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2009年9月に作成された記事

2009年9月30日 (水曜日)

日本人なら和食を!

Imgfej  和食が世界的に有名になった理由は、健康で長生き出きる長寿食だからだ。

 しかし、日本人の和食離れが確実に進んでおり、これに比例して、メタボリックシンドロームは増加している。なぜ、日本人が和食を食べなくなったのかは、自身の食生活を振り返れば直ぐ分かる。近年、外食店、コンビニ店等が巷に増えて便利になったが、和食を作れない主婦も増えているそうだ。旨い外食店などとあおる、マスコミにも責任の一端はありそうだ。

 これまで長寿を進行させて来たのは、現在のお年寄りが、和食を中心に食べてきたことにあり、洋食主義の若者ではない。日本人の体質は、長年の和食で造られてきたものであり、日本食が合うようにつくられているのは当然だ。

 私は昭和30年から40年代の成長期、東北の片田舎で育ったが、その頃は、当然ながら何処の家庭でも典型的な日本食であった。野菜類は素材を生かしたもの、不足気味の蛋白源は、近くの川で捕れるドジョウ、ナマズ、タニシ、海も近くにあり、魚貝類中心の食生活であった。

 それが、18歳で上京すると、味の濃い肉食中心の食生活に変わった。当時は、急に豊かになったような錯覚に陥ったが、食生活の変化は体質までも変化させ、体調を確実に悪化させていることを悟った。和食中心に変わったのは、結婚後である。

 我が家は、妻が同郷であることに加え肉食が苦手なことが幸いし、和食中心である。心がけて外食をしない理由もここにある。本当に健康を考えるなら、日本人なら日本人の体質に合った和食を食べ続けることだ。全ての面で欧米式になり、体力が向上したなどと言われているのは見せかけだけだ。

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公開・健康管理Ⅱ

 メタボレコーダーを取り付けている。「メタボレコーダー」は、このブログ開設の切っ掛けになったものであり、時々このように掲載することで、健康管理の大切さを自戒している。当然のことだが、健康を失ったら、大切なもの全てを無くするのだ。

 当然ながら、人に見られていると思うと、一層、食事や運動に気を払い、健康管理全般に留意するようになった。体重は若い頃に維持していた65キロ台に入り、BMI(Body Mass Index)も標準といわれる「22」に定着している。
 私は、身長からすると体重63~64キロが標準のようだが、体格、骨格、筋肉量などから個人差もあるので、必ずしも断定する必要はないと思っているので、65キロ台に安定させるつもりだ。

 周りの方々を見渡すと言葉では、健康志向は強いものの、なかなか行動が伴わないことが多いようだ。とにかく、運動にしろ、食事にしろ、「実行するか、しないのか」、自分の意志が問題だ。

 因みに、日本人の死因のトップはがん、2位には心臓病、3位には脳血管疾患と続く。2位3位を合わせると、がんとほぼ同じだという。この中で最も怖いのは「心筋梗塞」と「脳卒中」で、いずれも動脈の壁が厚くなって血管内部が狭くなったり、弾力性を失ってもろくなる「動脈硬化」が進行して発症する。「動脈硬化」を促進する最大の原因は「高脂血症」。高血圧や糖尿病、また腹部肥満、喫煙、遺伝的素因、ストレス過多、運動不足、食生活の乱れなども促進要因で、これらの危険因子が多い人ほど進行しやすいことになるという。

  このような格言がある。
■「たいていの人は、剣によるよりも、飲み過ぎ、食い過ぎによって殺される。」オスラー(カナダ生まれのアメリカの医学者)
■君がどんなものを食べているかを言って見たまえ。君がどんなであるかを言ってみせよう。」サヴァラン
■「私は生きんがため、奉仕せんがために食べるし、またたまたま楽しむために食べることがあっても、享楽のために食べるものではない。」ガンジー
  それぞれの格言は、大量生産、大量輸入、大量販売、大量消費、大量廃棄のパターンが、ぴったり当てはまる多くの現代日本人への警告ではなかろうか。

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2009年9月25日 (金曜日)

理容と美容の違い

 月に一回、月末には床屋さん(理容店)に行くことにしている。最近では頭髪に白髪も交じりはじめ、大して格好を気にするような年齢でもないので、出来るだけ安価な店に行くようになった。

 今日行った店は、カット料金だけだが、950円と今までの中で一番安価だったU。担当した男の床屋さんとも会話が弾み、「どうして安いのか」、「散髪の技術はどうなのか」と遠慮なく質問してみた。その中で、このような「格安のカット店」には、元々男性用床屋(理容室)の技術の店と女性用美容院の技術の店があることを知った。そして、この裏事情に理容免許を持った人、美容免許を持った人、いずれも飽和状態にあるのだという。現在では「髪結いの亭主」の誕生も難しいようだ。

 この店は、理容免許の人達の店ということから、美容免許が多い店を批判的に見ていた。その理由は、専門学校で調髪技術を修得する課程や方法が全く違うのだという。どちらの技術の店がいいかは、男の髪型も多種多様であり、結論付けることは出来ないが、毎月お世話になる床屋さん(理容店)のことは予備知識として持っていて損はない。
 これまで、理容は男、美容は女とのイメージで見ていたが、美容と理容では、業務内容が明確に違うとのことだ。

 違いは法律で業務範囲が決められていて、理容師法では、「頭髪の刈込、顔そり等の方法により、容姿を整えること」(理容師法1条の2)。一方、美容とは「パーマネントウエーブ、結髪、化粧等の方法により、容姿を美しくすること」(美容師法2条)だという。そして、「格安のカット店」には、美容師免許を持った人が多く進出していることから、「全国理容生活衛生同業組合連合会」(略:全理連)との対立が深刻化しているが、規定の料金を設定している全理連加盟店側が苦境に立たされているという。
 

 尚、床屋さんの全国組織の組合は、「全国理容生活衛生同業組合連合会」(略:全理連)といい、法律「生活衛生関係営業の運営の適正化及び振興に関する法律」に基づく、理容店オーナーが組織する47都道府県理容生活衛生同業組合(理容組合)を会員とする業界唯一の全国団体で、組合に加入されている組合員は、全国で8万人にも達しているという。

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2009年9月23日 (水曜日)

「おくりびと」がテレビ放映された

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 アカデミー賞受賞作品 映画「おくりびと」が9月21日テレビ放送された。ノーカット版とあったが、何か所かカットされていた。気づいたのは、性転換者の遺体を拭く際に、「付いてるんですけど」と笑いを誘う場面など数カ所あった。カットの理由は、性転換の関係者からクレームが付いたからだろうか。放送に注文を付ける訳ではないが、それなら、ノーカット版などと嘘の表示はしないほうがいいのでは、と単純に思う。

