2017年4月27日 (木曜日)

日本の北朝鮮認識は甘すぎる

 朝鮮半島情勢が緊迫していますが、4月26日の国会では、朝Image1鮮半島情勢を学ぶため、関西大学経済学部教授(北朝鮮経済論専攻)の李英和教授ら3人の参考人が、参議院「国際経済・外交に関する調査会」で証言しています。特に、李英和教授は「目から鱗が落ちる」状態の北朝鮮情勢を語っています。
 パキスタンの核の先生は北朝鮮、シリアのサリンは北朝鮮が使わせたもの、北朝鮮の核は北京にも標準を合わせたなど、マスコミ報道では聞けない厳しい現状を証言しています。
【国会】在日3世・李英和教授「北朝鮮の復興援助は韓国・米国で無く日本がしなければならない!」「金正恩の核実験の中止に意味はあるニカ?」
  https://youtu.be/PAUbtx6eS2k

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2017年4月17日 (月曜日)

国会で北鮮問題質疑が少ないのは

 今日17日はテロ等準備罪に関する質疑も多少はやっているようですが、国民からは「国会で森友ばかりやってないで北朝鮮問題を000yosan2_1シッカリやれ」との声が上がっているのにナゼ改めないのでしょうか。ここ数カ月、森友学園問題が国会の予算委員会で長々と取り上げられるのは、国家を揺るがすほどの大事件だからなのか、それとも登場人物のキャラからなのでしょうか。昨今は北朝鮮問題の他に、南スーダン、テロ等準備罪、天皇陛下の生前退位などの重要案件が軒並みと思われるのに、これらに意識的に触れたくないのでしょうか。
 これは、触れない野党に責任があるのか、与党側に問題があるのか・・・
■「国会は野党のため」にある。
  自民党は政府とほぼ意見をすり合わせているので、国会での自民党の質問は形式的なものになりがちで、時には政府の応援質問になりがちです。そこで、与野党が対立する法案審議では、野党側に自民党の質問時間を融通してあげているのです。
予算委員会は委員会の花形
 予算委員会は他の委員会と違う点は、NHKがテレビ中継を行うことから、バラエティ番組の様相を呈することになっています。よって、内閣の不祥事や批判、揚げ足取りなどの低レベルの戦略がとられるようになった。
予算委員会には首相が出席するから
  衆・参議院の常任委員会には、内閣、総務、法務、外交防衛、財政金融、文教科学、厚生労働、農林水産、経済産業、国土交通、環境、国家基本政策、予算、決算、行政監視、議院運営及び懲罰の17の委員会があり、議員は少なくとも一つの常任委員だそうですが、首相が出る委員会は基本的に予算委員会だとされ、よって注目されていることから、どの国会議員も張り切るそうです。
安全保障問題に強い議員が少ない
 とにかく、野党陣営に安全保障も語れる国会議員が少ないことが、決定的原因と言われています。選挙においては、野党陣営からの立候補者が、日本の防衛問題を声高に上げても当選しないことから、自ずと野党に安全保障に強い議員が少ないことが、質問も少なくなる遠因と思われています。精々、共産党議員が共産圏寄りの立場から、日本やアメリカを牽制する意味で行われることが目立つ程度です。

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2017年4月 5日 (水曜日)

民進は社民と同様に消える運命?

 昨今の情勢からすると、民進党は社民党と同様に消え去る運命な201745_のでしょうか。
 「社会党→社民党」の土井たか子は「だめなものはだめ」「やるっきゃない」などの勇ましい言葉で自民への攻勢を強め、1989年7月の都議選で議席3倍増、同月の参院選では改選議席を倍増させて、「マドンナブーム」と呼ばれましたが、2003年の秘書給与詐欺事件で辻元清美前議員や土井氏の元政策秘書も共犯容疑で逮捕。同じ頃、北朝鮮による拉致問題が発覚し、北朝鮮寄り政策が批判され、社民党は6議席と低迷し土井氏は党首を辞任。更に2005年9月の衆院総選挙で比例近畿ブロックで立候補しても落選し議席を失っていました。当時、社会主義を取り巻く情勢も一変し、1989年の「ベルリンの壁」崩壊、更にソ連崩壊(1991年)からクレムリン秘密文書が公開され、社会党がソ連から資金援助を得ていたことが判明したことも決定的なダメージとなっていました。
 「民主党→民進党」も「社会党→社民党」に似た情勢が重なっています。2009年、あれだけ大きな国民の期待を受けて誕生した民主党政権も全くの期待外れで、昨年、民進党と名前を変えたものの、もはや存在価値は無いと国民に思われています。党首・蓮舫代表の「ウソつき二重国籍」問題は重大で、台湾国籍に固執し「生まれながらに日本国籍」「18歳で日本国籍を取得した」「17歳で台湾籍を放棄した」「18歳で放棄した」「正確な状況がわからない」などと二転三転させています。また、辻元清美議員も森友問題では、「野田中央の土地価格操作」など「3つの『疑惑』」が指摘され、「籠を突いたら辻元が出た」などと揶揄され表に出れない状況です。昨今の朝鮮半島情勢は、南北ともに崩壊直前のような様相にあり、「民進党」が頼りとする朝鮮総連や韓国政府からの支援も有利に動く情勢にありません。よって、在日に参政権を与える外国人参政権問題、慰安婦問題なども棚上げにされるはずで、「民主党→民進党」の存在価値も消滅寸前と見られています。

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2017年4月 1日 (土曜日)

