シンガポール旅行記(2)
シンガポールは、大東亜戦争の傷跡が多く残るところだ。
日本はシンガポール占領後は”昭南島”と呼んだ地域でもある。
日本のシンガポール統治は3年間、セントーサ島(Sentosa
Island.)も、その一つだ。
セントーサ島の歴史博物館では、日本統治時代を、「シンガポール暗黒の時代」と日本語で紹介していた。当時は英国の植民地だったが、マレー民族の独立心に火を付けたなどの肯定的な説明は全くない。
「セントーサ」とは、マレー語で「平和」を意味し、1970年迄は島全体が軍事要塞基地だったそうだ。
今は島全体がレジャーランド施設に生まれ変わっている。
夜には、噴水とレーザー光線と花火による華やかなショーが待っていた。
ショーの前に歴史博物館に立ち寄った。
建物は病院施設跡だというだけに、古めかしく歴史を伝えるには充分だ。
中では、シンガポールの歴史を蝋人形や数々の展示物で当時を再現していた。
日本占領時代の説明に目が止まった。
「シンガポール暗黒の時代、多くの島民が日本軍に虐殺された。」と簡単な説明があり、真っくらのゾーンには、日本兵から逃げまどう島民の様子を展示していた。
たったこれだけで、シンガポール国民が持つ日本のイメージを想い図った。
マレー、シンガポール地域の戦死者は1万1、400人と言われている。
シンガポールの日本人墓地公園(英語:The Japanese Cemetery Park)所在地 Chuan Hoe Rd, Phillips Av.
は、他にも10カ所前後あると聞いた。
きっと、シンガポール政府が日本人墓地公園を造る理解を示した結果であろう。
まあ、これはよしとすべき?
戦争があった国の中には、遺骨収集活動が許可されない国もある。
大きな地図で見る
Singapore Chuan Hoe Rd, Phillips Av.
ウキベキア「シンガポール攻略 」
によると、
昭和17年(1942年)2月8日、日本軍はジョホール海峡を渡河しシンガポール島へ上陸した。
主要陣地を次々奪取し、11日にブキッ・ティマ高地に突入するが、そこでイギリス軍の砲火を受け動けなくなった。15日、日本軍の砲弾が底をつき、攻撃中止もやむなしと考えられていたとき、イギリス軍の降伏の使者が到着した。水源が破壊され給水が停止したことが抗戦を断念した理由であった。
シンガポール攻略戦での日本軍の戦死は1,713名、戦傷3,378名。イギリス軍は約5,000名が戦死し、10万人が捕虜[6]となった。
これはアメリカ独立戦争におけるヨークタウンの戦い以来のイギリス軍史上最大規模の降伏であり、近代のイギリスにおいて歴史的な屈辱であった。
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