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 「おくりびと」の原作となる青木新門著「納棺夫日記」の舞台は富山県だが、映画はバックとなる光景や施設が揃っている庄内地方の遊佐町、酒田市、鶴岡市等が選ばれ、庄内平野、鳥海山などの景色が画面いっぱいに広がる。再度この映画を観て、ロケ地がこの映画の良さを引き出している思った。そして、故郷でもあり幾度も親族らの葬儀に出席しているが、この地の葬儀や死者に対する感じ方、つまり「死生観」は、他の地とやや違うことに気づいた。

 それは、死者は「必ず生まれ変わる」という教えが庶民Photo_2 まで浸透していることだ。この背景には、出羽三山信仰の輪廻転生の教えや即身仏(生き仏)信仰が定着している地だからと思う。また、子孫を残すために遡上し息絶える鮭、そして「石文(いしぶみ)」というメッセージの伝え方などの場面が、無理なく映画の説得力を倍加させている。

 役者も揃っている。火葬場で火入れの瞬間「母ちゃん、ごめんの」と男泣きする幼馴染を演じる杉本哲太。納棺に5分遅いと文句を言うが納棺後「今までで一番綺麗でした」と感謝する男を演じる山田辰夫。そして、全編を通じて存在感と安定感のある演技を魅せる山崎努、笹野高史、余貴美子などのベテラン陣らの演技。このような映画が、故郷の庄内で作られたことに改めて誇りに思う。

 主要な場面を提供している月光川(がっこうがわ)に架かる「朝日橋」 は、私3598_2は6年間も通学に利用した懐かしい橋だ。また、チェロを弾く場面の直ぐ後方には、葬儀場と火葬場があることは地元の人は皆知っている。鮭が遡上する月光川の名称は、月光菩薩が由来しているが、この説明は次の機会にする。

主な登場人物と俳優らの名前を記録しておこう。
■〔小林大悟〕本木雅弘…チェロ奏者の夢破れ帰郷する。
■〔小林美香〕広末涼子…大悟の妻。
■〔佐々木生栄〕山崎 努…NKエージェントの社長。
■〔上村百合子〕余 貴美子…NKエージェントの事務員。帯広出身。
■〔山下ツヤ子〕吉行和子…銭湯『鶴乃湯』を経営。
■〔山下 某〕杉本哲太…小林大悟の同級生。山下ツヤ子の息子。 
■〔平田正吉 〕笹野高史…鶴の湯の常連客。火葬場の職員。
■〔妻を亡くした男〕山田辰夫…お前ら死んだ人間で食ってんだろ!と怒鳴る男。■〔小林淑希〕:峰岸徹…小林大悟の父。
■監督:滝田洋二郎■脚本:小山薫堂■撮影:浜田毅■音楽:久石譲■Photo_3プロデューサー:中沢敏明、渡井敏久。

 撮影後、重要な場面で出演した俳優、峰岸徹、山田辰夫のお二人が続けて亡くなられたことは、残念だった。テレビ放映は 平均視聴率21.7%という高視聴率を得たという。

 

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2009年9月21日 (月曜日)

『クレヨンしんちゃん』に学ぶ

 25 息子が24歳だから、20年も前のことになる。テレビなどでオカマやニューハーフがもてはやされ始めた頃、まだ幼稚園の息子が、このような番組を興味深げに見ていると、まさか、その気(け)があるのではと、親としては心配するが、当時に、良く見ていたのが、息子と同世代の腕白でちょっとエッチな幼稚園児が活躍する『クレヨンしんちゃん』だった。

 ある時、車の助手席に息子を乗せて、二人で外出したことがあった。住宅街を運転していると、前方を小学生低学年の女の子数人が下校の場面に出会った。助手席の窓を開けて身を乗り出していた息子が、突然、「お父さん、もっとスピード出して、女の子の横を通って」と言う。なぜだと聞くと、息子は「スカートがめくれるから」と言う。私もありえないと分かっていながらも、「よし」と、女の子達の側を通り過ぎるが、スカートはめくれない。息子は「スカート上がらないね」と残念がる。再度「どうしてだ」と質問すると、息子は「しんちゃんでは、上がってた」と真顔で答える。

 帰宅して、このことを妻に話すと、「やっぱり男の子ね」と変に安心している。このように、『クレヨンしんちゃん』は、子供たちにいろんな影響を与えているロングセラーだ。残念ながら、この作者、臼井儀人(本名・義人)さん(51)さんが、群馬・長野県境の荒船山で遭難したとみられ、9月20日遺体で発見された。

 臼井さんは、静岡県静岡市生まれ、春日部市育ち。春日部工業高校を卒業K_14後、広告関係の会社に入社。代表作のクレヨンしんちゃんは、臼井さんが育った春日部市の幼稚園児、野原しんのすけが主人公の漫画。90年8月からWeekly漫画アクションで連載が始まり、現在も同社の雑誌「まんがタウン」で連載されている。春日部市は平成16年の市政50周年を記念し、主人公の「野原しんのすけ」をはじめ野原一家を特別住民登録し、住民票を発行。子育て支援にキャラクターを活用していた。

 また、漫画家は「謎めいていた方がいいから」「夢を売る仕事」という理由で「決して顔出ししない漫画家」として知られる。子供たちは、『クレヨンしんちゃん』から色んなことを学んだことと思う。“合掌”

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2009年9月20日 (日曜日)

のりピー覚せい剤使用報道に想う

 このような問題にはなるべく触れないようにしたいが、あまりにも目に余る連日の報道なので感想を述べておきたい。

 女優・酒井法子は国内外に多くのファンを持ち、裁判員制度広報ビデオにも出演依頼されるなど、人気と実力、そして期待と信頼を集めていた女優である。
 だからこそ、今回のような騒動を惹起させた社会的責任は極めて大きく許されるものではない。しかしながら、この酒井法子覚せい剤使用事件に関連し、マスコミの報道姿勢には今更ながら疑問に思うことが多い。
 マスコミは、基本的に体制批判、社会批判の姿勢を貫くことが利益に繋がり、存在価値があるという。その歴史は江戸時代の瓦版にあると言われる。「かわら版」の一般的定義は、違法な無届出版で、売ることを目的に出版される有料のニュース性の濃い一枚刷り、時に簡易綴じの小冊子を含む情報紙(中山栄之輔『かわら版選集』)とある。発刊された瓦版は、火事や災害、歌舞伎や相撲の番付、更に、幕府や大名、歌舞伎役者らのスキャンダルを取り上げたものが多かったという。その後、変遷はあるものの、この姿勢は現代マスコミにもシッカリと引き継がれている。