韓国の歴代大統領は憐れな末路です

  韓国歴代大統領の哀れな末路に関心が持たれていますが、なんと、1Image02790人中8人が亡命、失脚、死刑判決、懲役刑判決、自殺しているというから異常です。
 これは、どのような背景があるのでしょうか。
 それは、韓国社会は巨大な血縁集団で縁故主義の国だからだと言われています。韓国人同士が最初に人に会う時には、まず相手の姓名と本貫(ポングアン)を聞くそうです。理由は、相手が自分と血縁的に近いのか遠いのかを知るためであり、相手の正体が解るまで油断しないということからだそうです。
 決して仲がいい国民ではないのです。
 いや国民同士が元々が仲が悪いとされ、それは近年まで属国だった朝鮮半島の歴史を、少し勉強すれば理解できるはずです。特に、旧百済地区(忠清、全羅)と旧新羅地区(慶尚)は仲が悪いことで知られています。つまり、朝鮮半島は、今も高句麗新羅百済の三国時代の影響が強く残っており、違う国の集まりと見ることが出来るそうです。よく聞きます「本貫(ポングアン)」とは、その宗族の発祥の地を表すもので、姓名が同じ「金(キム)」でも、本貫が異なることがあります。
 有名なところでは、安東金(アンドンキム)、金海金(キメキム)、義城金(ウィルソンキム)、慶州金(キョンジュキム)、他には密陽朴(ミリアンパク)、慶州李(キョンジュイ)などがあります。00000e0171
 要するに、韓国人は同姓同本の宗族を巨大な血縁集団であり、この考えから、同姓同本不結婚の原則があり、男女が知合いになると、同姓同本か否かにより、相手と親戚としてか、恋人そして結婚に発展するかが決まるのだそうです。この血縁集団がハッキリと分かるのは、新大統領が誕生すると、内閣をはじめ、側近の多くは血縁・同郷・同学を配して足元を固めることになるそうで、つまり、血縁以外は信用出来ない国民性のようです。この弊害が更に表面化するのが、大統領引退後の末路をみれば分かることで、大統領自身や家族、側近の金銭疑惑など不正事件が、次の政権によって容赦なく暴かれ、逮捕、自殺など不幸な末路を迎えることが常識化しているのです。
韓国歴代大統領憐れな末路の理由?: 多摩湖畔日誌2012年8月30日 (木曜日)

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2017年3月31日 (金曜日)

籠池の弁護士も逃げ出すほどの虚言癖

 このページは、下段のブログからコピペして拡散したいと思います。
■「2017-03-24 中杉弘の徒然日記 」で
 http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12258979674.html
 籠池は日本人ではない可能性がある(在日か!?)
 森友学園の籠池という人物は名前を3つくらい使っています。通名だから3つ使っているのでしょう。今、話題の森友学園の話です。僕の本音は「いい加減にしてもらいたい」ということです。ここで言っておかなければいけない大事なことがあります。僕のブログに書き込みしてくれた人がいます。
籠池の弁護士も逃げ出すほどの、籠池の虚言癖
昭和天皇が森友学園に来園した→ ウソ (宮内庁が否定)
安倍首相が森友学園に来園した→ ウソ
・財務局から10日間身を隠してくれと言われた→ ウソ(その電話を受けたとされる顧問弁護士は否定し辞任)
・安倍首相と政治家たちの居酒屋会談で会った→ ウソ(発信元は民進会派の舟山議員と日刊ゲンダイ)
・稲田大臣と感謝状贈呈式で会った→ ウソ(発信元の赤旗が籠池は式に出席してなかったと後日謝罪)
・麻生大臣と2回会った→ ウソ
・大阪府に提出した契約書→ ウソ
・国交省に提出した契約書→ ウソ
・関西エアポートに提出した契約書→ ウソ
・籠池は総務省に入省した→ ウソ
・籠池は関西大学法学部卒→ ウソ
・竹田恒泰から森友学園が推薦された→ ウソ(竹田は推薦を断ったのに捏造推薦文と写真を勝手にHPに載せられた)
・無断で安倍首相の名前を使って寄付を集める
・籠池は3つの通名を使い分けた
・安倍さんから寄付を受けた→ 寄付金名簿に名前無し
・安倍晋三記念小学校という名称は安倍から許可された → ウソ
・認可申請書では入学希望者は45人→ ウソ(実際は5人)
・籠池泰典の名刺には「日本会議大阪代表→ ウソ(平成22年に退会)
コピペ 2017-03-21 12:03:47
 1つや2つのウソはありますが、すべてウソです。こんな人間がいるのです。これだけウソをついている人間は普通ではありません。虚言症の病気です。籠池が「日本人である」ということも多分ウソです。このやり方は朝鮮人です。みんなウソなのですから、「日本人である」ということもウソに違いありません。関西大学法学部卒業だと言っていますが、それもウソです。これは多分、誰かが調べたのでしょう。「お前、関西大学の法学部にはいなかったではないか」と言われると「間違えました。商学部でした」と、多分、このようなウソをついたのです。恐ろしいウソつきです。このウソつきが教育勅語を児童に教えたというのでしょうか? 大馬鹿野郎です。教育勅語のどこに「ウソをつけ」と言っているのでしょうか。教育勅語は「ウソはいけない」ということを教えています。

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2017年3月29日 (水曜日)

