴岡市出身の  『渡部昇一の人物戦後史 裸の総理たち32人の正体』が発売された。
 
 最近の総理大臣の批評としては、“フケの宰相”の通信簿~小泉純一郎/再登板を望みたい“希望の星”~安倍晋三/宰相になるべきではなかった宰相~福田康夫/国民を裏切った大宰相の孫~麻生太郎(「BOOK」データベースより)といった内容だScan10004
 さらに、「鳩山内閣は、まだ批評するには早いだろう。もしアメリカとの軍事同盟の意義を軽んじ、媚中、赴中の方向に進むならば、戦前の近衛内閣のように、国を傾ける進路をとったと評される結果になるかもしれない。」
 と手厳しい。

渡部昇一(1930年10月15日~ )先生は、
東京都杉並区善福寺在住で、
1930年山形県鶴岡市に生まれる
1948年山形県立鶴岡中学校卒業
1949年山形県立鶴岡第一高等学校卒業
1949年上智大学文学部英文科に入学
1953年同上卒業
【主な肩書き】上智大学名誉教授、イギリス国学協会会長、日本ビブリオフィル協会会長、日本・インド親善協会理事長、日本財団理事、グレイトブリテン・ササカワ財団理事、野間教育財団理事、エンジェル財団理事、日本ウェルエージング協会理事、日本科学協会理事

【書評】『渡部昇一の人物戦後史 裸の総理たち32人の正体』渡部昇一著2010.1.31

内容紹介(「BOOK」データベースより)
 著者が生きてきた時代の総理32人のリーダーシップ 
 
 鈴木貫太郎から鳩山由紀夫まで、戦後には32人の総理が誕生しています。彼らはなぜ宰相になれたのか。その正体を行動、性格、血、時代、また、総理としての功績や失墜の原因など評論家としての評価を与え、彼らのリーダーシップに採点を加えていきます。
たとえば、第45、48、49、50、51代の内閣総理大臣を務めた吉田茂は、何より強運の持ち主でした。東久邇宮稔彦内閣時には、重光外相が「一億総懺悔」に反発して辞めたために外相となり、首相になれたのも前首相・鳩山一郎がGHQにより公職追放に処されたためでした。
 しかも、歴代総理の中で5代も総理を務めました。では、強運だけでリーダーを勝ち取ったのか。彼が「ワンマン首相」と呼ばれた理由は、彼のしたたかさにありました。
総理を引き受けるときに出した3つの条件や、マッカーサーを後ろ盾に議会を掌握する手腕など、決して秀才タイプでなかった彼が武器にしたものだったのです。
 
 第64、65代の内閣総理大臣、田中角栄は、池田、佐藤と長期政権が続いていた厭世ムードから世の中の期待を背負って生まれた総理でした。それまで、官僚出身の総理が続いていた中で、高等小学校卒を売りにしていた田中角栄は、国民にとって非常に新鮮でした。彼は知識量、実行力が優れているため、「コンピュータ付きブルドーザー」と言われました。彼が引っ下げた「日本列島改造論」は、高速道路や新幹線で日本列島をつなぎ、地方の工業化を促進、過疎や公害の問題の解決を図りました。
当時、「日本列島改造問題懇親会」という機関では、定員75名のところ90名の財界人が押しかけました。また、田中角栄は金脈と人脈を掌握した政治を行ったことでも有名。それが世の反発を買い、女性スキャンダルが追及されました。退陣後、ロッキード事件に見舞われますが、著者は犯罪の事実ではなく、「被告側の「反対尋問を許さない」という裁判のあり方について批判し、「ロッキード裁判批判論」を展開したのです。
 第87、88、89の内閣総理大臣、小泉純一郎は、新しい政治のあり方を示した首相でした。彼は派閥を持たず、「変人」と言われたように、食事はほとんど一人、議員たちと会食をすることもほとんどない。
 しかし、一人であるためカネを集める必要もない。国民の人気を集めて総理の座についた新しいタイプの人物でした。彼の掲げた「郵政民営化論」は、官僚支配から脱するための持論で、アメリカの陰謀ではなかったと評する著者は、国民に信を問うとして衆議院を解散、選挙では自民党の反対勢力を公認せず、刺客を放ち、実に痛快な政治内容。

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