  いざ、反社会的な問題には国民を扇動し、社会的地位が高かったり有名人ほど、人格をも無視した強烈なバッシングが始まり、その追及は親類縁者に及ぶ。また、体制批判のためには、批判する側に回り偏った報道を行い、体制側には遠慮ない批判を続ける。その対価として欲しいのは、視聴率であり、販売部数なのだ。報道関係者は「国民の知る権利のためだ」と言うが、全ての面で作為的、恣意的、利益追求に専念しているだけだ。もっと簡単に言えば、人の不幸で儲けていることだ。それは、国民を煽れば煽るほど、スポンサー収入が入るいうシステムがそうさせているのだろう。逆に言うなら、金にならなければ、取材も報道もしないということだ。

 のりピーに関しても、 各TV局はヘリでの空撮、カーチェイスしてまでの危険な取材をしているが、その対価が視聴率や新聞・雑誌類の売り上げなのだ。事件発覚以来、一連の取材に何人の報道陣が動いたろうか、この人件費、ヘリなどの機材費、公共の電波利用にと、一体どれだけの経費をかけたのか。本当にこのような取材が必要なのか、バランス感覚で判断する方はいないのかと心配する。

 それから、どう見ても、多くのファンへのお詫びとともに、報道の沈静Photo_5化を期待した、酒井法子関係者がマスコミへの配慮としてセットしたと思われる記者会見にも、「商品価値を確認している。芸能界復帰の目を含ませた記者会見だ」などと、見当違いの批判をしている。

 そして、記者会見の視聴率の高さや、発言の一言一句、涙の数までも話題にして、抜け目のない報道は続く。今日9月20日は朝から、勝浦の別荘(通称・ピンクハウス)が火事になったことが報道されているが、これは愉快犯による放火の疑いが強いが、加熱報道が関連していることは、マスコミ側は認めないだろう。
 酒井法子には、今後も一挙手一投足に関心を集め、マスコミの格好の餌食として報道されるだろうが、難しいといわれる薬物との関連を強い気持ちで断ち切って、母として妻として、そして一社会人として、立派に立ち直って欲しいと願うだけだ。

 また、今が蝶よ花よとはしゃいでいる個人、政党等は気をつけた方いい、油断したら必ずしっぺ返しが来る。その機会をマスコミは、虎視眈々と狙っていのは間違いない。

 ついでながら、マスコミの餌食にされた方々は、幾つか思い出すことができる。
■ロス疑惑の三浦和義■衆院選に出馬し、コロンビア大留学と経歴を詐称した野村沙知代■ライブドア関連で逮捕された堀江貴文■生意気なスポーツマン、芸能者として、朝青龍、亀田大毅、沢尻エリカ■利権政治家として批判された松岡前農水大臣等々を思い出すことができる。この方々の何人かは自殺に追い込まれている。確かに、彼らにも問題があったがが、ここまで節操のない報道が必要なのか。まるで、いじめの構図と同じではないか。

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2009年9月19日 (土曜日)

餃子の王将の『餃子試食券』

Dscn3590  読売新聞の毎月1日と16日の朝刊に、「餃子の王将」の広告が載っている。
 その中に『餃子試食券』が一枚付いている。この券は全店共通、一人前が無料で、どちらの日の『餃子試食券』もその月の月末まで利用出来る。切り取っておいて財布に入れておけば、どこの店でも使える。ちょっとセコイが、職場等の読み捨ての読売新聞からも切り抜いておけば、数枚同時に使用できるから安上がりだ。Photo

 「餃子の王将」は、新婚当時住んでいた自宅の近くにあり、良く利用していたが、多摩地域に転居後は、とんと忘れていた店だった。ところが、今年春あたりに、この『餃子試食券』が付いていることに気付き、最寄りの店をネットで探したところ、一番近い「餃子の王将」はhttp://www.ohsho.co.jp/contents.html秋津店」〒189-0003 東村山市久米川町1-37-7電話042-395-5951と知った。車で20分程かかるが、『餃子試食券』に釣られて出かけた。
 昼食時間帯でもあり、秋津店の店内はほぼ満員、席は50~70席分あって、店員も10人前後が忙しく動き回っていた。今日は、昔も良く食べた中華丼と餃子、妻はチャーハンにしていた。食したのは25年ぶりと思うが、期待を裏切Photo_6 らない懐かしい味だった。

 試食券は二枚使用したので500円近く儲かったことになる。「餃子の王将」の景気のよさは外食産業のユニクロとみた。

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2009年9月18日 (金曜日)

酒田の「南洲神社」について

 郷里、庄内・酒田に西郷隆盛を奉った「南洲神社」が、何故あるのかは余り知られていStory02_ph06_2 ない。今回は、なぜ酒田に「南洲神社」があるかと、「西郷南洲遺訓集」についてご紹介したい。

 庄内藩の始まりは、徳川家康の側近「徳川四天王」の一人・ 酒井忠次だ。鶴ヶ岡城には、第3代藩主・酒井忠勝の時に入り、以後、明治にいたるまで酒井家が庄内を治めた。幕末には、庄内藩は、会津藩と並ぶ佐幕派の双壁といわれ、混乱が続く国内の治安維持のため、庄内藩は「江戸市中取締り役」を勤め、鳥羽伏見の戦いの切っ掛けになった「江戸三田の薩摩藩邸焼き討ち」を行い。戊辰戦争が始まってからは、江戸城無血開城、会津落城後も秋田方面や新庄方面で、果敢に新政府軍と戦い続け、藩内に一兵も入れない程、百戦百勝の強さだった。しかし、いかに庄内藩が孤軍奮闘しようと奥羽諸藩は次々と降伏し、勝勢は明らかだった。

 庄内藩は、新政府軍から藩主・酒井忠篤(ただずみ)の切腹を含めた、過酷な条件が提示されることを覚悟しながらも降伏を決定した。庄内藩の降伏を受けたのは、庄内方面司令官の薩摩藩士・黒田了介(後の清隆)だ。西郷から指示された黒田は、実に寛大な降伏措置を取った。会津の23万石から3万石削減に対し、庄内藩は17万石から12万石に減じただけだった。この寛大な処置に感激した藩主や藩士らは生涯西郷を慕うこととなり、藩主自ら鹿児島の西郷の元へ教えを請いに出向くなど、庄内藩士と西郷の交流は長く続くことになった。

 明治3年には、旧庄内藩から選抜隊70余名を鹿児島へ派遣し3ヵ月間留学させた。明治10年の「西南の役」では、西郷とともに戦った庄内藩士からも戦死者を出したほどだ。以後、賊軍の将となった西郷は官位を剥奪されたが、明治22年2月、明治天皇の大日本憲法発布記念の恩赦により、正三位として名誉回復を果たした。その恩赦運動の中心は庄内藩の人々だったと言われる。西郷隆盛の語録をまとめた「西郷南洲遺訓集」(岩波文庫)は、西郷の著作ではなく、明治3年庄内藩主、酒井忠篤らが鹿児島を訪ね、寝食を共にして直接教えを乞いたときの、西郷の言行をまとめたものだ。この遺訓集は、私がかつて「南洲神社」を訪問した際は無料で頂くことができたが、最近のことは知らない。
   