原爆を使用できない兵器にした天皇

 核兵器を使用できない兵器にしたのは、昭和天皇が「終戦の詔勅で、「敵は原爆という残虐な兵器を使って、罪のない人々を殺傷しはじめた。2017329imageこれはどれほどの災禍が及ぶかわからない。このまま戦争を続ければ、日本という国はなくなってしまうだろう。さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。そこで私はポツダム宣言を受け入れて(まだ負けていない)戦争を終結することに決めた。」と内外に示したことが、以後の戦争で核兵器を使用出来ない兵器にした最大の要因と見ています。
 ところで3月27日、核兵器を法的に禁止する条約制定を目指す交渉が国連本部で開始されたのに、核兵器の保有国は参加せず、被爆国として核廃絶を訴えてきた日本も参加しないそうです。
 交渉に参加しない米国のヘイリー国連大使は、「北朝鮮がこの条約に同意すると信じる人がいるだろうか」と述べ、核兵器を放棄できない姿勢を強調しています。
 しかし、禁止条約締結や参加しない核保有国の立場より、昭和天皇の核兵器使用への危惧を示した、「人類文明そのものを破滅させるにちがいない」と語った言葉の方が、より偉大で効果があると思っています。
 ところで、アメリカは東京大空襲をはじめ、広島・長崎に原爆を投下し、国際法で禁じられている民間Photo人を大量に殺戮した重大な戦争犯罪国家であることは明白であり、東京裁判ではアメリカが犯した重大な罪を、日本に戦争責任を押し付けたい意図があったことも忘れてはならないことです。
■8分半で自虐史観がとける魔法の動画(Another Version)
 https://youtu.be/LNmBFR1oMtw.

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2017年3月28日 (火曜日)

民進党は関西の地雷に触れた

 大阪の松井一郎知事が、「メディアの皆さんは、民進党の要請受けて忖度してるじゃないPhotoですか。なんで辻元清美の名前は一切出さないのかね」と語っていましたが、これをテレビは全てカットしたそうですから、一般国民は何があったのか新聞・テレビでは知ることが出来ません。
 報道しない自由を見事に行使しています。
 思い起こせば、当初、「森友学園」の国有地払い下げ問題の追及に、あれほど熱心だった民進党の辻本清美議員が早々と雲隠れして逃げ回っているそうです。その理由は、
 触れてはいけない関西の暗部に触れてしまったのです
 表向きは「子どもがいる幼稚園に侵入しようとした」、また、3月1日の籠池諄子氏のメールに記された辻元氏が「作業員を小学校建設現場に送り込んだ疑惑」、更に、森友学園の小学校建設地に隣接する「野田中央公園」に関連した疑惑を上げていますが、森友問題の奥には、関西の同和問題、ヤクザ、部落解放同盟、在日圧力団体、極左労働組合などがが絡んでいるそうですから、何が起きても不思議ではありません。最近の報道も国会も、土地の問題には触れずに、「夫人に100万円を貰った、いや、やってない」などと、巧妙に別問題に移しています。第一、大阪の学校への寄付行為は違法ではないのです。
 マスコミと国会の野党陣営は、何処で矛を収めるのか相談しているはずです。

■民進党「触れてはいけない関西の暗部に触れてしまった・・・」(17/03/25)   https://youtu.be/7mpfKsRIjjY

■マスコミが報道しない民進党の疑惑、
【森友学園】辻元清美氏が
「大阪兵庫生コン経営者会」から献金を貰った証拠が発掘される 2017/3/24    https://youtu.be/ SY1NBMDWydM   
【なぜなのか】安倍総理「事実無根」⇒ マスゴミ「疑惑深まる」 民進党「事実無根。報道するな」⇒ マスゴミ「御意」 : 正義の見方 https://t.co/EkaookNpw2

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2017年3月26日 (日曜日)

天皇と他では「格が違いすぎます」

 昨日25日に、昭和天皇「海に入るまで濁らざりけり 」と題して、この歌Photo_2は昭和天皇ご自身の決意のほどを歌ったものだと記述しましたところ、県民から不満と思われるコメントをいただきました。
 まず最上川は、米沢市の西吾妻山「火焔の滝(「ひのほえのたき」か「かえんだき」)」を源流とし、酒田で日本海に注ぐまで、置賜~村山~最上~庄内と県内全域を通過することから、かつての舟運交易当時から県民の生活と密接に関わってきました。源流から海に注ぐまで229kmの長さは日本7位ですが、年を通して流れる水量はトップクラスとされ、その理由は、この地域は雨量が多いことの他に、上流にダムが無いことと聞いております。両岸まで満々と流れる水量と急流から、今も「最上川の舟下り」は観光の目玉して人気を集め、訪れる人々を魅了しています。
 そして、多くの歌人も最上川の流れに感銘した歌を残しております。
広き野を ながれゆけども 最上川  うみに入るまで にごらざりけり』昭和天皇
「五月雨を あつめて早し 最上川」(松尾芭蕉)
「暑き日を 海に入れたり 最上川」(松尾芭蕉)
「つよくひく 綱手と見せよ 最上川 そのいな舟の いかりをさめて」(西行)
「いな舟も のぼりかねたる 最上河 しはしばかりと いつを待けん」(藤原嗣房)
「最上川  岸の山群 むきむきに 雲篭るなかを 濁り流るる」(若山牧水)
「ずんずんと 夏を流すや 最上川」(正岡子規)「
「最上川  いまだ濁りて ながれたり 本合海に 舟帆をあげつ」(齋000004藤茂吉)
 など、失礼ながら、昭和天皇の他にも著名な方々の歌を列挙しましたが、その殆どは、単に最上川の情景を歌ったものであり、昭和天皇のそれとは格の違いが一目瞭然で素人でも気が付きます。
 終戦間もない昭和22年8月15日、天皇として地方巡幸のおり、酒田市に再び行幸された際に、山形県上山市出身の斎藤茂吉が、「海に入るまで濁らざりけり」の表現に、「実際は降雨が続いたりすると、物凄い流れに変わり、濁流滔々として天より来るの趣がある」と講じると、陛下は少し顔を引き締められたと紹介しました。この歌を詠んだ17歳の若き皇太子当時の想いは、これから天皇としての在位の折々には、戦争の戦禍や震災の被害などを含め困難な場面に幾多遭遇しても天皇として「心を濁られせずに歩んで行こう」と、最上川の悠久の流れを眺めつつ決意されたことを「うみに入るまで にごらざりけり」と表現されたものと受けて止めております。
 よって、齊藤茂吉先生の「濁ることもある」との講釈は余計なことだったのです。

