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2009年10月30日 (金曜日)

勧進帳の本当の舞台は「鼠ヶ関」

 職場に富樫姓がいるので、ずばり、「山形か新潟の出身か」と質問すると、案の定、新潟県北端の生まれだという。

 富樫姓は、「勧進帳」のクライマックス場面、富山県の「安宅(あたか)のLarge関守」・富樫左衛門秦家が有名だ。しかし、この舞台は、実際は庄内・鶴岡「鼠ヶ関」の出来事だといわれており、近くには義経上陸の地とされる碑もあり、近隣には富樫姓も多い。

 この関所で、義経一行をわざと逃したことが頼朝の耳に達し、関守・富樫泰家は職を解かれ、仏誓と号し名を重純(しげすみ)と改め、義経のいる奥州路へと落ち義経に再会したという。

 富樫泰家には、庄九郎の他に何人かの子があり、その中の富樫泰景出羽の富樫氏の祖となったという。鶴岡市(旧・温海町)砂谷(イサゴダニ)がはじまりで、現在では、鶴岡界隈から南は新潟県村上市辺りに富樫姓が多いと聞く。

「義経記」によれば、
  岩船を通りて、瀬波と云ふ所に、左胡■(竹+録)、右靱、せんが桟などと云ふ名所々々を通り給ひて、念珠の関守厳しくて通るべき様も名ければ、「如何せん」と仰せられければ、武蔵坊申しけるは、「多くの難所を遁れて、是までおはしましたれば、今は何事か候べき。さりながら用心はせめ」と、判官をば下種山伏に作りなし、二挺の笈を嵩高に持たせ奉り、弁慶大の■(しもと:木+垂)杖に〔突き〕、「歩めや法師」とて、しとど打ちて行きければ、関守共是を見て、「何事の咎にて、それ程に苛み給ふ」と申しければ、弁慶答へけるは、「〔是は〕熊野の山伏にて候が、是に候山伏は、子々相伝の者にて候が、彼奴を失うて候ひつるに、此程見つけて候間、如何なる咎をも当ててくれうず候。誰か咎め給ふべき」とて、いよいよ隙なく打ちてぞ通りける。関守共是を見て、難なく木戸を開けてぞ通しける。程なく出羽國へ入り給ふ。 とある。Photo

 歌舞伎「安宅(あたか)の関」では、義経一行は白装束となり、武蔵坊弁慶は「これから羽黒山に向かうところだ。」と告げるが、まだ「羽黒山」まで遠距離の富山県下・安宅(あたか)の関で、既に白装束に着替え「羽黒山」の名称を出すのは、あまりにも不自然だ。

 しかし、これが「鼠ヶ関」が舞台なら歩いて、二日から三日の距離であり自然な話だ。このような話しの流れから、私は、「勧進帳」の舞台は安宅(あたか)ではなく、「鼠ヶ関」に間違いないと思っている。なお、「鼠ヶ関」は「白河の関」、「勿来(なこそ)の関」とともに、古代における奥羽三大関所の一つとされている。

 「鼠ヶ関」も観光地として整備して、もっと自信を持ってアピールすればいいのにと思っている。


安宅の関

下段は、鼠ヶ関付近の地図です。

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