 荘内南洲会:酒田市飯森山2-304-10 TEL0234-31-2354
http://www1.ocn.ne.jp/~x48ue66i/data/frame.htm

「徳の交わり」説明板から引用
西郷隆盛(南洲)と菅実秀(臥牛)が対話しているこの坐像は、7k 鹿児島武西郷屋敷において両翁が親睦を深め「徳の交わり」を誓いあったことを記念して製作したものである。 庄内藩は戊辰戦争で官軍に激しく抵抗したため厳しい処分を覚悟していたが、南洲翁の公明正大な極めて寛大な処分となった。この南洲翁の大徳に感じ臥牛翁は明治8年自ら旧庄内藩士と共に訪鹿して南洲翁の教えを受け後に、その教えを受けた人達の手記を集め「南洲翁遺訓」を発刊した。旧藩主酒井忠篤公は数名の人を各地に行脚させ全国に頒布した。南洲翁の偉大さに傾倒し生涯のすべてを尽くされた荘内南洲会の創始者である長谷川信夫先生の遺志を継ぎ、今庄内の一角に両翁の遺徳を偲び、不易の教訓である「敬天愛人」の精神を永く後世に伝えるため、有志相諮り浄財を募り対話の坐像を建立した。
      平成13年9月吉日  財団法人 荘内南洲会

 これらのことは、西郷隆盛ファンの方々も殆ど知らないので、教えると感心される。

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2009年9月17日 (木曜日)

フィルタ付きアクセスカウンター

 このブログは、概ね一ヶ月前から「ココログ」を利用しアップしているが、同時にアクセスカウンターを右上のサイドバーに取り付けた。今日現在1569を示しているが、この数字の三分の一は、きっと自分がアップした際や確認時にカウントしたものだ。それでは面白くないので、数日前に、自分が訪問した際は一切カウントしない設定にした。そうすると純粋なアクセスは概ね千件、一日にすると平均30件程度の訪問であろう。このような、当たりさわりのないブログに、全国から訪問していただけるだけで有難いことである。更に、どのページにどのくらいの訪問があるかなども正確に知ることができる機能がある、なかなかのスグレモノだ。アクセスを解析すると、このブログには、「のりピー」の話題を載せているが、なんと、訪問の7割方は「のりピー」からの訪問だった。このような場合、この話題をより充実させれば、一層のアクセスを図ることが出来るはずだが、そのつもりは一切ない。

 今日のテレビは、酒井法子が釈放された話題で一色だが、釈放後にヘリやバイクで追跡したりする、あまりにも危険きわまりないマスコミの横暴な取材だけが気になる。記者会見では、酒井法子側から、「事件に関係ない、家族や親戚までの遠慮ない取材に、関係者は傷ついています。どうか静かにお願いしたい。」旨の申し入れがあったが、これにアナウンサーやコメンティターの反応はなかった。「国民の知りたいことには答える必要がある」という図式の前に、これからも容赦しない取材を続けるということだろう。

 しかし、良識ある国民は知っている。マスコミも利益優先の企業であり、テレビなら視聴率アップ、週刊誌等なら売れるなら、取材方法に手段を選ばない、節操のない取材をしていることを・・・・・・・。

 ここで、迫力あるコメントを遠慮なく綴る「津川雅彦」氏のブログを紹介しておく。少々文章が長すぎる嫌いもあるが、有名人だけに納得させる力を持っている。「テレビは諸悪の根元。思考停止装置http://www.santanokakurega.com/2009/08/post-130.html

 マスコミ関係者からの、人格まで否定するような執拗な取材に、つい、酒井法子寄りの気持ちになってしまった。人間なら誰でも、過ちの一度や二度はあるはず、「罪を憎んで人を憎まず」の基本は貫いて欲しい。そして、酒井法子には、難しいと言われる薬物との関係を遮断し、今後の生き様を見せてほしい。

〔フィルタ設定の方法〕http://support.cocolog-nifty.com/howto/2006/03/11_4f90.html
特定の条件にあるアクセスを、解析結果として表示させないように設定することができます。例えば自分自身の情報を登録することで、自分自身を除いた純粋なアクセス情報のみを表示させることができるようになります。フィルタを登録するには、画面下部にある「フィルタ登録」プルダウンメニューから「リモートホスト」「ユーザーエージェント」「リンク元 URL」「訪問者 ID」のいずれかを選択し、「生ログ」(「アクセスデータ~アクセス数と訪問者情報編」で解説しています)などからその情報をコピー&ペースト、「解析しない」ボタンをクリックしてください。すると「フィルタ一覧」に登録した情報が表示されます。とある。Photo

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2009年9月16日 (水曜日)

なすごんげ、もって菊、芋煮

 今日の夕食はごらんの通り、秋刀魚焼き、おでん、食用菊のおひたし、芋煮Dscn3594、なすごんげ、と、山形・庄内地方そのままの料理だ。何も写真に撮るからと意識的に作らせたものではない。夫婦共に庄内出身であり、結婚当初から大して進歩も向上もしな い歴史が止まったような、いつもの食卓だ。

 両親が元気で同居していた頃は、よく、「おめだは田舎より、田舎臭いもの食べてるの。」などと言われたものだ。もし、田舎くさい料理を無意識のうちに食べているとしたら、子供の頃から体が覚えている健康志向がそうさせているものと思う。

 このブログには、以前、「もって菊」のおひたしの要領を掲載したので、今回は“なすごんげ”のことを載せたい。あまりにも簡単でレシピを記載するほどのことはない、数分で納得行く一品を作ることができる。

【なすごんげのレシピ】
茄子数本 油、味噌大さじ1、日本酒・みりん各大さじ1、大葉数枚
■茄子は皮をむき、細長く切り、水にさらす。
■フライパンに油を入れ、茄子を柔らかくなるまで炒める。
■次に、酒・みりん・味噌の調味料を全体になじませる。
■色が付いたら、千切りしてある大葉を加えて出来上がり。