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2017年3月25日 (土曜日)

昭和天皇「海に入るまで濁らざりけり」

  『廣き野を  ながれゆけども 最上川 うみに入るまで   にごらざりけり』Photo
 この歌は、昭和天皇が17歳の皇太子当時、大正14年(1918年)10月14日に山形県酒田市に行啓された際に、庄内平野を悠々と流れる最上川の情景を詠まれた和歌(御製歌)を、昭和57年3月31日、「山形県民の心を歌ったものだ」と受け止めて「山形県民の歌」に制定されました。
 その後、昭和22年8月15日、今度は天皇として酒田市に行幸され、再び日和山に立たれました。このとき、上山市出身の斎藤茂吉が短歌について御進講され、茂吉が「海に入るまで濁らざりけり」の表現に、「実際は(最上川は)降雨が続いたりすると、物凄い流れに変わり、濁流滔々として天より来るの趣がある」と講じると、陛下は少し顔を引き締められたようだっというエピソードがあります。つまり、「海に入るまで濁らさりけり」は申しまでもなく比喩的表現であり、昭和天皇は、最上川の流れを自分の人生に例え、「崩御のその日まで濁らずにいたい」と決意したものと受け止めています。
  昭和22年8月15日と言えば、その2年前の「終戦の詔勅(現代文)」で、
 「宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって海外に出て他国の主権を奪い領土を侵略するがごときは元より余の志すところではない。--中略---敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、幾度も罪なき民を殺傷し、。--中略---この上、なお交戦を続けるであろうか。遂には、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、更には人類文明そのものを破滅させるに違いない。」
 と呼び掛けられました。Photo_2
 つまり昭和天皇は、濁りも偽りもない言葉で、「白人から植民地にされた東アジア全域の安定を希求したものでも侵略の意思などない。しかし、敵国は国際法違反の原子爆弾を使用しては人類の滅亡させるに違いない」、だから仕方なく負けたことにすると語った想いと重ねております。
 しかし、未だに日本は侵略国家の汚名を着せられ、それを日本人の多くも厚く着込んでいますが、開戦を決意した昭和天皇が自らが侵略を否定していることを確認したいものです。昭和天皇が、開戦目的としたアジアの植民地解放は、終戦まで既に7か国を独立させ、その後も、日本が現地国民に武器を与え訓練指導した独立軍が、再び植民地を奪いに戻った白人軍と、互角以上に戦いを続けました。昭和天皇が崩御された後も、東ティモールが2002年(平成14年)2002年5月20日に独立して、アジア地域は全て独立を勝ち得ています。これらから、プロイセンの将軍クラウゼヴィッツが、「戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる」と「戦争論」にある言葉と共に、昭和天皇の「開戦の詔勅」と「終戦の詔勅」にある偽りない言葉を思い出しています。

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2017年3月16日 (木曜日)

「ルイス甘糟」の酒田の足跡

 先般、49日の法要で帰省した際に、酒田市内の曹洞宗(開祖・道元、承陽(じょうよう)大師)のお寺に立2017315__2_2ち寄り、お坊さんとお話しする機会がありました。話しは、檀家制度や宗門改め、更には、庄内地方の隠れキリスタンの取締りなどにおよびました。酒田市内では西高辺りに処刑場があったことや、鶴岡には「鶴ヶ岡髪谷地刑場」や「鶴ヶ岡大山刑場」があったことのウンチクを語りますと、お坊さんも「かつて、庄内にも隠れ切支丹がかなり多かった」ことなどを語りはじめました。
 事実、江戸時代初期には、庄内藩でも1626年に200人以上の切支丹が追放され、1629年5月9日(寛永6年3月17日)に鶴ヶ岡髪谷地刑場で9人、酒田刑場で10人、鶴ヶ岡大山刑場で5人が、火あぶりや斬首によって処刑されたとの記録があります。
 忘れてならないのは、1629年1月12日、米沢で処刑された53人の切支丹の一人が「ルイス甘糟」こと甘糟右衛門信綱のことです。
 「ルイス甘糟」の父は、上杉二十五将の一人甘糟景継で1593(文禄2)年から1598(慶長3)年まで酒田・亀ヶ崎城の城主を務めており、次男の信綱も土地勘があったはずです。そして、「ルイス甘糟」は1610(慶長15)年ころ江戸で洗礼を受けた後に、仙台藩や米沢藩の重臣になりますが、仙台に立ち寄った宣教師たちに、酒田にも行くように助言しており、この時期が庄内地方にキリスト教が広まった時期なのでしょうか。
 これらの情報は、亀ヶ崎城跡 | 山形 | 史跡案内 | 天上の青からです。http://historicsite.tenjounoao.waterblue.ws/tohoku/yamagata/yamagatahs33kamegasakica.html
 なお、「ルイス甘糟」の父・甘糟景継が城主を務めた亀ヶ崎城跡地は酒田東高校が建てられています。また、かつての宗門改めでは、お坊さんには、檀家を訪問した際でも挨拶なしで真っ直ぐ仏壇に向かい、仏壇辺りにキリスト教に関係する十字の位牌や掛け軸、置物が無いかなどをチェックする権限があったそうです。
 今年は1517年の「ルターの宗教改革」から500年です。宗教改革から約30年後の1549年に、カトリック教会の宣教師ザビエルが宣教を開始しており、「以後よく(1549)広まったキリスト教」と記憶していますが、このように生きた勉強も大切と思います。
禅(道元禅師) + 日本語字幕
   https://youtu.be/PcoNpB4zG3o
  Image2Image4

