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2009年12月10日 (木曜日)

江戸初期の処刑場

 2009,12,9付け朝日新聞のコラム「東京散歩」で、港区三田三丁目「札の辻交差点」付近に処刑場があったことを知った。
 この処刑場は、鈴ヶ森処刑場ができる前の江戸時代初期にあったもので、「元和キリシタン遺跡」もある。
 三田三丁目付近は、江戸時代初期は、ここが東海道の江戸府Im内の境で、慶長九年(1604)に日本橋が東海道の基点になるまで「芝の口」といわれ、東海道はここから始まっていたという。
 処刑場が、江戸に出入りする主要道路付近に設置され、見せしめにされていたこは明らかだが、それからすると江戸初期は、この辺りが江戸の外れだったということらしい。
そして、江戸が徐々に大きくなるにつれ、処刑場も郊外へ移っていったようだ。

場所 芝口処刑場(正式名不明)港区三田3丁目7番8号
   鈴ヶ森の刑場が出来る以前は、芝の処刑場があったらしい。ここで元和九年(1623)家康の旧直臣だった原主水ら五十余人が、切支丹として火あぶりの刑に処せられた。
  史跡には
  指定 昭和34年2月21日
徳川3代将軍家光が元和9年(1623)10月13日、江戸でキリシタンKirisitansyokei を処刑したことは徳川実紀によって知られている。処刑された者はエロニモ、デアンゼルス神父、シモン、遠甫、ガルウェス神父、原主水ら50人で、京都に通ずる東海道の入口にある丘が選ばれたと、パジェスの「日本キリシタン史」にあるが、その他は恐らくもとの智福寺のあった西の丘の中腹の辺であろうと考えられる。その傍証としては智福寺開山一空上人略伝記にこの地が以前処刑地で長い間空地となっていたが、そこに寺を建てることは罪人が浮かばれると考えたとあることなどがあげられる。なお、寛永15年(1638)12月3日にも同じ場所でキリシタンらが処刑されている。昭和43年3月1日建設 東京都教育委員会
 とある。江戸時代では一番古い処刑場だろう。

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