« 東大和の戦災建造物 | トップページ | 「不毛地帯」の主人公は遊佐町杉沢出身? »

2009年10月13日 (火曜日)

山形県鶴岡の加藤清正の墓

 最近知り合った、熊本県出身の方は、いかにも九州らしい顔立ちと熊本に多い苗字で、清正が広めたと言われるの馬刺しのことなど、熊本自慢を語ってくれた。
 山梨の武田信玄鹿児島県人の西郷隆盛好き、山口県の吉田松陰高知県の坂本竜馬好き、同様に、 熊本県人は間違いなく加藤清正が好きなようだ。
 小生からは、リップサービスとして、熊本と山形・庄内との強いつな00_kuraがりを紹介した。それは、加藤清正の墓が庄内・鶴岡にあることだが、この方も知らなかった。
 清正は1562(永禄5)年、秀吉と同じ尾張中村に生を受けた。幼名が虎之助。5才の時、母は秀吉の母と従姉妹であった縁から秀吉のもとへ預けられた。15才で元服、170石を与えられ、20才で初陣を飾った。歴史上有名な賤ヶ岳の合戦では、片桐且元、福島正則らと共に七本槍に数えられた。この戦いで300石を加増されて出世街道をいく。天正15年に九州遠征で大活躍し肥後(熊本)の地25万石を貰う。

 関が原の戦いでは徳川側に付き、旨く切り抜けた感があったが、加藤清正が慶長16年(1611)50歳で死去すると清正の子・忠広が10歳余りで家督を継いだ。
 しかしながら、寛永8年(1633)外様大名である清正の嫡子・忠広が、熊本54万石をいわれなき理由(単に秀吉寄りだったとの理由らしい)で改易の憂き目にあい、扶持1万石に減俸され、庄内藩酒井家預けとなった。
 加藤忠広は、庄内に配流が決まった折、徳川幕府に知れぬよう父・清正の遺骨を密かに熊本から持ち出し、母と共にその菩提を庄内の地で弔ったとされる。加藤忠広親子には、庄内藩では異例の配慮をしている。丸岡の城跡に忠広と生母正応院の為の住居と御家来衆の長屋を新築し住まわせ、嫁を娶ることも許されている。

 その子孫が鶴岡界隈の加藤姓といわれ、その一人は、冨士酒造株式会社 社長 加藤有倫 :鶴岡市大山3-32-48. TEL:0235-33-3200. http://www.e-sakenom.com/である。衆議院議員の加藤紘一氏も末裔のうわさがあるが真偽のほどは知らない。

 加藤清正の墓は山形県鶴岡市丸岡町の内36「天澤寺」にある。
 私は一度だけ墓参りしたことがある。

|

« 東大和の戦災建造物 | トップページ | 「不毛地帯」の主人公は遊佐町杉沢出身? »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 山形県鶴岡の加藤清正の墓:

« 東大和の戦災建造物 | トップページ | 「不毛地帯」の主人公は遊佐町杉沢出身? »