ついでに【食用菊のレシピ】 も追記。
■菊の花びらからヘタをちぎって離す、軽く水洗い。
■大き目の鍋に、水が沸騰したら菊を入れる。
■しんなりしたら、酢を少々加える。色が鮮やかになる。
■茹で時間は、1分以内、数回かき混ぜたらザルにあげる。
■ザルに移して、水気を切る。
■食べるときは適当量を皿に盛り、しょうが醤油か酢醤油をかける。Dscn3593
 この食用菊には、発ガン抑制、コレステロールの低下、中性脂肪を低下させるなどの効果があるという。下段写真の食用菊は約1キロある。茹でたあと冷凍しておくと、相当期間保存がきくようだ。花びらとヘタを離すのは私の仕事だ。

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2009年9月15日 (火曜日)

写真家・土門拳のこと

 生涯真実を追究し続け、完全主義者としても知られる世界的な写真家“土門拳”は酒田生まれです。

 拳6歳当時、一家で東京に転居、更に2年後神奈川に移住し、神奈川二中(現・横浜翠嵐高校)を卒業しています。51歳で右半身が不自由になってからも70歳まで、全国を行脚し大型カメラを使い左手だけで撮影を続けていました。生前、作品約7万点を酒田に寄贈したことから、1983年、 世界に例がない写真専門の美術館“土門拳記念館”がオープンしている。

 自然光にこだわり真夜中の撮影でも一切人工照明を使わず、なんど失敗してもめげずに撮影を成功させたなど数々の逸話が残っている。今年は生誕100年特Photo別企画として、酒田市の土門拳記念館において、8月27日~10月28日 まで、写真展「日本の自画像」写真が描く1945-1964が開催されています。「土門拳記念館」998-0055酒田市飯森山2-13   電話0234-31-0028Photo_2

土門拳の経歴
1909年(明治42年)10月25日、山形県飽海郡酒田町(現・酒田市相生町)に父熊造、母とみえの長男として生まれる。幼少時代に父が北海道に働きに出、母は看護婦となり、祖父母のもとで育つ。
1916年一家で東京へ移住。(拳、6歳当時)
1917年麻布区飯倉小学校に入学。
1918年一家で横浜市磯子区へ移転、磯子小学校へ編入。
1921年一家で同市の神奈川区へ移転、二ッ谷小学校へ編入。
1928年旧制神奈川県立第二中学校(現・神奈川県立横浜翠嵐高)卒業。
1929年三味線に熱中し、常盤津の師匠に弟子入りする。
1932年農民運動に参加し、検挙される。
1933年遠縁の宮内幸太郎の写真場に内弟子として入り写真の基礎を学ぶ。
1974年(昭和49年)酒田名誉市民第1号に選ばれた。
1983年土門拳記念館オープン
1990年9月15日心不全により死去、享年92歳。

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2009年9月13日 (日曜日)

漫画家・佐藤タカヒロの紹介

佐藤タカヒロ(漫画家)山形県酒田市出身/酒田市在住/仙台デザイン専門学02校OB 

 青春柔道漫画「いっぽん!」に続いて、相撲漫画「バチバチ」が「少年チャンピオン(秋田書店)」で連載を開始した。佐藤先生は2000年に、週間少年チャンピオン新人まんが賞準入選を受賞。その後2004年から同誌から「いっぽん!」を連載し人気作品となった。

 「バチバチ」は、主人公「鮫島鯉太郎(さめじまこいたろう)」が、父親の仇、虎城部屋の親方や「横綱」に喧嘩を売るストーリーだ。

 話の始まりは、庄内・酒田にやってきた大相撲の地方巡業。そこ125239841209616114759_bati0_2は序二段の力士が観客と相撲を取るイベントを催していた。序二段でも誰も歯が立たない強さに観客は驚くが、一人の少年がその流れを一変した。「鮫島鯉太郎」の登場だ。張り手一閃!瞬殺で勝利を決めてしまう!。鮫島鯉太郎の正体はいかに。角界の神を目指す「バチバチ」は骨のある作品だ、間違いなく面白い。

 佐藤タカヒロ先生は、酒田市内に在住しながら、漫画家を続けている方ですが、今後、 益々の活躍が期待されます。

 

 なお、酒田市の比較的近くでは新庄市出身の、「幽☆遊☆白書」作者・冨樫義博F0036106_539565(とがしよしひろ)が知られている。
冨樫義博の奥さんは、「美少女戦士セーラームーン」の作者・武内直子だ。

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2009年9月12日 (土曜日)

健康管理に特別な方法はない!

 信頼できる健康に関する本に、「健康を保つために何か特別な方法や薬があるかといえば、その殆どがイカサマか、効果があっても特殊例です。万人に通用する健康法は、なんともない日常生活を、いかに自己管理するかということです。」とある。Shusyoku

 健康に関するウンチクは、人の数だけあるといわれ、人それぞれ自信をもって語ってくれるが、その体型はメタボだったり、持病持ちだったりして今一つ説得力を欠く方もいる。話に一応は耳を傾けるが、私は「健康管理に特別な方法は一切ない」という、本から受け売りの持論を貫いている。それは、日常の適度の「運動」とバランスのとれた「食事」を腹八分目で食べていれば、それほど病気はしないはずという自信からだ。

 自分が成長期だった昭和30年から40年代は、貧しいながらも実にバランスの良い食生活をしていたと思う。
 それが、急速に豊かで便利になり、自分自身も収入面で困らなくなると、最初に乱れたのが食生活だった。「何処の店は何が旨い」などの情報につられては良く出かけたものだ。近年は「飽食の時代」といわれ、食べ物が有り余り、何時でも、何処でも簡単に美味いと言われる食べ物を手に入れることができる。
 そして、「金さえあれば一番簡単に欲求を満たすことが出来るのは食欲」と言われるとおり、現代日本人には、食べすぎ、栄養の偏り、不規則な食生活、肥満や痩せ過ぎ、生活習慣病の増加、食の海外への依存、食の安全等の多くの問題が派生している。美食は、ゆっくりとした自殺行為とも言われている。

このような格言がある。
■「たいていの人は、剣によるよりも、飲み過ぎ、食い過ぎによって殺される。」オスラー
■「君がどんなものを食べているかを言って見たまえ。君がどんなであるかを言ってみせよう。」サヴァラン
■「私は生きんがため、奉仕せんがために食べるし、またたまたま楽しむために食べることがあっても、享楽のために食べるものではない。」ガンジー

  それぞれの格言は、大量生産、大量輸入、大量販売、大量消費、大量廃棄のパターンが、ぴったり当てはまる多くの現代日本人への警告ではなかろうか。このまま、食べ物を粗末にしていては、いつかバチが当たるだろう。いや、すでに当たっているのかも知れない。「米は一粒も粗末にするな、もったいない」と言われた頃が懐かしい。

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2009年9月10日 (木曜日)

