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2009年10月28日 (水曜日)

酒田と安岡正篤の接点

 庄内地方・酒田市飯森山2丁目にある「南洲神社」に関連し、神社の材料は1d0岡正篤(やすおかまさひろ)の口利きで伊勢の皇大神宮から譲り受けたことを知った。

 陽明学の大家、安岡正篤(やすおかまさひろ)がこのようなところで、酒田と接点があるとは思わなかった。

 安岡正篤は、明治31年2月13日大阪府生まれで昭和58年12月13日85歳で没している。陽明学者の大家であり、右翼思想家ともいわれ、岸、池田、佐藤、田中、福田、大平、鈴木、中曽根と続く歴代総理の指南番だった。(三木の名は出てこない。考え方が違ったのだろう?)

安岡正篤に関して知っていることを列挙すると、
■終戦の詔書「玉音放送」の草案に加筆した。
■「平成」の元号の発案者。(竹下登が示唆)
■二・二六事件の首謀者らに影響を与えた一人と言われる。
■血盟団事件の井上日召とも親しい。
■北一輝や酒田出身の大川周明の猶存社のメンバーだった。
■三島由紀夫が師と仰いだ。盾の会のメンバーは細木を嫌った。
■晩年、細木数子と結婚騒動があった。
■細木数子が先生と呼び、いかにも「弟子だった」ことを吹聴している。
■埼玉県比企郡嵐山町に「安岡正篤記念館」がある。http://www.kyogaku.or.jp/
 

 安岡正篤は、昭和史を語るうえで、外すことのできない大物だ。晩年(享年85歳)は痴呆状態だったというが、細木数子との結婚騒動だけは、晩節を汚した感がある。酒田市と安岡正篤(やすおかまさひろ)にどのうような縁があって、口を利いてもらったかは分からない。

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