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2009年11月22日 (日曜日)

処刑場近くの「泪橋」

 Photo 江戸時代の二大処刑場は、南千住にあった「小塚原刑場」、南大井にあった「鈴ヶ森刑場」だが、この近くには、「泪橋」(なみだばし)と呼ばれた橋があった。
 一つは、荒川区南千住にある小塚原刑場跡の近くの思川(おもいがわ)にかかっていた橋。現在は川は埋められ、交差点やバス停の名称に名残がある。もう一つは、品川区南大井にある鈴ヶ森刑場跡の近くの立会川にかかっていた橋だが、現在は「浜川橋」と呼び方が変わった。Photo_3
 泪橋の由来は、罪人にとってはこの世との最後の別れの場であり、家族や身内の者には、刑を受ける者との今生の悲しい別れの場。お互いがこの橋の上で泪を流したことから、この名が付けられた。そうだ。

 先の小塚原刑場跡の近くの思川(おもいがわ)にかかっていた橋の泪橋は、漫画「あしたのジョー」の 舞台となった橋だ。この橋の下に「丹下拳闘クラブ」が設定されていた。
 少年院から、再びドヤ街に戻ったジョーに丹下段平は言う。Gyo
「この橋はな、人呼んで泪橋という。いわく…、人生に破れ生活に疲れ果てて、このドヤ街に流れてきた人間たちが、涙で渡る悲しい橋だからよ。」
「だが、今度はわしとお前とでこの泪橋を逆に渡り、あしたの栄光を目指 して、第一歩を踏み出したいと思う。分かるかい。ワシの言うとる意味が分かるかいジョー。」

あしたのジョー」第24話「帰えってきたドヤ街」で「泪橋」を確認出来る 。(このサイトで全編閲覧可能)
http://ashita-no-joe.seesaa.net/article/88796150.html
 また、明治通りの白鬚橋そばの円筒形のガスタンクや玉姫神社も描写され、泪橋附近が“ジョー”マニアのメッカとされている。

※荒川区と台東区の境にある「泪橋」界隈の簡易宿泊所が密集する地域を『山谷』はと呼んでいる。山谷は1966年以前は台東区の一地名だったが、現在は「山谷」という地名も消滅している。
あしたのジョー」は初刊から40数年経ったが今も人気がある。

Photo_10

品川区南大井1-5先「浜川橋」付近

Namidasi

 

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