桃栗3年 柿8年 梨の大馬鹿18年

 その土地でしか育たない農産物や特産品には、それなりの条件が揃っている。

 山形県内の世間に知られた特産として、さくらんぼ、紅花、スイカ、メロン、ホップ、だだちゃ豆、赤カブ、飼料米などがある。これらの特産物が、その地域で採れるものだけが評価される理由は、その土地の気候もあるが、一番影響するのは土壌だと言われている。
 例えば、さくらんぼと聞くと、山形県なら何処でも採れるような印象を受けるが、実際は東根、天童、寒河江、河北界隈の特産だし、紅花は最上地方や白鷹あたり、ビールの原料となるホップは白鷹町界隈、スイカは尾花沢や庄内砂丘、メロンは庄内砂丘メロンが有名だ。そして、だだちゃ豆は鶴岡市白山地区、赤カブは鶴岡市温海一霞(ひとかすみ)地区、梨は酒田市刈屋、最近では遊佐町の飼料米が平田牧場(通称・ひらぼく)の豚の餌として脚光を浴びている。

  「だだちゃ豆」に多少詳しく触れると、鶴岡市の「白山地区」では、先祖代々の門外不出の種子で栽培しているというが、白山地区の「砂壌地」が豆が成長する際に豆の根につく「根粒菌」が関係していているという。
 そのため、「だだちゃ豆」が鶴岡市以外では栽培されないのはこのためだ。実際、鶴岡市近隣で栽培されただだちゃ豆であっても、ただの茶豆になってしまうから面白い。Ca1ff5hv
 私は、かつて郷里から東京の土地に、梨やさくらんぼ、柿の苗木を運び植えたが 、梨は生長せず、さくらんぼはただの桜の木に、成功したのは 百目(ひゃくめ)柿だけだった。せっかく旨く出来た柿なのに、女房、子供は見向きもせず、せっせと食するのは自分とカラスだけだ。最も柿は何処でも育つ性質らしく、特別のことではないと知ったのは最近だ。徒労だった。

 先般、「刈屋の梨」に触れたが、実がなるまでは大変な歳月を要している。『桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く、梅は酸い酸い十三年、梨の大馬鹿十八年』と、果樹の生育にたとえて、物事は成し遂げるには時間がかかることを教えている。特産物は、気候、土壌などの基本的条件のほかに、その土地に長年培われた秘訣と努力の賜物である。
  ちなみに、『桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く、梅は酸い酸い十三年、梨の大馬鹿十八年』の後には、「女房の不作は60年、亭主の不作はこれまた一生、あーこりゃこりゃ」だそうだ。今ひとつ、納得できないフレーズだ。

 百目柿の写真は我が家の今現在のものだ。

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2009年9月 9日 (水曜日)

刈屋の梨はブナが育てている

 郷里から「刈屋の梨」が、実家、親戚、友人ら4か所から届いた。冷蔵庫に入りきれない程の量だ。糖度が高く甘い香りに、ジューシーさが人Nashibako気の「刈屋の梨」は日本一のブランド梨と思う。旨さの秘密は、鳥海山の恵みともいえる肥沃な土とミネラル(mineral)をたっぷり含んだ水質の良さだ。

 山形県酒田市豊川(通称・刈屋)は、明治初期かCao8vbf2ら梨栽培を始めていたが、旨い梨が育つ地域として、私が郷里にいた頃から知られたところだ。現在では44軒の農家が、約35ヘクタールの梨畑で栽培しているという。この地は、鳥海山を源とする日向川(にっこうがわ)と荒瀬川の合流地点にあり、雪解け水でよく氾濫し、その氾濫水が梨栽培に適した肥沃な土壌を運んできた。つまり、鳥海山の雪解け水がブナ林に蓄えられたミネラル(mineral)豊富な水を運び、美味しい梨を育てていることになる。C0061761_1232737
 付け加えると、この地域は梨の旨さだけではない。コメ、野菜、果物などの農産物から、山菜、近海魚、岩牡蠣などの貝類、地酒等も、全て鳥海山のブナに蓄えられたミネラル(mineral)豊富な湧水が育んでいるのだ。そして何より忘れてならないのは、この地で普通に生活し、これらを食している人間も、ブナに蓄えられたミネラル豊富な水によって育まれていることを・・・・・。 Agariko6ss

  同じ職場に、「鳥海山のブナ保存会」なる会に加わっている同僚がいて、年に幾度も出向いているという。私がその近くの出身と知り、ブナのことを熱く語り始めた。
 縄文の時代から続く人間とブナとの深い関わり、ブナの絶滅は動植物の絶滅に限らず人間の絶滅につながること、薪や炭の材料のため切られた枝の切り口が一種のカルス(治傷組織)となりコブ状に変形して生長する「アガリコ大王」のこと等々・・。
 その道に深入りした人は実に詳しい。

  四手井綱英(1911年11月30日~、日本の森林生態学者。京都大学名誉教授。京都府立大学名誉教授)は、「ブナ帯文化」という本の中で、次のように書いている。

「ブナ帯文化」から抜粋
「私が1937年(昭和12年)の春、最初に就職したのは、山林局の秋田営林署局であった。秋田に着いて辞令を貰って早々、下宿も何も準備していないのに、その日のうちに本荘営林署にやられた。今でこそ二営林署(本荘、矢島)に分かれているが、当時の本荘営林署は鳥海山から海岸の黒松砂防林を含む広大な面積を担当する営林署であった。(中略)平野部や山裾には暖温帯性の落葉広葉樹林と言われるクヌギ、アベマキの林やケヤキの大木も残っているが、ほんの少し山地に入れば、そこは世界の北半球冷温帯特有のブナを主として、ミズナラのの混じった森林が広く分布しているのである。このブナ林は鳥海山腹をくまなく覆っていたと言ってよい。山裾はいわゆる里山で、薪炭の生産のため二次林化したり、採草地化した所も多かったが少し奥地へ入るとヘクタール当たり数百立方メートルにもなるブナの原生密林もあり、疎立した大木林もあった。(中略)出羽山地に属する、鳥海、月山、飯豊の諸山には亜高帯の針葉樹林を欠き、ブナ森林限界を形づくり、いわゆる偽高山帯には実に素晴らしいブナの美林が当時は存在していたのである。」 

東日本のブナ帯文化 「水を作るのは豊かなブナ森林である」ことをあらためて学んだ。刈屋の梨が、あまりにも旨いので、その理由を知るために、つい深入りしてしまった。

箱には刈屋の梨の産地紹介があったので、ここに掲載しておく。

伊藤なし園http://www.inetshonai.or.jp/~marufuku/index.htm

三浦八右ェ門http://8nashi.nsf.tc/f.htm

おいしい山形ホームページhttp://www.yamagata.nmai.org/crops/umaimono/fruit/pear.html

下の地図が刈屋界隈(写真を摘むと動きます)

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2009年9月 8日 (火曜日)