山形県・酒田や鶴岡の処刑場: 多摩湖畔日誌

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2017年3月 5日 (日曜日)

アマハゲがユネスコ遺産登録候補

 日本全国津々浦々の村々では、神社・仏閣などを中心に、何らかの祭Image2_2礼や文化が息づいているものです。これは、日本が神代の昔から途切れることなく延々と続く証であり、その土地土地の誇りでもあると思います。
 さて、外務省と文化庁はユネスコ無形文化遺産に山形県遊佐町の「小正月行事(アマハゲ)」や「男鹿のナマハゲ」、「能登のアマメハギ」など全国8カ所の行事を「来訪神 仮面・仮装の神々」として推薦すると発表しました。
  遊佐のアマハゲは、女鹿、滝ノ浦、鳥崎の3集落で継承され、既に国指定重要無形民俗文化財に指定されています。実Image2は、「女鹿(めが)」には親戚がありまして、先月の帰省の際にも立ち寄って情報を得ていたことでしたので、嬉しく思っているはずです。
 なお次いでながらご紹介しますが、
 女鹿の北部には三崎公園がありますが、かつての戊申戦争当時の「三崎峠戊辰古戦場」でした。ここは、秋田と県境で官軍(亀田藩)と「庄内藩」の最後の戦いとなった場所です。1868年(慶應4年)7月13日~16日まで、亀田藩等官軍と三崎峠において戦闘が勃発し多数の戦死者を出しました。しかし、この三崎峠で戦死した庄内藩兵の遺体は、見せしめのために引き取ることを許されず長年放置されていたのです。そしてImage3、戊辰戦争から50年近く経った大正3年(1914)、ようやく遺骨収集が許されたのですが、4ダース入り大型ビール箱二つが満杯になったと聞きます。拾い集められた遺骨は、この地に埋葬され、この供養塔はその時建てられたものです。このような歴史から、長年、この辺りでは秋田県側とは険悪な状態だったのですが、近年ようやく仲直りの意味で秋田側と「綱引き大会」をやったそうです。
 また、女鹿地区の八幡神社と思いますが、の伝承もあると聞いています。この庄内平野辺りでは「黒川能」や「杉沢比山」が全国に知られていますが、実は戦後間もないころ、東京から大学教授が郷土芸能の発掘調査に最初に訪問したのが女鹿だったそうです。しかし、多忙な時期で女鹿では演じ手を集めることが出来なかったため、「黒川能」を紹介したことがキッカケで、全国的に広まったという裏話しがあります。
十六羅漢から女鹿方向を撮影
Photo
子どもの怠け心を戒める「アマハゲ」山形 NHKニュース
  https://youtu.be/QHCyddwnkTI

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2017年3月 3日 (金曜日)

人工知能のカンブリア紀の爆発は

 山形県鶴岡市に所在する「ルネサス エレクトロニクス鶴岡工場」で製造するCMOS0004203200_センサーは自動運転の自動車やロボットの画像センサーなどに使われる世界一の電子の目と聞きました。ここには親戚二人が働いていますので紹介したいと思います。
 人間の五感として、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚がありますが、人間が最も大切とされるのは視覚とされます。それは障害者認定の基準から見ても視覚障害者の等級が高いことでも明らかです。地球の歴史で、約5億4200万年前から約4億8830万年前までを「カンブリア紀」と呼びます。この時代に初めて「眼」を持った生物が誕生したとされ、それまで数十数種しかなかった生物が、突然、1万種も増加したことから「カンブリア紀の大爆発」と呼ばれています。理由は、眼が見えることで捕食活動が楽になり、弱肉強食の世界が激しく加速したことがあると見られています。
  これからも「眼が見える」ことの大切さが証明されています。
 先日、イメージセンサ(撮像デバイス)の埋込フォトダイオードを発明した兵庫県立大学兼ねて静岡大学の特任教授を務める寺西信一さんが、今年の「エリザベス女王工学賞」を受賞すると発表されました。この「エリザベス女王工学賞」は2013年に始まった、まだ3回目の新しい賞で、過去にはインターネットの開発者や「ドラッグ・デリバリー・システム(DDS)」の開発者に贈られているそうですが、三回目にして寺西さんが選ばれたことは凄いことと思います。凄い理由は、AI(人工知能)にイメージセンサ(撮像デバイス)という目を付けることを可能にすることで「AIのカンブリア紀の大爆発」が予想されるそうです。
 具体的には、防犯カメラで不審者を自分で発見したり、自動運転の自動車やロボットの眼として自分で進む方向を判断したり、或いは農作物の良し悪しを選別する眼、攻撃目標を自動的に定める軍事目的などとして、多種多用な目的に利活用の場が広まりそうです。このイメージセンサ(撮像デバイス)を製造している、その一つが、ルネサス エレクトロニクスの鶴岡工場です。

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2017年2月27日 (月曜日)

車の自動運転は楽しみですね!

