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2009年11月 9日 (月曜日)

「赤い靴」の女の子は実在した

Img_02   幼い頃、近所の家から横浜に嫁いだ人がいて、夏休みになると同じ年頃の女の子を連れてよく帰省していた。この子とは近所の仲間らと一緒に遊んだ記憶はあるが、服装も話す言葉も違いすぎて、遠くから眺めていた程度の記憶しかない。ただ、横浜という地名から、いろんな想像をかき立てるものがあった。その一つが童謡「赤い靴」からのイメージだった。
 童謡「赤い靴」は、大正10年に「野口雨情」が発表している。
 この「赤い靴」の女の子は実在していたことが昭和48年、北海道新聞の投稿記事がきっかけで判明した。
 北海道テレビ記者だった「菊地寛」さんは、この「女の子」の実像を求めることになる。そして判明したのは、女の子の名は「岩崎きみ」明治35年7月15日静岡県日本平の麓に生まれたが、事情があって母親「かよ」に連れられて北海道に渡る。母親は再婚し、「鈴木志郎」の妻となり開拓農場に入植する。
 当時の開拓地の想像を絶する厳しさから、「かよ」は三歳の「きみちゃん」をアメリカ人宣教師夫妻の養女に出す。「かよ」と鈴木志郎」は開拓地で懸命に働らくが、失意のうちに札幌に引き上げ、鈴木志郎は小さな新聞社に勤める。
 そして、この新聞社に勤めていた「野口雨情」と親交を持つことになる。「野口Jubanmap_l雨情」自身も、長女を生後7日で亡くしているが、同僚の「鈴木志郎」が娘を外人の養女に出した事情を知り、「赤い靴」の詩が生またという。
 後に判明したことだが、「きみちゃん」は海を渡らず、麻布の孤児院で9歳で亡くなっていた。場所は、明治10年から大正12年まで麻布永坂にあった鳥居坂教会の孤児院で、女子の孤児を収容する「孤女院」だった。平成元年、麻布十番商店街はパティオ十番に「きみちゃん」の像を建てた。

赤い靴」野口雨情
一、赤い靴 はいてた 女の子
  異人さんに つれられて 行っちゃった
ニ、横浜の 埠頭から 船に乗って
  異人さんに つれられて 行っちゃった
三、今では 青い目に なっちゃって
  異人さんのお国に いるんだろ
四、赤い靴 見るたび 考える
  異人さんに逢うたび 考える

 ところで、あの横浜の女の子は、どうしているだろうか。郷里の近所の家で確認すれば分かることだが、それは止めることにしよう。
 イメージが崩れるだけだろう。

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