ダイエット 動機づけ支援

 同僚女性がメタボ検診に引っかかったからと、ある保険会社に呼び出され、ダイエットの動機づけ講習を受けてきた。職場に戻ると、講習の御土産にもらってきImg01た、万歩計、巻尺、ダイエット計画表などを周りに見せて笑いをとっていた。この女性は、年齢は40歳前後で、子供も三人生み、すっかり母、主婦としての貫録をつけ体型もそれなりの方である。自分でも、「だんなに相撲のまわしが似合うようになったと言われた。」などと、笑いをとることもあるので、全てを理解しているのであろう。それでも、動機づけ指導の後は、三階の部屋まで階段を利用している姿を良くみかけるようになったし、最寄り駅まで「歩いて通勤しようか」などとと話している。また、来年の今頃はダイエットに成功し、男の人が振返るようになるのでは、と余計な心配をしている。

 私は、原因と結果が外見(姿・形)にハッキリ現れることの一つに、その人の健康状態や体型があると思っている。だからと言って、これをズバリと指摘することは厳しいものがある。中高年になると、高血圧、糖尿病など健康を害している方々はあまりにも多いし、体型に触れることはセクハラにつながるからだ。
 さて、今ひとつ理解できないのが、メタボ検診後のダイエットの動機づけ指導が、なぜ保険会社なのかということだ。国民の一人ひとりの健康状態は、保険会社としては保険金の支払い額に影響するであろうことは理解できる。それとも、この動機づけ講習も利益の一環として、各企業や団体と契約し、メタボ撃退方法の売り込みにも力を入れているのであうか。

■動機付け支援では、次のような指導を受けて来たようだ。
1 自分の健康状態を理解する。(中性脂肪、血糖、肝機能等)
2 心臓や脳の病気、糖尿病の合併症は減量で予防できる。
3 10年後も健康でいることの大切さを想像させる。
4 体重減量の具体的な目標をたてる。
5  1か月で脂肪1kgを減量するための作戦を立てる。
6 体重の増加と関連する自身の生活状況を振り返る。
7 実現可能な行動目標を立て、周囲の協力と理解を得る。
8 6ヵ月後に保健指導者から連絡があり、体重、腹囲、生活習慣の状況などのを確認する。

このダイエットには、上司の私も協力せざるを得ないのか。まあ、それはさて置き、これらのことは参考にしようと思う。

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2009年9月 6日 (日曜日)

山形3区 代議士3人同時誕生

 郷里・庄内、山形3区から衆議院議員総選挙で代議士3人が同時に誕生した。同一選挙区から、3人の誕生は小選挙区制の現在では、とても珍しいことなので紹06_2介しておきたい。

 平成21年8月30日に行われた、第45回衆議院議員総選挙の開票の結果、山形3区では、自民党の加藤紘一氏が13回目の当選。小選挙区では負けたが、社民党新人の吉泉秀男氏が比例代表東北ブロックで復活。民主党比例単独候補の和嶋未希氏も初当選し、山形3区から一気に3人の代議士が誕生した。他の選挙区のことは良く知らないが、同じ選挙区から3人も同時誕生とは珍しいことだろう。地元でも「3人の国会議員誕生は地域の発展にプラスとなる。」と期待が高まっているという。3人の経歴をネットで拾うと、

加藤紘一氏 昭和14年6月17日生(70) 鶴岡市出身、自民党元幹事長、国会 初当選年   1972、衆議院:13回目、東京大学法学部卒、政党での経歴 1994/07、自由民主党政調会長、1995/10 自由民主党幹事長 、内閣での経歴 1978/12内閣官房副長官、1984/11 防衛庁長官、1991/11 内閣官房長官。Canvas_2

吉泉秀男氏 昭和23年7月28日生(61)余目町(現、庄内町)出身、社民党の新人、県立酒田商業高校を卒業後、余目町役場に採用される。97年に山形県議に初当選し3期務めた。庄内いきいき農業研究会顧問。日本空手協会山形県本部顧問。

和嶋未希(わじまみき)氏 昭和47年5月30日生(37)酒田市の農家出身、民主党新人。酒田市立亀 城小学校、酒田市立第三中学校、県立酒田東高等学校卒業。平成7年、日本大学芸術学部放送学科卒業。平成7~14年、酒田市の企画制作会社に勤務。平成15年4月13日県議会議員選挙で酒田市選挙区よりトップ当選。山形県議会唯一の女性議員として活躍。農林水産常任副委員長、厚生文化常任委員長を歴任。平成19年4月8日、酒田市・飽海郡選挙区より二期目のトップ当選。

山形県の他選挙区当選者も紹介すると、
一区、民主党の鹿野道彦氏、比例復活の自民党 遠藤利明氏
二区、民主党の近藤洋介氏
三区は上記の3名であり、合わせて6名の代議士が誕生した。特に、三区出身の皆さんには、地元の声を国政に反映をして欲しいと期待されているが、長年、庄内の独断場であった加藤氏の実績を見れば、簡単ではないことは納得できるであろう。

 因みに、衆議院議員『総選挙』とは、国会議員のうち衆議院議員を選ぶための選挙であ り、参議院議員『通常選挙』とは、国会議員のうち参議院議員を選ぶため選挙である。また、国民の代表としての衆議院議員のことを、敬意と親しみを込めて代議士と呼ぶ。今では、すべての国会議員が「全国民を代表」(43条1項)する民選議員であるが、今日でも衆議院議員を指して代議士と呼び、参議院議員は一般に代議士と呼ばない。テレビのアナウンサーやコメンティターらも言い間違えているときがある。

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 市町村別の投票結果も掲載するが、どの地域は、何党が強いか、誰が強いのか弱いのか。候補者の出身地ではどうか、などを分析することができる。ただ、候補者の支持母体のことまでは知識も情報もないので、これ以上のコメントは控える。

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2009年9月 4日 (金曜日)

その言葉でダブル・ダメージ!