 最新の「アイサイトVer3」も、吹雪や大雨の中では、作動しないと2017227_image5_3きもあります。
 最近、郷里の遊佐町や酒田市まで、高速道路を利用して往復する回数が増えました。殆どが、関越から日本海沿岸東北自動車道の利用です。車は「アイサイトVer3」を搭載したスバル車で、前面上部には人の目と同じように、左右2つのカメラで立体的に環境を把握する「ステレオカメラ」が取付けられ、前方の車は勿論、歩行者や自転車なども識別して、これらとの距離や形状、移動速度を正確に認識する「運転支援システム」と言われています。
 ドライバーが気付かないうちに自動支援しているスリップ防止や自動ブレーキは勿論、前の車に付いて行く「全車速追従機能付きクルーズコントロール」や走行レーンを読み取ってくれる「アクティブレーンキープ」なども長距離運転には重宝しています。
 ところが、1月下旬に帰省した際、関越トンネルを過ぎた辺りから、前方の視界を遮るような猛吹雪に遭遇したのですが、この「アイサイトVer3」も作動しなくなったのです。吹雪且つ積雪で走行レーンは消えている上、前の車の赤い後部ランプが頼りの厳しい環境での運転でしたが、こんなときこそ威力を発揮して欲しいものです。
 今年2017年中には、「アイサイトver4」搭載の車が発売されるそうで、
 •全車速追従機能と低車速(0~65km/h)での車線中央維持
 •自動車専用道路での渋滞時カーブ追従に対応する、準自動運転「レベル2」相当のようです。また、2020年には「アイサイトver5」も登場の予定で、ステレオカメラに追加して「デジタルマップ、レーダー」を使用することで、「自動車線変更」、「連続レーンキープ」、「•ーブ減速」などの機能が追加されるそうです。
 是非とも、吹雪や大雨でも作動するよう機能を高めて欲しいものです。

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2017年2月23日 (木曜日)

金正男暗殺から半島国家を想う

 「半島国家」は半島の根本は大陸に接している為、大陸側の国家からの侵略から逃げ場がないことに加え、海洋国家からの侵攻の危険性にも晒さMalay_peninsula5れているため、安定しない歴史は世界の何処も共通しているようです。事実、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれるバルカン半島のほか、アラビア半島、インドシナ半島、朝鮮半島などの歴史を知れば明白なことです。
 今回は、インドとシナの間の半島だから「インドシナ半島」と呼ばれる地域で、さらに南方に突き出た半島の中の半島である「マレー半島」を舞台に、北朝鮮の「金正男氏暗殺事件」が発生しました。この事件では、マレーシア国家の北朝鮮に対して「駐北朝鮮マレーシア大使を平壌から召還」や、事件に北朝鮮大使館が関係していたことの公表など、強気の対応が注目されています。この強きの対応の背景にも、民族のルツボ「マレー半島」の歴史が関係していると見られます。
  この半島の広さは日本よりやや狭い面積で、人口は約3000万人ですが「アジアの人種のるつぼ」と呼ばれ、マレー系、中華系、インド系を中心とする多民族国家です。「マレー半島」が多民族国家になったのも350年以上の植民地支配が関係しています。それは、植民地支配は「間接支配」が原則とされ、英国や蘭国、仏国などの宗主国が直接支配しないで、隣国やその植民地の少数民族を使って支配することで、白人が直接恨みを買わないようにしたそうです。つまり「マレー半島」のマレー人の支配は、中華系やインド系を奴隷にして支配したのであり、更に、中華系やインド系の奴隷は、朝鮮系を奴隷にしたそうです。今も「マレー半島」のマレーシアやシンガポールで働く売春婦には朝鮮系が一番多いそうです。
 「上には上が、下には下がいて」奴隷の欲求不満のはけ口にしたのでしょうか。00016_24_33

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2017年2月 7日 (火曜日)

将棋とカマンベールチーズ

 趣味に将棋、好物にチーズがありますが、子供当時から夢中だった将棋も、最Image2_2近では、本格的に指す機会は殆どなくなり、パソコンでコンピュータ将棋やテレビで将棋観戦、また新聞の将棋欄で次の一手を予測する程度です。
 最近、将棋の話題が多いようです。
 将棋の漫画が良く売れたり、コンピュータ将棋とプロ棋士の対戦、プロ棋士が対局中にスマートフォンで将棋ソフトを利用した疑惑、そして、昨年末に話題になったのは史上最年少で将棋のプロ棋士になった藤井聡太四段(14)のプロデビュー戦で現役最年長の加藤一二三・九段(76)を破ったことでしょう。
 将棋は手っ取り早く覚える戦法に居飛車の棒銀がありますが、加藤プロImage3は若い頃から今でも棒銀を指す棋風で知られています。更に面白いところは、ダラリと長くの絞めたネクタイと、時おり対局相手の背後に回って盤面を見るクセ、それに、好物のチーズをぱくぱく食べるところでしょうか。よく見ますと、カマンベールチーズのようです。小生も長距離の運転などでは、カマンベールチーズとクラッカー、お茶を車に持ち込み腹の足しにすることがありますので、つい、共通項を見付け笑ってしまったものです。
【将棋】加藤一二三 九段 vs 藤井聡太 四段  
 

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2017年2月 1日 (水曜日)

