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2009年12月 2日 (水曜日)

「里山」の四手井・名誉教授死去

 「里山」とは「人里近くにあって人々の生活と結びついた山・森林」と辞書にあるが、この言葉が広辞苑に記載されたのは 1998(H10)年に出版された第五版からだ。
 この「里山」という言葉の生みの親といわれ、日本の「森林生態学」の草分けだった、四手井綱英・京都大名誉教授が、11月26日京都市内の病院で死去された。97歳。

 「森に学ぶ」、「ブナ帯文化」、「日本の森林」、「言い残したい森 の話」など著書も多い。北海道から沖縄まで全国の森林を歩いて調査し、科学的な森林研究の基礎を築いた。屋久島や白神山地、鳥海山麓など、多くの自然保護地域や天然記念物の指定や保護に貢献し、鳥海山庄内地方にも縁の深い人だ。

里山」の造語に関して、先生は単に「山里を逆にして呼んだだけ」と語ったとの説もある。

 四手井綱英著「ブナ帯文化」から抜粋
 「私が1937年(昭和12年)の春、最初に就職したのは、山林局の秋田営0209_9林署局であった。秋田に着いて辞令を貰って早々、下宿も何も準備していないのに、その日のうちに本荘営林署にやられた。今でこそ二営林署(本荘、矢島)に分かれているが、当時の本荘営林署は鳥海山から海岸の黒松砂防林を含む広大な面積を担当する営林署であった。
  (中略)
 平野部や山裾には暖温帯性の落葉広葉樹林と言われるクヌギ、アベマキの林やケヤキの大木も残っているが、ほんの少し山地に入れば、そこは世界の北半球冷温帯特有のブナを主として、ミズナラのの混じった森林が広く分布しているのである。このブナ林は鳥海山腹をくまなく覆っていたと言ってよい。山裾はいわゆる“里山”で、薪炭の生産のため二次林化したり、採草地化した所も多かったが少し奥地へ入るとヘクタール当たり数百立方メートルにもなるブナの原生密林もあり、疎立した大木林もあった。
(中略)
 出羽山地に属する、鳥海、月山、飯豊の諸山には亜高帯の針葉樹林を欠き、ブナ森林限界を形づくり、いわゆる
偽高山帯 (ぎこうざんたい)には実に素晴らしいブナの美林が当時は存在していたのである。」

山の自然を守るために
http://www3.ic-net.or.jp/~sierra/shizen/kaihatu.html  

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