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2009年11月22日 (日曜日)

江戸の処刑場

 11月22日(日)、テレビ朝日の「サンデープロジェクト 10:00~」では、「死刑の是非論」にジャーナリスト・大谷昭宏が真正面から取り組んでいた。「どんなことがあっても国家が人を殺してはいけない」とする廃止論、「殺された人、その遺族の方々の悔しさを誰が報いるのか」とする存続論があり、簡単には結論づけることは出来ない。

 ところで、東京都内には、江戸時代には処刑場は何か所かあった。
 南千住にあった小塚原こづかっぱら刑場、
 南大井にあった鈴ヶ森刑場
 板橋にあった板橋刑場が特に有名だが、
 他にも何か所かあった。

小塚原処刑場~1651年(慶安4年)に創設。約220年の間に処刑された人は20余万人。当時は骨ヶ原と呼ばれたという。現在は荒川区南千住5丁目33番地の回向院別院。幕末には、橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎、梅田源次郎らが処刑された。
鈴ヶ森刑場~1651年(慶安4年)に創設。品川区南大井2-5-6
伝馬町処刑場~中央区日本橋小伝馬町3-5 明治8年まで約270年間存続した。
板橋刑場~板橋区板橋3丁目15-10  JR板橋駅北側付近
八王子大和田刑場~甲州街道の大和田橋北詰付近。大和田交番の裏手。主に多摩地域の受刑者が処刑された。
浅草鳥越刑場~日本堤上り口にあったが、小塚原刑場に移転
芝高輪刑場~高輪の如来寺付近にあったが、1651年に鈴ヶ森刑場に移転した。
芝口処刑場(正式名不明)~港区三田3丁目7番8号付近
   鈴ヶ森の刑場が出来る以前は、芝の処刑場があった。江戸初期は、この辺りが東海道の江戸府内の境だった。
今川処刑場~杉並区今川の「観泉寺」は今川家の菩提寺だ。江戸時代は井草界隈は今川家が統治していて裁判権も与えられていた。当然処刑も行われていて、処刑場は現在の早稲田通りに面した辺りにあった。駐車場になっているはずだ。

鳩山政権下の死刑執行はあるか
 鳩山政権で法務大臣に就任した千葉景子は死刑廃止議員連盟のメンバーであり、アムネスティ議員連盟の事務局長であり、死刑廃止論者だ。また亀井静香金融郵政改革担当大臣も死刑廃止議連の会長であり、鳩山首相もアムネスティ議員連盟のメンバーでもある。 2009年中に死刑を執行された死刑囚は7人で、2008年の15人を大きく下回った。執行はいずれも自民党政権下で、民主党政権下ではまだ行われていない。
 きっと、死刑囚達は喜んでいることだろう。

現在の死刑執行
現在、日本の死刑は7カ所の拘置所で執行している
 「拘置所」とは、主に、未決拘禁者(被疑者、刑事被告人)、死刑確定者を収容する法務省の施設等機関で、国内には7か所ある。
 ところで、なぜ、死刑が刑務所でないかというと、「刑務所」は刑が確定した受刑者が収容されるところで、死刑はまさに死刑執行のときが、刑の執行だから「拘置所」なのだ。

東京拘置所~東京都葛飾区小菅一丁目35番1号
名古屋拘置所
京都拘置所
大阪拘置所
神戸拘置所
広島拘置所
福岡拘置所


地図は「東京拘置所」東京都葛飾区小菅一丁目35番1号
小塚原処刑場」から近いと言えば近いところにある。

絵図の東西南北の右に「仕置場」とある。

Photo_11

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