遊佐町袋地から鳥海山を撮影

 先月1月22日(日)に「バナナマンのせっかくグルメ!!」で、バナナ000000ivqaeij1qマンの日村が遊佐町を訪問して、同町の話題を紹介していました。その番組の中で、遊佐町袋地にギャラリー&ティールーム「翠」を訪ねたことや、その近くの農業用水の溜め池がまだ残っていたことも気になりましたので、所用で帰省した1月29日(日)午前中に、池に映る「逆さ鳥海」の撮影を期待して袋地に向かいました。残念ながら、溜め池周辺は雪が深いうえに、氷が張っていて影鳥海の撮影は出来ませんでしたが、暫く立ち止まって鳥海山を眺めていると、昭和30年代にほぼ終わった「橇木山(そりぎやま)のことを思い出しました。
 「橇木山(そりぎやま)」とは、鳥海山の概ね2号目、3合目辺りの山麓から、毎日の煮炊きから暖房用の「薪」にする木を「橇(そり)」で降ろす作業でした。このImg_6969薪にする樹木は「ブナ科」の「クヌギ」「コナラ」などが殆で、この木の切り出しは、稲の収穫が終わった秋口に、それぞれの村々に指定された山で行っていました。
 そして、各家々で必要な分量を、長さ概ね1m50cm程度に切り倒して積んで置くのですが、当然、雪が積もれば隠れるから、積んだ木の上に長目の棒を差し、目印を付けて置き、そして翌年の鳥海山の天候が安定する1月下旬から2月上旬ころに、これを木の橇でなだらかな斜面を利用して降ろしていたのです。今は、電化やガスが利用され、薪で煮炊きすることは殆どないはずで、もし薪が必要なら道も整備されているし、多少の雪道でも4W車なら簡単に運ぶことが出来るのですから便利なものです。なお、この辺りは「白井新田地区」といい、江戸時代に庄内藩の「白井矢太夫」の指導により新田開発が始まり、岩野集落や藤井集落、金俣集落などが入植されたと聞いています。我が家の曽祖父も明治後期に新田開発を手伝ったそうです。
 「白井新田」の名称は勿論「白井矢太夫」の功績を讃えてのことでしょう。
橇木山(そりぎやま)の思い出: 多摩湖畔日誌

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2017年1月23日 (月曜日)

バナナマンの日村、遊佐町に登場

 1月22日(日)午後6:30~「バナナマンのせっかくグルメ!!」で遊佐町のことが紹介されていました。00banana_tbs
 月光川沿いの映画「おくりびと」の撮影ポイントからの鳥海山も、雲一つない青空をバックにして最高の状態でした。また、袋地にギャラリー&ティールーム「翠」が出来たことや、その近くの農業用水の溜め池がまだ残っていたことも確認しましたので、次回帰省の際は、池に映る鳥海山の撮影に向かいたいと思います。それに、畠中浩哉さん、英里さんご夫婦の自宅付近は見当がつかなかったのですが、いくら丼をタイミング良く準備できたことはラッキーでした。子供のころ、ご飯の白いところが見えないほど、タップリとイクラを乗せて遠慮なく食べたころを、懐かしく思い出しました。
■「今夜食べたくなってきた!! 」
山形県遊佐町の最高級食材に鈴木奈々が悶絶!? 1/22(日)
『バナナマンのせっかくグルメ !』【TBS】
  https://youtu.be/WFpzGOzcMhs

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2017年1月21日 (土曜日)

勉強しよう「戦後日本の左翼史」

 日本人でありながら、日本国家存続と植民地化されたアジアの解放のため00000449134に命を捧げた英霊の方々を「侵略した」「間違いだった」などと平気でバカにする人達がいます。これは全て、占領軍GHQが押し付けた「東京裁判という茶番」を受け入れ、GHQの手先となって、教育、報道、政治、宗教、労働組合、芸術、スポーツ等々、あらゆる手段を利用して、日本国民が刷り込まれてきた結果です。
 第二次世界大戦後は、世界を二分したアメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営と、ソ連を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造から、その狭間に位置する日本は東西から自陣営に取り込む工作が激しさを増していました。
 それが1991年のソ連崩壊後は、対立構造が弱まると期待されましたが、なんと靖国問題、慰安婦問題、日本のアジア進出を「侵略」としたりとシッカリと生き残っています。
戦後日本の左翼史
https://youtu.be/_oZnkR7aKVE

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2017年1月15日 (日曜日)

韓国人が世界に誇るべきこと。

 「慰安婦交渉」が暗礁に乗り上げ、在韓大使を引き上げや通貨スワップ中断など41giltokyvl__sx306_bo1204203200__2閉塞状態に陥っていますが、日・韓ともに忘れてならないことを記述しておきたいと思います。
 それは、朝鮮半島の皆さんが長い歴史の中で、一点、世界に誇るべきことは、約24万人の将兵が日本軍軍人として「アジア解放」の為に戦ったことと、多くの英霊が靖国に祀られていることです。韓国が本当に恨むべきは日本ではなく、韓国が長年酷い目に合った、歴代の中国王朝である唐・宗・明・モンゴル人の元、女真(じょしん)族の清からでしょう。更に近年では、毛沢東、スターリン、金日成、李承晩からであり、記憶に新しいことでは、李承晩大統領の命令で惹起された、済州島四・三事件保導連盟事件を始めとする「赤狩り」で、共産主義者100万人近くの同胞が粛清されたことです。
 この粛清の裏では、在韓米軍が操っていたはずです。
 韓国では日本以上に幾多の困難な歴史はありましたが、韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものであり、これを現実として受け止めるなら、反日感情は薄まり、未来に向けた信頼関係も構築されるはずです。
 再度申し上げますが、韓国が世界に向けて誇れることは、日本軍と「アジアの植民地解放」の為に共に戦ったことと、中国に貢女(こんにょ)や宦官を差し出し続けながらも、辛うじて歴史を紡いできたことです。世界の民族の殆どは、「民族ごと奴隷にしたり・されたり」、「民族ごと虐殺したり・されたり」している現実があります。
 それなのに、一つの半島で生き延びている韓国にはシタタカサがあります。
 繰り返しますが、東南アジア諸国の独立は、大東亜戦争で日本軍と共に戦った24万人の朝鮮人将兵の存在を、アジアも韓国も日本も忘れてはなりません。そして靖国には、朝鮮日本兵を含む約2万1000人が合祀され、特攻隊の一員として散った半島出身者約二十名もおられるのですが、韓国では国賊扱いなのでしょうか。
 天皇陛下と韓国大統領が、揃って靖国神社に御参拝される日を夢見ています。
 ※朝鮮半島から日本軍人として志願された人数です

