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2009年11月23日 (月曜日)

山谷地区の木賃宿利用者

 「あしたのジョー」の舞台は、荒川区南千住と台東区日本堤の境にある「泪橋」界隈の簡易宿Photo_4泊所が密集する「山谷」と呼んでいる地域だ。
 ジョーの対戦相手、カーロスのマネージャー・ロバートがタクシー運転手に、「運転手さん浅草の山谷にやってください」という場面もあった。
 「あしたのジョー第70話「気になるあいつ」7:35秒辺り
http://ashita-no-joe.seesaa.net/article/88888876.html

 「山谷」は1966年以前は台東区の一地名だったが、現在は「山谷」という地名も消滅している。江戸時代から木賃宿(素泊まり旅館)が多かったが、 現在も簡易宿泊所の施設が多く、日雇い労働者が多く集まる地域だ。いわゆる「ドヤ街(宿街)」としては、日本最大といわれている。
  かつては、東北地方はじめ全国からの出稼ぎ労働者の多くが、この地域の簡易宿泊所を利用していた。特に、昭和30代~40年代の東京五輪前の建設ラッシュ 当時か12232ら高度経済成長期には、冬には稲作ができない地域の農家の親父達が地下鉄工事やビル建築現場等に出稼ぎに来ていた。米価1俵5~6000円当時、出稼ぎ一日の稼ぎは何処でも約千円、冬期の5か月間働いて約15万円、宿代・食費代等に5万円。一冬働いて手元に約10万円は残る計算をしていた。それを郷里の家族に持ち帰ることを楽しみにしていた。
  岡林信康は「山谷ブルース」で、「今日の仕事はつらかった、あとは焼酎をあおるだけ、どうせどうせ山谷のドヤ住まい、他にやることありゃしねえ・・・」と歌った。
 出稼ぎに来たものの、そのままドヤ街にすみついてしまった人々も多くいたのだ。
  最近、このドヤ街の木賃宿が、安価で宿泊出来ることから外国人旅行者に人気だという。時代が変われば、利用者もこうも変わるものなのか。

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