21810  単身赴任中の息子が久しぶりに帰宅した。

 子供達には幼少時からジーンズをはかせていたこともあり、成長した今では家族全員がジーンズ党だ。今日は私も息子もジーンズをはいているが、息子は膝あたりに何カ所か穴があいた、よく言うダメージジーンズ、或いはクラッシュジーンズをはいている。

 息子は幼い頃、電車の中で向かいに座った若い男のジーンズの膝あたりに、大きな穴が開いているのを見つけ、声を出して「お母さん穴が開いているよ」と指さし、にらまれたことを聞いたことを思い出した。それが今、自分もはいているのだから世話ないことだ。

 私も、「いいのはいているじゃないか」と声をかけると、「こうなっているのは高いんだよ。自分でやれば無料だ。ヤスリを使うんだ。」と言う。私もジーンズは10本以上持っており、最近はいてないものに、このダメージを入れてみようとタンスの奥から持ち出してきた。

 粗めのヤスリを工具箱から出して、息子のジーンズの穴ぐあいを見ながら、ベランダでジーンズにヤスリを当てて2~3箇所にダメージを入れていると、女房殿が突然、「いい年して、ダメージ入れる必要ないでしょう。もう何本も足にダメージが入っているのに。」と傷つくことを平気で言う。

 まず、この言葉の裏事情を説明する必要がある。

 私の足には、両足のアキレス腱切断や、膝骨折の際の手術痕が何本か入っていて、妻はこれを指摘しているのだが、若い頃のダメージ(傷)は今も消えることなくシッカリ残っていて、時折眺めては、これ以上怪我をしないこと、また健康管理の重要性を感じているのだ。

 そう思っていることもあり、女房の一声は、私の心に更に軽いダメージ(傷)となって響いたのだ。

 今回は途中で止めたものの、それでも、ジーンズには中途半端ながら数本のダメージが入り、気に入ってはいている。隙を見て、ジーンズにはもっと格好良くダメージを入れるぞ。

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2009年9月 3日 (木曜日)

のりピーの逃走経路と逮捕後の流れ

 酒井法子容疑者 昭和46年(1971年)2月14日生まれ(38)、血液型B型、住所:港区南青山2丁目 青山ザタPhoto_4ワー、出身:福岡県福岡市、一時、奥田法子として小2まで入間小、小5~入間野小、小6の3学期に帰郷、福岡市立大名小学校を卒業。
 酒井法子容疑者は、夫の逮捕現場(渋谷)から行方をくらました8月3日(月)未明から8日(土)までの逃走経路は、酒井容疑者の記憶が鮮明でない部分も多く、捜査にあたっている警視庁組織犯罪対策5課は、立ち寄った場所の順番や詳しい場所など、慎重に調べを進めている。という。

 東大和市内のマンションに二泊した際、公衆電話で子供の安否を確認したというが、同マンション前には今どき珍しい箱形の電話ボックスがある。ただ、この電話ボックスを使用したかは不明。おせっかいながら、現在までの情報を整理してみると。Photo_3

■7月20~30日鹿児島・奄美大島に家族旅行中にも、覚せい剤を使用していた疑いがある。
■8月1~2日千葉県勝浦の「ピンクハウス」と呼ばれる別荘で夫婦一緒に過ごす。ここでも覚せい剤を使用していた疑いあり。子供は林間学校中で行ってないと供述。
■8月3日(月)未明 夫・高相祐一容疑者(41)を渋谷の繁華街で逮捕・・・酒井法子逃走劇開始。都内のATMで逃走資金を引き出し衣類などを購入。山梨県身延町、継母の実家に一泊?携帯の電波が身延町でキャッチされる。
■8月4日~5日 山梨から東大和市内へ移動する。同市内の知人所有のマンションで2泊?
■8月5日 何処かの公衆電話から長男(10)を預けていた知人に、「子供の声を聞かせてほしい」と電話。            
■8月6日~7日 箱根仙石原の知人の別荘で2泊?
■8月8日、箱根・強羅の知人別荘から東京へ午後8時前、警視庁富坂分庁舎へ出頭。その後、警視庁渋谷警察署に移され簡単な取り調べ。さらに同日、女性の留置施設がある警視庁湾岸警察署の留置施設に移送。          Photo_6                         ■8月19日、酒井法子の勾留期限は19日までだったが、東京地裁は勾留期間を8月28日まで延長。                                                                           ■8月28日、酒井被告は覚せい剤所持の罪で起訴。警視庁湾岸警察署の留置施設で瀬戸内寂聴さんの本などを読んでいる。
■8月28日、所属事務所の「サンミュージックプロダクション」(新宿区)は酒井被告の契約を解除し解雇したことを発表。
■9月2日、東京地裁は高相祐一容疑者(41)の勾留延長を決める。延長期間は11日までの9日間。
■9月1日午前、湾岸署を訪れた義理の母親と接見した。
■9月1日、長男が通う港区の小学校で始業式が行われたが、長男は欠席した。
■9月3日、酒井容疑者の初公判は10月26日に決まると報道。
■10月26日、初公判
■11月9日、懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)の判決。

下段の写真は「青山ザ・タワー」付近

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2009年9月 1日 (火曜日)

庄内砂丘産 ニンニク

  郷里からニンニクが送られてきたので、庄内産ニンニクのことを紹介する。

 山形県の日本海に面した殆どは「庄内砂丘」と呼ばれ、長さ35キロメートル、面積は約55平方キロメートルもある。この砂丘は、長さは日本一、面積は日本第二を誇り、鳥取砂丘、鹿児島県薩摩半島の上浜砂丘とともに日本三大砂丘のひとつだということは、余り知られていない。Photo

 砂丘地の特性は、水はけが良く、日中は猛暑、夜間は涼しくなるという寒暖差が、メロンやスイカ、イチゴ、モモなどの栽培に適していることは全国的に知られている。しかし、ニンニク栽培の隠れた産地であることは、砂丘のこと同様に知られていない(本当は教えたくない)。

 今日は、この庄内産ニンニクが相当量手に入ったので、今晩の料理は、カツオ刺の薬味には生のまますりおろして、また、一粒毎天ぷらにとスタミナ料理一色だ。
ニンニクは青森県田子町産が最も有名だが、庄内産も青森に負けない形の良さと味である。いつの日か、全国デビューの日もあることだろう。Ninniku
 せっかくなので、本棚にある「知的食事学入門」(中村丁次著)のニンニク関連の項目を調べると、食べ始められたのは、4千年以上前に建築されたピラミッドの中に記されていることから、労働者のスタミナ源になったといわれている。日本では「蒜(ひる)」と日本書記に出てくるという。

 ニンニクの強壮滋養効果としては、ニンニクに含まれているアリインという物質がアリナテーゼという酵素の作用を受けてアリシンになり、それがビタミンB1と結合し、アリチアミンという活性ビタミンB1(アリナミンの主成分)となり、生体での作用が優れているビタミンB1になるという。Katuo

 このビタミンB1は、米やパン、砂糖などがエネルギーに変換するのを助ける栄養素で、脳の中枢神経や手足の末梢神経に対してもビタミンB1は作用し、機能の正常化や心臓機能を保護し、さらに、筋肉疲労を防止したり、疲労を癒す効果があるという。

いずれしても、ニンニクと他の食べ物がプラスしてビタミンB1に変化し、より一層の強壮効果が出るようだ。なかなか難しい説明だが、いずれにしても我が家では当分の間は、このウンチクをネタにして、ニンニク料理が楽しめそうだ。

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