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2009年10月27日 (火曜日)

公益の祖・本間光丘

 酒田市には、全国で初めて公益を教える「東北公益文科大学」がある。ただI33_1_0、この公益という言葉は分かりにくく、分かりやすい説明を聞いたことがない。今回は、公益のことを多少勉強しておきたい。
 小松隆二公益大学学長は、「公益とは一口に言えば「世のため、人のためを目的に活動・機能すること」であり、公益学とは、「それを総合的に研究解明する学問」である。と述べている。
 この「世のため人のため」に尽くすということを具体的にいうなら、「企業の社Honnmamituoka1会的責任」という原則があるからと思う。そもそも会社・企業は基本的に利益を追求するものであり、そこから余裕がある儲けが出たなら、それを世のため人のために回せ(地域への還元)、という考え方ではないだろうか。

 この考えを、当然のごとく実践していた人たちが酒田にいた。それは、「公益の祖」として「本間光丘」を第一に上げることが多いが、本間家はこの三代光丘だけでなく、代々様々な社会貢献活動や事業を行っている。
■飢饉の際に備蓄米を放出し、庄内では餓死者ゼロ
■天災、人災、戦争など危急には富を復興に供出
■飛砂に苦しむ農民のため、庄内砂丘への黒松の植林事業 
■防火設備の寄付
■越冬資金の提供
■酒田祭の活性化 
上杉鷹山当時の米沢藩への援助(養山は光丘を師と仰いだ)
■幕末・戊申戦争賠償金として庄内藩への多額の援助
■松山藩、亀田藩、八島藩、本庄藩、二本松藩、津軽藩等の援助
■庄内藩の日光東照宮の廟の修理命令には一万二千両を献上
■幕末酒井家の磐城平転封の沙汰には七十万両を献納し中止
■江戸取締り役「新徴組」を藩が預かった為に軍用金を献納
■酒田町立酒田商業学校の建設時には土地と建設費の援助
■山形高等学校の建設時には建設費の寄付、等々だ。

 この本間家も30年近く前、現社長・真子(ますこ)の夫・興造(後に離婚)が社長当時、経営が悪化し再建に呼んだ枡野寅之助(当時60歳位)からの乗っ取り騒ぎがあった。この当時、私の妻が関連会社に勤めていたことから、ことの成り行きを目の当たりにしている。しかし、後に枡野寅之助は使い込みが発覚して失脚し、経営の本体は本間家に戻っているという。ここ数十年、本間家は危ういとの噂が流れていたが、不動産業等の株式会社・本立信成(酒田市本町1-2-55)を中心に事業は好転しているという。公益の祖・本間家の底力を見せてほしいものだ。当主の長女、本間万紀子に期待がかかる。

 ちなみに、本間家に関連し、「本間ゴルフ」が有名だが、ここの創業者の本間敬啓、裕朗兄弟は本間家の庶流にあたる。結構、誤解されている。

 なお、枡野寅之助は本間家を仕切っていた当時、週に一度は酒田を訪問して社員に朝礼し、幹部を指揮していたというが、妻は、この接待に当たらせられたというから隅に置けない。この辺りの事情は、あまりにも詳し過ぎるので必要以上の記載は差し控える。

東北公益大学付近"

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