« 庄内地方の富樫姓の方々 | トップページ |  「日沿道」の進捗状況は? »

2009年10月31日 (土曜日)

庄内地方の義経伝説

 期待されながも夭折した人物を応援したい心情からか、日本人は義経のような人物に強く惹かれるところがある。平泉に落ち延びる経路であった庄内地方には、至る所に義経伝説が残り、語り継がれている。

伝説第一話
 「念珠関(ねずがせき)」では、義経一行は羽黒山の山伏姿になり、弁慶は義経には二つの笈を負わせて、後ろから「歩けや法師」と杖で打ちすえて、関所を通ることができたと言われる。昭和40年頃、ドラマ「源義経」の放映を記念し、原作者村上元三の筆による「源義経ゆかりの浜」という碑を「鼠ヶ関」に建立している。(史実と思う
伝説第二話
源義経一行が庄内町清川に立ち寄り、御諸皇子神社(ごしょのうじじんじゃ) で一夜を明かした。その時、御諸皇子神社に奉納されたという義経の笛や弁慶の祈願文が今でも残されている。幕末に活躍した清川八郎の祖母は余目の宮曽根村・佐藤市郎左右衛門の出で、この家は義経四天王の一人佐藤継信の子孫だという。(史実と思う
伝説第三話
  酒田市本楯には「新田目城」(あらだめ)があるが、ここにも義経一行がPhoto立ち寄り、太刀一振りを献上したという伝説が残る。この太刀は今もあるが、それを証明する古文書は戦後まもなく失火で消失したという。義経の当時、「新田目城」 は東北では、多賀城と並ぶ規模の大きい城であり、義経一行が挨拶を兼ねて立ち寄ったことも想像は出来る。あるいは、新田目城側から挨拶に出向いたことも考えられる。
 ただ、先を急ぐ一行は清川辺りから最上川を舟で遡ったとの伝説の方が自然に思われる。(本楯の人は残念だろうが、疑問が残る
伝説第四話Mompe1
 遊佐町の月光川(がっこうがわ)に架かる、映画「おくりびと」が撮影された「朝日橋」から、約一キロ上流の右岸あたりに、「もんぺはげ」と呼ばれる崖が ある。この崖は、遠くから見ると「もんぺ」のような形で、崖の地肌が見えることから「モンペはげ」と呼んでいた。この崖は弁慶が滑り降りたときに出来たという伝説がある。(そう聞かされたが、作り話だろう
 この「モンペはげ」前の月光川の河原では、よく「芋煮会」をやったものだが、最近では、朝日橋の辺りが指定の場所のようだ。

庄内地方の義経伝説は、ほかには、
■田川の豪族・田川太郎の子供の病気をなおした。
■鶴岡の大梵寺に立ち寄った。
■北の方の産月間近なので羽黒山に弁慶を代参させた。
■清川八郎の生家・斎藤治兵衛の家に迎えて数日歓待した。
そして、文治三年(1187年)、義経一行は最上川を遡行して奥州平泉にたどり着いたという。

地図の中央付近が「モンペはげ」と呼ばれる付近

|

« 庄内地方の富樫姓の方々 | トップページ |  「日沿道」の進捗状況は? »

02 「うんちく」知ったかぶり」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1208592/32009664

この記事へのトラックバック一覧です: 庄内地方の義経伝説:

« 庄内地方の富樫姓の方々 | トップページ |  「日沿道」の進捗状況は? »