年度 志願者 入所者数 選抜率 志願倍率
1938年 2946人 406人 16.2% 7.3倍
1939年 12,348人 613人 4.9% 20.2倍
1940年 84,443人 3,060人 3.6% 27.6倍
1941年 144,743人 3,208人 2.2% 45.1倍
1942年 254,273人 4,077人 1.6% 62.4倍
1943年 303,394人 6,000人 1.9% 50.6倍

【大東亜戦争】朝鮮人特攻隊員の真実【韓国併合・日本國臣民】   https://youtu.be/yjbRm4891Ls  

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2016年12月30日 (金曜日)

日本が〝心〟という字に見える

知日家韓国人・朴鉄柱氏Image1(大正十一年(一九二二)、釜山生まれ 平成二年一月逝去・六十八歳、
 昭和二十九年五月「日本文化研究所」を設立)
大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。下関の住吉神社に奉職。戦後韓国に帰国。 李承晩大統領の反日政権下にあって苦汁を嘗めさせられる。
(日本の学校を出た者は、「民族反逆者裁判条例」に引っ掛かり追放) 朝鮮動乱を経て、昭和29年5月に「日本文化研究所」を設立。研究主題は
一、日本上代文化の研究
二、帰化文化の研究
三、日本の信仰、道徳等精神文化の研究
同じころの我が国が、敗戦により自国文化の否定、罵倒する言論がまかり通っていたのとは対照的です。その後「日本と韓国」(韓国と日本ではない)という著書を南朝鮮で出版しましたが、「反共法」に引っ掛かり、朴氏は裁判にかけられ、三年半の刑が言い渡されました。著書は全て没収・焼却されました。
【KSM】知日家韓国人 朴鉄柱氏 韓国から日本をながめていると、
日本が〝心〟という字に見える

https://youtu.be/hFe2xkpupBo

 「韓国から日本をながめていると、日本が〝心〟という字に見える。
北海 道、本州、四国、九州と〝心〟という字に並んでいるではないか。
日本はすばらしい。
万世一系の御皇室(御をつけらる)を戴き、歴史に断絶がない。
日本固有の神道が、現在に至るまで相続されており、全体が調和された形でできている。
〝八紘為宇〟という考え方は、日本の大らかさの現れであって、これは積極的に世界に知らせる必要がある。
それに較べて韓国の歴史は、悲惨であって断層が深く、涙なくして見ることはできない。
暗い場所から見れば、明るい所は余計にはっきりと解る。韓国は日本文化の豊かさの中から学ぶことによって、内面的支柱を確立するよう努力したい。」
「韓国の檀君神話といっても、あれは高麗時代、モンゴルの支配下に置かれた時、一然上人が民族精神を振起するためにまとめたもので、高麗神話の性格が強い。ほかに新羅や百済や駕洛にも神話がある。
韓国は、日本のように統一した一つの 神話にはなっていない。
日本神話は、ギリシャやユダヤの神話に較べて明るく、ロマンの香りが高く親しみやすい。
それに日本神話は檀君神話より四百年も前にまとめられた。
私が日本神話に内面的親しみを感ずるのは、日韓は同祖だと信ずるからである。
それは民族学的な立場からも立証できる。韓国は古来から祖先信 仰と自然崇敬の念が強く、山神霊廟があり、それらをまつるために、『鳥居』や『しめなわ』『ヒモロギ』を使ってきた。それに日韓両国には、「白衣」の思想が あった(これらは中国にはない)。
日本の神職は、神に近ずく時には白衣を着る。韓国民も霊廟に参拝する時には白衣を着るし、目上の人に会う時にも白衣を着るのが礼儀となっている。まず自らの身を浄める訳である。」
「第二次大戦後の日韓関係は、李承晩政権の影響もあって、共産主義以上に日本を憎む傾向があった。そのため日韓の氷山の一角を誇大に強調して、隠された部分を見落していた。
お互いの精神的歴史的豊かさを掘り起す努力をしようではないか。そのために日本は自信をとり戻して、おおらかに民族形成の原点に立ち返ってほしい。」
「現在の日本人の自信喪失は敗戦に帰因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後までとり組んだ。それまでの日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。
最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。
〝事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし〟というのが、 開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった

日露戦争と大東亜戦争-この二つの捨身の戦争が歴史を転換し、アジア諸民族の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調し過ぎることはない。」
「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスを始めとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
戦争に勝ったか敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決る、というのはクラウゼウィツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、〝聖なる戦争〟であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐ回復できたではないか。二百数十万の戦死者はたしかに帰ってこないが、しかし 彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇の対象となるのである。」

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